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貝殻山貝塚、今・昔 |
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愛知県清洲貝殻山貝塚資料館 特別展 朝日遺跡を掘る
10月7日より開催される、貝殻山貝塚資料館特別展 |
![]() 貝殻山貝塚と加藤務氏 |
貝塚、発掘! 愛知県西春日井郡清洲町の田畑の真ん中に、小さな丘があり ました。村の人々には、通称「カイガラ山」と呼ばれ、貝が出る 山として知られていました。 1929年の冬、津島高等女学校の教諭であった加藤務氏は区長 の了解を得てカイガラ山を発掘。土器やシカの角、ハマグリ、カ キ、マキ貝などの海産の貝類がみつかりました。 | |
| この発掘の成果は、12月18日の名古屋新聞で報道されました。 みだしには「清洲に新発見」「美事な貝塚」の文字がみられます。 | ||
![]() 鳥居龍蔵博士、来名 |
鳥居龍蔵博士、来たる! 貝塚発見の連絡を受けた東京帝国大学・鳥居龍蔵博士は、同年 12月24日に講演会のために名古屋をおとずれた際、カイガラ山 と近隣のケンミ塚(検見塚)を発掘します。鑑定の結果、カイガラ 山貝塚からみつかる土器から弥生式の遺跡であることが明らか になりました。博士はこの2つの貝塚について「しかもこの二つの 貝塚の上が古墳になつている、」と、古墳説を展開します。 | |
| この調査も新聞報道されました。「鳥居博士に解かれた清洲ケン ミ塚の謎」。興味をひかれるタイトルです。 | ||
![]() 1967年・中焼野貝塚 |
戦後になって・・・ 戦後になると、個人や大学によって、貝殻山貝塚や周辺の貝塚 が頻繁に調査されるようになります。特に貝殻山貝塚やその北 方の二反地貝塚は、濃尾平野最古の弥生土器の研究と絡んで、 考古学史に残る調査と研究が進められていきます。著名なとこ ろでは1948年の紅村弘氏ら、1950年の愛知学芸大学、1956年 の名古屋大学などの貝殻山貝塚の調査があります。 | |
| また、1964年の久永春男氏による二反地貝塚、1965年の愛知 工業高校による寅ヶ島第二貝塚の調査など、周辺の貝塚も調査 の対象となりました。 | ||
![]() 文化庁調査官視察 |
国の史跡指定へ! 1971年には、貝殻山貝塚地点を中心に、遺跡の状況を把握する ための調査が行われました。調査は新たなる貝塚や人骨の発見 によって難航しましたが、遺跡はさらに重要視されることになりま す。調査成果をもとに、貝殻山貝塚とその周辺約1ヘクタールは 国史跡指定を受け、現在も保存されているのです。 | |
| 史跡指定に関する文化庁調査官視察の記録写真には、澄田正一 氏(故人・名古屋大学名誉教授・左)、田中琢氏(現・奈良国立文 化財研究所所長・中)、柴垣勇夫氏(現・静岡大学教授・右)の姿 もあります。 | ||
![]() 現在の貝殻山貝塚 |
そして、今・・・ 一貝塚の調査としてはじまった貝殻山貝塚の歴史。しかし、1995・ 96年の貝塚南方の発掘調査などによって、史跡部分を数条の環 濠がめぐることが判明!これまで多くの調査がされながら、実態が はっきりしなかった貝殻山貝塚地点が、弥生都市・朝日遺跡の中 で位置づけられるようになりました。 しかし、現代の研究は、過去の小発掘の積み重ねに負うところが 多いのです。ここで紹介した過去の調査をふまえつつ、貝殻山貝 塚地点の最新調査成果を貝殻山貝塚資料館特別展にてご覧くだ さい。 | |
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参考・引用資料 ・名古屋新聞・昭和4年12月18日号、12月25日号 ・沖虹児(1930)「愛知県の石器時代」朋文堂書店 ・岩野見司氏提供・昭和42年2月16日清洲中焼野貝塚スライド写真 ・清洲町民センター蔵・朝日遺跡関連記録写真 | ||
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