過去の魂(2007/10)


2007/10/29(Mon)

 さてさて。午後、職場を抜け出して徒歩で五分。モーターショー会場へ。
 気になったモデルを列挙しますよ。まずは二輪。


『HONDA CB1100F』
 バイク界のネオ・クラシカル路線はどこまで行くのか。まぁ、どこまで行って貰っても良いのだが、ほどほどにしないとカタログが七十年代化しちゃいますよ。
 あ、もうなってるか。

『YAMAHA LUXAIR』
 「ジキルとハイド」がテーマとのことだが、要するにエンジンとモーターのハイブリッド。どうせやるなら2サイクルと4サイクルのハイブリッドぐらいやって欲しかった。
 無理か。

『SUZUKI crosscage』
 なんか格好良く見えたので。
 つーかスズキは隼とスクーターしか売りがないんか。
 まぁ、ないかな。

『Lamborghini Murcielago』
 「虫か」と突っ込みを入れたくなるネーミングのムルシエラゴ。いやまぁガルウィングが目に留まったので。
 後で知ったのだが、レヴェントンなる新型車が展示されていたらしく。さっぱり気がつかなかった。
 というか、実はランボルギーニ・ブースのトピックは後ろに小さく写っているおねーさんの胸の谷間だ。

『FERRARI 430 Scuderia』
 フェラーリ・ブースはやる気なし。ただ車を持ってきて置いただけ。

『PEUGEOT 207CC』
 プリティ。
 プリティなんだけど、出っ歯なフロントマスクとデカいエンブレムはなんとかならんか。
 ならんか。そうか。

『MINI CONVERTIBLE』
 いや、本当は「CLUBMAN」を載せようと思ったのだけれど、画像がこれしかなかった。
 まぁ、顔つきはほぼ一緒なので。
 レーシング・ストライプが似合う数少ない車のひとつ、だと思う。

『BMW 1 Series Coupe』
 さて、幕張に日本法人の本拠を置くBMWからは1シリーズのクーペ。
 これ、欲しい。

『ALPINA B3 Cabrio』
 気のせいか、アルピナ・ブースは入場制限してたように見えたが。何様?
 おかげで展示車はピカピカ。いや、好きなんですが。アルピナ。

『PORSCHE 911 GT2』
 なにも言うまい。ただただ格好良い。
 いつか、きっと。

『Mercedes-Benz SLR McLaren Roadster』
 ロードスターなのにガルウィング。すげー。

『AUDI R8』
 ニュルブルクリンクでのテストラン中に燃え尽きたあのR8がこれかぁ。
 ニュルブルクリンクでのテストラン中に燃え尽きたR8は思っていたよりコンパクトだった。
 ニュルブルクリンクでのテストラン中に燃え尽きたR8はリアウィンドウからエンジンが丸見えで格好良い。

『LOTUS EUROPA』
 さぁ、エウロパ。
 みんなもこれからは「LOTUS EUROPA」を「ロータス・エウロパ」と正しく発音しよう。
 とはいえこのモデルはエリーゼのラグジュアリー版というだけなので、俺的にこのネイミングはナシだが。
 俺のすぐ後ろで外人さんが同行の女性に英語でこのモデルを熱心に説明していた。

『HYUNDAI QarmaQ』
 かーまきゅー、とでも発音すれば良いのだろうか。造形はオバQみたいだが。
 韓国製の車が日本でビジネスになる、と本気で考えているのなら、ちょっとどうかしてるんじゃないか、と思う。
 とはいえ、このモデルからはバブル期に於ける日本車のショーモデルのようなイキオイを感じた。

『DODGE CHARGER SRT8』
 実は、おねーさんが目線をくれている画像もあるのだけれど、車のプロポーションをスポイルしてしまっていたため泣く泣くボツに。ちくしょー。
 なんて力強いセダンなのだろう。安易に格好良さを求めず、セダンというカテゴリでこの力感を表現しているのはアメ車ならでは。
 今回のショーではアメ車の良さを再認識させて貰った感が強い。なにを言っているのかさっぱりわからんが、そういうこと。

