聖母 投稿者: いち
 今は冬。
 街は電飾に飾られ、何となく慌ただしくも浮かれる季節。
 俺は大学が冬休みにはいると同時に東京のアパートを後にした。

「いらっしゃい、耕ちゃん」
「まぁまぁ、遠慮せずに上がってくれよ。お義母さんも楽しみにしてるから」
「あ、すんません。お世話になります」
「よく来たねぇ、耕一」
「ああ婆ちゃん。元気にしてる?」

 俺が向かった先は四姉妹のいる隆山ではない。あの夏以来、冬休みといわず、
短い連休を見付けては隆山に帰っていた俺だが、
『遠慮せずにたまには顔を出してね。母さんも孫の顔を見たいだろうし』
 という、かねてからの叔母さんの誘いもあり、今年の冬は母さんの実家にお
邪魔することにした。いくら隆山の居心地が良いからって、長い間顔を出して
いないのはマズかった。母さんが死んでからも色々とお世話になったというの
に、少しは反省しなくちゃな。

「しかし耕一君、少し見ない間にまた大きくなったんじゃないのか?」
「父さん、そんなワケ無いでしょ! もう酔っ払ってんの?」
「いや、なんだか以前よりもたくましいというか、なんというか...」
「ははは....(色々あったんスよ)」
「まぁいいか。ほらほら耕一君、飲んだ、飲んだ。いけるクチなんだろう?」
「はぁ、ボチボチです」
「『ボチボチ』って言う奴に限って強いんだよねぇ」
「ええまぁ。それよりもクリスマスなんかにお邪魔して良かったんですか?」
「いいのいいの。私も飲む相手が欲しかったんだよ。それに、ウチの娘なんか
 耕一君が来るって聞いたら、朝から落ち着かなくってねぇ〜」
「ぎゃあ!! 父さん」
「・・・・・・・・・」
「ちょっとお父さん、耕ちゃん困ってるじゃないの」

 正直に言うと昔はこの雰囲気が少し辛かった。家族の中の他人。自分はどこ
かお客さんで、幾らねだっても絶対に手に入れられない物を目の前に見せ付け
られているようで嫌だった。そしてそれが、ひがみ根性によるものだと解って
いただけに、自分が許せなかった。けれど──。

「それと...アレだ。耕一君も色々辛いだろうが...」
「そうそう、困ったことがあったら、おばちゃん達になんでも相談してね」
「あ、すいません。ホント、有り難うございます」
「ま、今年はゆっくりしていくといい」
「そうよ。ここを自分の家だと思って遠慮なくくつろいで頂戴ね」
「あの、お風呂が沸きましたけど...」
「あ、それじゃ...」
「んん、ダメだ、ダメだ。父さんは耕一君ともっと飲むんだ。一度で良いから
 息子と飲む雰囲気を味わいたかったんだ」
「(うわ、出来上がっちゃってるよ)じゃあ、もう少しお供することにします」
「もぅ、ご免なさいねぇ、耕ちゃん」

 今回は何かが違った。やっぱりお客さん的な感覚に違いはなかったけれど、
叔母さん達の心遣いを素直に感謝することができた。不思議と自分の浅ましさ
を感じなかった。自分の中で何かが変わったのだろうか。

「ふぅ、まいったなぁ」

 用意された布団に大の字に寝転がると、自然にそんな言葉と苦笑が口に出る。
 今まで俺と対等に飲めたのは梓だけだからして、叔父さんが酔い潰れるのは
予想していたが、ここまで歓迎されるとは予想外だった。ほんの少し顔を出し、
すぐに隆山へ向かおうと目論んでいたんだが、どうも言い出しにくい雰囲気に
なってしまった。

「入るよ耕一」
「あ、婆ちゃん」

 どうしようかと頭を抱えているときだった。夕食のときは傍らでニコニコと
眺めているだけで、あまり会話の輪に入ってこなかった婆ちゃんが部屋に入っ
てくる。相変わらず優しげな表情に変わりはないが、何かこう──?

「耕一、全部知ってるんだろう?」
「え?」
「賢治さんのこと、母さんのこと...それと...鬼のことも」
「(!!).....うん」

 まさに青天の霹靂。
『ふぅ』と短い溜息を吐く婆ちゃんはほんの少しだけ哀しげな表情を浮かべた。

「あたしはね、柏木の家が嫌いだよ」
「え?」
「だってそうだろう? 娘を獲られ、次は孫まで獲ろうなんてさ」
「そんな!」

 婆ちゃんの言葉に『ハッ』とする。何か言わなきゃ、けど何を言えばいいん
だろう。ほんの一瞬の間に様々な言葉が浮かんだが、それらが形をなすことは
なかった。慌てふためく俺の前、そこには再び優しげな笑みを浮かべた婆ちゃ
んがいた。

「冗談だよ。ま、少しは愚痴も言わせておくれよ」
「....婆ちゃん」
「耕一の母ちゃん、あの子は体は弱かったけど頑固な所があってねぇ。鬼とか
 血とか小難しい話されてもさっぱりだけど、あの子が笑って『大丈夫』って
 言ったんだ、あたしなんかにゃ何も言えないよ」
「.....」
「今日、耕一を見てたらよく分かったよ。あんたも家族を見付けたんだねぇ」
「.....うん」
「耕一はよくできた子さ。柏木さんとこのお嬢さんだって、あんたのことを本
 当の家族だって、かけがえのない家族だって感じてるはずだよ」
「そう...なのかな」
「そうだよ。耕一は、あたしにとっちゃ家族の一人だけれど、あのお嬢さん達
 にはたった一人の家族なんだ。あたしは元気な耕一を見られただけで十分さ。
 早く行っておあげ。人は家族の元へ帰るもんだ。うちの子達には、婆ちゃん
 から言ってあげるよ」

 その夜はこみ上げる思い出が多すぎて、よく眠れなかった。


「もう行っちゃうのかい?」

 次の日の朝。
 朝食を食べながら俺は叔母さんに帰る事を告げた。叔父さんは二日酔いに苦
しみながらも出勤、娘さんはまだ夢の中らしく、食卓には婆ちゃんと、叔母さ
んの三人だけしかいなかった。

「すいません、バタバタしちゃって」
「ま、耕ちゃんに用事があるなら仕方ないけど、お父さんがっかりするかねぇ」
「いいんだよ、耕一にも帰る家があるんだから」
「家って、母さん?.....ああ、なるほどね」

 怪訝がる叔母さんの俺を見る目が、噂話を聞きつけた主婦の目に変わる。

「柏木さんトコのお嬢さん達、すっごい美人揃いだったもんねぇ〜」
「え、あ、いや、その」
「照れなくッてもいいんだよ。で、誰を狙ってんの? 今度連れておいで」
「...ハイ、近いウチに、必ず!」
「あらら、言い切ったわねぇ。ウチの娘に説明するのが大変だわ。じゃ、これ
 からもヨロシクね、柏木さん」
「こちらこそ!!」

 自分は幸せなんだ。
 今の生活に慣れてしまうとあまり感じられないその感覚を、俺は心から感じ
ることができた。

「悪くないな」

 隆山へと向かう新幹線の中、俺は無意識にそんな言葉を口にする。
 イブの夜、親父と母さんにプレゼントを貰った子供の頃の嬉しさ。もう何を
貰ったかは忘れてしまったけれど、その時の喜びをもう一度感じられたような
気がする。それは去年のクリスマスとは違う感じだけれど、同じくらい大きな
愛情なんだろう。

「うん、悪くない」

 もう一度、今度は噛みしめるように俺は呟いた。