隆山駅。 たった今、彼女は隆山の地へ降り立った。 ボーイッシュなショートヘアの快活な印象そのままに、カッカッカッとテンポ良く小気 味いい靴音を響かせて駅の改札をくぐる。 「ふふん♪」 視界の隅、若い駅員がぽうっと見とれるのをサングラスの奥から目ざとく見付け、僅か に口元を緩める。やがて道路からは少し高みにある隆山駅東出口にたどり着くと、彼女は サングラスを上げ、好奇心色の瞳でキョロッと辺りを見回した。 抜けるような青空に、イチョウ色のコートがよく映える。 肩にはメーカーのロゴが大きく入ったカメラケース。 瞳に爛々とたたえる光は陽光にも決して引けをとるものではない。 行き交う人々も思わず足を止め、腰に手を当て仁王立ちに街並みを見下ろしている、こ の少々キツめの美人に注目した。 「待ってなさいよ〜〜〜、特ダネぇ! ん〜ッふふふふふッ、んんッ!? げふ、げふッ! き────────ッ! なによアンタ達、見せ物じゃないっての!!」 両手の拳を握りしめ、頭の上でブンブンと振り回す。 勢い余って自分で勝手にむせ返っておきながら、照れ隠しに当たり散らされたのではた まったものではない。人々は慌てて視線を逸らすと、そそくさと立ち去っていった。 友人達には稀代のトラブルメーカーと評され、ここ隆山でも到着早々に問題を振りまく 彼女はフリーのジャーナリスト。近頃はラジオのDJなども手がけ、一部女子高生の間で はカリスマ的な人気もあるという。 長岡志保、登場である。 〜 ○ 〜 県警・隆山署。 捜査一課に所属する松原葵刑事は今日も悪戦苦闘していた。 「葵ちゃんてさぁ、スッゴク強いんでしょ? ねぇねぇ、これ砕いてみてよ」 「カオリィ、それムチャだって!」 ギャハハハハハハッ!! 葵は万引きの現行犯で連れてこられた女子高生達から調書を取っているのだが、罪の意 識が無い上に、例によって彼女の童顔が災いして、さっぱり作業が進まない。しかも、相 手のペースにすっかりハマってしまい、名前すら聞き出せない状況であった。 チラリ 正面のデスクで悠々とタバコを薫らせる先輩刑事に上目遣いでそれとなく助けを求める。 柳川裕也。 彼も葵と同じく隆山署捜査一課に所属する刑事であり、葵の教育係兼パートナーという 立場である。もっとも彼が葵をパートナーと認めているかどうかは定かではないが。 で、その柳川はというと──担当のデスクワークを早々に仕上げ、深々と椅子に腰掛け て脚を組み、後は定時を待つのみという体勢だった。定時まであと10分。葵の経験から 判断すると、こういう時の柳川は『絶対』に手助けしない。こういう時でなくても『微塵』 も手助けしないのだから尚更だ。 ううッ、やるしかない──葵が腹をくくった時だった。 プルルルル、ガチャッ 「はい、こちら捜査一課。え、はいはい。お〜い葵ちゃん、外から電話」 葵、柳川、両名の直属の上司である長瀬係長が葵を呼んだ。ちなみに長瀬に至っては既 に上着をも着込み、すっかり帰り支度を済ませている。 「はい、松原です。えッ! 志保さん!? うわぁお久しぶりです」 受話器を相手にペコペコとお辞儀する仕草はいかにも葵らしい。 「え、隆山ベイエリアですか? ええ分かりますけど。時間? それはちょっと...」 おそらく相手に呼び出されたのだろう。しかし現状から判断して、あの女子高生達の調 書がすぐに取れるとは考えがたい。まだまだ時間はたっぷりとかかりそうだ。 クイッ 誰かが葵の袖を引っ張る。『えっ?』と葵が振り返ると長瀬がなにやらサインを送って いた。 ヒョイッ クイックイッ ツツツ───ッ グッ! 『後は...僕に任せて...帰って....いいよ??』 葵の表情がぱあっと輝く。 「大丈夫です!! 駅前の喫茶店ですね、ハイ、10分もあれば、ええ」 ガシャンと電話を切り、長瀬に丁寧に礼を言ってから、定時のチャイムをBGMに葵は 元気よくフロアを飛び出して行った。