隆山事件簿 〜未知との遭遇(後編)〜 投稿者: いち
 深い、深い夜。
 男は自らの肥大した欲望を充分に満たす獲物達を手にして、悦に浸っていた。
(この柔らかい感触、芳しい芳香。うう、早く家に帰って思う存分に楽しもう。
 俺の身代わりになった馬鹿には感謝しなければ。)
「そこのキミぃ!!」
 狩りの成果に満足して意気揚々と凱旋する男は、背後からの言葉にゆっくり
と振り向いた。見れば、かなり背が高く、ラフな格好をした男が立っている。
「へへへ、年貢の納めどきってヤツだ」
(何だコイツは?)
 男は知らない。
 そいつの名は矢島──身代わりになった馬鹿本人だということを。


『一昨日深夜、県警は隆山で多発していた下着窃盗事件の容疑が濃厚として、
 数ヶ月前から隆山へ訪れていたY氏(25)を任意同行した模様。同氏は──』

 すこし時間はさかのぼる。
 葵と矢島が運命的な再会を果たしたのは昨日のことだ。限りなくクロに近い
とはいえ、容疑者は容疑者。一旦、矢島はその身柄を解放され宿舎へと帰され
た。そして今日。昨日の疲れもあってか、昼近くに起き出してきた矢島は昼食
っぽい朝食を摂りつつ、何気なく近くに転がっていた地元の新聞を開いた。
『ゼンマイが切れたのかと思ったよ、あたしゃ』
 その時の矢島を観た食堂のオバサン・宮崎ハツコ(57)さんはそう語る。チー
ムメイトの何人かなどは、矢島の口から白いモヤの様な物が抜けていくのを確
かに視たという。
 しかしそういった超常現象の解析は専門家に任せるとして、生きる屍と化し
ていた矢島の身体にも、ようやくエクトプラズム化した魂が戻るのであるが、
「気が付いたな」
「.....は? う、うわッ、なんだこりゃ、真っ暗!? 縛られてる!?
 牢屋? 牢屋なのかッ!? 俺、やってないッス────!!」
 ごすッ!
「.....」
「晩御飯買ってきましたぁ。あッ、矢島先輩、気が付かれたんですね! って、
 どうしたんですか、頭かかえて?」
 シートベルトを縄と勘違いする大ボケをかまし、取り乱したところを柳川に
しこたま殴られた矢島が涙目で見回すと、そこは牢ではなく車の中であった。
既に車外の景色──住宅街?──は、夜の闇に飲み込まれている。
「は、俺? 捕まったんじゃ....?」
「大丈夫ですよぉ、矢島先輩。なにしろ柳川さんのお墨付きなんですから!」
 買いだしてきたコンビニ袋からカレーパンを柳川へ渡しつつ、葵が応えた。
「そッ、そうなの!?」
「ハイ。柳川さんがそう言うんだから間違いないですよ」
「お、俺、新聞にあんな記事が載ってたから、てっきり...」
「あッ、アレ...すいません! どこから情報が漏れちゃったんでしょう?」
 安心しつつもにわかには信じられないといった矢島と、平身低頭の葵である
が、その『どこ』がすぐ隣に座っているとは思いも寄らないだろう。
『どこ』本人である柳川は、彼にしては珍しく事件に疲れていた。
 柳川と葵が今回の事件を受け持つことになったそもそもの経緯は、内容が内
容だけに女性が担当した方が良かろうという上の判断なのだが──
 なにしろ柳川である。
 葵にはスラスラと受け答えする被害者達も、柳川が同席したとたんに頬を赤
らめたり、モジモジと俯いたりで、一向に事情聴取が進まなくなるのだ。女子
寮ともなれば、関係のない者が茶を運んできたかと思うと、そのまま居座ろう
とすることもある。
 という訳で、最近では事情聴取はもっぱら葵の役割となっているのだが──
 なにしろ葵である。
 誰にでも好かれる葵に、被害者達も必要以上の事まで喋るのは良いのだが、
本当に必要以上の事まで喋るのだ。相手のペースにはまり易い葵であるから、
当然、倍以上の時間がかかる。それだけならまだしも、
『あ....あの〜、柳川さん?』
『どうした、終わったのか?』
『皆さんが『合コンしませんか?』って訊いてるんですけど...』
『...断れ(怒)』
 矢島などには羨ましい限りであるが、柳川には鬱陶しいことこの上ない。こ
んな事が度々続くうちに、遂に柳川がその重たい腰を上げたのである。
 まず、そのテの人間にはよく知られている店(ブルセラ、ビデオ屋など)に
行く。そして店主が巧妙に隠している事柄を、この柳川という男はいきなり発
見するのだ。そこで、あくまでも任意に協力を申し出ると、店主は実に友好的
に協力してくれた。で、顧客リストなどで複数の対象を選んだ中から柳川が絞
り込んだのが、数十メートル離れたアパートに住んでいる男という訳だ。
 実の所、柳川は初めから矢島が犯人などとは思っていない。土地勘の無い者
が来訪早々に犯行に及ぶとは考えにくいし、矢島が持っていたという下着も、
『見た目は凄いんですけど、履き心地とか悪そうで、安物っぽいです...』
『...そうか』
 顔を真っ赤にして葵が柳川に言ったとおりだった。そういう方面にはトコト
ンに疎い葵が気付くぐらいだ。犯行を重ねるにつれて、高級な下着を狙うよう
になっている犯人にしてはお粗末すぎた。しかし、この『松原の知り合い』と
いう素材を放っておく柳川でもなかった。既に常習的に窃盗を繰り返している
犯人があの記事を観れば、どういう行動に出るだろうか?
「あッ!」
 葵が小さく驚いてから、慌てて自分の口を手で塞いだ。
 視線の先──アパートの出口から黒っぽいトレンチコートをスッポリと身に
纏った長身の男が姿を顕した。恐らくは今夜の警戒は緩いと判断したのだろう。
どうやら柳川の目論見は的中したようだ。
 こうして、狩りは始まったのだった。


