1998/11/21
食い道楽


 やっぱり蒲団は良い。目覚めが違う。テントの中で狭い思いしながらシュラフで寝るのも悪くはないのだが、今回のようなロングツーリングでは、やはり蒲団で寝るに限る。電脳おやぢは早々と起床し、既にひと風呂浴びてきたらしい。服に着替えて、朝食を摂るべく階下へ降りる。朝食の前にはビールである。これは、ツーリング部鉄の掟である。まずはビールを呑むのである。んまいのである。朝食にしては豪華すぎる内容であったが、嬉しかったので、許す。何をだ。
 朝食を終えて部屋に戻り、出発の支度を始める。出納係のや〜ふるに勘定の支払いを任せ、全ての荷物をや〜ふるの車に積み込み、バイクを暖気する。前回の北海道行きでは、俺の車に荷物を積み込み荷物レスで走る大盛り野郎を羨ましく思ったものだが、今回は俺もその恩恵に与ることとなった。旅先で荷物レスで走れることの意味は大きい。
 勘定を終えたや〜ふるに聞いてみると、やはり予約時の金額で間違いなかったそうだ。五人で大御馳走喰って呑んで騒いで消費税込み六万八千円なり。これは安い。また来よう、と思った。

 宿を出発して昨日来た道を戻る。大した荷物ではなかったが、やはり荷物が無いのは快適だ。とくにワインディングでの効果は絶大。
 昨日の、十一月とは思えない程の暖かさが嘘のように寒い。が、それでもまだ凍える程ではなかった。やはり地球は温暖化傾向にあったりするんだろうか。わざわざ持ってきた革ジャンのインナーの出番は、ない。ちょっと拍子抜けだ。
 レインボーラインの入り口で料金を支払い、俺、大盛り野郎、文ちゃん、や〜ふる&電脳おやぢの順番で走る。途中の展望台に寄って、写真撮影。この展望台からの景色は、なかなかの絶景であった。いくつもの湖が小高い山々の間に点在し、その山々の裾野にマッチ箱のような民家が立ち並ぶ。その景色の左手には日本海が広がり、山と海と湖とが絶妙にバランスしている。今までに見たことのない、特異な地形だ。
 と、ここから出発しようとして、またしてもセルが回らず押し掛けでの出発となった。ん〜、いかんなぁ。バッテリーが充電不足なのだろうか。
 レインボーラインは、三方五湖と若狭湾を隔てる山の稜線上を走っているだけの、ごく短い有料道路だ。あっと言う間に走り終えてしまい、間もなくレイクセンターに到着してしまった。

