ちょっと個性的な日常〜柏木家〜(免許編・第三段階改訂版) 投稿者: いち
「どうだい、うまいもんだろ?」

 練習を始めて数日。初めのウチはどうなるかと思ったが、予想に反し梓の運
転もそこそこ形になってきていた。
「まぁまぁだな。」
「へへっ。」
 俺の返事がまんざらでもなかったのか、鼻の頭をポリポリとかいて少し照れ
る梓。とたんにガクガクと車が震える。
「...ちょっと誉めるとす〜ぐコレだ。」
「む〜〜〜〜。」
 梓は頬を膨らせて唸った。

 実際、梓の上達ぶりには驚いた。まぁ車の運転なんてのは、要は『慣れ』と
『カン』なのだ。運転だけなら、メカがどうこう難しく考える必要はない。
コツさえつかめば、車は前へと進むのだ。
 梓の場合、運動神経は良い方だし、カンもいい。コツをつかむのは早かった。
まだまだスムーズとはお世辞にも言えないが、それでも数日前に比べれば格段
の進歩だろう。
 ...修理工場送りにされた3台の車も無駄ではなかったわけだ。

「そこで一度バックして...そうそう、いいぞ。」
「耕一、『ヒールアンドトゥ』ってどうやるんだ?」
「...どこで聞いたんだそんな言葉? 十年早いっての。」
 すぐ調子に乗るんだからな。
 都会で住んでいると、車なんてそれほど必要を感じないし、第一俺のような
貧乏大学生には維持するだけでも大変だ。そんなワケで滅多に乗ることもない
が、車に憧れが無いと言えば嘘になる。たまに交代しつつ、梓に教え、自分も
運転を満喫していた。
「まぁ実際、上手くなってきたよ。あとは何度か免許センターで...」
「そうだよな。あとは実地訓練だけだよな。」
 ...今、なんて言った?
「あの〜梓さん?」
「やっぱ『百度の練習より一度の死合』って言うもんなッ!」
「...ひょっとして、オマエ...?」
「腹をくくれよッ、耕一ッ。な〜に、大丈夫だって! アルワイヤー発進ッ!!」
 グルッと車が駐車場の出口に向く。
「イヤァァ〜〜! 父〜〜さぁ〜〜ん...」