『FORD MUSTANG GT California Special』
 媚びたポーズのねーちゃんとマスタング。男なら、イケ。

『TOYOTA FT-HS』
 なんでもこのモデルのノン・ハイブリッド版がスープラ後継車として開発されているとかいないとか。
 でもなぁ、これ、格好良いか?
 じゃ、なんでここに載せたんだ、俺。
 すまん。

『HONDA CR-Z』
 元CR-X乗りとしてはかなり気になるモデル。
 ショーモデルに終わらせず、是非市販して欲しいところ。

『NISSAN R.D/B.X』
 あーるどっとでぃーすらっしゅびーどっとえっくす、と読めば良いのでしょうか日産様。
 新しいGT-Rより、個人的にはこっちのモデルが気になったのです。

『MAZDA 大気』
 デザイン・スタディとしては今回のモーターショー随一。こういうモデルが見たかったのですよ。モーターショーでは。
 Wind is blowing from the Aegeanなおねーさんの体のラインが素敵。
 って、この表現じゃわからんか。ま、いいや。

『SUBARU WRC CONCEPT』
 スバルはインプレッサしか目玉がないようで。
 まぁ、しかたないか。

『DAIHATSU MUD MASTER-C』
 顔つきがASIMOっぽいと思ったのは俺だけ?
 俺だけですかそうですか。
 ブス犬な感じがコケティッシュでラブリー。って、昭和じゃないんだから、俺。

『SUZUKI KIZASHI2』
 スズキのブースではX-HEADというモデルがなかなか個性的で良かった。コンセプトとしてはジムニー+マー坊といったところか。
 X-HEADとダイハツのMUD MASTER-Cでオフロードを競うと面白いことになるんじゃないか、と。
 なのにこの画像を選んだ理由は、モデルのおねーさんが素敵だったから。

『MITSUOKA 大蛇・兜』
 兜というのは兜甲児のことか。いや、違うな。たぶん。
 

 総じてどのメイカーもエコ一直線。そういう過渡期なのかも知らんが、ユーザは安くない入場料を払ってわざわざ足を運んでいる訳だから、もうちょっとなんとかならんか。
 ただ、意外にスポーツモデルが多かったように思う。でも、市販となると難しい…のかなぁ。
 平日だったせいか、割と空いていたのも気になる。晴海で開催されていた頃などは、ショーカーのすぐそばまで行くことなど困難極まりなかったのだ。それだけ車が身近なものになったということなのだろうか。まぁ、ゆっくり見て回ることが出来たのでそれはそれで良かったのだけれどね。

2007/10/28(Sun)

 近所に外車専門の中古車屋が出来たと聞き、早速行ってみる。
 近所と書いたが、うちからは十五キロほど離れた国道沿いにあって、でも、車なら二十分程度のところだ。田舎ではこの距離を「近い」と表現する。
 それほど大きくはない店で、メルセデスが十台、BMWが五台にアウディが二台。それとVWが四台で合計二十台程度の小規模な店だ。
 展示車両のメイカーを見てわかる通り、ドイツ車ばかりを扱っている店なのだが、店内にはオープンにした濃紺の綺麗なアウディA4のカブリオレの他に真っ白なテスタロッサが展示されていた。プライスタグが掲示されていなかったので、ディスプレイなのだろう。ナンバーは付いていたが。
 で。店内に置いてあったA4がやたら格好良くて、穴の開くほど嘗め回すように見入ってしまった。むー、やはりオープンは良いんじゃないか、と。黒の本革シートも渋い。なにより、組み付け精度が高いのと、俺のE46なんぞよりは遥かに高い塗装品質にオジサン感激。当然中古車なのだが、それでもレクサスが新車で買えてしまうくらいの価格設定であった。まぁ、無理だな。
 で。ふと外を見ると、黄色いビートルがあるではないか。オジサン、早速見に行く。