 レイクセンターで三方五湖巡りの遊覧船に乗る。遊覧船とは言っても、実際には定員四十名ほどのシャコのような形をした、平べったい小さな船だ。船には二種類あり、すいせい号が第一から第七まで。スーパーコメット号がTからWまでの全十一艘だ。すいせい号は、白い船体に赤と青のストライプの幾分古めかしい船だ。それに比べてスーパーコメット号の、なんたるモダンなことか。さすが超彗星。イタリアンレッドに塗られたキャビンの約九割ほどはガラスで覆われており、全体的に丸みを帯びた形をしている。しかも、乗船口はガルウイングタイプだ。一番の大きな違いは、天井がガラスかどうかだ。もちろん、最新鋭機であるスーパーコメット号の天井は、サンルーフよろしくガラス張りだ。あとでわかるのだが、実はこの天井のガラスが、この遊覧乗船の肝だったのだ。
 桟橋には、スーパーコメット号が何台も並んでいた。なのに、よりによって俺達が乗せられたのは、第四すいせい号だった。酷く狭い乗船口から船内に入ると、場末のスナックのような安普請な内装と、ビニール張りのパイプ椅子がそこはかとなく配置されていて、すぐ隣に停泊しているスーパーコメット号と同じ乗船料金を支払っていることに、いくらかの恨めしさを感じた。そうしているうちに、アナウンスの声とともに船が出発した。
 レークセンターは久々子湖に面しており、レークセンターを出発した我らが第四すいせい号は、やがて水月湖へと続く浦見川へと入っていく。延々と説明を続ける船内アナウンスのテープの声にうんざりしながら前方を見ると、鬱蒼とした木々に囲まれた、幅四メートルほどの川の入り口が見えた。浦見川は、その両側が切りたった絶壁になっており、誰だかは知らないが、昔の偉い人が、どういう理由かは知らないが、山を切り開いて通した川なんだそうである。詳しく知りたければ、どうぞご自分で第四すいせい号に乗船して確かめて戴きたい。
 水深は、一番深いところで二メートルに満たないと言う。窓から五十センチほど先の川底が透けて見えるのには驚いた。まるで遊園地の乗り物に乗っているようだ。窓から手を伸ばせば水面に手が届くほど低い位置に座席が据えられているのだが、そうまでしてキャビンの水面上の高さを抑えているのは、この木のトンネルをくぐり抜けるためだったのだ。
 で、上はどうなってるのかな? と、見上げればそこは天井。窓に顔を押しつけ、視神経を引き千切らんばかりに目を上へ向けるのだが、虚しい努力であった。なるほど、スーパーコメット号のガラス張りの天井にはそういう理由があったのだ。俺のように上がみたいよーと考えた客の誰かが、「三方五湖巡りの遊覧船に、ガラス張りの天井をっ!」だかなんだかの署名嘆願運動をしたおかげで、スーパーコメット号の天井はガラス張りなのだ。きっとそうなのだ。そうに決まった。ちくしょう。
 何はともあれ、ほんの五分程で浦見川を通り抜け、水月湖に出た。その後の船旅は退屈なそれだった。わざわざ大人九百八十円なりを支払ってまで見たいと思うような景色でもないし、満席の船内の狭い座席に辟易していたし、あくびを噛み殺しながらぼんやりと窓の外を眺めるしかなかった。残りの湖をぐるっと周り、やがてまた、浦見川へと船が入っていく。バカの一つ覚えというのか、バカは死ななきゃ直らないというのか、再び窓に顔を押しつけて上を見ようとするのだが、当然、見える筈もなく、断崖の中腹で羽を休めていた白鷺が、呆れたようにこちらを見つめているのだった。
 四十分程で第四すいせい号はレークセンターに帰り着き、入れ替わりにスーパーコメットIIが出発するところだった。ちくしょう。と思ったが、ひょっとしたらもう第四すいせい号は今年一杯でその責を終えるのではなかろうか。来年には、すいせい号は廃船となってしまうのではあるまいか。そう考えた途端、第四すいせい号が酷く愛おしく思えた。ありがとう、第四すいせい号……などとくだらないことを考えながら船を降りて、一行は再び出発するのだった。

 情報誌で事前に調べてあった鰻屋へと向かう。なんでも、尾頭付きの鰻が丸ごと一匹、器からハミ出しちゃっているんだそうである。これ見よがしに、ででーんとハミ出しちゃっているんだそうである。
 早く鰻が食べたいので、そこへ至るまでのあんなことやこんな出来事は省いちゃったりするんである。でもって、鰻屋へ到着。
 さっそく店内へ乱入し、「おらおらおら鰻大名五人前持ってこんかーい」などと言ったりはしなかったが、とにかく、鰻大名なんである。メニューにそう書いてあるんである。偉そうである。大名である。暫く待たされた後、やっと出てきた鰻大名。
 かぁ〜ハミ出てます。ハミ出しちゃってます。鰻が。とにもかくにも皆で戴いたんである。こりゃまた、サクっとした歯ごたえがたまりません。関東のように、蒸したりしないのが、この歯ごたえの要因であろうことはバカでもわかるのだが、とにかく旨いのだ。幸せ。あふぅ。
 あっと言う間に完食し、満足げに腹などさすっているうちに、眠気が襲ってきた。ぽかぽかと暖かい陽射しが店内に差し込み、満腹感と相まって昼寝にはもってこいの環境だった。が、そこをなんとか踏みとどまり、思いは既に、今夜の近江牛に馳せていた。

