過去の魂(2007/4)


2007/4/30(Mon)

■GW特別企画 【俺的車列伝】 第二回(1991-1996)

『ホンダ CR-X 1.5X Style S-II(EF6)』 ※画像は当時のカタログ。


 バイクによる日本一周を完遂したあと、やはり車が必要になり、でももうセダンはいらねーなーと思い、さらに手元に金がある筈もなく、さぁどうしようかと考えていたところ、CR-Xがフルモデルチェンジするという情報がっ。
 初代CR-Xはオートバックスにいたときの先輩社員が乗っていてでも、ちょっと小さいよなーと感じていたのだが、二代目で多少大きくなり、なにより格好良くなっていた。で、モデル末期の今なら値引きもかなりなものだろうと当たりをつけて、近所のベルノへ。
 とはいえ、どれだけ値引きが大きかろうとも新車は新車である。欲しかったSi-Rには手が届くはずもなかったが、さすがモデル末期。在庫一掃セールよろしくオプションてんこ盛りのサービスモデルがっ。
 そんな訳でこの車を入手。色は黒とグレイのツートーン。当然5速マニュアル。直前に乗っていたカリーナと比べても圧倒的にチープな内装であるとかペラペラに薄い外装であるとかほぼ効かないブレーキであるとか成年男子は絶対に普通に座れないリアシートであるとかやたらストロークの長いシフトであるとかそういった数多のネガティブ要素をものともせず、ただただ格好良かった。

 話を少し前に戻す。

 父親が俺の買ったカリーナと全く同じカリーナを買ったタイミングで、母親が初代トゥデイを購入していた。この辺の事情はよく知らないのだが、気が付いたらトゥデイがあった、と。
 で、日本一周の旅に出ている間に、弟と妹がシティ(E-GA1)を共同購入していた。この辺の事情もよく知らないのだが、気が付いたらシティがあった、と。
 さて、トヨタ車ばかりを乗り継いできた俺であったが、ここにきて家族の車を含めホンダ車三台にトヨタ車一台、ということになっていた訳だ。この状況は、俺が結婚して子供が産まれ、今の住処に越してきて暫く後まで続くことになる。

 話を元に戻す。

 この車には、結婚して子供が産まれてからも暫く乗り続けた。大人二人に幼児一人であれば、二泊程度の旅行の荷物を載せても全く問題はなく、実際、この車でしばしばキャンプにも出かけたし、日常の使い勝手も良かった。新婚旅行に北海道へ行った時には俺一人で自走して行った(嫁は飛行機)のだが、道内の気が遠くなるような距離を不具合なく走った。結婚してからは嫁が主な使用者となったが、マニュアル車が大好きな嫁はこの車を非常に気に入っていたようだった。
 今考えるとこの車は手元に残しておくべきだったと悔やまれて仕方がない。パーソナル・カーとしては必要充分な大きさと、なによりエンジンの吹け上がりが良い軽快な走りは、イマドキの車と比べるべくもない。田舎暮らしが始まってからは大人一人に車一台が必須となり、後々様々な車を乗り継ぐことになる訳だが、それにしてもこの車には愛着があり、今見ても格好良いと思う気持ちに変化はない。

『トヨタ ライトエース ワゴンFXV2000ターボディーゼル スカイライトルーフ(CM40G)』 ※画像は当時のカタログ。


 さてさて、田舎に引越し、親と同居することになったため、大人数が一度に乗れる車が必要になった。そこで色々と検討を進めた結果、近所の中古車屋でこれを見つけ、購入。
 色や仕様も含めて全く上の画像の通り。ミッションは俺自身初のオートマ(4AT)。この時点でうちには「CR-X」と「カリーナ」があり、今後の一人一台体制に備え、庭の大半を犠牲にして駐車場とする家を建てることになる。
 で、この車はもう本当に使い倒した。ありとあらゆるところを人と荷物を積んで走り回った。ディーゼル・エンジンの喧しさには多少の不満があったけれど、運転席と助手席を除いた二列目以降の室内は、それでも広々と開放的で、とにかくどこへでも出かけたくなる車だった。
 それまで、世のRV車ブームには多少の嫌悪感があったのだけれど、この車に乗ってなるほどと思ったのだった。狭苦しいセダンから乗り換えた時の衝撃は、それまでの既成概念をトイレに流すようなものだった。
 とはいえ栄枯盛衰が世の常である。ツーリング部の連中と北海道へ旅行に行った際、十勝岳温泉へ向かう上り坂の途中でオーバーヒート。結果、ラジエターに穴が空き、それを境に各部に不具合が出て次の車へ乗り換えることとなった。
 最終的に二十万キロ以上を走ったところで知り合いの会社に売り払ったのだが、その後さらに二万キロほどを走り続けたというので、曰く大往生であったのだ、と。
 この車によって、新車への固執が無くなったのが大きな収穫であった。

