2002/3/3
ぶらりとバイクをつっかけて


 楽観的な人間であることを標榜することに疲れた訳ではなく、ただ単に労働以外の事に使う時間が残されておらず、それはつまり、生きていくために必要とされる行為によって消費される時間を除いた他の全ての時間を労働と職場との往復に充てていたという話であり、しかも、僅かな休息足りうる通勤時間でさえも頻繁に奪われてしまうという状態が、約三ヶ月に渡って続いた。
 休みもなく、常に終電帰りか徹夜かのどちらかという状況の中、二日連続の徹夜作業を中一日で二度行った翌日、手足と後頭部に痺れを伴った痛みを感じ、とうとう仕事を休んでしまった。
 翌日には回復し、出社したのだが、夕刻から行われた会議の席上で今度は耐え難い程の頭痛に襲われてしまった。それでもその日も終電まで仕事を続けたのだが、崩れ落ちるように萎えていく気持ちを押しとどめる材料は、もうどこにも見あたらなかった。
 おそらくは身動ぎ一つせずに引力のなすがまま体を横たえ眠った布団の中で出勤時間を眺め、深淵に墜ちていくかの如くに再び惰眠をむさぼり、目覚めた時には昼近くになっていた。
 顔を洗い、服を着替え、家を出てバイクを引き出しエンジンに火を入れる。やり方は判っている。肉体の疲労は、食事と睡眠とで回復することが出来る。そして、挫けてしまった心を修復するには、その一切を吐き出し、こびりついた澱を取り除く必要がある。そう、それは判っている。やり方も知っている。目の前のバイクに跨り、シフトペダルを踏み込み、クラッチを繋いでアクセルを捻るだけだ。後はオド・メータの回転とともに時間が経つのを待てば良い。酷く単純で簡単な方法だが、効果については実証済みだ。

 利根川沿いの道を東へ向かう。平日の昼時、車の数は些か多い。栄町を越え、川沿いの道をただただひたすらにアクセルを開け続けて走る。風が鳴り、足下を淡い影がたゆたう。アスファルトが流れていくスピードからは信じられないほどゆっくりと、遠くの景色が動いて見える。そこに理由は無く、肉体も存在しない。意識だけが、道ばたの雑草を震わせながら通り過ぎてゆく。
 神崎町で川沿いの道を離れ、古い町並みを走る。意志を捨て去るために、前を走る車の一部であるかのようにつかず離れずの状態を保つ。ひび割れた舗装から雑草の生えた廃墟と化したパチンコ屋の駐車場や、自転車に乗った若い女性の姿を横目に捉えても尚、感情の動きが無いことを確認する。楽しみも悲しみも、憎しみさえも凌駕する程の穏やかで平静な心の持ちように求められる全ての要素が、バイクに乗って走るというただそれだけのことに集約されていて、公道上に於ける日常の中にあってさえ、自分のポジションを端から眺めているような錯覚に陥る。
 暖かい陽射しを背中に受けながら、賑やかな佐原の町を走り抜け、道は再び川沿いをゆく。尿意を催し、コンビニのドアをくぐる。用を済ませ、缶コーヒーを買い込み、駐車場に停めたバイクに寄りかかりながら煙草の煙とともに飲み下す。苦しさも、ましてや辛ささえも微塵に感じていないことを確認し、さらに東を目指して走り始める。
 小見川の町を過ぎると、景色は再び遠のき始める。道ばたには廃業されたまま取り残された店舗が散見されて、陽光の中に晒されているために一層惨めな印象を与える。もちろんそれでも心は動かない。それがそこにあることを目前に見据えていても、どこか遠い世界の出来事のようだ。
 単調さの他には何も特徴の無い退屈な道を、さらにさらに走り続ける。するとやがて、見慣れた銚子の町並みが押し寄せてきて、でもそれはあっという間に後方に投げ捨てられてしまい、すぐに漁港特有の生臭さと潮の香りが入り交じった錆び付いた風景に変わる。目的地はもうすぐだ。
 何度も来てはいるがいつも素通りしてしまうポートタワーに立ち寄ってみようと急に思いつき、倉庫街の交差点を左に曲がる。坂道を下っていくと、左手にポートタワーとその駐車場があり、坂を下りきったところには、ウォッセ21なる海産物販売所があった。バイクに跨ったままぐるっとそれらを見渡して、すぐにまた元のルートに戻る。いつでもぶらっと来られると思うと、それらをきちんと見て回ろうという気にもならない。散歩の途中で気まぐれをおこしただけのことだ。
 利根川沿いの道がいつしか太平洋沿いの道に変わり、海を左手に感じながら走る。いつもの君ヶ浜の駐車場が見えてきて、そこへバイクを乗り入れてエンジンを止めると、ヘルメット越しの波の音が大きくなった。
 ここの海は何も変わらない。風が強い。岩礁に砕け散った波が砂浜に押し寄せては返し、その度に浜辺を洗い流してゆく。右手の切り立った崖の上から灯台が見下ろし、沖合に佇んでいる漁船が波間に見え隠れしている。浜を見下ろす駐車場のへりに腰掛け、ジッポを手で覆い隠しながら煙草に火を移す。風に千切れ飛んでゆく煙を目で追うと、その先の青い空が目に映った。
 犬吠埼灯台に至る道を通り過ぎ、海岸通から一本内陸側の道を使って銚子市街まで戻る。銚子大橋で茨城側に渡り、一二四号線で利根川に沿って走る。利根川に沿ってはいるが、川は見えない。暫く片側一車線の道路が続き、やがて二車線となってようやく自分のペースで走れるようになる。暖かい陽射しが、布団を干した時のように体を軽くしてくれて、前方からの風圧も手伝い、奇妙な浮遊感の中にいた。
 息栖大橋で常陸利根川を渡り、利根川を渡る小見川大橋の手前を右に曲がり、利根川土手沿いの道に入る。千葉側よりも茨城側の方が信号も少なく、走りやすい。バイクならば、車止めの脇をすり抜けて土手に上がることも出来る。そこへバイクを停めて、土手の草むらに寝ころんで空を見上げる。
 飛行場の手前の長豊橋で千葉側に渡ると、家まではもうすぐだ。挫けた心はどうなっただろう? 自分自身に問いかけてみてもわからない。そもそも何が問題だったのか。何に挫けていたのか。何に対して嫌悪していたのか。わからない。ただバイクに乗っているだけで満足してしまえる人間には、悩みなどという高級な感情と無縁のように思える。それは思い過ごしかも知れないし、そうでは無いかも知れない。ただ、バイクを走らせることによって全てを投げ出してしまった今となっては、それを判断することがとても困難な作業であることだけは間違いない。
 それにしても、気持ちの良い一日であった。


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