過酷な任務(前編) 投稿者: いち
 柳川裕也は県警・捜査一課に所属する現役の刑事である。人付き合いは..
ハッキリ言って最悪で、署内に友人は皆無と言っても支障はない。だが、能力
は自他共に認めるもので、言葉で表すなら『極めて有能な刑事』であった。も
っともコレが同僚からの嫉妬を生む原因の一つでもあるのだが。ちなみに、そ
の血に宿る特殊な能力の事は誰にも明かしてはいないが、この文章をお読みの
皆様には既にお解りであろうから説明は敢えて省略する。
 今朝、柳川刑事の出勤は、通常よりも遅かった。それというのも『有能な刑
事』である彼がその有能ぶりを遺憾なく発揮した結果、昨日、担当の事件を早
々に片づけてしまった。報告書やら事後処理やらで遅くまで勤務した結果、翌
日の遅出が認められたと、そういうわけである。不思議なようだが、ここで片
づけて "しまった" と表現したのは誤りではない。
『というわけで、教育係よろしくね、柳川君。』
 柳川の過酷な任務は、上司のこの言葉から始まった。

「は?」
 氷の男と評される柳川にしては随分と間の抜けた返事。
「昨日、受け持ちの事件も解決したみたいだし丁度いいよね。」
「...話が見えないのですが。」
 直属の上司である長瀬に静かに答える柳川。
 この長瀬という男、役職は係長だが、朝だというのにシャツは皺だらけ、ネ
クタイはヨレヨレ、しかも猫背でまったく『威厳』という言葉に無縁の男だっ
た。しかし、数少ない柳川の理解者でもある。数少ないと言っても、長瀬一人
なのだが。
「ああそうか、柳川君にはまだ紹介してなかったね。」
 その時、長瀬の背後から一人の女性がぴょこっと現れて、歯切れの良い元気
な声で言った。
「この度、捜査一課に配属なりました松原葵です。よろしくお願いしますッ!」
 柳川を動揺させる──彼を知る者なら驚嘆するであろうことを、この新人の
女刑事はいとも簡単にやってのけた。

「わぁ、静かでいい街並みですねぇ。先輩、あれは何て言う山なんですか?」
「...雨月山だ。」
「なんだか神秘的な雰囲気ですね。」
 というわけで、現在、柳川は助手席に葵を乗せて覆面パトカーを走らせてい
る。その表情を辞書の編集者が視れば、仏頂面という項目に写真を載せたいと
申し出るに違いない。
「そういえば長瀬係長の言っていた『あれの応援』ってなんのことですか?」
「...先の美作組組長の襲撃事件は知っているな。」
 訊ねる葵に、柳川は見事なまでに抑揚のない声で答えた。
 長瀬はもう一つ別の任務を柳川に与えた。それは、長谷川という男の捜索で
ある。この男、襲撃事件の実行犯と目される有名人であった。なにしろ、襲っ
た相手が美作組の大親分だ。幸い(?)美作親分は一命を取り留めたが、目下、
警察、美作組系列組織、対向組織の三勢力が血眼になって行方を追っている。
その男が数日前、ここ隆山に潜伏しているとの情報が流れた。即座に本庁から
捜査官が派遣され、『警察の威信にかけて』などと息巻いている。
「...というわけだ。」
 柳川は要点だけを掻い摘んで、最少の言葉で説明する。それは、どんなに才
能のある小説家でもこれ以上は省略できないであろうほどに簡潔であった。
「だっ、大事件じゃないですか!?」
 葵は目を白黒している。それはそうだ。刑事になって初めての任務が、日本
中を騒がせている事件なのだから。容疑者の事をあれこれと興奮げに質問する
葵に適当に返事する柳川。これには裏があることを、まだ葵は知らない。
『ま、捜査がてら、松原君に周辺の街を案内して上げてよ。彼女も初めての街
 はなにかと心配だろうしね。』
 長瀬は言った。遠回しに『捜査は口実』と言っているのだ。
 なにしろ柳川は警察の威信などというものを持ち合わせていない。さらに、
個人的には暴力団抗争も『やりたいヤツにはやらしておけ』というスタンスで
ある。仕事はデキる。しかし『情熱』とは無縁。それが氷の男と評される所以
であり、市民にとっては必ずしも『良い刑事』ではなかった。長瀬はそういう
柳川を知っていて、そう言ったのだった。
「あの〜〜。」
 信号待ちで車が停まったとき、葵が恐る恐るという感じで柳川に声をかけた。
「ひょっとして...先輩...怒ってます?」
 柳川を上目遣いに見る瞳が少し潤んでいる。どうやら柳川の突き放したよう
な態度に不安を感じたようだ。少々、機嫌が悪いのは確かなのだが。
「.......これが地だ。」
「あっ、そうなんですか。何か変なコト言っちゃったかと思いました。私、ぶ
 っきらぼうな先輩には慣れてるつもりなんですけど、柳川先輩って私の知っ
 てる人に輪をかけて機嫌悪そうなので、つい...あ!?」
『初対面の相手になぜそこまで言われなければならんのだ?』
 相変わらずの無言。さらに、表情も変わらないが、柳川が醸し出す雰囲気が
そう語っていた。
「すっ、すいません。私ったら、つい思ったことをそのままって、ああっ!?」
 一人で勝手に墓穴を掘って、どんどん小さくなる葵に、柳川は怒るというよ
りも呆れていた。
「すいません....。」
「まぁいい。裏でコソコソされるよりマシだ。それに、なかなか鋭い観察眼だ。」
「ありがとうございますッ。」
 先輩刑事の褒め言葉に素直に喜ぶ葵。基本的にクヨクヨしない性格なのだろ
う。葵が自分とは対極の人間であることを柳川は感じていた。
「あっ! 先輩、停めてくださいっ!」
 突然、葵が緊迫した声を上げた。柳川は何事かと疑問に思いつつも、車を左
に寄せる。停車と同時に葵は車外へと飛び出し、前方のコンビニへと向かった。
『トイレか?』柳川はウンザリしたが、そうではなかった。
「高校生がタバコ吸っちゃ、いけませ〜ん!!」
 コンビニの駐車場には学校の制服を着た男女が紫煙を上げつつ、たむろして
いたのだった。
 車の中で一人。柳川は担当の事件を、昨日、解決してしまったことを後悔し
ていた。
「は〜〜っ...」
 柳川に溜息を吐かせる──彼を知る者なら驚愕するであろう事を、自らがや
ってのけたことを葵は知らない。
                               (つづく)