2007/4/28(Sat)

■GW特別企画 【俺的車列伝】 第一回(1984-1990)

『トヨタ マークII LGツーリング(X30)』 ※画像は実車ではありませぬ。


 昭和59年に免許を取って初めて運転した車。確か、俺が中学三年の時に父親が中古で買った筈。
 2Lの直6で、他の車と比べるとエンジンがえらく静かだったのを覚えている。ミッションは5速マニュアル。というか、当時はまだオートマの車は珍しかった。
 この車には実に嫌な思い出があって、とにかく静電気が物凄く、冬場は車に触れることさえ恐怖だった。さらに、俺が運転する頃にはボディの塗装が剥げかけていて、かなりみっともないことになっていたのが印象深い。
 とはいえそこは免許取りたての若者のこと。実際にこの車を運転したのはほんの僅かな期間ではあったが、友人を乗せてあてどもなくただひたすら走り回っていた。

『トヨタ カリーナ JEUNE 1500(AT150)』 ※画像は当時のカタログ。


 一月か二月ほど前述のマークIIに乗ったあと、ローンの半分を自分で払うことで家族と折り合いをつけ、半分だけ自分のものになった車。色は白。ちょうど「ホワイト車症候群」などと白い車が揶揄されていた時代であった。
 なんでこの車を選んだのかは、今となっては定かでは無いが、まぁおそらくは安かったのであろう。最下位グレード(1.5Lの4速マニュアル車)にちょっとだけオプションが付いた特別仕様車であったのだが、この車のトピックはなんといってもバックソナーを装備していたこと。ギアをバックに入れると、リアバンパーに埋め込まれたソナーのスイッチが入り、障害物を検知するとその距離に応じて警告音が鳴る、というものだった。
 当時、高校を卒業してすぐに地元のオートバックスに就職したのだが、車を飾り立てるために様々なパーツを社販で買い揃えた記憶が生々しくも恥ずかしい。
 オーディオはトリオブランドから移行したばかりのケンウッドのフルコンポーネント(フルロジックカセットデッキ、電子チューナ、グラフィックイコライザ、アンプ×2、リア&フロント埋め込みスピーカ)。アルミはヴィンミューレ。純正ヘッドライトよりも遥かに明るいシビエのドライビングフォグ。および車内小物の数々。あぁ、恥ずかしい。
 上位グレードではスピードメータの隣にタコメータが装備(当時は廉価グレードにタコメータが装備されないことも珍しくなかった)されるのだが、この車はそこに巨大な時計が着いていて、職場の女の子を助手席に乗っけたときに「こんなでかい時計が付いた車は初めて見た」と大笑いされた記憶が今もトラウマに。
 その後、某大手車メイカーのサービス工場で板金塗装の仕事に就くのだが、通勤時に当て逃げされたのを自分で治したり、初めて新潟までロングドライブに出かけたり、当時付き合っていた彼女とデートに使ったりと非常に思い出深い一台。
 しかし結局、ミッションを壊し最初の車検を待たずに買い替えの憂き目に合った、悲運の車でもあった。ごめんよごめんよ。

『トヨタ カローラ レビン(TE27)』

 オートバックスを辞めて板金塗装の仕事に就く際、通勤用にとそこの社長から格安で譲って貰った車。
 購入時に「次回の車検は通らないよ」と言われたものの、車での通勤が必須だったためにどうしても自分専用の車が必要であり、一も二もなく買うことに決めたのだが、ソレックスキャブは不調だし、タイアはCR88を履いていたりと街乗りとしてはあまりにも不適格だったため、キャブはノーマルに交換、タイアも工場に転がっていた中古をホイールごと交換。考えてみれば自分で全額を払って買った最初の車、ということになる。
 元々は(当時としては)速い車だったのだろうがさすがに十年以上酷使された車だったため、あまり良い印象はなく、仕事帰りにガス欠で止まったり、ブレーキが効かずに何度も危ない目にあったりとロクなことがなかった。ビニールレザーのシートは変な臭いがするし、とにかく小汚い車だった。その代わりと言ってはなんだが、サイドブレーキを引いてドリフトの練習をしたり、ヒール&トゥの練習をしたり、結構無茶なことにチャレンジできた車でもあった。色んな意味で貴重な体験をさせてくれた一台。
 一年近く乗った後、予定通り廃車に。が、今考えるとちょっと勿体なかったかな、と。まぁ、今は博物館行きでも当時はただの古いオンボロだったし。