 一応、周りの人間には「京都へ行って来る」と言ってあった手前、京都を通らない訳にはイカンだろうということで、三千院のあたりと、そこから比叡山に登ろうと言うことになった。実は、京都と言えば秋。秋と言えば紅葉、を期待していたのだが、どうやら時期が早かったのか、今年は紅葉が遅いのか、ちっとも秋らしくない景色ばかりが続いた。朝方は曇っていた空も、その頃には綺麗に晴れ渡り、バイクを止めると汗ばむ程だった。
 三千院へ至る道は、山間のワインディングロードだった。その道は、我がバイク人生において、五本の指に入るほど気持ちの良い道だった。これで紅葉していたなら、絶対に一位二位の座を争っていただろうという程、その道は気持ちよかったのだ。しかし、三千院に近づくにつれて車の量が増え、所々で道路の修復工事が行われており、ペースが上がらなくなっていった。三千院の周辺は、予想通り人でごった返しており、結局素通りしてしまった。
 渋滞の京都市街地を通り抜け、比叡山へと登る山道を上がって行く。俺のバイクでこの坂道はツライ。文ちゃんと大盛り野郎のバイクがすいすいと登っていく後を、なんとかコーナーで追いつきながら、比叡山ドライブウェイまでやってきた。が、なんと土日祝は二輪通行禁止。
 誰がこんなことを決めたのかは知らないが、いい加減バイクを敵視するのは辞めて貰いたい。そろそろ、バイク=暴走族という図式に決別しても良いのではないか。事故の増加を防止する為などと、詭弁を弄するせりふを見聞きするのにはうんざりだ。てめぇの命だ。バイクに跨った瞬間に覚悟はできている。ご都合主義のあんたらに言われるまでもなく、危険な乗り物だってことは百も承知なのさ。だからこそのバイク乗りなのだ。誰だって死にたくはないだろうが、自分の命の責任くらい自分で負える。だからもう、余計なお世話はたくさんだ。頼むから、俺達のことで頭を悩ませるのは辞めてくれ。迷惑だからさ。
 比叡山を諦めて山を降りると、もう琵琶湖が目前だった。雄琴温泉を目指して琵琶湖畔の道を北上する。が、せっかく見つけた温泉宿は、まだ風呂に湯が張っていないとのこと。で、その隣のホテルに聞くと、風呂だけで千五百円もすると言う。しょうがないので、そのまた隣の健康センターに行ってみると、なんと二千円。バカらしくなってきたので、今日は宿泊予定のビジネスホテルのシャワーで我慢することに。
 大津駅近くのビジネスホテルを予約してあったのだが、そこへ近づくにつれて道路が渋滞し始めた。目的地まであと二キロというあたりで車の流れはピタリと停まってしまい、エンジンの調子までおかしくなってきた。そのうちにストンとストールしてしまい、セルも回らなくなった。うわぁ、遂にやっちまったか。と押し掛けを試みるが、一向に掛からない。文ちゃんがヘッドライトを消してみては? と言うのでその通りにすると、掛かった。文ちゃん、ありがとう。が、またストールするとヤバイので、悪いとは思ったが彼等を残して一人で車の間をすり抜けて行った。その後も何度かストール、押し掛けを繰り返し、ほうほうのていで宿に辿り着くと、既に到着していた他の四人が駐車場で待っていた。なにはともあれ、無事に辿り着くことができて良かった。今度こそは、バイクをちゃんと直そう。と誓ったのだった。みんな、本当にスマン。