 かわいいなぁ、こいつ。
 しかも、前オーナがどこぞの金持ちのお嬢様か知らんが、年式の割りに走行距離は圧倒的に少なく、内外装の状態も良い。値段も手頃だ。なにより、この色がイカしている。気に入った。すごく気に入った。ものすごく気に入ってしまったのである。
 さぁ、この後どうなるのでしょう。自分で自分の行動が予測できませぬ。

2007/10/26(Fri)

 さて、いつ行こうかな。



2007/10/24(Wed)

 今回のモーターショーで新しいGT-Rが発表になったが、その少し前にすでにリーク画像が世に出回っていたようで。
 それはどうでも良いのだが、ハコスカにせよR32にせよ、コレしかないと考えているマニアにとっては新しいGT-Rがどんなものであれ、興味の対象とはならないんじゃないかと。
 などと考えてしまうのは、車に対する興味が薄れてきたということなのか。それとも現実的でない価格がそう思わせるのか。自分でもよくわからない。

 ある意味スポーツカーというのは嗜好品である。タバコや酒と同じ、としてしまうのは乱暴ではあるが、移動手段にプラスアルファの価値を求める、または、目的を移動だけに求めない人達にとっての選択肢であるだろうと。
 反面、利便性が犠牲になる訳で、ハードボイルド、と言えば聞こえは良いが、要するにやせ我慢を強いられる選択でもある訳だ。
 若者の車離れが進んだ重要なポイントとして、ゲームがリアルになってきている点が見逃せないと思う。仮想現実が現実を超えてしまっているのである。つまり、多くのスポーツカーがそうであったように、マニュアル免許が必要であるとか、(一般的な車に比べて)相対的に燃費が良くないために維持費が高いとか、多人数乗車に向かない、積載スペースがプアであるなど、移動が主目的であるというポリシーを持つ人達にとってはやけにハードルの高い選択である一方で、ゲームの世界では数千円から数万円の投資によって、数千万から数億円もする高級車でさえも、仮想スペースの中で自由自在に操ることができるようになった訳で、仮想世界が現実世界に近づけば近づくほど、現実世界に夢を追う必要がなくなってくるという理屈だ。
 仮想世界の中では、車をぶつけて壊すこともなければ、交通事故や渋滞に巻き込まれることもない。維持費も限りなく無償だ。暑い中、寒い中で洗車をする必要もなく、飽きたら別の車に乗り換えれば良い。お手軽に、リスク無しにあのスーパーカーに乗れるようになったのだ。
 スポーツカーが国内市場から消えていった背景には、メイカーの思惑と消費者の無関心の二面性があるのじゃないかと思う。要するに、買い支える層が薄ければ、メイカーのマーケティング調査の結果がそれに比例するだけだ、ということ。さらに、テクノロジーの進化が操ることの楽しさをスポイルしてしまうケースが多いことも言い添えておきたい。
 なんにせよ、車を買うだけのために、維持するだけのために仕事をして金を稼ぐ、という輩は圧倒的なマイノリティに成り下がってしまった。今や、かつてのテレビや冷蔵庫、洗濯機がそうであったように、日用品レベルの扱いだ。
 どちらかと言えば、「だって必要ないでしょ」と訳知り顔で言い放つイマドキの若者よりは、ローンまみれになりながら身分不相応な車に乗り、休日の洗車に汗していたかつての若者の方が好きなのだが。



2007/10/18(Thu)

 さて、右手首の所見であるが、どうにも要領を得ないことに、「軟骨が炎症を起こしているんじゃないか」とのことであった。
 よくある症状なのだそうだが、要するに「明確な原因がある訳でもなく、レントゲン写真でも骨に異常があるようには見えない」という消去法的見解によってレントゲンに写らない軟骨が、悪の枢軸であると断罪されてしまったのであった。
 ところが、湿布の効果か自然治癒力の成せる業なのかは不明ながら、治癒の方向へは向かっている。