そんな葵をウンウンと見送りながら長瀬は──、 「じゃ柳川君、後は頼んだよ。今日の僕は家族で食事の日なんだ」 言うやいなや、不気味な中年のスキップでフロアを飛び出していく長瀬。 「.......(なに?)」 フロアには上着に片腕を通らせた体勢のままで静かに佇む柳川が取り残された。 『後は柳川君に任せて帰っていいよ』 自分がどれだけ怖ろしいサイン違いをしているかなど、葵は知る由もなかった。 「あの〜、志保さん?」 建設途中の建物へと勝手に入っていく志保に、葵は恐る恐る声を掛けた。 恐るべき勘違いから、既に2時間が経とうとしている。ひとしきり再会の喜びを確かめ 合った後、二人は葵の運転で隆山ベイエリアへとやってきていた。隆山ベイエリアは出来 たばかりの埋め立て地であり、エリア内では、大型デパートや水族館などの建設が急ピッ チで進められている。 ところで、ここで葵に一つの疑問が湧いた。 隆山の新たな観光地とも言えるベイエリアにジャーナリストである志保が興味を持つの は解る。だが、既に周りは清々とした月の光が照らす時間である。取材に適しているとは 思えなかった。『素人の考えなのかなぁ?』と思いつつも恐る恐る、そう尋ねてみる。 「ありゃ? 私、人と待ち合わせてるんだけど...言ってなかったっけ?」 その後、しれっと志保が言った台詞の内容は葵の想像を遙かに超えていた。 神蔵(かぐら)代議士。 政界でも大物として知られるこの政治家には正木(まさき)という名の第一秘書がいた らしい。それが過去形なのは、神蔵は隠しているが、現在、正木が行方をくらませている からだそうだ。そして、志保がこれから会う人物こそが、なにを隠そう正木第一秘書だと いう。 「神蔵の汚いやり口に嫌気がさしたんでしょうね。でも自分の秘密を握る男を黙って見過 ごす神蔵じゃないわ。正木さんは身を守る切り札として、不正がバッチリ記された裏帳 簿のコピーを録って逃げたらしいのよ。志保ちゃんニュース中のニュースってわけ」 「ええ───ッ!!?」 「し───ッ! 声が大きいッ! そろそろ約束の時間なんだから(ヒソヒソ)」 「それにしても、こんな大事件。先輩を呼びましょうか?(ヒソヒソ)」 「ダメダメ。捜索願が出ているワケじゃなし、警察だって動きようがないわ(ヒソヒソ)」 「え? じゃあなんで私を?(ヒソヒソ)」 「ほら、私、隆山って初めてなのよ。土地勘ないしぃ(ヒソヒソ)」 「ええ────ッ!!(ヒソヒソ)」 「..........長岡....志保さんですか?」 ビクッ! 完成すればロビーになるのだろうか? 少し開けた空間のどこかから不意に湧いた男の 声に二人の動きが止まった。ゆっくりと深呼吸をひとつ、志保は暗闇に呼びかける。 「長岡志保です。正木さんでしょうか?」 右前方、受付とおぼしき障害物の陰から男が姿を顕わした。背中を丸め、ひどくオドオ ドとした仕草でこちらへと駆け寄ってくると、懐から一枚のMOディスクを取り出す。 「これが帳簿のデータです。それと...」 「分かっています。正木さんのことは秘密にします。コレは少ないですが、なにかの足し にして下さい」 志保は分厚い封筒を取り出し、正木へと手渡す。正木は深々とお辞儀すると、封筒を大 事そうに懐へとしまった。 葵は少なからず驚いていた。いつもどこかふざけたような面白い先輩、それが葵の中で の志保像だったのだが、目の前にいる志保はまったく違う。しいて言えば迫力。仕事に誇 りを持つ者の真剣さが伝わってくるような気がした。 「最後に...一つ教えて下さい。なぜ私に?」 2、3の質問の後、志保は正木にそう尋ねた。この世界ではまだまだ駆け出し、そんな 自分になぜ帳簿を託すのか──それは自信の塊とも言える志保をして、少々不思議な事で あった。 「.......高校生の娘が貴方のファンでね。貴方の事を話すときの娘は本当にいい 表情をしていたんですよ、本当にね...」 「...ありがとうございます。