『トヨタ カリーナ S Limited(AT171)』 ※画像は当時のカタログ。


 レビンを廃車にしたあと、職場の関連ディーラーでこれまた格安で手に入れた車。初めて自分で買った新車だった。色はダークグレイマイカ。要するにガンメタね。ミッションはもちろん5速マニュアル。
 トヨタが全車をDOHC化すると宣言した頃の車で、「ハイメカ・ツインカム」と呼ばれる4A-Gのニセモノの4A-FEというエンジンが載っていた。ツインカムではあったがかなりの狭角であったため、ヘッドカバーはやけに小さく、なんだか気恥ずかしくて人前ではエンジンルームを開けるまいとココロに決めたりしていた。また、S Limitedというパッケージオプション装着車であったが、何がオプションだったのか、今となっては遠い記憶の彼方だ。
 工場がディーラーのサービス工場だったため、これみよがしな社外品の着いている車は工場内への乗り入れが厳禁だった。なので、下取りに出した前の型のカリーナからはオーディオのみを移植しただけ。アルミも純正品。そういえばこの車にはオプションのリアスポイラーも着いていたが、確かあれは新車クレーム品をタダで貰って自分で塗装したんだった。
 そんな訳で非常に地味な車ではあったが、燃費に関してだけは俺が今まで乗ったどの車よりも良かった。最高記録は17km/l。まぁ、高速道路走行による記録なのだが、走行中にエンジンを切ったりかなり無茶なことをした結果なので、もう二度とこの記録は破られない筈。って馬鹿かよ。
 この車も通勤途中で当て逃げされて自分で治した。また、友人や彼女を乗せて長距離を走りまくった車であり、決して速くはなかったが、満足度は高かった。しかし、バイクで日本一周するための資金源となるべく車検を一度通しただけで売られていったのだった。
 そういえば、この車を買った少し後に父親が色違いの全く同じ車(オートマだったが)を買ったのを知った時は笑った。なんでだよ、オヤジ。

2007/4/25(Wed)

 最近は月に一度か二度、仕事で青梅まで出かけていくのだが、一人で行く時には殆どの場合、電車を利用している。
 理由は単純で、千葉から青梅までの片道百キロの行程がセリカで行くには辛いからに他ならない。
 いや、百キロのうち、うちを出てから六十キロ強までは高速道路(最初の二十五キロは実は一般道だが、なんせ田舎道なのでほぼ高速道路状態)なので、残り四十キロの市街地走行が辛い、というのが実際のところ。
 いや、辛いといってもマニュアルシフトだからではなく、具備している機能を全く活かせない状況が延々四十キロ、時間にして一時間半ほども続くことにフラストレーションを感じるのである。
 簡単に言えば、「渋滞は嫌い」というだけのこれは話であるが。
 では、それが電車であれば問題はないのか。俺の家から青梅の職場まで車を利用する場合、二時間半から三時間かかるのだが、電車で行っても二時間半はかかる。だから、時間的な違いはあまりない。では、費用はどうか。車の場合、往復のガソリン代が二千円強で、高速代が二千円。一方、電車では往復約四千円。費用の違いも僅かだ。問題なのは、ココロの平安なのである。俺が利用する電車であれば、非常に高い確立でほぼ全ての行程を座席に座って過ごすことが可能で、さらに運転手付きである。座席で居眠りしようが活字や漫画に没頭しようが、実に優雅な時間を満喫できる。一方、タバコを吸おうがコンビニに立ち寄ろうが○×しようが誰に迷惑をかけるでもなく好き勝手に振舞うことができる、というのは車利用の強みではある。
 しかし、道路は渋滞するのである。渋滞するのが当然なのである。道路が渋滞するほど世の中に車が溢れていなければ、自動車製造会社も石油会社も道路整備会社も立ち行かないのである。それらの会社が儲けるためには、道路が渋滞するに限る。これは凄い。車の利用が便利で快適だと思わせることさえ出来れば、あとは勝手に渋滞してくれるのだから。
 そんな思惑はそれはそれとして、ビーエムに乗って遠出をしたかった、と。単にそれだけの理由で自らのポリシーに背を向けたのであった。いや、ポリシーなどと大上段に構えてしまったが、そもそも車だろうが電車だろうがあまり変わりが無い事を証明したばかりではなかったか。俺。
 で、家を出てすぐに燃料を満タンにし、高速道路を降りたところ(六十二キロ走行)で燃費計を確認すると、なんと「12.0km/l」と表示されるではないかっ!
 通勤時(一般道のみ利用)の平均燃費が「8km/l強」であるから、それと比べて五割り増しの高燃費を記録していることになる。やるなぁ、俺のビーエム。
 いやなに、それが書きたかっただけなのですよ。