 数時間後。
 俺と梓は山頂の駐車場で飲み物を片手に休憩をしていた。
「いやぁ、楽しいモンだな車ってのも。」
 気分が高揚しているのか、少し頬を赤らめて言う梓。
「.......。」
「なんだよ耕一、だらしねぇなぁ、ぐったりして。車酔い?」
「...10回だ。(ボソ)」
「え? なんか言った?」
「信号無視が4回ッ! 一時停止無視が3回ッ! 進入禁止が2回ッ!
 歩行者進路妨害が1回ッ! しめて合計10回の違反だッ!」
「えっ? そうなの?」
「『そうなの?』じゃな〜〜い!! 最後の進路妨害なんて、ひかれそうになっ
 てダイビングで逃げてた人もいたじゃないかっ!!」
「あ〜、アレはヤバかったな。けど、今となっちゃあ、笑い話だよ。」
「笑えるかーーーッ!!」
 セバスチャンよろしく、顔をアップにしてツッコミを入れる俺。
 梓はわずか数時間で、何事もなかったのが奇跡といえる程の無謀運転を重ね
ていたのだった。これが運動神経のいい梓でなければ、間違いなく無事ではす
まなかっただろう。しかしそんな事は何の慰めにもならない。そもそも梓でな
ければ、このような状況自体が起こらなかったのだから。
「いいかッ! 帰りは俺が運転するからなッ!」
「ぶ〜〜〜〜〜〜。」
 頬を膨らませて抗議の声を出す梓。
「初音ちゃんならともかく、オマエがふてくされても全然かわいくないぞ。」
 言いながら、空き缶を捨てに近くのゴミ箱に向かう俺。背中越しに少し殺気
を感じるが、無視を決め込む。誰がなんと言おうが、被害者はオレだ。梓には
絶対にハンドルを握らせねぇ、と考えていたその時だった。
『キキ〜〜ッ!!』
 背後でけたたましい音がして振り返ると、梓の横に一台の車が停まっている。
どうやら梓が猿のモノマネをしたのではなく、その車のブレーキ音のようだ。
 タバコの箱すら入りそうもない、地面にスレスレの底。街を壊滅できる量の
毒電波を受信できそうなアンテナ。どう見たって普通の人間が乗る車ではない。
 唖然としていると、不純度MAXの真っ黒なガラスがスルスルと下がっていく。
「ねぇねぇ彼女ォ。この車でドライブに行かな〜い?」
 かなり個性的な車のわりに、驚くほど個性の感じられないセリフを吐く、名
もないヤンキーA。作者はワキ役にこれ以上の個性を認めなかったようだ。
「なによ、アンタ?」
 ぶっきらぼうに言う梓。どうやら先ほど俺が言ったセリフに腹を立てている
みたいだ。あからさまに機嫌が悪い。
「え? いや、俺のイケてる車でドライブにでも...(ごにょ、ごにょ)」
「女なんて車見せびらかせばホイホイついてくると思ったら大間違いよッ!
 だいたいイケてる? この車が? 笑わせるんじゃないわよ。こんな車高の
 低い車じゃスーパーの駐車場にも入れないじゃないのッ!」
 梓の気っぷはいいが、どこか所帯じみた啖呵が炸裂した。
「なんだとォ〜、てめ....」
 だが、ドアを開けて降りてこようとする名無しヤンキーAの体が凍り付く。
 梓の後ろに立つ俺に気付き、威圧するべくガンを飛ばした瞬間、俺は『鬼』
をほんの少しだけ解放したのだ。生物最強の一睨みを受けて、わずかに残る野
生生物としての本能が危険信号を体中に送ったのだろう。考えとは裏腹に、体
のすべての細胞が車から出ることを拒否した。
『キャ、キャ、キャッ!!』
 もちろん梓が猿のモノマネをしたのではない。
 タイヤを鳴らしながら、ヤンキーAは車を猛ダッシュさせて逃げ出す。
「おっ...覚えてろよ〜。」
 しょせんワキ役には気の利いた捨てゼリフすらも許されないのだった。

 遠ざかっていく車を見送りながら、少し虚脱感を憶えていると、
「やったなぁ〜?」
 梓がクルッと振り向き、悪戯っぽく下から俺の目を覗き込んだ。
「あのままだと、オマエにぶん殴られるヤンキー君が可哀想だったからな。」
『オマエも女の子だからな。』なんて恥ずかしくて言えるか。心の中まで見透
かすような梓の大きな瞳から目を逸らし、俺はそっけなく答える。
「へへへ〜〜〜。」
 しかし、俺の努力は無駄に終わったみたいだ。
 俺が『鬼』を解放して追っ払ったのを、梓は背中越しに感じたようだ。そし
て俺の心も。
 さっきまでの機嫌の悪さもどこへやら、俺がかばったのがよっぽど嬉しかっ
たのか、少し照れつつも梓はすっかりゴキゲンだ。まったく、単純な奴だ。い
つもこう素直なら苦労しないですむのに。
「さっ、帰るぞ。帰りは慎重に行けよ。」
 俺は照れ隠しに少し大きめの声で言う。
「えっ!? 運転代わるんじゃないの?」
「まぁ、オマエもだいぶ上手くなってきたからな。ゆっくり行けば大丈夫だろ。」
 素直に喜ぶ梓を見て、なんだか俺まで優しい気分になっていた。
「へ〜どういう風の吹き回しかねぇ〜。」
「なんだ? イヤなら俺でもいいんだぞ。」
「あ〜、運転しますッ。させてくださいッ。」
 軽口を飛ばし合いながら、乗り込む俺と梓。
 間もなく車がスルスルと動き出したかと思うと、とたんにガクガクと揺れて
止まった。

「...まったく...締まらねえなぁ〜。」呆れる俺
「む〜〜〜〜〜っ。」またもふてくされる梓

「....ふふっ。」「....アハハ。」

 どちらからともなく笑いが漏れた。