娘さんにもよろしくお伝え下さい」 正木の手を強く握りしめ、志保は極上の笑みを浮かべる。 自分がいれば家族に迷惑がかかる──その判断から、失踪した後、正木は家族に会って いないのだろう。逃亡生活に疲れ切ったからこそ正木は志保に帳簿を託したのだ。敢えて 『娘さんによろしく』と言ったのは志保なりの優しさであった。 なんとなくしっとりとした空気が流れるのを葵は感じた。相変わらず強引な先輩だけど、 付いてきて良かった、そう思う。 しかし──いつだって災厄とは突然やってくるモノだ。 「いい話だな。孫に言ってきかせろ」 「!!」 ギィとドアの軋む音が空気を切り裂く。葵と志保、それに正木の三人が、ハッと振り向 いたその先、そこには正面玄関からドカドカと上がり込む男達の姿があった。ひぃ、ふぅ、 みぃ...十人以上はいる。しかもその手には木刀、金属バットなどの付属品付きだ。 「なによアンタ達!!」 「威勢がいいな、長岡志保サン。結構好きだぜぇ、そういうタイプ。まさか葵ちゃんにま で会えるとは思ってなかったがな。ツイてるか? 俺」 シルエットからはよく分からなかったが、近付くにつれ男達の格好が明らかになる。 テカテカと光る趣味の悪いスーツに派手なネクタイ。 竜の刺繍がでかでかと入ったブルゾン。 どう贔屓目に見ても『知力』で勝負するタイプの人間には見えない。そういった服装が 周りの人間にどういう印象と威圧感を与えるかを承知して、敢えてそういう格好をする輩。 つまりは『言葉』よりも『暴力』を得意とする者達だ。 「アンタがいろいろ嗅ぎ回ってるのは知っていたさ。そのアンタが妙な動きをしたもんで、 つけてみればビンゴってワケだ。感謝してるぜ」 リーダー格の男──名を八田(はった)という──その男が両手をぱんっと合わせて志 保を拝むような仕草をする。 「オレ達はそこのオッサンと帳簿に用がある。抵抗するッてんなら、それなりの手間をか けなきゃならん。ま、志保サンと葵ちゃんが相手ならそれも悪くはないがな」 八田の言葉に合わせてバックの男達がねっとりとした陰湿な笑みを浮かべた。それの意 味する行為を想像して、葵と志保の全身におぞ気と同時に鳥肌が走る。男達の威圧感に気 圧されたのだろうか。少し後ずさる志保を庇うようにして、葵がずいっと前に出た。 「そんなこと許しませんッ!」 「勇ましいねぇ葵ちゃん。だが、鉛の弾より強いかな?」 刑事である葵を前にして、微塵も怯む素振りを見せない。それは男達のバックがそれを 凌駕する権力を持つということだ。それが誰だか、大体の想像がつくというものだ。 圧倒的な優位。 その精神的な優越感は人間を饒舌にした。いちいち芝居ッ気たっぷりに大げさなジェス チャーを交えては、まるでミュージカル俳優のように大げさに振る舞う。その顔には終始、 嘲るような人を見下した笑みが張り付いていた。友達にはなりたくないタイプの人間だ。 志保のこめかみがピクピクと痙攣する。 「さ、どうする? あとはアンタ達しだい────うおッ!!?」 一瞬だった! 世界が青白く輝く。男達が葵に気を取られているのを見計らい、志保がフラッシュを焚 いたのだ。 「ばぁか!!」 唐突な反撃に男達はまったく反応することが出来なかった。真っ暗な室内、加えて専門 家が使う大容量フラッシュである。葵は背後からの光だったので辛うじて視界の全てを奪 われることはなかったが、正面から喰らった男達はひとたまりもない。志保が後ずさった のはこの為だったのだ。 「こっちよ!!」 やがて男達の視界が僅かながら回復したとき、獲物の姿はそこになかった。グゥと呻い て顔を押さえる八田の足元に、赤黒い血溜まりが一つ二つと増えていく。去り際に志保が 渾身の力で投げたカメラのレンズが、恐るべき精度で八田の鼻っ柱を強打したのだ。 「捜せ────────────ッ!!」 騒動の始まりを告げるヒステリックな叫び声が、建物の中を暫くの間木霊していた。 (続く)