2007/4/21(Sat)

 幾度も書こう書こうと思いながら、書くときになってすっかり忘れていることの一つにHIDヘッドライトがあって、広く世間では「ディスチャージ」とか「キセノン」とか言われているヘッドライト・システムのことであるが、これの何が問題かというと、眩しいのである。
 そりゃそうだ。ハロゲンバルブ系のヘッドライトに比べて圧倒的に高い明度が売りな訳だからして。が、問題はまさにそこにある。
 繰り返すが、眩しいのだ。セリカはもちろんのこと、ビーエムもシート高をかなり低い位置まで下げて乗っているのと多少のローダウンのために、後続車のヘッドライトが眩しくて仕方ないのだ。
 ルーム・ミラーには防眩機構がついているから良いとして、サイド・ミラーからの反射はこれはもうどうしようもなく、危機回避としてミラーを折りたたまざるを得ないのだが、ビーエムは15Km/h以下でしかミラーを折りたたむ機能が働かないようになっているため、走行中にHID装着車に後につかれた場合、アクセル全開で後続車をミラーの点にする以外に方法がない訳で。ハロゲンでさえ眩しいのにこれがHIDともなれば、まさに殺人ビーム。
 最悪なのは大型トラックのHID。普通車よりもかなり高い位置にヘッドライトが取り付けられているため、かなり眩しい。これはもう体験された方でないとなかなか実感が沸かないかも知れないが、まともに目に入ると眼底がちりちりと痛み、失明の恐怖を感じるほどだ。
 最近のミニバンなども事情は同様なのだが、トラックにせよミニバンにせよ照射角を調整するためのレベライザーが付いているんじゃないかと思うんだけど、あれ、積載量に応じて下げて貰わないと意味ないんだけどなぁ。
 まぁ、対抗策が無い訳じゃないが、それをやると泥仕合必至なのでやらない。とりあえずは全速力で逃亡する方法を取ることにしているが、HID装着車の皆様におかれましては、このような事情を勘案していただきたくひとつ。

 と、今日車を洗っていて気が付いたのだけれど、そういえばうちのストリームもHID装着車だった。すみませんすみません気をつけます。

2007/4/15(Sun)

 1990年前後、日産からはNXクーペ、三菱からは初代ランサーエボリューション、スバルからは初代インプレッサ、マツダからはAZ-1、ホンダからはビート、スズキからはカプチーノの発売が開始された。
 これらの革新的なモデルは、当時の流行と言っても良かったショーモデルをそのまま市販車とする各社のチャレンジングな姿勢を物語っている。
 ただし、ランエボとインプレッサ(インプレッサは'92のデヴュー)を除いたこれらのモデルのいずれもが当時の好景気の仇花であったことは、後に後継車が製造されることもなく一代限りで消えていったことを見ても明らかである。
 さて、トヨタはどうであったか。1990年、やはりモーターショーから抜け出てきた一台の車が発売されるに至った。「セラ」である。
 「ライブ&パフォーマンス」というコンセプトに基づいて開発された同車は、専用の「スーパー・ライブ・サウンド・システム」という市販車初のDSPによる音場制御を行うシステムの搭載と、ドアの開閉をガルウィング化することによって実現したルーフまで廻りこんだサイドガラスがもたらすルーミーな室内を売りとし、華々しくデヴューした。
 こういったモデルの多くは、発売直後をピークとして次第に右肩下がりとなっていく傾向が顕著であるが、同車もこの例に漏れず、約一万五千台を生産した後、市場から消えていった。

