2003/1/4
Little Lamb Dragonfly


 夜が来れば眠り、陽が昇れば目覚める。それは、キャンプツーリングに出た時の俺の常識であると同時に、人間という生き物のごく当たり前の習性でもある。習性は、それはそれとして、単にテントに使われている繊維の間から差し込む陽の光が、それが俺を眠りから引き剥がすのである。
 午前六時少し前に一旦目覚めたものの、フェリーの中での睡眠不足を補うために、用を足してから再び寝袋に潜り込み、二度寝を決め込む。カトちゃんのテントからは、彼が起き出す気配はまだない。
 再び目を覚まし、時計を見ると、針はすでに午前九時近くを指していた。寝袋から這い出し、テントの中で身の回り品の整理を始めると、カトちゃんが起き出す気配がした。
 朝食のための一式を手にテントを出ると、カトちゃんがテントから顔だけを出し、開口一番、「テント狭いっす」と寝ぼけた声で言うのに思わず笑ってしまった。

 パンとコーヒーで朝食を済ませ、荷物をまとめ、バイクにくくりつける。俺にとっては手慣れたいつもの手順だが、まだ要領を得ていないカトちゃんはそれらの作業に手間取っていた。彼なりに熟慮したであろうパッキングとその手順は、すでに崩壊の兆しが見え始めていた。
 一泊だけのツーリングなら、それがキャンプ泊であろうと宿泊であろうと、パッキングやその手順に戸惑うことは無いだろう。だが、ロングツーリングであることを意識し過ぎるあまりにそれらが煩雑になってしまうのはこれはもう経験値の差でしかない訳で、要領よく何をどこへどうやって納めることが出来るかは、鞄の中や机の引き出しの中に似て、日常的であるかそうでないかの違いによる習熟度に比例している。
 何度も荷造りをやり直す彼を横目に、俺はたばこを吹かしながら同じ駐車場で荷造りをしていた関西ナンバーのバイクの持ち主と言葉を交わしていた。カトちゃんの経験値を上げるために俺がしてやれることは酷く少ない。

 十時過ぎにようやく走り出す。来た道を国道二三七号線まで引き返し、そこから富良野市街に向けて北上する。
 冬場に向けた道路の改修工事がところどころで行われていて、対向車線をすれ違うトラックが巻き上げる粉塵に辟易する。布部の駅の先で道道に入り、信号のない真っ直ぐな道をひたすら走る。
 快適に走れればそれに越したことはない。空は晴れ渡り、ラベンダー畑の横で子羊が草を噛み、十勝岳は雄大にそびえ、軽いアップダウンをアクセントにした道はどこまでも真っ直ぐ続き、前を遮る車はない。北海道をバイクで走る、という目的からすればこの上ない好条件ではあったが、何故か快適、という訳にはいかなかった。というのは、道路上の空中を横切る(もちろん、彼らには道路を横切っているという意識のある筈もないが……)大量のトンボの群のせいであった。
 俺の住んでいる辺りはちょっとした、いや、かなりな田舎なのであるが、バイクで走っているとよく甲虫の類がヘルメットや衣服にぶち当たり、弾丸で撃たれたかのような衝撃を感じることがままある。時にはそれが蜂であったりするのだが、甲虫とは少し違って、ぶち当たった衝撃で破裂してしまい、体液やらなにやらがべっとりとシールドに付着したりするやっかいな代物であるのだ。
 丁度それと一緒で、道路を横切ろうとする(もちろん、もちろん彼らが意識してそうしているのではないことは重々承知しているが)トンボの群がヘルメットや衣服にぶち当たり、その衝撃でバラバラになりながら体液や薄羽を遺していく。これが辛い。辛かった。何しろ半端な数ではないのだ。数百メートルに渡りそれが続くのだ。カウルのついているカトちゃんのバイクは多少ましだったろうが、人間の形が前面投影面積そのものである俺のバイクでは、スゥエーやダッキングなどでそれらをかわし続けるしかない。直線なのに何故か上体を左右に揺らしながら乗る、まるで仮面ライダーのようだった。

