過去の魂(2007/12)


2007/12/30(Sun)

 あっと言う間に年末である。ふと気がつくとこの有様である。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。
 さて、気がつくと本を読んでいる、という体たらくの今日この頃の俺ではあるが、手当たり次第に本を買うものだから、すっかり積ん読状態である。なにせ、在庫が捌ける前に入荷するものだからたまったものではない。しかも、今更ながらに京極夏彦などを読んでいるものだから、サイコロかと見紛うばかりの文庫本がそこだけ妙な安定性を伴って聳えている。いや、京極夏彦、面白い。
 一方、北方謙三の『約束の街』シリーズの文庫版最新刊が店頭に並んだ、というかつての部下からの連絡を受け、本屋へ走る。まったくもって寡聞にして知らず、という状態だったのだが、なんせ前作から四年近く経っている。というか、このシリーズは五作目で完結したものだとばかり思っていたので、そもそも六作目となる前作の発表に戸惑った記憶がある。
 さて、前作に続いて今作も『ブラディ・ドール』シリーズから多くのキャラが出張してきていて、すっかりそっちのシリーズの続編である。というよりも、前作『されど君は微笑む』と今作の『ただ風が冷たい日』に関しては、両シリーズの外伝的な位置付けなんでしょう。言い換えればポスト・シーズン的な。
 内容は、まぁ、辞めておこう。これらのシリーズを通して読んでいる好き者(俺のことだ)はなんと言われようと読むし、そうでない人は読まないからな。使い回しの美学、つーか。あ、書いちゃった。



 ところで、ビーエムのオド・メータが遂に五万キロに。
 今年の三月末に納車された時は三万四千キロほどだったので、九ヶ月で一万六千キロを走破した計算になる。我ながらよく走ったものだと思う。思うのだが、実際、運転するのが楽しい車なのだからしょうがない。まぁ、好きな車に乗っている、というのがこの車の運転が楽しいことの一番の理由ではある。



 ハマーのミニカー付き缶コーヒーが売られているのを職場近くのサンクスで発見。
 そもそもの出自が軍用車(ハンビー)であるこの車を市販する、という考えがいかにもアメリカンではあるが、ディズニー・アニメ『カーズ』の中で、『H2/H3』を模したと思しき車の「僕らダートなんて走ったことないよぅ」などという本末転倒な軟弱発言で揶揄されている通り、敢えてオン・ロードで乗るヘビィ・デューティー・カーなのである。
 同じ事象がトヨタのハリアーであるとかポルシェのカイエン、BMWのX5などの車によって起こっているものと思われるが、そうすることの格好良さがどうしても理解できない。発想的にはオフ・ロードに高級路線を求めたのであろうが、実際にはオン・ロードしか走らない高級なオフ・ロード・ライクな車、という位置付けで認知されてしまっているように思う。ニッチであることは確かだが、個人的には『陸サーファー』となんら相違点が見出せないでいる。
 まぁ、それもこれも好みの問題なので、物事の本質に興味がないというならそれもアリかな、と。



2007/12/17(Mon)

 久しぶりに冬らしい冬というか。とにかく寒い。
 実は俺のビーエムは、気温が摂氏三度になると警告音とともにマルチ・ファンクション・ディスプレイが気温表示に切り替わり、点滅を始める。マニュアルによると、路面が凍結している可能性があるため、スリップに注意しなさい、という警告なのだそうだが、ここ一週間の間は毎日のようにこの警告音が鳴る。とはいえ、経験的に千葉では摂氏三度程度で路面が凍結などはしない。たぶんしないと思う。しないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。
 今日も寒かった。職場を出て電車に乗って地元の駅まで帰り着き、駅前の駐車場に停めた車のエンジンをかけると、すでに気温は五度。駐車場を出て、二つ目の信号に差し掛かったところで警告音が。そして、牧場のあたりまできたところでついに零度に。さらに、山をひとつ越えるのだが、その山の頂上でとうとう氷点下に。以降、プラスを示すことはなく自宅に帰り着く。
 今、低気圧が来たら間違いなく仕事には行けなくなるな。うん。


2007/12/15(Sat)

 今や、「車をビカビカに磨き上げること」と恥ずかしげもなく趣味の欄に書いてしまう俺様ですが、今日も今日とてオーセンティックを塗り込み。
 と、ここで改めてお断りしておきたいのだけれど、他の製品との比較であったり、具体的な施工例を以って特定の製品を宣伝しようとしている訳ではさらさらなく、単に主観を述べて自己満足しているに過ぎないのでその辺お間違いなきよう。
 さて、今日は天気が良い一方で気温も低く、風もないというワックス施工には絶好の日和であった。ので、当然のごとくオーセンティックを塗り込み。
 先月までは自宅の駐車場で洗車からワックス施工までを行っていた。ところが、駐車場が南に面しているため、冬季とはいえワックスの施工は陽が陰る夕刻に実施していた。このため、施工直後の画像はいずれも暗い画像ばかりで、オーセンティックの実力の半分も表現できていなかった。
 そこで今回は陽の高いうちに自宅の駐車場で洗車のみを行い、水分を飛ばす意味合いも兼ねて車で五分ほどの洗車場に赴き、木陰のできるスペースにてワックスを施工する方法に変更し、今までよりも明るい時間帯に撮影を行った。

