1999/7/9
どっちだ


 夏の北海道の朝の訪れは早い。尿意を覚えてテントから出てみると、サロマ湖の向こうの空が薄紫に染まり始めていた。時計の針は午前三時を回ったばかりだというのに。
 用を足して再びテントに戻る前に、湖岸まで行ってみることにした。その途中の草むらの中に、一本だけ、枝を水平方向に大きく伸ばした背の低い木がぽつんと立っている。その姿は、まるで誰かをじっと待ち続けているようにも見える。果たして誰を、そしていつまで待ち続けるのだろう。
 何かの気配を感じて振り返って見ると、子ギツネがトコトコと俺の後をついてきていた。振り返ると立ち止まり、歩き出すとまたトコトコとついてきて、また振り返ると俺の目をじっと見つめてまた立ち止まる。餌を欲しているのだろうが、残念ながら俺はその子ギツネの給餌係ではない。
 湖岸までやってきて振り返って見ると、そこからは草むらに隠されてしまって、俺のテントはもう見えなかった。煙草をポケットから取りだそうとすると、足許で子ギツネがくぅんと鳴いて、背筋をピンと伸ばし、期待感たっぷりの眼差しで、俺の動作を見つめている。
 煙草に火を着けて大きく息を吸い込んで、それから煙を吐き出すと、それは湖から吹いてくる風に乗ってあっという間に高く高く昇っていった。白いもやがうっすらと湖面を覆っていて、非常にゆっくりとした速度で、沖から陸地へと流れてくる。
 この旅に出て以来、見るもの、聞くもの、感じるもの全てが新鮮で、その度に俺を驚かせる。非日常的な毎日は、でも、多くの人達の日常の上に成り立っていて、それは例えば毎日の食料を調達する商店であったり、燃料を給油するガソリンスタンドであったりする。一人きりで移動はしているが、一人きりで旅が続けられる訳ではない。俺は一人になりたくて旅立ったのではなく、むしろ多くの人達と巡り会うために旅立ったのだ。一人でいることと、大勢でいることの間の共通点は、ちょっとした疎外感なのかも知れない。でも、大勢の中で感じるよりも、一人きりで感じた方があまり深刻にならずに済む。だから俺はこうして子ギツネと一緒に、日の出前の湖岸に立ちつくしているのだ。

 テントに戻り、昨夜のうちにこしらえておいた握り飯を食べ、出発の準備を始めた。荷物をバイクにくくりつけている間に、子ギツネはどこかへ行ってしまったようだった。
 午前五時にはすっかり陽が昇り、朝の静寂を切り裂くように、二百五十cc四ストローク四気筒エンジンがモーターのような排気音を響き渡らせる。全くもって迷惑な話だ、と思ったら、砂利を満載したトラックやコンビニチェーンのトランスポータが、ディーゼルエンジンのけたたましい音を発しながら走り去って行く。それに比べれば俺のバイクの排気音など、蚊が鳴いているようなものだ。
 網走の駅前に何台もの観光バスが停まっていて、駅から吐き出される乗客を次々と飲み込んでいく。こんなに朝早くからご苦労なことだ。
 網走の町を抜けて、さらにオホーツク海沿いを東へと向かう。国道に沿って線路があり、道路に近づいたり遠ざかったりしながら、一両編成の小さな電車が走る。藻琴駅の手前で、それまで右手を走っていた線路が道路の左側を走るようになり、それとともに右手の風景が一気に開けた。
 原野という奴だ。原野の定義がどんなものかは知らないが、その景色は、まさに原野と呼ぶに相応しいような気がした。果てしなく何もない大地。原始の時代から何十万年も何百万年も変わらなかっただろうその景色を、俺はただ横目に通り過ぎただけだった。

 それから暫く走ると、道路と線路との間に、突然小さな土産物屋が出現した。と言っても出現した訳ではなく、昔からそこにあったのだろうが、実はその、どう見ても土産物屋にしか見えないそれは、原生花園駅だった。
 駅自体は無人駅なのだが、土産物屋も兼ねている関係で、当然、店番の人が常駐している。この路線の電車を利用する人がどれだけいるのか知らないが、道路の方は、結構往来が激しい。激しいとは言っても、それは明らかに都心部のそれとは異なるのだが、要するに一分と車が途切れない、という程度のものだ。つまり、どうやらこの土産物屋は、無人駅を利用した、目前の国道を利用する観光客向けのものであるようだった。
 この店の様子を一時間も眺めていると、不思議な現象に出くわすことになる。それほど大きな店ではないので、いくらなんでも一時間もそこで土産物を物色するような人は居ないと思うのだが、店に入っていった覚えのない人達が店から出てきたりする。かと思うと、店内に入ったきり、一向に出てこない人達もいる。
 要するに、電車が到着して乗客が降りてきたり、電車に乗るために入っていった人達だというだけの話なのだが、そんなことを確認するために一時間もそこでその土産物屋というか、駅を観察していた俺も相当な暇人である。
 暇人はさらに東へと向かう。すると今度は、やはり道路と線路との間に、ラーメン屋が出現した。どこからどう見ても百パーセントラーメン屋なのだが、やはりそこも駅なのであった。浜小清水という駅なのだが、「浜小清水」という名前のラーメン屋のようにも見える。というか、「浜小清水」という名前のラーメン屋にしか見えない。さすがにこの駅というかラーメン屋を、バイクから降りて観察するほど暇ではなかったが、この駅から電車に乗る人達は、あのラーメン屋の暖簾をくぐるのだろうか。くぐるのだろうな、やはり。

 斜里の町を通り抜け、宇登呂を過ぎ、知床ネイチャーセンターから知床五湖を目指す。知床五湖に至る山道の途中で、幾度も野生の鹿を目撃する。いかにも秘境然としたその風景の中に於いては、鹿だろうと熊だろうと、それらの都会生活者が動物園でしか見ることの出来ない動物達も、そこに存在すること自体が至極当たり前のことのように思えて、拍子抜けするほど何の感慨も覚えない。むしろ、そこを我が物顔で行き来する観光バスやトラックやもちろん俺のバイクの方が、この場所には似つかわしくない。だからといってそれらを否定するほど狭量な人間ではないが、なんとなく馴染めなかったのは事実だ。
 知床五湖の駐車場には、多くの観光バスが停まっていて、結構な人出だ。熊避けの鈴をぶら下げた観光客達が、五湖の周遊路へ向かって人の列を作っている。どうにも気分が悪い。結局は自分もその観光客達と同じだということに気がついて、激しい自己嫌悪に陥った。
 煙草を一本灰にしただけで駐車場を後にして、来た道を引き返す。まるでさっきの駅のように、旅人なのか観光客なのか、どっちつかずの自分が嫌だった。バイクのエンジン音に驚いた鹿の親子が、森の中へ走り去って行くのを目の端に捉えながら、所詮は自己満足に過ぎないこの旅の意義と今夜の夕食について、ぼんやりと考えを巡らせていた。


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