 で、大阪出張から帰ってきた。
 すいこみくんの案内でたこ焼きとお好み焼きという関西圏に於ける二大粉物アイテムを攻略してきた訳だが、絶対的に美味いかどうかは個人の主観毎に異なるためなんともし難い問題であり、関東のそれとは明らかに異質なものであることを主張するに留めたい。
 というのも、これらの食物が(関東人と比べて)日常的なものである関西人にとって、関東のそれが異質なものであることに敏感であるというだけの話であって、彼らのソウルフードであるところのたこ焼きであったりお好み焼きに対して、関東人である俺があれやこれやと批評するのは間違っているのである。
 などと小難しい詭弁でうまく煙に巻いたつもりの俺ではあるが、お好み焼き定食などという食べ物はまったくもってイケてるメニューであったと認識を新たにしたのは隠しておけない事実である。牡蠣入りのお好み焼きもめちゃくちゃ美味かった。
 すいこみくん、ありがとう。ギネスも美味かったよ。



2007/10/10(Wed)

 右手首が痛いのである。
 今月初め頃からずっと痛いので毎日湿布を貼っているのだが、症状が一向に回復に向かわない。このままでは困る。車のステアリングを握る場合も、手首に負担のかかるような動きが辛い。いかん。
 という訳で、明日は病院で診て貰う予定だ。果たして。

 ところで、キンモクセイが甘い香りを放つ季節になった。
 香りというのは記憶の引き出しを開ける鍵になるようで、突然、小学生の頃の通学風景を思い出した。
 電車を一駅だけ乗り、駅から曲がりくねった坂を上り、車の通りの激しい県道を渡ったその先の右手に、竹林に囲まれた大きなお屋敷があった。
 キンモクセイの香りは、そのお屋敷の庭から漂ってきていて、思い返してみると、そのお屋敷の庭からは柿の木や大きな銀杏の木が通学路を覆うように突き出ていて、キンモクセイの盛りが過ぎると今度は、枝から落ちてぐしゃりと潰れた柿のなんとも甘苦い香りが辺りを漂い、それが終わるか終わらないかのうちに、やはり落ちて踏み潰された銀杏が放つ異臭が周囲を支配するというなんとも賑やかな場所だった。
 記憶の糸はさらに冬を手繰り寄せ、そのお屋敷を通り過ぎて、今度は左手に広がる畑が道路と接するあたりに藁とともに山と詰まれた馬糞から立ち上る盛大な湯気を思い起こさせる。綿アメのようなそれは吐く息の白さに似て、でもその臭いは強烈に辺りに広がり、子供らを自然と足早にさせた。
 春になると、通学路を挟んで畑の反対側に自生していた菜の花の、むせ返るような香りに包まれ、夏になれば、畑の縁の肥溜めからふつふつと泡立つアノ臭いに辟易し、夕立の後にアスファルトから蒸し上がる甘い匂いを嗅ぐのが楽しみだった。
 さて、明日はどんな匂いがするのだろう。湿布の匂いか?



2007/10/09(Tue)

 先週の土曜日、ずいぶん久しぶりに秋葉原をブラブラと歩いたのだが、山手線と昭和通りの間のあまり人気の無かった通りがすっかり様変わりしたのを見て、ここもまた変わらざるを得なかった街だったのだなぁ、と多少の寂寞感に襲われたのだった。
 まぁ、そんな話はどうでも良くて、横断歩道を渡り、ふと見上げると、歩行者用の信号機がとんでもないことになっていた。



 決して画像編集時に縦横比率を間違った訳ではない。本当にこの薄さなのだ。
 その時の俺の驚きぶりは筆舌に尽くし難く、「これがアキバっつーとこだべか。こらまたえらくハイカラなとこだなや。おやまあこのうすっぺたなもんはいってぇなんだ。オラの村にいっこだけあるしんごうきに似てるだども、こんたらうすっぺたな中に人さ入れるわけねーでねぇか。したっけ、しんごうをかえるときゃ駐在さんが紙芝居みてぇにいれかえるんでねぇべか。そらまたごくろうなこって」などと田舎の人丸出しでその場に立ち尽くすのであった。
 その後、成田方面に移動したのだが、新しい道路が通って交差点の出来た場所でふと見上げると、やはりここにも紙芝居型いや、薄型信号機がっ!
 なんだかとことん時代に取り残されていく感じだ。俺も変わりたい。

