「5 years latter...」 ゼェ……ゼェ……。 息が上がる。 立ち止まり、電柱にもたれた。三〇秒だけ休憩。 五分も走り続けるとさすがにしんどい。 額の汗をぬぐい、何気なく空を見上げた。 鮮やかなスカイブルー……。 今日もいい天気だ。 六月の終わり----、初夏のまばゆい日差し----。 ……なんて感傷に浸ってる場合じゃねえっ! 大学の講義に遅れそうなんだよ。 しかも、これを落とすと単位の取得が怪しくなるという重要な抗議だ。 こんな日に遅刻なんて、漫画じゃねえんだぞ! オレは休憩もそこそこに走りだした----。 パッパーッ! 自動車のクラクションが背を叩いた。さらにクラクションは拍子をとって鳴り響いた。 ったく……どこのどいつだ? 道の真ん中で恥ずかしいことする奴ぁ。 オレは振り返った。 目に入ったのは、図太い排気音を響かせる真っ赤なオープンカー。 しかも、グラサンをかけた運転手は女だ。 オレと視線が合うと、運転手は伸び上がって、 「は〜い、そこのヒトぉ!」 なんて言いながら手を振った。 「オレ?」 自分で自分を指差すと、運転手はブンブンうなずく。 『なんだよ〜、オレは急いでンだぜぇ』 などと内心ブーたれながら、オレは車に近寄った。 「なんかオレに用でも----」 言いかけた言葉も途中で色を失った。 運転手はサングラスをずり上げると、 「ひょっとしなくても、藤田君?」 そう訊いたんだ。 だが、そんな言葉よりも、オレは運転手の顔に視線を釘付けにされていた。 その顔、その声……もしかして---- 「志保……?」 「うん。……久しぶりじゃん、ヒロ」 にっこりうなずくと、運転手----長岡志保が言った。 ヒロ……、懐かしい響き。オレのことをそう呼ぶのは、志保だけだったよな。 改めて彼女を観察する。----あの頃より髪が長くて、ぐっと女っぽくなっている。 バンドのヴォーカルみたいなファッションも決まってるな。 「すっげー久しぶりじゃんか。今、なにやってんだ?」 「今? あんたと話してるわね」 とぼけた台詞の志保。 こいつにこんな質問したオレがバカだった。 たかだか三年ぶりの再会なのに、変わりない志保を見て、 オレは涙がでそうなくらい懐かしい気分になった。 「変わってねえな」 「あんたもね」 それっきり、オレと志保は黙りこくってしまった。 理由は判ってる。 話したいことが多すぎて、そのどれから切り出していいのか迷ってしまう。 ……少なくともオレはそうだった。 「----ね、急いでどこ行くつもりだったの?」 結局、口を開いたのは志保だった。 「大学」 短く答えると、「へぇ〜」と志保はおおげさに感心して、 「まじめに通ってんだぁ」 と驚きの表情で言った。 「いや、不真面目だから今日の講義に遅れると、単位が危ねえんだ」 誤解のないように、オレは一応付け加えておいた。……が、それは間違いだった。 「遅れると単位が? アハハッ、やっぱヒロだ」 ばんばんステアリングを叩きながらの志保。 うっかり自分から笑われるネタを提供してしまった。 オレは『ちぇっ』とふてくされるしかない。 そんなオレの背後を、邪魔そうに車が通っていく。 「そうだ」オレは話題を変えて、 「ここで出会ったのもなにかの縁だ、乗せてってくれよ」 「いいわよ、乗って」 その言葉を最後まで聞かないうちに助手席に乗り込んだ。 スタスタ……ガチャ。よっこらしょ……バタン! 車高が低くてシートの横がみょうに出っ張ってるので乗りにくかった。 「ふう、助かり〜っ」 シートにもたれて一息つくと、車はキュルキュルと軽くホイルスピンしながら走り出した。 ----と思ったらそのまま対向車線へ……。 「危ねぇっ!」 白のセダンがクラクションの悲鳴を上げて突っ込んできた ----じゃなくて、オレたちがセダンに突っ込んでるんだ! キキ〜〜〜ッ!!! TVドラマ顔負けの迫力で交差する二台の車。ドアミラー同士がカツン! と微かな音をたてる。 「フウ……、焦ったわ」 ようやく元どおり静かになった車内で、他人事のように志保が言う。 助手席のオレにしてみれば他人事なんかじゃ済まされない。 「オメエッ、免許持ってんか!? 危ねえだろーが!」 と、声を荒げてしまう。 