隆山事件簿 〜志保来訪(3)〜 投稿者: いち
「ちょっとアンタ!!」
 床に転がる男へ容赦ないトドメの一撃を加え、背後に立つ柳川を指差して志保は言った。

 三人が反撃を開始してから約20分。葵と志保の手によって、既に6人もの男達が戦闘
不能な状態にされている。その間、柳川はというと...実は何もしていない。常に彼女
達の脇に控えてはいるものの、指一つ動かさない柳川に志保がキレるのも無理からぬこと
であった。

「この可憐な女の子達がこんなに頑張ってるっていうのに、チッとは働きなさいよ!」
「.........」
「何とか言ったらどうなの?」
「『援護して下さい』と言われただけだ。自力で大丈夫な者を援護する必要がドコにある」
「あんたねぇ...それが男の言うセリフ!?」
「俺が男かどうかなどオマエには関係ないことだ」
「き─────────ッ! そんなこと言ってるんじゃないわよ!! 大体、さっきか
 ら『オマエ』だの『この女』だのって...私には『長岡志保』っていうキュートでラ
 ブリーな名前があるのよ!!」
「オマエの名前など俺には関係ないことだ」
「.......あッそう。じゃあ、後ろをノコノコついてきなさい "やなボン"」
(....なに?)
 柳川の頭を悪い予感が突き抜ける。この女は、この国民的ギャグ漫画の主人公的なあだ
名を、たとえ人混みのど真ん中でも大声で呼んでみせるだろう。
 がしッ
「なによ? やなボンが勝手に呼ぶなら、私も勝手でしょ! やなボン!」
 柳川が志保の肩を無言のままぐいっと押し出す。軽く押したようでいて予想外の圧力に、
志保はとととッと下がって尻餅をついてしまった。しかもそこは──、
「いたぞ! 女だ!!!」
「うぎゃ─────────────ッ!!」
「ていッ!」
 悲鳴を上げる志保へと殺到する男達の脇から、電光石火で葵が飛び出す。結果的には不
意を突いた形となり、瞬く間に三人が犠牲者リストに名を連ねた。
「足元には気を付けることだ、長岡志保(冷)」
「(はーッ、はーッ)....柳川サンには後でたっっっぷりとお話が、あ・る・わ(怒)」
「ううっ、集中できないよぅ....(涙)」
 八田がこの三人の状況を知れば、どんな顔をするだろうか。この夜の騒動に決着をつけ
るべく、なんとも不真面目な反逆者達は今まさに玄関ロビーへと迫っていた。