 ぼぐうッ!
 背後から声をかけ、一瞬だけ硬直状態になった矢島と犯人の間で、派手に殴
打音が鳴った。片方のシルエットが勢い良く弾け飛ぶ。見事な不意打ちだ。
「.....やれやれ」
 新聞に載ったこともあり、一応は身柄を確保しておこうと同行させた矢島で
あったが、自分の容疑が晴れたと判るや、がぜん元気を取り戻した。
『頑張ろうね、葵ちゃん!!』
『ハイ!!』
 葵ともすっかり意気投合。自分を囮に使った張本人とも知らず、柳川に対し
ては尊敬すらしているようで、ヤル気満々に捜査協力を申し出た。
 申し出たのだが──
「ふぐッ! まぁてへぇ〜」
 鼻血を吹き出して矢島が情けない声を上げる。不意を突かれたのは矢島の方
だったのだ。やりたい奴にはやらせておく──柳川は自分のポリシーを呪った。
「待ちなさいッ!!」
(!!)
 しかし、そうそう事は上手く運ばない。両手をいっぱいに拡げて、葵が逃げ
る犯人の進路を塞いだ。
(ちくしょう! ちくしょう!)
 犯人は相手が小柄な女と見るや、そのままの勢いで突進を敢行する!
 やっと終わったか──柳川は判断した──松原なら大丈夫だろう、と。
「てぇ────ッ!!」
 それは葵の優しさと言うべきだった。犯人の体当たりを寸前で捌き、側面か
ら正拳を叩き込む。これが正面からのカウンターなら、犯人もただでは済まな
いだろう。とはいえ、威力は充分である。
「逮捕しますッ!」
「うぐぅ...」
 犯人はあっけなくその場に崩れ落ちた。そして──
「はううッ!! あッ、あおッ、葵ちゃん!!!?」
「え?」
 困惑する葵。
 名前を呼ばれたこともそうだが、葵を見上げた瞬間、犯人の表情に生気がみ
なぎったのだ。それはとても...なにか破壊的に嬉しそうな表情だった。
「ふおおッ!」
 苦悶の表情から一転、がばッと立ち上がり、大きく広がる犯人のトレンチコ
ート。引き締まった胸板。割れた腹筋。そしてその下の黒々とした...
「ふぎゃ────────ッ!!」
 柳川と矢島からはコートを拡げた犯人の後ろ姿しか確認できないが、その悲
鳴の質から、向こう側の葵ビジョンにどういう景色が飛び込んできたのか、大
体の察しはついた。
「ひええッ!」
「葵ちゃあぁ────ん!! 葵ちゃあぁ────ん!!」
 前触れもなく始まる阿鼻叫喚の地獄絵図。
 先程までのBGMが手に汗握る緊迫したものだとすれば、今鳴っているのは
かなりコミカルなものに違いない。いや鎮魂歌だろうか。とにかく逃げ惑う葵。
コウモリのごとくワサワサとコートを翻して追いかけ回す犯人。鼻血をたらし
て呆気にとられる矢島。舞台は一気に喜劇へと加速していった。
「俺...あんなのに間違われたのかよ...」
『あんなの』に愕然としながら、ひとり呟く矢島だったが、ハッと気を取り直
して傍らの人物を見た。
「(シュボッ)......(ふ─────ッ)」
    「こッ、来ないで下さいぃぃ!!」
「柳川さん! そんな悠長にタバコ吸ってる場合じゃあ!」
    「ほら────ッ! ほら─────ッ!」
「あまり関わり合いになりたくない人種のようだ...春だからな」
 柳川とて神様ではない。このような性的な犯罪の常習犯であるからして『少
し変わった性癖の持ち主かもな』とは予想していたものの、まさか露出狂とは。
よく判らないが、犯人は『松原葵』にかなり個人的な思い入れがあるようだ。
    「観て─────ッ! 観て─────ッ!」
「助けに入りたいのなら止めんぞ?」
    「みッ、視えません。聞こえませんッ!」
「うッ....」
 矢島も助けに入らなければとは思うのだが、同じ人類とは思えない犯人の奇
抜な動きと、走る度にピタンピタンと音を立てるナニに、遺伝子の奥底から沸
き上がるかの様な恐怖を感じた。葵も遂には耳と瞳をしっかりと塞いで、座り
込んでしまった。騒ぎを聞きつけた周りの民家に明かりが灯り始める。
「どッ、どうすれば、どうすれば...?」
    「許して下さいぃぃ!!」
「(やれやれ、仕方ない...)おい、捜査協力は惜しまんのだったな?」
    「葵ちゃあぁ────ん! あ・お・い・ちゃ───」

