2003/9/22
Call Me Back Again


 羅臼へ戻るというキンドーくんの連れとキャンプ場で別れ、俺とカトちゃんとキンドーくんは根室を目指して走り出した。風蓮湖の西側を、湖を迂回するように走るその道は、覆面パトカーの出現率が高いと経験上わかっていたため、後続の車やバイクを幾度と無くやり過ごしながらゆっくりと進む。天気は相変わらず快晴が続いていた。
 厚床で国道四四号線にぶつかり、そこを左折すると、酷く退屈な根室までの長い道のりが続いている。そう、退屈だと感じてしまう自分がいた。どこを走ってもワクワクしていたあの頃が、まるで別人の記憶のように遠く霞んでいる。
 午前十時頃に根室の駅前で、納沙布岬に行くというカトちゃんと別れ、キンドーくんと二人で駅前のカニ屋へ入る。もう何度となくここを訪れ、その度に店が閉まっているのを見てがっかりしていた菊池のオバちゃんの店が、今日は開いていた。
 年老いたオバちゃんの顔の深い笑い皺を懐かしく思いながら、その気持ちとは裏腹に、実に事務的な手順で友人宅への宅配の手続きを済ませ、さて自分が今ここで食う分のカニを見定めんとしているそのそばからオバちゃんが、俺とキンドーくんとに一杯ずつのカニと鋏と新聞紙を手渡し、店の前のベンチで食べていきなと言う。そのカニの代金を払おうとする俺を押しとどめてオバちゃんは、ニコニコ笑いながら手を振って、あの時と同じように「今日はどこまで行くんだい」と訊ねた。言葉にすれば、涙がこぼれ落ちそうだった。だから俺は軽く頭を下げただけで店を出て、目の前のベンチで新聞紙を広げ、キンドーくんと二人、「うまいうまい」と言いながらカニをむさぼり食った。店の中ではオバちゃんが、黙々とカニを茹でていた。

 そろそろ帰りのフェリーの予約をしておこうと、フェリー会社に電話をして乗船を希望する日時を告げると、受付の女性の酷くがっかりした答えが返ってきた。「残念ながらその日は予約で一杯です」と。
 去年使った室蘭から大洗への航路は、今年からは廃止されてしまっている。従って、苫小牧発大洗着のフェリーに乗れないのであれば、残されたルートは苫小牧から仙台または八戸行き、あるいは函館から青森となる。函館から青森までフェリーに乗り、青森から高速道路を使って自走する手段は最悪の場合に残された唯一の方法であったから、とりあえず仙台行きのフェリーについて聞いてみたが、返ってきた答えは全く同じであった。八戸行きのフェリーでは、函館から青森へ渡るのとあまり違いが無いため聞きはしなかったが結局、カトちゃんと相談して、青森から自走するか、帰りの日程を前倒しにするかを相談する必要があった。仕事の都合で、どうしても予定していた日に帰宅する必要があったからだ。
 当然と言えば当然のごとく、カトちゃんのPHSは役に立たなかった。とりあえずメイルで事情を送り、カトちゃんの後を追って納沙布岬へ行くというキンドーくんに言付けを頼み、名残を惜しみながら彼と別れ、来た道を戻る。どうしようかなと考えながら、この予期せぬ出来事に自然と口元はほころんだ。楽しくなってきた。

 腹はカニで膨れていたがそれでも、厚岸で牡蠣を食わない訳にもいかない。結局、いつもの店に入り、牡蠣フライ定食を頼む。
 ハマグリと見まごうばかりの大きなアサリのアサリ汁を啜っているところへ、会社から仕事のメイルが飛んできた。金を払い、店を出て、バイクのそばに座り込み、煙草に火を着けてから会社に電話を入れ、仕事の話をする。こんな旅の途中でもすぐに仕事の話に対応が出来てしまう自分に呆れかえりながら、再びバイクにまたがり北を目指して走り出す。
 厚岸から標茶へ向かって草原の中を縫うように走る道道を行く。ただただ気持ちが良い。思考することを諦めさせるかのような気持ちの良さが体を貫く。毛穴が開き、高い所から落ちていくような浮遊感に捕らわれる。ブレーキのタイミング、アクセルの開度、重心のかけかたに至るまでバイクを操る全てを、予めプログラミングされていたかのように思考とは切り離された体が自然に行っているように感じる。意識は意識として厳然にそこに在るのだけれど、それは何かをコントロールしようとしているのではなく、何かを感じ取るためだけにその能力の全てを使い切ってしまっているのかも知れなかった。いずれにせよ、その状況が最高に幸せな時間を作りだしていることだけは間違いがなかった。
 国道二七二号線との交差点にあるコンビニにバイクを止め、缶コーヒーを店内で買い求め、煙草に火を着けて深く吸う。缶コーヒーのプルタブを引く音が、やけに大きく聞こえた。