 などという前置きはさて置き。キムラくんを通じた友人であるてっちゃんのセラに乗せて貰ってきたのであった。
 いや、狭い。大人三人がこの車に乗り込む、というのは、傍から見てもなにかの冗談としか思えない。それに加えてオープンカー並みに明るい車内はしかし、太陽光の直射に晒されることになる訳で、「温室か」とツッコみたくなる気持ちを抑え切れなかった。
 スターレットベースの1500ccエンジンは、吹け上がり良くダルな感じはない。さすがにフル乗車に近い状況で急な坂道を登るような場面ではトルク不足を感じるが、それでもこの車の性格を考えれば必要充分なものではあった。
 さてさて、この車のエポックと言って良いガルウィング式のドアだが、思った通り開閉を支持するダンパーの劣化によってギロチン化寸前であった。ただし、狭い室内に比してドア開口部がルーフにまで及ぶため、乗り降りに不便は感じない。ま、そこがガルウィング化のメリットでもあるのだが、重力に抗えずに落ちようとするドアを支えながら、という動作を伴わなければ、という条件付きで。
 ちょっとしたツーリング気分で途中ラーメンなどを食いつつ百キロほどを走ったが、パーソナル・クーペというよりは、1/1スケールのおもちゃであった。「おもちゃ」というと何かネガティブな印象を与えてしまうがそうではなく、「遊び道具」というほどの意味である。
 「可能な限り長く乗るつもりだ」というオーナーの弁とは裏腹に、車体は確実に劣化していく訳だが、逆にそれをこつこつと治していく工程を愉しもうという気持ちに転換できれば、それは幸せな車との付き合い方の一つなのではないかなぁ、と柄にもなく思ったのであった。
 なんにせよ、楽しい一日ではあった。

2007/4/12(Tur)

 少し前に古い友人から電話があって、「ホームペイジ見たらさー、ビーエム買ったとか書いてあるじゃない。セリカはどーしたのよ?」と聞かれたのだけれど、いや、まだまだ乗ってますよと。というか、嫁が乗ってますよ。
 セリカから乗り換えて早三週間。先週末に久々に乗ったらえらく速い車だと改めて驚いたりして。もうね、下品なくらい速い。アクセルのレスポンスも良い。比べてみると、ビーエムは重いコートを着ているような、そんな感じ。セリカはTシャツだね。何もかもが軽い。
 ビーエムが気に入らないって訳じゃないんですよ。通勤に使うとか日常的な足としては申し分ないし、高回転をキープしてマニュアル操作で走れば充分速い。ただ、どんな走りをしても人間の感覚の限界を超えない範囲に収まるように躾けられている。その点が国産車との大きな違いかと。
 もっとも、セリカはマニュアル・トランスミッションで、ビーエムはオートマ。このことによる影響もかなり大きいに違いないが。
 考えてみれば、というか考えなくても明らかなのだが、自分専用の車としてオートマの車を買うのはこれが初めてなのでした。
 いやー、やっと時代に追いついたわー、俺。

2007/4/11(Wed)

 さて、しばらく前にセリカGT-4のミニカーをコンビニで買った話を書いたが、かと言ってミニカー蒐集を趣味としている訳ではなく、欲しいなと思ったものだけを拾い買いしているだけなのである。
 だけなのではあるが、例えばうちの嫁などのようにそもそもミニカーを買うこと自体がどこか遠いよその惑星の話であると考えているような人間にとっては、俺ごときの行動でさえ、「ミニカーを集めている人」と定義されてしまうようだ。
 確かに、オマケについてくる1/100程度のミニカー欲しさに、缶コーヒーや清涼飲料水を大人買いしてしまうことはある。いやでも、あれはミニカーに限った話ではなく、例えば深海魚やゴルゴ13やキン肉マンやなんやかんやのフィギュアである場合でも買ってしまうのだ。だから、俺の場合は「オマケを集めている人」と定義されるのが正しい。
 とはいえ、集めたオマケは大抵の場合、百均で買ったプラケースに詰め込まれて部屋の隅で山積みになっている。なので、もっと正確な表現を使うならば、「集めたオマケをプラケースに詰めて部屋の隅に山積みにしている人」ということになる。
 これ以上正確に表現しようとすると落語の「寿限無」のようになってしまうのでこの辺で勘弁しておくが(何様だ、俺)さて、オマケの中には勘弁ならないものも含まれている。
 例えば、缶コーヒー一本に一個ミニカーが付いてくる、などというキャンペーンの場合、当然何種かのうちの一個が付いてくる訳で、これを全種類コンプリートしたくてついつい買ってしまうのだが、よくあるのが「全五車種×五色」などという「ジラースはゴジラに襟巻き付けただけ」的安易な手段でコレクター心理の一番痛い部分を突いてくる場合である。
 やはり前にも書いたが、コレクターの人は全種類集めないと気がすまないのだ。だから、単に色が違うだけであったとしても、「全十二種」と謳われていれば「全十二種」を集めないと集めたことにはならないのである。さらに、「全十二種+シークレット」などという表現で十三種目の仕様が隠されている場合があり、かつ出現率が低いという「入手が困難であればあるほど萌える」というコレクターの心理を鷲掴みにする企画に至っては、天晴と言うほかに言葉が見つからない。
 また、ターゲットが大人である場合が多いという事情から、オマケとはいえある程度の品質は求められる。かつてのスーパーカー消しゴム(オマケではなかったが)のように百パーセント子供向けである場合とは違うのだ。子供だましではイカンのだ。
 ある意味「オマケ」というものは、コストと仕様と品質のせめぎ合いの結果である。企画者はその「オマケ」のオーソリティ≒コレクターであり、集める側の心理心情を熟知している訳で、つまりは「オマケ」を通じて消費者側と対話をしているのだ。そしてそれは消費者側の「こんなもん集めてやんねーよ」などといった罵倒であったり、「参りましたもう勘弁してください」という完全降伏に対して、「次の企画」という回答によって延々と続くという訳だ。
 そんな訳でどうかひとつ、各企業の販売促進企画系の皆様。「スーパーカー消しゴム」を復刻してください。必ず、必ずコンプリートするまで買い続けますので。