 タタタタッ
「ん、足音? ───ッ、おわぁッ!!」
 前方の暗闇。そこからなにかが射出装置(カタパルト)で打ち出されたように飛び出し
てきたかと思うと、一瞬にして男の懐へと潜り込んだ。その飛び込みの速さに、後ろ髪が
激しく舞う。そして短い髪がおさまるよりも数瞬速く、その瞳が鮮烈に輝いた!
「やッ! やッ! イィ──────えやあッ!」
 葵は小柄だ。当然ながら手足のリーチの短い彼女にとって、スピードとはまさに生命線。
 目にも止まらぬ速さで飛び込み、目にも止まらぬ連打を叩き込む。
 腕を廻せば抱き締められる距離──それこそが葵の『距離』なのだ。瞬間、葵は小型の
竜巻と化す。その可憐な容姿とは裏腹に、ファイターとしての彼女のスタイルは激烈の一
言に尽きた。気付いたときには刻すでに遅し。対戦相手はその荒れ狂う暴風が行き過ぎる
まで、ただひたすら我慢するしかないのだ。
 松原葵は一瞬の爆発力で勝負する!
「ぐぅ.........」「ヤロォ!!」
 膝から崩れる仲間の姿に、傍らに立つ男がいきり立った。躊躇せず攻撃に移るあたりは
流石と言えるが、頭に血を昇らせたその男は致命的なことを忘れている。
『松原葵は一人だったか?』
 ドむっ!
 男は脇腹への鈍い痛みと共に、自らの迂闊さを呪うことになる。葵へと木刀を振り上げ
たそのがら空きの腹部に深々とめり込む鉄パイプ。走る速度に遠心力が上乗せされた一撃
は、加害者の非力さを補ってあまりある破壊力を生み出した。
 長岡志保は要領のよさで勝負する!
「おッ、オイ! オイ! オイ!!?」
 一瞬にして二人の手下を失った八田の声は裏返っていた。絶対的な優位を確信している
ときほど、不意を突かれれば脆いものだ。
「天誅───────ッ!!」
 そして不利な状況を打開した人間の勢いは凄まじい。しかも、調子に乗るのは得意中の
得意である志保だった。
 ブンッ!!
「うおッ!?」
 しかし、調子に乗りすぎるのも志保の悪い癖である。思いきりブン廻した鉄パイプを紙
一重で八田に避けられ、その遠心力にたたらを踏む志保へと残りの男達が群がる。
「志保さんッ!?」
 慌てて助けに入る葵。状況は大混戦の様相を呈する。
(くそッたれ! 許さねぇぞ、許さねぇぞ、クソ女ども!!)
 不様にも尻餅をつく自分の姿に、八田の顔が紅潮する。荒事を生業とする八田だ、それ
がカメラのレンズといい、鉄パイプといい、たかだか小娘に二度もしてやられたのでは男
のプライドが許さない。
(まずは松原葵だ。それからゆっくりと長岡志保には思い知らせてやる!!)
 ギュッ
 懐へと伸びた手が銃のグリップを握る。泣き叫ぶ志保達の姿を想像して、サディスティ
ックな笑みを口元に浮かべる。ただでさえ容量の少ない堪忍袋の緒が千切れた。
 しかし...八田は自分の置かれた立場を正確に把握していないと言うべきだろう。
 狩る側はどちらだろうか?
 八田がそうなのだろうか?
 そんなハズはない。なぜならこの場にはあの男がいるのだから。
 そうだ、狩猟者という呼び名が最も相応しきは──。
「───屈め」
 乱闘の最中、その声はさほど大きくもないのに、やけにハッキリと葵の耳に響いた。
 ごうッ!!
 彼女達の頭上を本物の竜巻が襲った。
 大の大人が、まるで小石や紙屑のように吹き飛ぶ。口から歯を撒き散らす者、"くの字"
に折れ曲がる者、その過程はまちまちだが、床に這いつくばって呻き声を上げるという結
末は皆同じだ。騒がしかったロビーが、一瞬にして静まり返る。
「「すご....」」
 ときにきらびやかに飾り、ときに哀しく、そしてデタラメに誇張(これが最も得意)と、
言葉という武器を自在に操る志保をして、その光景を表現するのは困難だった。
 援護する──その言葉を信じきっていた葵も、その規模までは予想できなかった。
 少々ずれた眼鏡を中指でついっと直す。
 レンズの奥から冷ややかに見つめるそれは、間違いなく狩猟者の瞳。
 竜巻の中心地、身を屈める葵と志保の間に柳川が事も無げに立っていた。
「な、な、な!?」
 銃を半分抜いた格好のままで固まる八田。
 そう、八田はようやく理解したのだ。自分の立場というものを。
「ヒィィ」
 柳川がその男に向かって無造作に歩を進める。既に男は戦意を喪失しているが、そんな
ことは柳川にとってなんの関係もないことだった。彼の辞書にも『百倍返し』はあっても
『慈悲』などという言葉は綴られていないのだ。
(遊びは終わりだ)
 柳川の切れ長な瞳が妖しく煌めいた。
 ぐりゅッ!
「☆@○×+☆宝───!?」
「ばぁか!!」
 はたして八田にとっては、どちらが幸せだったのか。
 柳川の手は振り下ろされていない。代わりに八田の股間には志保の脚が突き刺さってい
た。その美しい脚が、今は禍々しく見えるから不思議なものだ。柳川をして、その眉がわ
ずかにひそめられていることからも、全ての恨みを凝縮したこの一撃の凄まじさが伺える。
「イエ────────イッ!!」
 それは大騒動の終了を告げるサイレンだった。
 ビシッとVサインを柳川へと突き出し、志保が葵へと駆け寄る。口から泡を吹き、床上
で小刻みに痙攣する八田の無惨な姿に表情を引きつらせていた葵も、抱きつく志保につら
れるようにして飛び跳ねた。今となっては、疲れもどこへやら、である。
(やれやれ、元気な奴等だ)
 その歓喜の輪に加わることもなく、柳川はくるりときびすを返した。彼には仕事が残っ
ているのだ。もちろん志保の話を聞きたくなかった、と、いうわけではない。
「あ、あれ?」
 時間にしてほんの数秒。葵が気付いたとき、すでに柳川の姿はそこになかったのである。