そんなオレの剣幕に「ゴメンごめ〜ん」なんてあっけらかんとした態度で手を振ると、 「日本の道路、久しぶりなのよねぇ」 志保はなにやら意味深な台詞を口にした。 オレはその言葉の意味に惹かれ、怒るのも忘れてしまった。 「久しぶりって……お前、今までどこにいたんだ?」 「海の向こうね」 「だから、どこだよ」 「アメリカが多いけど、最近はヨーロッパ辺りかな?」 「ヨーロッパって……旅行か?」 「アハハッ、それ、ナイスボケ」 「ボケじゃねーよ。もったいつけてねえでさっさと言え」 ステアリングを叩く志保にオレは口を尖らせた。 「仕事でよ」 ひとしきり笑い終えてから、志保はまじめにそう答えた。 「仕事?」 「うん、ビジネス」 「なんかすげえな、どんな仕事だよ」 「フフフッ」目を白黒させるオレに、志保は悪戯っぽく微笑んで、 「国際的ジャーナリストかな」 とか言う。 「……ジャーナリストぉ?」一瞬首をひねったオレは、次の瞬間膝を叩き、 「なんかそのまんまじゃねーかよ」 思わず吹き出してしまった。 オレに笑われ、志保は困ったような顔で顔をした。 それから小さく微笑んで、 「そういえば高校時代、バカなことやってたわよね……」 変に懐かしそうな、それに悔やんでもいるような微妙な口調。 そのときのオレには気付くはずもない。 思い出話に花を添えるつもりで、 「志保ちゃんニュース!」 などと冗談めかす。 「そう、それ……」 志保らしくない静かな口調に、オレはようやく彼女が本気で懐かしんでいることを知った。 「ホント、バカやってたよな……」 オレもしみじみと答えてしまう。 そっと目を閉じると、脳裏にあの頃の思い出がよみがえる。 ----高校時代、一緒にゲーセンやカラオケで勝ち負けを争ってたっけ……。 何かにつけて優劣をつけたがってたよな。 まるで、小学生のガキみたいに----っていっても、 今時の小学生はもっと大人っていうか、冷めてるけど。 オレも志保のヤツをやっつけるのにマジになってたな。 それから、高校卒業と同時に志保は大阪に引っ越してしまった……。 「ね、ね、あたし大阪に引っ越すことになったの」 「なんだそりゃ? とうとう自分のことまで志保ちゃん情報化か?」 「どーゆー解釈よ、それぇ」 「いや、……良く考えたら自分のことにガセネタはねーよな」 「あんた、まだ信頼度が足りないようね」 「アホ、信頼度を上げたかったら確かな情報を持って来い。 この三年間で聞かされたガセの数は、それこそ星の数ほどだぜ?」 「ふ〜ん……じゃ、二千個くらいね」 「……どっからそんな数字が出てくんだよ」 ----懐かしかった。三年かそこらの話なのに、もう一〇年や二〇年も昔のことに思えてしまう。 そんな思い出に浸っていると、 「懐かしいわね……。あかり、どうしてる?」 言葉通り、懐かしそうな口調で志保が訊いた。 「あいつ? 先にキャンパスに着いてるだろ」 「ふ〜ん。じゃあ元気なんだ」 「まあ、わざわざお前に語って聞かせるほど変わったことはねえな」 「……変わってるわよ」 「なにがだよ」 「あんた今から学校でしょ? あかりが一緒にいないことが充分に変わってるわよ」 「そうか? そりゃ高校んときみたいに毎朝一緒ってことはなくなったけど、今まで通りだぜ?」 「ほおほお。ようやく進展ありましたか……」 勝手に納得する志保。 「なんだそりゃ?」 「ただの幼なじみから、あんたたちの関係が一歩進展したって意味よ」 「だから今まで通りだって」 「フフッ、あんたたち、そのうち結婚ね」 「おいおい」 「----これでよかったのよ……」 遠い目をして、志保は言った。 「よかった? なにが?」 オレが訊くと、志保はちらっとこっちを見つめ、すぐに視線を戻した。 そのときの彼女の横顔は、初めて見る、マジな顔だった。あの頃にはない、大人の横顔……。 少しの沈黙の後、志保は言った。 「ま、いっか。教えてあげる」 そう言う彼女はいつものノリに戻っている。 「教えろ」 何を教えてくれるのか判からないが、取り敢えず促す。 「ヒロ……、覚えてる? あたしとHしたときのこと」 「ん……ああ、よ〜く覚えてるぜ」 よく覚えているさ。あの夜のことは……。 「あたしね、ホントはあんたのこと、好きだったんだ」 「ぬわにぃ!?」 