2007/4/9(Mon)

 実は、BMWを買ったは良いが、ポロをまだ手放してはいなかったのであった。
 どういうことかと言うと、BMWを買うときにセリカを下取りに出すべく査定して貰ったところ、車検が残っているのでその分の値段だけですね、などと言われた(つまり車体本体の値段は\0ってこと)ので、セリカはそのまま乗り続けることにして、代わりにポロを売ることにしたのだった。
 なんだけれど、ポロもまだ車検が残っており、俺の名義のままとりあえずは俺が出入りしている会社の広大な駐車場に置かせて貰うことにして、買い手が現れるのを待っていた。
 さて、昨日、職場の部下(以下、寿太郎)が車を探している話を書いた。
 この二つの話を結びつけるのは容易い。容易いので、そうなった。どうなったかというと、寿太郎がポロを引き取ることになった。
 とても清清しい気分になった俺は、調子に乗ってビーエムを洗車した。ワックスもかけた。ピカピカになった。
 今日、雨が降った。

2007/4/7(Sat)

 職場の部下が、一年かけてようやく自動車教習所を卒業した。
 ほとんど期限ぎりぎりだったのだけれど、今日の午後、卒業試験に合格したと連絡があり、それならと車探しに出かけたのであった。

 去年末、うちの会社の役員が車を買う、というので中古車屋巡りをしたのであったが、欲しい車が明確でないと、なかなか難しいものであるということを学んだ(前に書いたが俺の場合はそれが明確なので早い安い美味い)。
 学んだことは活かさないと意味がない。そこで、出かける前にまず「きみが欲しい車の仕様を明示したまへ」と言ったところ、「赤くて荷物が沢山積めてモテ車」などという回答が返ってきた。
 馬鹿か。いやいやこんな些細な事で怒っていてはこの先が思いやられる。若干の脱力感を感じながらも気を取り直し、ネットで検索してみる。と、「赤くて荷物が沢山詰める」車という条件にヒットする車は世の中にわんさか存在するのだが、「モテ車」というキーワードが邪魔をする。というか、そもそもお前の言う「モテ車」とは何を意味するのだ。思うにそれは、婦女子の耳目を集める訴求力のある車、ということになるのだろうか。しかし、だ。婦女子というものは車に明るくないというのが常なので、だとすると、明確な特徴を持った車、というのがそれに当てはまるのではないか。例えば、空を飛ぶとか、タイアがキャタピラであるとか、助手席に漏れなく金髪美女が座っている、などだ。
 例えが例えになっていなかったが、とりあえず赤いボルボを発見し、これはどうかと聞いてみる。
 「これください」
 察しの良い皆様はもうお気づきになっただろうが、こやつは馬鹿なのである。
 そこでその馬鹿に、「五十万円くらいになります」と言ったところ、「なんでですか。三十万円て書いてあるじゃないですか」ときた。
 つまり、車検なしの車なのだ。車両価格+車検代+自賠責保険代+名義変更代行代+登録代などなどを加算していくと、それくらいの値段になるのだ、ということを説明してやった。さらに、車を自分のものにした後、毎年、税金、任意保険料を払う必要があることと、オイル交換などのメンテ代、さらに二年に一回車検代がかかるのだ、というところまで説明してやっと、車を持つということに対して自分がいかに無知であったかを自認したのであった。
 とりあえず、乗り出しで五十万円くらいを目安に中古車屋を巡ってみることに。



