運命的な出会いをするときがある──葵はよくそんなことを考える。 松原葵。 彼女は県警・捜査一課に所属する刑事である。 葵の刑事としてのキャリアはまだまだ浅く、言ってみれば駆け出しなのだが、 その前向きな性格、ひたむきな態度は署の内外、男女を問わず愛されていて、 『ウチの娘になってくれ』 などと冗談だか本気だか定かではない目で言う中年刑事もいる程だ。 その葵は現在、一ヶ月ほど前から隆山で頻繁に起こっている、とある事件を 追っている。 所詮は田舎県警。殺人といった物騒な事件など滅多に起こらないのだが、些 細な事件はどこででも起きるものだ。しかし些細とはいえ、現場検証、事情聴 取、聞き込み、これら全ての捜査を二人で取り仕切るとなると、忙しさという 点では殺人事件とそう変わるものではない。 ──それはほんの数十分前。 『現場周辺をウロついていた不審な人物を確保しております』 その一報が隆山のとある交番からもたらされた時も、葵は類似した前科を持 つ者の検索に精を出す最中であった。 すぐさま隣の刑事へと視線を走らせる。 柳川裕也。 悠々とコーヒーなど口にしているが、べつに彼はサボっているわけではない。 自分の分担を終えた後、他人を手伝うかどうかは個人の自由である。そして、 彼は自主的に他人を手伝うような男ではない。ただそれだけの話だった。しか しこれも『自分に経験を積ませてくれている』と、当の葵が感じているのだか ら世話はない。まぁ、葵の分までコーヒーを煎れてきただけでも、彼にしては 上出来といったところだ。 個性的といえば、極めつけに個性的な人物。 情熱とは無縁。前向きどころか、どこを向いているかもよく分からないとい う、葵の教育係兼パートナーであるこの先輩刑事は、 『ウチの娘は絶対にアイツにはやらん!』 などと、目を血走らせて中年刑事に宣言される人物である。柳川にしてみれ ば、その刑事の行き遅れた娘などどうでもいいし、むしろ迷惑極まりないのだ が、いちいち反応するのも鬱陶しいので無視を決め込んでいる。 もちろん、柳川がその身の内に人外の魂を宿し、過ちに満ちた壮絶なる過去 を背負っていることなど、葵は知る由もない。この出会いを『運命的』と感じ るかどうか...現時点では葵にも、また、柳川にもそれは分からないだろう。 ぐいっ。 紙コップに残るコーヒーを柳川は一気に飲み干した。 ともあれ、柳川にもやらなければならない仕事が出来たわけだ。無言のまま コートと車の鍵を取る。その後ろに柳川の煎れたコーヒーの紙コップを手にし た葵があたふたとつづいた。 ちなみに、葵が一度やったきり、なぜか車だけは柳川が自主的に運転してい ることに彼女は気付いていない。 ──そして現在。 「おッ、俺じゃないッスよ! お巡りさぁん!!」 そこは通報のあった隆山の交番。 その男は歳なら親ほどはあろうかというベテラン警官の問いかけに半ベソを かき、すでに数限りなく口にした台詞をもう一度叫んだ。自分以外の視線を一 身に集め、居心地悪そうに大きな身体を縮ませるその男を葵は知っている。 『泥棒』と『刑事』。 葵もまさかこのような立場で出会うとは思いも寄らなかった。なにしろ、そ の男は高校時代の先輩に当たる人物なのである。 運命的な出会いをするときがある──葵はよくそんなことを考える。 そう、葵は『下着泥棒の容疑者』たる矢島先輩と、かなり運命的な再会を果 たしていたりするのであった。 「いいかげん、往生際が悪いぞ!!」 「確かに自分から『やりました』って言うモンは、滅多に居ないがなぁ?」 手柄を期待して功を焦る若手と、じっくりと縄を絡めていくベテラン。 警察ではよく見られる尋問風景であるが、どこか緊張感に欠けるのはその部 屋の雰囲気によるものが大きいだろう。なにしろ、矢島(容疑者)、葵、警官 2人の合計4人は、コタツを中心にして向かい合っているのである。卓上には ご丁寧にも、ミカンの入った籠なんぞが置かれており、流石に部屋の隅に据え 付けられたTVから、みの○んたのねちっこい声が流れてくることは無かった が、ストーブからヤカンが湧くシュンシュンという音が代わりに響いていた。 要するに休憩室の類のようで、殺風景な県警の取調室とは大きな違いだ。 「やってないモンは、やってないッスよぉ! たッ、助けてよぉ、葵ちゃん!!」 唐突に三人の視線が葵に集中する。 (ええっ!?) いきなり振られても葵としては困るのである。なにしろ到着したばかりで、 まともに経緯も聞かされていないのだ。切羽詰まってしまっている矢島先輩に は悪いが、正直、ワケが分からない。 「ええと、ええと...わわわ」 「...とりあえず、任意同行した経緯を聞かせてくれ。話はそれからだ」 ただ一人コタツに入らず、壁を背に座っていた柳川が口を開いた。