「あのときは、気付いてなかったの。自分の気持ちに……」 「……」 「とにかく、ヒロと一緒が楽しくて、いつも一緒にいたかったの。 初めてのHだってヒロとならいいって思ったし。 ……よくよく考えて見れば、それが好きって気持ちだったのよね」 「志保……」 「だからあかりのために簡単にヒロをあきらめられたのかな」 「それって、お前……」 「うん。あかりがあんたのこと好きだってのは知ってたからね」 ……今明かされる、意外な事実。志保があかりのために身を引いた……? 「……知らんかった」 「ま、いいじゃん。今でもあんた、あかりと一緒なんだし。あたしも譲った甲斐があるってもんよ」 「……」 複雑な気分……。男として情けねえな。 しかし、あの頃志保の気持ちに気付いたとして、オレは彼女に何かしてやれたのだろうか? あの頃のオレは、志保を仲のいい友達としてしか見てなかった。 確かにあの頃の志保はうるさすぎて、うざったく思うこともあった。 けれど、それが気に食わないわけじゃなかった。 正直、あいつにぞんざいな態度を取るのがおもしろかった。 ……ちょっと待て。そうなると、オレも気持ちは志保と同じだったのかもしれない。 もし、志保がオレに告白して……、オレがそれを受けていたら……。 いや、その逆も……。 などと考えていると、大学のキャンパスが見てきた。 車は路肩に滑り込み、 「ほいさ。到着」 志保の声と共に静かに止まった。 「サンキュ、余裕で間に合ったぜ」 オレは車を降りた。 ドアを閉じ、もう一度礼を言うおうとすると、 「……あんたさあ、車の免許取りなさいよ」 「いや、免許はあるけどな、なにぶん貧乏学生で……」 「あっそ。じゃあこの車、あげる」 さらりと志保は、とんでもないこと言う。 「は?」 くれるって、車だぞ? 「日本で車持ってても、ほとんど海外にいるから意味ないのよ。だから、あげる」 「おい…。この車、高いんだろ? こんな----」 オレは慌てて言い返そうとしたが、彼女の言葉に遮られた。 「つべこべ言わないの。あたしからの結婚祝いよ」 「誰が結婚だよ!」 「いいからいいから。あとで譲渡証明とキイ、送るから。じゃね☆」 「おい、志保っ!」 エンジンがうなりを上げたかと思うと、赤いスポーツカーは派手にタイヤを鳴らして急発進した。 激しくケツを振り、タイヤスモークを上げながら加速して、一気に角の向こうへ見えなくなった。 見えなくなっても、カーブでタイヤがキャーキャー鳴る音がいくつも聞こえたが。 ----すげえ運転。オレが乗ってたときは加減してたんだな。……志保らしからぬ気配りだぜ。 オレは苦笑した。 キャンパスの入り口へ向き直り、歩きだす。 ----あいつ、変わってないように見えて、以外と変わってたな……。 三年ですっかりいい女になりやがって。 オレも負けちゃいられねえな。 歩きながら、いろんな考えが頭の中を駆け巡った。 「……」 ふと、気になってしまう。 今の志保はどうなんだろうか? あんたのこと、好きだったんだ でも、過去形か。 そして、オレの気持ちは……? 「……悩んでててもしょーがねえっ!」 あいつにはあいつ、オレにはオレの人生がある! ひとつ伸びをして、駆け出した----。 《藤田浩之、神岸あかり、長岡志保。彼らの人生に幸多からんことを……》 ----完---- あとがき いかがだったでしょうか。発売ヴァージョンで描ききれなかった部分を補完してみました。 書いた本人も後になって「これはこういう話だったのか」などと気がついた点も多く (とんでもないことです)、これでは皆さんにすべてを伝えきれていないのは当然のことでしょう。 そのための完全版でもあります。また、作者の言い訳版ともいいますが… …。 今回、ベースはVNの志保EDで、文体を一般的な小説のスタイルとしました。 読みにくいでしょうか? 本来、ED部分を補完した程度で完全になるシナリオではないのですが、 少しでもマシな終わり方にしてやろうと思い、書いてみました。 少しでも志保エンドに対する不満が解消されれば幸いです。 ……実は、この後のお話の構想が無いわけではないので、 機会があったら書き上げてみたいと思っています。 一九九七年11月七日『秋子』を聴きながら 青紫