 ゴッ!

 しぃん。
「ひぐッ、ひぐッ...?」
 地面を震わす鈍い重低音の後、突然に夜はその本質である静寂を取り戻す。
恐る恐る顔を上げようとした半泣き状態な葵の視界が、頭からバッサリと黒い
物で覆われた。
「まだ視ない方がいい...矢島!」
「はッ、ハイ」
「捜査協力だ。そいつを適当に包んで、車のトランクに放り込んでおけ」
 柳川は矢島のように犯人に一声かけるなどという面倒なことはしなかった。
スルリと近寄ったかと思うと、鬼のような(矢島はそう感じた)拳骨で犯人の
頭部を横に薙ぐ。数メートルも吹っ飛んで仰向けに醜態を曝している犯人だが、
辛うじて息はしているようだ。しかし、半日は目を覚まさないに違いない。
「うッ...」
 完全に意識を寸断されていると解っていても、触れる直前に少し躊躇する矢
島。だが、意を決すると、犯人のコートを利用して『梱包』を開始した。
「すいません...私が不甲斐ないばっかりに...」
「面倒な話だ」
 慰めて貰おうと期待した訳ではないのだろうが、容赦のない柳川の台詞はや
はり精神的に堪えたのだろう。柳川の上着を頭から被ったまま、両肩をピクリ
と震わせる葵に、いつもの元気さは見る影もなかった。
 そんな葵の姿に『ふぅ』と一つ小さい溜息を吐き、柳川はやれやれと続けた。
「次は楽をさせろ」
「え?」
 葵が顔を上げる。柳川が壁になって、『梱包中』の犯人が葵の視界に入るこ
とはなかった。
「俺も『あんなの』を観たのは初めてだ。女のお前が動転するのも仕方ない。
 だが──次からは巧くやれるハズだ」
「え、ええと、あのぅ」
「どうした? 俺の言うことに間違いはないんじゃなかったのか?」
「あ」
 見上げる葵からは、矢島の作業を見つめる柳川の顔を伺い知ることはできな
い。けれど、ひょっとしたらその表情は──
「で、出来る限り頑張りますッ!!」
「そうか」
「つ、次は大丈夫ですよね? 柳川さんのお墨付きなんですから!」
「さあな」
 振り向いた柳川は期待に反して相変わらずの仏頂面だった。そして葵の表情
も相変わらずの──元気に溢れるそれへと回復していったのである。
「柳川さん! 積み込み完了しましたぁ!」
 ばたんッとトランクの締まる音が鳴り、矢島がブンブンと手を振った。すっ
かり柳川の子分といった感じだ。
「あッ矢島先輩、お世話になりましたぁ!」
「もう大丈夫なの、葵ちゃん? あまり気にしちゃダメだよ」
「はいッ! どうもお手数をおかけしました」
 なんだかんだと規模のわりには面倒な事件であったが、とりあえずは解決し
たようだ。矢島の容疑は晴れ、葵は元気を取り戻し、柳川がコンパの誘いを受
けることもないだろう。柳川はふうぅと大きくタバコの煙を吐き出した。

「(次...か。やれやれ、こんな鬱陶しい事件がそう度々起こってたまるか)」

 タバコを地面で踏み消すと、柳川はゆっくりと運転席へ向かった。

                                (終)

 〜後日談〜

「あッ、柳川さん。矢島さんがテレビに出演(で)てますよ!?」

『さぁ、今日のヒーローインタビューはもちろんこの人。終了間際の逆転3P
 シュートでチームを見事! 優勝に導いた矢島選手です!!』
『どもッス!!』
『どうですか、緊張したでしょう?』
『ハイ! でも、あの時の緊張感に比べればなんてことなかったッス。それに、
 男は黙ってヤルときゃヤル、ですよ。観てくれてますかぁ〜、ししょ〜!!』

「....あの、柳川さん。この『師匠』って、柳川さんのことじゃ...?」
「知るか(怒)」