 八田がゲームオーバーを迎えているとも知らず、男は鶴来屋旅館で最高の部屋にいた。
 広々とした間取り。豪奢かつ控えめな内装。優美でいて機能的な調度品。視る者が視れ
ば、その見事な調和のとれた部屋に思わず感嘆の溜息を吐くであろう。
「遅い!」
 だがこの瞬間、その男は恐らく隆山で最も不機嫌な男だった。
 部屋には満足している。個人的には眩しいくらいに豪華絢爛な雰囲気が好みなのだが、
『とにかく一番高価な部屋を獲れ』と部下に指示しただけあって、その料金は彼の自尊心
をくすぐるに充分な高額さだった。もちろん『取れる者からは、思う存分ふんだくる』と
いう現・鶴来屋会長の方針の元、通常よりも遙かに高額な料金が請求されているなどとい
う事実は知らない方が幸せというものだ。
 この脂ぎった顔を視れば、比較的大勢の者が男の正体を知るだろう。彼こそは政界の重
鎮(と自分で豪語する)、神蔵代議士本人であった。
「くそ、なにをやっているんだ」
 神蔵は八田からデータと正木の身柄を受け取る手筈になっている。が、一向に部下から
報告の来る気配がない。用件が用件だけに、旅館側には『神蔵』という名を明かしていな
いのだが、実はそれが彼の苛つきを助長する原因の一つになっていた。
(お忍びでなければ、絶世の美女と噂に名高い鶴来屋会長に酌でもさせるものを!!)
 好色家で知られる神蔵だ。つまりはそういうことである。そして、そんな神蔵の苛立ち
がピークに達したとき、
(たかだか、旅館の女将に知られたとて、儂の力でどうにでもなるわ)
 こういう結論を出すのに、そう時間はかからなかった。その旨を伝えれば部下は反対す
るだろうが自分には関係ない。どうせ、動くのは部下だし、困るのも部下だからだ。
(年端もいかぬ小娘らしい。うまい話をちらつかせれば、あわよくば....うひひ)
 もちろん現・鶴来屋会長に限ってそんなことは絶対に有り得ないし、むしろ神蔵の身を
心配するような状況なのだが、とにかく、この瞬間の神蔵は苛つきもどこへやら、頭の中
は桃色一色に染まり、幸せの絶頂であった。その部屋があまりにも、そう、あまりにも静
かすぎることに気付こうハズもない。
「受話器を下ろせ」
 ビクッ
 刺々しいというのならまだ良い。受話器を握る神蔵の背後からかけられたその言葉は、
静かな内に恐ろしい程の凄みを含んでいた。
「聞こえなかったのか? 受話器を下ろせ」
 その言葉に抗えるとすれば、それは余程の強者か、もしくは心を持たない者だけだろう。
もちろんそのどちらでもない神蔵は受話器を下ろすしかない。
「儂の名を知っていて、こんな事をしているのか?」
 神蔵とて百戦錬磨の政治屋。若手議員など、そのドスの利いた声を聴くだけで震え上が
るものだ。しかし彼は知らない。彼の背後に立つ男──柳川裕也という男がどれほど危険
極まりない存在であるのかを。
「ひえッ!?」
 神蔵の左肩に手が軽く添えられた瞬間、その膝が崩れた。ただ触れているだけにしか見
えない。なのに、恐るべき圧力で床へと押し付けられる。
「ヒトの肉に銘柄があるとは驚きだ。随分と高価な肉なのか?」
「こんな事をして、どうなるか──」
「──殺すぞ」
 魂を氷の掌で鷲掴みされたような衝撃が神蔵の体内を駆けめぐる。
 ブルブルとどうしようもなく神蔵の身体が震える。数々の修羅場をくぐり抜け、今の地
位までのし上がり、間接的になら人の命を奪ったことさえもある。神蔵には相手が誰であ
れ迫力では負けない自信があった。しかし──。
 うつ伏せに押し付けられた神蔵の股間を中心にして、美しい絨毯に黒いシミが円状に広
がっていく。
(ふん、あの女が怒るだろうな)
 柳川の脳裏に一瞬、だが鮮烈に、美しい黒髪の女性が浮かぶ。
「いいか、この一件から手を引け。すべて忘れろ」
 情報屋から神蔵が鶴来屋に宿泊したのを柳川は知った。そして、志保から神蔵と八田の
繋がりを知る。八田を消さない以上、『松原葵』という存在を神蔵は知ることになるだろ
う。そうなれば葵に害が及ぶことは間違いない。
 こういう形で援護されているなど、葵は思いも寄らないであろう。援護して下さい──
だが、葵がそれを知ろうと知るまいと、柳川にはどうでもいいことだ。彼は自分の仕事を
こなしている、ただそれだけの話なのだから。
「それでは、儂の──」
「お前の政治生命など知ったことか。そして、お前自身の生命も、俺には関係ないことだ。
 せめて選択権は与えてやろうというのだ、少しは感謝するのだな」
(なんという茶番だ。馬鹿馬鹿しい)
 芝居じみた自分の台詞に、柳川はそう思う。
 しかし、こういう茶番劇が効く相手もあるのだ。筆の力をもねじ曲げる権力という隠れ
蓑を纏った者に対して、物理的な力がどれだけ効果的であるかを柳川は知っている。その
力とは暴力であり、柳川のそれは生物最強の暴力であった。
「お前ごとき脆弱なヒトの命を奪うことなど容易いが、それすらも煩わしい」
「あ...う...あ...」
 もはや神蔵は喘ぐことが精一杯だった。
 柳川は神蔵の背中に軽く手を添えているだけだ。振り返れば男の顔を確認できる。だが、
神蔵には出来なかった。部屋は明るいはずなのに、自分の背中から後ろには冥腑の闇が広
がっているのではないか? 視れば吸い込まれる、本気でそう思った。
「俺という存在を掴むこともできずに、お前は死ぬ。それだけは忘れるな」
 背中から男の気配が消えても神蔵は身動きすることが出来なかった。そして、柳川が去
った数時間後、床に這い半ば廃人となった神蔵が部下により発見される。
 平和な隆山で人知れず起こった大事件は、こうして人知れず幕を下ろしたのである。