このまま この連中を放っとけばどうなるか、大体の予想がついたのだろう。ちなみに、 柳川がさり気なくストーブ熱の有効射程範囲内に座っていることには誰も気付 いていない。 「ああ、それもそうだなぁ。山本君」 「ええとですね──」 山本と呼ばれた若い警官によると、昨晩11時頃、自転車でパトロール中に やたらとキョロキョロと辺りを見回す容疑者を発見した。しばらく観察してい ると、とある会社の女子寮をじっと見つめたまま身動きしない。近寄り、職務 質問したところ、やたらオドオドとするので任意に同行ということらしい。 「本人は『道に迷った』なんて言ってるんですけど、それもどうだか?」 「うう....本当なのに....」 「あ、ところで矢島先輩はどうしてココに?」 「え? ああ、隆山には冬季合宿で一ヶ月ほど前から来てるんだ」 矢島は実業団バスケットチームに所属しているらしい。実は日本リーグでも 中堅所のチームで、『矢島』といえばそれなりに知られた選手だったりするの だが、ここはアメリカではなく日本である。世間の知名度は低い。 「一ヶ月ほど前ねぇ...どう思う、葵ちゃん?」 『どうしたもんかなぁ?』という風にベテラン警官が葵に訊ねる。 一ヶ月前と言えば、ちょうど最初の事件が起こった時期である。それにして も初対面で『ちゃん』付けで呼ばれるのだから、葵の親しみやすさは凄い。 「ええと、でも矢島先輩はそういうことをするような人じゃないと思います」 「あッ、葵ちゃん!!(喜)」 「そうなのかい?」 「はい、どうしようもなく女性運は悪い──あわわ!(汗)」 「あうぅ(長岡と藤田だな...はぁぁ(哀))」 「で、でも、根はイイ人だって聞いてます」 「でもねぇ葵ちゃん。犯人の特徴は?」 世間に公表はされていないが、まだ事件が起こって間もない頃、この事件の 犯人は一度だけ逃走する姿を目撃されている。 「ええと、比較的長身、黒っぽい服装に大きなコート...あ」 葵がコソッと上目遣いに覗いた矢島はというと──バスケをしているだけあ って背丈は高く、着ているジャージは黒を基調としたデザインで、壁に掛かっ ているベンチコートは膝下までスッポリと覆う大きな物だった。 「それとねぇ、こんなの持ってたんだよ、この男」 「────え゛!?」 なんと、警官の手によってびろ〜んと広げられているのは鮮やかなブルーの 下着だったのだ。 「女の子ッてのは、こんな小さいので寒くないのかねぇ。ワシの半分もないぞ」 「だからお巡りさん、それはゲーセンで取ったんですって!」 「矢島君、恥ずかしいのは俺にも解る。けどねぇ、そんな見え見えな嘘...」 「勝手に解らないでください!?」 「そりゃ、男同士で合宿なんてやってると、ムラムラッとくることも...」 「きッ、きてません!!」 「やったことはやったと認める勇気も男には必要だぞ」 「うッ、ううぅ」 (どうしてこう俺って奴は運が悪いんだ...酒に酔って道に迷うわ、ゲーセ ンでライターを獲ろうとしたのに隣のパンツを獲っちゃうわ、なんとなく嬉 しくて持って帰っちゃうわ、お巡りさんに会っただけでオドオドしちゃうわ、 バレンタインにもチョコは一つも貰えないわ...) 今回の事件に関係ないものが一つ混じっていたりもするが、矢島は自分の不 運さを呪っていた。そして── 「あ、あ、あ、葵ちゃん。葵ちゃんだけは分かってくれるよね!?」 (ええッ!?) 溺れる者はワラをも掴む。どうしようもなく悪い濁流に呑み込まれつつある 矢島は、僅かな希望を葵に託して必死にもがいた。 またしても三人の視線が葵に集中する。 「え、ええと....」 両手の拳をにぎにぎと葵は困惑した。 実の所、矢島の言っていることは全て真実なのだった。たまたま一ヶ月前に 隆山へ来たことも、たまたま道に迷って見上げた建物が女子寮だったことも、 たまたまゲーセンで下着を吊り上げたことも、たまたま服装が似ていたことも。 そう、全ては偶然なのだ。つまりは非常にツイてない状況であるのだが『不 運』も度を超すと、普通の人間にはにわかに信じがたい話になる。要するに、 『そんなに運の悪い奴がいるか?』 という結論に達するのである。そして実物を前にした葵の出した結論も──。 「あの〜、客観的に見ると矢島先輩のセンで濃厚かな〜なんて...えへへ」 「あ、葵ちゃあぁぁ─────ぁん!!?(号泣)」 「ふあぁ!? すいません、すいません!!」 「(ハァ)...おい...そいつをそれ以上泣かすな、松原」 ドタバタと繰り広げられる喜劇(約一名にとっては悲劇なのだが)を前にし て、ひとつ溜息を吐いてから柳川が言う。 またややこしい話になってきたな──大方の予想をしていたとはいえ、柳川 のその言葉には、彼にしては珍しく若干の『疲れ』が含まれていたのだった。 (つづく)