 上富良野の先で国道二三七号線に再び合流し、旭川を目指す。この日の昼食は、「旭川ラーメン村」で摂ることを予め決めてあった。
 旭川市街をバイパスして国道三九号線へ至る道を曲がり損ね、引き返してその道へ乗り入れる。やはり町中の景色にツーリング装備のバイクは似合わない。とはいえ、目的地が町中にある以上、そんな些細なことを気にしてもいられない。堂々と当たり前のように、小綺麗な格好をした観光客の群の中へとバイクを進め、ラーメンを食すためにバイクを降りた。
「いってつ庵」という店で塩ラーメンを食したのだが、チャーシュウがやたら美味いという印象以外、とりたてて語るほどのことはなかったような気がするが、美味いか不味いかというよりも、八店ある中で「山頭火」と「さいじょう」に客が集中していた点が気になった。ガイドブックによる影響が大きいのだろうが、これではここに出店する意味があまりないような気がする。単独の店ならそこそこの人気店に成りうる店が、選択肢が多すぎる故の絞り込みにより、より知名度の高い店に客を奪われてしまっているのではないのか。そんな印象を受けた。
 とりあえず旭川でラーメンを食ったことに満足した俺達一行は、人目もはばからずに自らの功業を讃え合い、さらに旅の歩を進めるのであった。

 石狩川沿いに国道三九号線を東へ進む。日東で国道二七三号線に入り、先を急ぐために一部開通している旭川紋別自動車道(無料)を浮島から利用することにする。と、それまで快晴だった空がどんよりと曇り始め、今にも雨が落ちてきそうだと感じた瞬間に雨が落ちてきた。
 パーキングエリアでバイクを止めて雨具をつけるかどうかを相談するが、東の空が明るいことを理由にそのまま走り出す。結局、白滝I.C.で降りる頃に雨はやんでしまった。
 石北本線の線路と平行に国道三三三号線を行く。丸瀬布を過ぎ、国道二四二号線と合流する頃には空はすっかり晴れ上がっていた。すっかり綺麗に発展した遠軽の町並みに驚きつつAコープで買い物を済ませ、中湧別から国道二三八号線に入ると、やがて左手にはサロマ湖が見え始める。

 サロマ湖畔の道の駅で夕食の焼き鳥を買い、キムアネップキャンプ場を目指す。キャンプ場に到着すると、ここはやはり昔のままひっそりと何もないキャンプ場のままで、昨夜の比較的設備の整ったキャンプ場とはうってかわっていきなりあまりにも何もないものだから、カトちゃんは不安を口に出さずにはいられなかったようだがだからといって他に選択肢のない状況下では俺の行動に従うしかない訳で、その戸惑う姿にこっそりほくそ笑む悪い俺ではあった。
 ところが、ここ数年の間に出来たのであろう小綺麗な管理棟(季節はずれで無人だったが)が建っており、意外なことに自動ドアはなんの躊躇もなく開き、照明のスイッチはその本来の役割をキチンと果たしていたのである。
 とりあえずテントを設営し、荷物をその中に放り込み、ここへ来る途中のホテルに風呂を借りに行くことにして走り出す。が、いつの間にか空は重い雲に覆われていて、走り出して五分と経たないうちにどしゃぶりの雨となった。
 あまりにも突然に、そして大量に降り出した雨にどうすることもできず、とにかくホテルへと急いだが、到着した頃には全身ずぶ濡れとなってしまい、洒落た作りのホテルのロビーに立ち入ることさえ躊躇われたが、だからといってここまで来て風呂にさえ入らないのはあり得ない選択である訳で、結局は何事もなかったかのようにフロントで料金を支払い、冷たく濡れた衣服を脱ぎ捨て、曇天を映し出す湖を眺めながら湯船に身を浸した俺達ではあった。

 濡れた衣服に仕方なく袖を通し、キャンプ場へ戻る。風は強かったが雨は上がっていた。
 管理棟の中に濡れた衣服を広げ、夕食の準備を始めるが、何かを取りにテントへ戻ったカトちゃんが息咳って戻ってきて、「テントが飛ばされたっす」と青い顔で言う。話を聞いてみると、完全に飛ばされた訳ではなく、ペグ一本に引っかかった形でテントが風に煽られて飛んでいきそうになっていた、ということらしかった。ペグを打ち直し、事なきを得たが、彼にとってはペグをしっかり打つことの大事さを知る良い機会でもあった。
 夕食を食べ進めている最中にヘルメットを抱えた若者が一人で管理棟に入ってきて、彼が軽く挨拶をしたのに答えて場所を空けようとすると、彼は何を勘違いしたか、「あっ」と短く声を発して出ていってしまった。カトちゃんと顔を見合わせるが、彼の行動がイマイチ理解出来なかったため、そのまま夕食を片づけ、テントに戻った。
 さっきの彼は、俺達がテントを張った少し奥(湖側)にテントを張って、早々と灯りを消して寝入っているようだった。俺達も、また雨が降り始めたのを機会にそれぞれのテントに戻り、翌朝の早出に備えて就寝することにした。
 雨は夜半近くまで激しく降り続き、風は一晩中強く弱く吹き続けていた。つまり、それを知るほど俺の眠りは浅く、冷えた体は寝袋の中でもなかなか暖まらなかった。


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