※画像をクリックすると大きい画像が表示されます。

 今回は映り込みに的を絞って撮影を行ったが、なかなか満足のいく結果が得られた。また、右下のグリルとボンネットを撮影した画像では、ワックス固有のブリっとした艶が良くわかったりわからなかったり。
 ただし、今回のような撮影条件下での映り込み具合に関しては、暗い塗色であればどんなワックスを施工したとしても、あまり代わり映えはしないと思う。ので、ある意味小ズルイ画像なのではあるが、そこはそれ、自己満足なので。
 なんにせよ、拭き上げ時にビカっとなる瞬間によって、それ以前の工程の辛さが報われる、という事が理解できない方には全く以って意味不明の行為なので、そのような方を含め、笑い飛ばしていただければ幸いでござる。

2007/12/12(Wed)

 一年が早い。というより、一月が、一週間が、一日があっという間に過ぎて行く感じがする。
 これは単にそのように感じる年齢に至ったのだ、ということなのだろうが、要するに日常がルーチン・ワーク化していることの表れじゃないかと。
 これではイカン。
 その話とは別に、実は車通勤を辞めて電車通勤に戻したのだが、そのおかげで読書の時間が増えた。それと、車通勤のときは主にラジオを聴いていたのだけれど、それが音楽中心になった。
 もっとも、それは五年ほど前までの習慣に戻っただけのことなのだけれど、本を読む習慣が戻ってきたのはちょっとした変化になった。
 前述の通り、一日があっという間に過ぎ去って行く焦りからか、読書に費やす時間が勿体無い、という感覚になっていた。つまり、晴れた日には家に居たくないのだ。
 もともと、本を読むのは大好きなのだ。活字に飢えていた、と言ったら言い過ぎかも知れないが、漫画だろうと小説だろうととにかく常に二三冊は持ち歩いていて、暇を見つけては読み耽っていた。
 最近は楽器屋に行くよりも本屋に行く機会が増えた。そして、楽器屋で浪費する金額よりも本屋で遣う金額の方が比較的安価で済む。けれど、俺の物欲への満たされ加減は金額に比例しないので、ココロの平安は本を買うことによって今まで通り保たれている。
 このように、本を読む習慣が戻ったことによって今までの日常にちょっとした変化が起こっているのだが、一番大きな変化は、通勤時に本を読むことによって通勤時間が短縮されたように感じることだ。つまり、一日がさらに加速しているのである。
 困ったものだ。

2007/12/6(Thu)

 俺のような人間にも、毎年この季節になるとお歳暮なる物を送ってくださる奇特な方々がいらっしゃって、今年も例年に違わずみかんが箱で届いた。
 とはいえ、非常に申し訳ないことに、俺自身はくだものを食べない主義、というか食べられない、いや、食べる習慣がないので、これらを消費するのは専ら家族の仕事である。
 仕事、と書いてしまったが、家族の人たちは喜んでこれらを消費しているようなので、仕事ではなく趣味として行っている気配が色濃い。
 送ってくださった方々がここを見ることはないだろうが、もし見ていたら困るので、美味しくいただきました(家族が)、と書いておくことにする。いや、ご丁寧にありがとうございます。



 さて、俺のような人間にも休日はやってくるのだが、ここ五年ほどは長期の休みを取った覚えがない。というより、まとまった休日を利用して何かを成す、ということがない。つまりは自分のために休日の全てを使うことが難しくなっているようなのだ。
 まぁ、今すぐなにかをしなきゃならないなどと焦っている訳ではないのだが、何か趣味のようなものを持つ必要があるのではないかと。無趣味だからな、俺。
 さてさて。



2007/12/1(Sat)

 二つある選択肢のうち、どちらか一方を選択しなければならない、という状況下に於いて、人はなにを頼りにするのだろうか。
 もちろんそれはなにを選択するのか、によって様々なのだと思うのだけれど、なにを選択するにせよ、選ぶべき条件が非常に拮抗しているような場合、最終的にそれを決めるのはココロの針の振れ方なのじゃないかと。
 ただし、それにしても決められない、という状況は往々にして存在するのではないかと。つまり、どちらも選ばない、という選択肢があるのじゃないかと。
 システム屋にとって、この点は非常に重要である。例えば普通の人がAまたはBを選択肢とした場合のロジックを考える場合、以下のようになるのじゃないかと思う。
if Aを選択した場合
 【Aを選択した場合の処理】
else
 【A以外を選択した場合の処理】
 つまり、「Aを選択しない」なら、「Bを選択するしかない」と想定していることになる。この場合、「AまたはBしか選択肢がない」という前提に立っているため、予想外の選択肢(AでもBでもない)が現れた場合、「B」を選択した場合と同じ処理がなされてしまう。
 なので、システム屋は以下のように考える。
if Aを選択した場合
 【Aを選択した場合の処理】
elseif Bを選択した場合
 【Bを選択した場合の処理】
else
 【AB以外を選択した場合の処理】
 この例に限って言えば、システム屋にとって、「Bを選択する」という事象と「A以外の選択をする」という事象は、全く別な事象なのである。バグというのは、発生し得る事象を曖昧なままにしておくことによっても発生するのだ。
 断っておくが、システム屋がそうでない人に比べて優秀だ、などと言っている訳ではない。単に、想定外のことが発生するという想定が実際にその通りになる、という事象が日常化しているに過ぎない。

 さて、昨夜は会社の部下と、彼の住まいの近くで飲酒した。今日は娘の小学校の餅つきイベントにつき手として参加を表明してしまっていたため、そのイベントに間に合うように帰宅する必要があった。つまり、終電で帰るか彼のところに泊まって始発で帰るかの選択に迫られた訳だ。
 とりあえず始発で帰ることにして彼の家で飲み直し、結局そのまま一睡もせずに始発の電車に乗ったところまでは想定の範囲であった。ところが、車内で寝てしまったのである。察しの良い方はすでに理解されたことと思うが、かように想定外の事象というのはどんな場合にも発生し得る。
 それがシステム屋の日常なのである。


←最新の魂

↑表紙