                  〜 ○ 〜

「あ〜あ、なんでこうなるのかなぁ〜」
 数日後。隆山のとあるレストランに志保と葵はいた。
「まさか、あの神蔵がねぇ〜」
 二人が大活劇を演じた翌日、神蔵代議士は突然に記者会見を行う。報道陣はまず、一気
に20年は老け込んだかにみえる神蔵の姿に驚き、その後に続く数々の罪、例の裏帳簿の
内容にしばらくの間、言葉を失った。おかげで政財界はてんやわんやの大騒ぎであるが、
志保の大スクープは全てパァである。
「でも、正木さんが家族に再会できて良かったじゃないですかぁ」
 神蔵は全ての関係者、すなわち正木のことも忘れたのである。これは柳川の意図とは違
っていたが、神蔵がどう判断するかなど柳川の知ったことではない。
「まぁね、この志保さんも努力したかいがあるってものよ。律儀にお金も返してもらった
 し。あ、今日はあの日のお詫びなんだから遠慮なく食べてね。ところで、あの男は?」
「『長岡志保に感謝される憶えなど無い』だそうです」
「へぇへぇ、そーですか」
 大げさに肩をすくめてみせる志保。
 実はあの夜、志保にはひとつ気になることがあった。八田にトドメを刺そうとした柳川
の顔、彼女が一瞬垣間見たあの顔には僅かだが『喜』に類する表情が浮かんでいたはずだ。
(あの冷めた仮面の裏に、どんな素顔が隠れてるのかしらねぇ〜?)
 志保の血が疼く。柳川裕也は彼女の好奇心を沸き上がらせるに充分な対象だった。
「ど、どうかしたんですか、志保さん?」
 両拳を握りしめ、『ただいま悪巧み中』という笑みを浮かべる志保に葵が怖々訊ねた。
なにしろ昨日の今日だ、葵が怯えるのも無理もない。
「えッ? あ、なんでもないの。それより、この店ってメニューに載ってないマル秘料理
 があるんだって! ちゃ〜んと志保ちゃんチェックしてきたんだから!!」
(まッ、今回は見逃してあげる。それで貸し借りはなしよ)
 勝手な理屈ですべてを締めくくる志保。ほどなくテーブルは数々の料理で埋まり、店内
にはうら若き女性達のたわいもない笑い声が響きわたった。
(でも次に会ったときは容赦しないわよ〜〜、イヒヒヒヒ)

 柳川の悪い予感は確実に、そう確実に当たるのである。

                                   (終)