 標茶の駅のそばで釧網(せんもう)本線の線路を渡り、国道を使って弟子屈方面へは向かわずに、再び道道で中標津方面へと向かう。虹別を経て、養老牛を通り、清里峠へ向かう。
 裏摩周展望台に寄り、トイレで用を済ますと、俺と同じ習志野ナンバーのバイクが駐車場にあった。なんとなく会話を交わしてみたいと思って周囲を見回すが、後からやってきた観光バスの団体客に阻まれて、見つけることが出来なかった。
 煙草を二本ほど灰にしてから展望台の駐車場を後にする。太陽はまだ、黒々と俺とバイクの影をアスファルトに焼き付けている。
 一昨年の三月に車で入っていった神の子池へ至る林道の始まりのところでバイクを止めて、その道の先を窺い見てみる。除雪されていた(この林道の突き当たりに営林所の貯木場があるため、裏摩周展望台への舗装路が除雪されていなかったにも関わらず、この林道は除雪されていて、電機屋のオヤジに借りたパジェロでも入っていくことが出来た)とはいえ、この道をよく入っていったよなと自分の事に感心しながら、再びバイクを走らせる。
 清里の小綺麗な町営温泉の、陽の差し込む明るい浴場で湯に浸かり、広間の隅に寝ころんで体の火照りを冷ます。落日までにはまだ少し時間があったが、陽はだいぶ傾いていて、開け放った窓から流れ込んでくる風はもう冷たかった。

 斜里の町へ今度は南側から入り、電機屋の駐車場にバイクを止め、従業員口から事務所へ上る。奥さんが出てきて、オヤジを呼び出してくれた。
 二年振りに会うオヤジは年を取った風でもなく、元気そうだった。が、会うなり「ちょっと車に乗せてってくれ」と言う。さっきまで同級生と飲んでいて車を運転する訳にはいかない。だから、お前に車を運転して貰って乗せて行って欲しいところがあるんだと、そう言う。
 否応もなく、このオヤジがそう言ったのならそうする以外に無い訳で、パジェロのキーを預かり、オヤジを乗せて浜辺の道を原生花園の方へと走らせる。
 なんのことはない。オヤジの知り合いのカニの加工場に、毛ガニとタラバガニを受け取りに行ったのであった。もちろん、俺とオヤジの今夜の酒の肴に決まっている。それにしてもしかし、この加工場にせよ、町中の飲み屋にせよ、オヤジが何かの対価として金を払っている姿を一度たりとも見たことがない。この時ももちろん、「おう」と挨拶しただけで全てが完了してしまった。
 事務所兼店舗兼自宅に戻り、居間へ通される。と、早速冷蔵庫からビールが出されてきて飲み始める。毛ガニとタラバガニを頬張る。うまい。
 陽が完全に落ちた頃を見計らい、オヤジと連れ立って近くの寿司屋へと出向く。持ち込んだ毛ガニを調理して貰い、新鮮なネタの寿司とともに食らい、酒を飲む。うまい。もちろん支払いは、その場では行われなかった。そもそも支払いが発生しているのかどうかもわからないのだが……。
 その日は前の年に発生したアメリカ同時多発テロ事件から丁度一年で、その事件のドキュメンタリー番組が放映されていた。寿司屋から帰ってきて、今度はそれを見ながらその事件の感想と、その感想に混じりながら俺の近況を話し、さらにコマイの干物でビールを飲む。うまい。
 そうなるだろうなと思っていた通りに寝ころんでテレビを見ていたオヤジがそのまま寝入ってしまったのを期に、オヤジに声を掛けて、隣の部屋に用意された布団にもぐり込む。久しぶりの布団の感触が気持ち良い。
 ふと、たまには布団で寝たいと言っていたカトちゃんのことを思い出したが、一瞬であった。なぜなら、そう考えた直後には寝入ってしまっていたからだ。


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