 で。色々と見て回ったのだが、こやつの結論は以下のようなものだった。
1.色は赤でなくても良い。
2.モテそうな格好良い車は高い。
3.モテそうな高級車はやっぱり高い。
4.「外車」というだけでモテそうな気がする。
5.「外車」は高いですか?
 彼が何を選ぶのか、今しばらくは暖かく見守ってやろうと思う。

2007/4/5(Thu)

 ミニカーのコレクション、というのはなかなか奥が深い世界のようで。そもそも、コレクションという行為自体がその収集対象に対する偏執、偏愛の現れであり、例えばほんの僅かな仕様の違いをも(それが製造誤差によるものであったとしても)コレクション上は「別モノ」として区別するもののようである。
 何を書こうとしたのかすっかり忘れてしまったのだけれど、あ、そうそう思いだした。今日、職場の近くのコンビニにて「世界のレーシングカーシリーズ」なるミニカーのパッケージを発見し、迷うことなくその一つを右手に、代金525円を左手に握り締め、レジに向かったのであった。
 さて、この商品のどこに惹かれたのかというと、パッケージ裏のラインナップに「トヨタ セリカ GT-four」の文字と写真がっ。しかも俺の乗っているセリカ(ST20系)のラリーモデルであるカストロールカラー!
 遡ること十年前。セリカの購買契約書に判を押すべくディーラーのショウルームにまだ幼かった息子とともに出向いた俺がそこで見たのが、まさにこのミニカーそのものだった。そう言えばそのとき、息子はそのミニカーを握ったまま離そうとせず、俺と担当営業マンを困惑させていたが、今同じことを俺がやれば、間違いなく息子にたしなめられることになるだろう。月日の経つのは早いものである。
 WRCチャンピオンとなったST18系の後継モデルとして華々しくデヴューしたST20系であったが、誇らしげなゼッケン「1」とは裏腹にレースでの成績は芳しくなく、ラリー界を席捲した「セリカ」の名はやがてWRCから消えることになる。さらに、99年にはZZT系が登場するも、ついに06年、トヨタのカタログから「セリカ」が消え、現在に至っている。
 前置きが長くなってしまったが、ミニカー・コレクターでもない俺が、たまたまコンビニで見つけたミニカーのパッケージに自分の乗っている車のラリーモデルが記載されていて、ひょっとしたらそれが入っているかも知れない! いや、入っているに違いない! (※このシリーズは全二十車種+シークレットとなっており、その中のどの車種が入っているかはわからないようになっている)そう考えた挙句の行動であった、と。そういうこと。
 で。



 一発自摸っ!

 しかしその後、そのコンビニに残っていたもう二つも購入したが、欲しかった車種(BMW 3.5 CSL / PORSCHE 935 MOBY DICK)が出なかったことは秘密にしておきたいところだ…。

2007/4/4(Wed)



 朝。一杯のコーヒー。そしてタバコ。
 このタバコが止められないんす。無理もない。もう二十年以上吸い続けている訳で。
 例えば車を買うとき、灰皿は付いているか? 使い易い位置に付いているか? 社外品の灰皿を設置するスペースは確保できるか? などをチェックしてしまうし、例えば誰かの車に乗るとき、車内でタバコが吸えるかどうかは非常に重要なポイントな訳で、それがどんな高級車であれ、タバコが吸えない車に乗りたいとはあまり思わない。
 公共交通機関でタバコが吸えないのにはもう慣れたけれど、それでもそれが長時間に渡るとなるとやはり堪える。もう随分前から自覚症状はあるのだけれど、どうやらニコチン依存症という症状に該当するようだ。
 それでも、五年くらい前からニコチン含有量が0.1mgのタバコを常用するようになったのだが、代わりに本数が増えた。特に飲酒しているときや、なにかに集中しているときにはタバコの消費量がさらに倍増する傾向にある。このままではイカンのではないのか。
 と、何百回目かの自問に対して、あるひとつの回答を見出したのが三年前。消費量が倍増するようなシチュエーションでは葉巻を吸う(厳密には葉巻の煙を肺に入れるのではなく、ふかすのだが)ことにしてみた。
 標準的なサイズのシガーであれば、一本を吸い終わるのに小一時間ほどかかる。シガリロでも二十分くらいか。これがなかなか具合が良かったのだけれど、そのうちに止めてしまった。というのも、紙巻のようにその辺の自販機で簡単に入手できる訳ではないからで、俺の住んでいる近在には葉巻を扱う店は皆無なのだ。
 なので、葉巻を買うときはある程度の本数をまとめ買いすることになるのだが、そうするとこれがまた結構な値段になってしまう。しかも、葉巻を選ぶ作業というのがこれまたとても楽しい作業であり、それに火を着けてその香りを愉しむためには、他のことに気を取られている暇などないのだ。ましてや、仕事中に葉巻に火を着けるなど、もっとも忌むべき行為である。あれ?