 チェックインを済ませ、早速近江牛を喰らいに行く。ここも事前に調べてあったので、迷わず辿り着くことができた。その店は、一階が精肉店になっており、二階が焼き肉、三階がコース料理の店となっていた。俺達は二階で焼き肉を食べることにし、間髪入れずにビールを注文した。やがて運ばれてきたビールで乾杯し、ぐびぐびぐびぷはーうめーとやっているところへ肉が登場した。おおっ! と、どよめきが走った。んなもんが走ったところなぞ見たことも聞いたこともないが、確かに動揺はしていた。おお、これが近江牛という奴か。うい奴じゃのぉ。赤身に網の目のように入った白い脂肪がたまらんのぉ。これこれ、ちこうよれ、くるしゅうないぞよ。などとバカな事を言いつつ、じゅうううう、と焼き始めるのだった。旨い! 旨いのだ! もう……旨いのだ! あぁ、旨い旨い旨旨旨旨旨旨旨旨旨旨……以下略。え〜とにかく旨いので、食べに行くように。以上。報告終わり。色々と追加注文した挙げ句に何杯もビールをお代わりしたというのに、それで一人六千円弱というのは、安いのではないか。いいのか? そんなことで。いいのだ。

 やっぱり満腹の腹をサスサスとさすりながら上機嫌で宿への帰り道を歩いていると、脇道を入ったところに銭湯があるのを発見した。こ、これは……などと大袈裟に呟いてみたものの、只の銭湯であった。あまりに満腹なため、一度宿に帰って休んでから再び訪れることにして、取り敢えず部屋に戻った。大盛り野郎と文ちゃんがもう出歩きたくない、と言うので、三十分ほどしてから、電脳おやぢとや〜ふると連れ添って、銭湯へ行った。番台には、お約束通りのばあちゃんが座っており、しわくちゃの手で釣りを差し出す。
 湯船にゆったりと体を沈め、目を瞑ると、今日の出来事が鮮やかに甦ってきた。あぁ、みんなが笑っている。心の底から、本当に楽しそうだ。一体いつまで彼等と走り続けられるのだろう。次はいつ、一緒に走れるのだろう。俺はいつまでバイクに乗っていられるだろう。終わりは来るのだろうか。その終わりのとき、俺は満足げに笑っていられるだろうか。自分と、友人と、その両方を深く心に刻みつけたかった。もしも終わりが来るのであれば、せめて、思い出だけは持っていたい。
 風呂を出て脱衣所で服を着ていたら、片隅に置かれた冷蔵庫に昔懐かしい瓶の牛乳、りんごジュース、コーヒー牛乳の三点セットを発見した。少し悩んでからりんごジュースを手に取って、番台のばあちゃんに幾らかを尋ねた。「百円」そういって差し出した手は、やはりしわくちゃだった。古式にのっとり、腰に手を添えて一気に飲み干した。味覚によって思い出された幼い日の記憶が、ちょっとだけ感傷的な気分にさせたが、今の自分には少し甘すぎたようだった。

 部屋に戻るなり、今度はラーメンを食べに行くためにわざわざ車をひっぱり出す部員達であった。結局文ちゃんと大盛り野郎も行くことになったのだが、電脳おやぢはそんな俺達に呆れているようで、一人部屋に残るのだった。
 片道三十分ほどもかけて天下一品ラーメンを食べに行き、再び部屋に戻ると、ちょうどF1日本グランプリがスタートするところだった。同室の大盛り野郎は、それを見ながら寝てしまい、俺もレース終了と同時に意識がなくなった。しかし、なんともよく食べた一日だった。ツーリング部改め、食い道楽部に改名しよっかな、とまじめに考えていたりした。

 翌朝、すっきりと目覚め、荷物をまとめて大盛り野郎と文ちゃんと一緒にロビーへ出る。既に電脳おやぢとや〜ふるが新聞を読みながら待っていた。チェックアウトを済ませ、バイクに荷物を積み込み、皆との別れを惜しむ。本当に楽しかったよ。また、やろうな。そう言って握手をして、皆、それぞれの道を帰っていった。

 後日談
 帰りの高速道路上で、遂に、大盛り野郎がガス欠こいた。俺も文ちゃんも、もちろん大盛り野郎も、それまで何度もガス欠直前までは経験していたが、とうとう彼はやってしまった。しかも、SAまでの上り坂二キロを残して。結局一時間半かけて押したそうだ。二百キロ超のバイクを。延々と。


←前のレポート

↑ツーリングレポートの目次

↑↑表紙