2007/10/06(Sat)

 きりがない、と思うことがある。
 正確に言うならば、際限がない、とするべきか。終わりが見えない、と言い換えても良いかも知れない。とにかく、事態がループしている状態の事だ。
 例えば誰かがどこそこのラーメンについて、個人的な感想を述べたとしよう。
 それに対して他の誰かがその感想に同調するような発言をしたとする。
 ところが、さらに他の誰かがそれらの感想に反論を述べる。
 そしてさらに別の誰かが反論に対する反論をぶちまける。
 茶化す輩が現れる。
 まぁまぁ大人気ない、となだめる輩も駆けつける。
 茶化す輩が再度登場。
 茶化す輩を茶化す輩も登場。
 ある発言者の、以前の議論に於ける立場をあげつらう奴まで涌いて出てくる。
 そして、そもそも論をひっさげ、根も葉もない、だが、穿った意見を端的な表現で語る見下し君が現れるに至り、事態は収束の方向へ向かおうとする。
 ところが、見下し君に逆切れした誰かが重箱の隅をつつくような揚げ足取り発言を行った結果、本来の議論とは全く関係のない罵り合いへと発展していく…。
 などという意味のない議論は、ネット界ではそこかしこで散見されるようでありますが、実は現実社会でもよく見られる光景であることは皆様ご承知の通り。
 結局は、「一言言ってやらなきゃ気がすまない」的な、負けた感じが拭えないまま終わることに我慢がならない、という心の持ちようがそうさせるのではないかと。
 もうちょっと気軽に、じゃんけんに負けた程度で済ますことができないもんか、とも思うのだけれど、そうもいかんのだろうなぁ。いやまぁ、自分も含めてなのだけれど。



2007/10/05(Fri)

 大阪出張が決定。
 あー、なんか大阪って久しぶり。今度こそ、大阪でたこ焼きを食おうと心に誓う。
 とはいえ、今まで何故大阪でたこ焼きを食えなかった(食おうとしなかった)のかを考えてみると、世間様の大阪のたこ焼きの評価に対する猜疑心のようなものの現れではなかったかと。つまり、「本当に美味いんか?」ということなのであるが、これは、関東で最もカジュアルなたこ焼きが露天のたこ焼き屋台で売られているものであるからに他ならない。
 何が言いたいのか自分でもわからなくなってくる、という流れはこれまでに何度も繰り返してきた事情ではあるが、なんというかつまりはその、俺という人間のたこ焼きベンチマークが祭りの夜店のたこ焼きであるが故の、たこ焼きに対する認識不足というか、たこ焼き界の深遠を覗き込む勇気のなさがその原因であり、つまりは、無知であるが故に何をもってして「美味いたこ焼き」と言って良いのかがわからない、ということなのである。そしてそれが、俺という人間とたこ焼きとの間の距離を作り出している要因であることに疑いはない。
 ということなので、大阪の大阪による大阪のためのたこ焼き的なものを食べるべく、大阪に向かうのである。仕事など二の次なのである。今回の大阪行はたこ焼きのためにあるのである。待ってろよ、たこ焼き。

 ところで、コーヒーはブラックしか飲まない俺ではあるが、最近すっかり縁遠くなっていたポッカからブラックが登場したのを発見。



 そう、その昔、パシリ的な輩に「コーヒー買ってきて」と指令を出す際に「あ、ポッカの短い方」と修飾していた顔缶のブラックなのである。いや、これがなかなかどうして美味い。惜しむらくは、特定のコンビニでしか購入できないことである。という訳で、自販機による拡散蔓延を切に願うところである。

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