 そんな訳で、結局は紙巻タバコを常用する習慣に戻ってしまった訳だが、一方で葉巻も愉しむようになった。それが良いのか悪いのかはわからない。ただ、その愉しみがいくばくかのストレス解消に貢献していることだけは確かなようだ。


2007/4/3(Tue)

 すっかり滞っております。
 というよりはむしろ、廃墟です。ということで、「能書き」のペイジを廃墟らしく書き換えたりしました。

 それはさておき、BMWを買ったのでした。もちろん、中古ですよ。



 「BMW 320i M-Sports」という車なのですが、形式名で言えば「E46」ってヤツですな。
 負け惜しみではなく、現行3シリーズである「E90」はデザインが気に入らなくて、実用的な中古車が存在している間にどうしても「E46」に乗りたかった。エンジンは何が何でも2Lまたは2.2Lの6気筒。という条件だけで近所のBMW専門店で探したところ、この車がヒットした、と。そりゃヒットするわな。
 この型には三度大きなエポックがあって、前期は2Lエンジンに垂れ目なターンライト。中期は2.2Lエンジンに垂れ目なターンライト。後期は2.2Lエンジンに吊り目なターンライト。俺が買ったのは前期の「M-Sports パッケージ」車。このパッケージのノーマルからの変更点は、アルカンターラ・スポーツシート、カーボン調内装パネル、Mサスペンション(15mmダウン)、Mホイール+ワイドタイア(F:225/45/17 R:245/40/17)、専用エアロパーツ、クリア・ターンレンズ(前後側面)といったところ。
 で、すでに購入してから五百キロほど走行したのだが、最初のうちはサスが堅いのとシートが堅いのが相まって、背中や腰が痛くてしょうがなかった。最近ようやく体が慣れてきたけれど。
 ハンドリングは、良く言われるように癖がなく素直、と言いたいところだけれど、FFのようなトルクステアはないにせよ、キックバックは大きい。まぁ、逆に考えれば路面からの入力がそのままステアリングに伝わる設計になっている、と言えなくもない。これの良し悪しを論じるつもりはなく、どのような目的でBMWを買うのか、という指向性の問題ではある。タイアサイズは明らかにオーバースペック。
 エンジンは、とにかく素晴らしい。マニュアルシフトが可能な5AT(ステップトロニック)なのだけれど、シルキー6はその名の通り滑らかに回り、高回転をキープしたままマニュアルでシフトアップしていくと、本当に気持ちよく走ってくれる。これはもう言葉では説明できない。いや、説明するために必要なスキルが俺には、ない。ただし、Dレンジでの発進はひどくかったるい。ポロもそうだったけれど、アクセルも重い。



 内装は、シンプルと言えばそうだし、ドライバー指向なコンソールはスポーティと言えばそうだし、んー。
 調整範囲が大きいのは良いが、シートは真剣にレカロに換装しようと考えた。今はもう体の方が慣れてしまったので、このままで全く問題はないが。室内は、横方向の余裕はあるが、縦方向はそれなり。特別に広い、ということはない。ドア形状のせいで乗り降りには多少ストレスを感じる。
 オンボード・コンピュータは楽しい。表示は燃費、平均時速、残り航続距離、時計、外気温の切替が可能。これとは別に瞬間の燃費計がタコメータ下についていて、アクセル開度とギア・ポジションによってその時その時の燃費を表示するようになっているのだが、これが非常に鬱陶しい。慣れるかな、と思ったけれど未だに慣れない。それと、右手をドアの肘掛に置くとちょうど手のひらの側面に当たる場所にミラースイッチがあり、これを間違って押してしまうことが何度かあった。ミラーを畳むスイッチは15km/h以下でしか作動しないので良いじゃん、ということなのだろうが、ここには不満が残る。

 去年買ったストリームもそうだったけれど、ここ最近の中古車との出会いにはとても満足している。もっとも、どんな車に乗りたいのか、という要求仕様がはっきりしているので、その仕様に沿って買えば大抵は満足する結果になるのだけれど。
 いずれにせよ、この車には非常に満足しているのだ。玄関を出て、そこにBMWのエンブレムのある生活は、小学生の時の夢そのままなのだから。



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