アシュレイ・モンターギュ『暴力の起源』
(The Nature of Human Aggression, 1976) 読書メモ

  1. 論争点

    1. はじめに

    2. もう一つの見方

    3. 知りうることの限界

    4. 「攻撃性」のさまざまな形

    5. 遺伝と環境をめぐって

  2. 人類は「殺し屋」であるという考え方

    1. わかりやすさの落とし穴

    2. 権威者たちの考え方

    3. 芸術表現において

    4. 楽しい理論

    5. 「原罪」について

    6. フロイトとダーウィンの影響

  3. 社会ダーウィニズムの教訓

    1. ダーウィンと社会ダーウィニズム

    2. 協力と相互扶助:無視されてきた考え方

    3. あらたな社会ダーウィニズム

  4. 本能と適応

    1. 本能という説明原理

    2. 人類と動物の攻撃行動

    3. 「性本能」

    4. 本能の定義

    5. 「先天的」と「後天的」

    6. 「性本能」と学習

    7. 単純化され過ぎた「本能」

    8. 「本能」と攻撃性

    9. 人類に本能はあるか?

    10. 学習と人類の進化

    11. 「攻撃本能」と「獣性」の伝説

    12. 攻撃性の機能

    13. 攻撃は「自発的」なものか?

    14. 攻撃の水力学的エネルギー

    15. ユーティ族

    16. 知恵遅れの子供

    17. 子供と攻撃性

    18. 大人がかかる精神症

    19. 「殺人」の非適応性

    20. 「一部」と「全部」

      一部の人々は確かに暴力的である-しかし、一部全部と混同しないようにしよう。」

    21. 抑制

      人に生得的な暴力抑制がないのは事実かもしれないが、それは抑制できないことを意味しない。

  5. 食人風習と「攻撃性」

    1. 食人風習は生まれつきのものか

      儀礼的なものから、他の人々を襲撃して食人を楽しむニューギニア高地の一部の部族(ロナルド・バーント『過剰と抑制』)のそれまで、いろいろある。

    2. 証拠調べ

      ジャワのソロ人のいくつかの頭骨には脳を取り出した形跡がある。

      北京原人では焼かれた人骨は一例だけ。多く焼かれたのは動物の骨。

      ユーゴのクラピナの遺跡によるとネアンデルタールが食人を行った形跡はある。

    3. 人食いの文化的意義

      食人は儀礼的なものがほとんど。飢餓によるものもあるかもしれない。

      大後頭孔周辺(頭蓋骨底部)の破損が脳を取り出した形跡なのかはわからない。土中で自然に損傷した可能性もある。

      現代の採集狩猟民のほとんどは食人は行わない。あっても儀礼的。

      ネアンデルタールは頭蓋骨を保存し埋葬するために脳を取り出した可能性がある。単に食べるためだけなら頭蓋骨の底から脳を取り出すのは合理的ではない。

      頭蓋骨崇拝に伴う脳を食べる風習は今でも広範囲に残っている。

  6. 猿人の頭骨にのこる傷あと

    1. 打ち砕かれた骨の意味

      アウストラロピテクスが骨の棍棒や短剣を使って共食いを行ったというレイモンド・ダートの説は権威筋には支持されていない。

    2. 道具、用具、そして武器

      道具は武器ではない。猿人の作った道具は武器としては合理的ではない。人骨の化石からは武器による攻撃の確かな形跡は得られていない。

    3. 「棒と石」

    4. 武器かヒョウか

      アドルフ・シュルツによると化石人類にみられる頭蓋骨の傷は大型肉食獣によるものと仮定する方が合理的。

      アードレイが「動物が原因となってできたものであるはずがなかった」と指摘したスワルトクランズ出土の猿人の頭蓋骨の傷はC.K.ブレイン博士によると、ヒョウの牙の跡らしい。

  7. 人類進化における「協力」

    1. 人類の進化

    2. 適応としての「協力」

    3. 温厚な性質

      ゴリラは攻撃的ではない。機会さえあれば逃走を選ぶ。

    4. 群れの機能

    5. 学習

      類人猿は群れの他のメンバーからある行動を習うことがある。

      一人で試行錯誤するより他の者を見習う方が効率的。

    6. 脳の発達

    7. 子供の成長について

      人類は他の類人猿に較べて発育期間が長い(ネオテニー=幼形成熟)。

      チンパンジーの子供は成獣に較べてはるかに人間に似ている。

      人の子供はあまりに未熟なので大人が長期間愛情をそそがなくてはならない。

    8. 協力的傾向

    9. 言語

    10. 採集狩猟民の生き方

      ローレンツの『攻撃』は採集狩猟民は「敵対する部族」と争ったと言っているが、採集狩猟民は少数の家族が集まった集団(バンド)で行動し、部族(ホルド)では行動しない。部族の概念自体作り物。

      今日の採集狩猟民は他のバンドと出会っても敵意で迎えることはなく、むしろ友好的で、先史時代のバンドもそうであったと思われる。

    11. タサダイ

      最近(1966年)発見されたフィリピンのミンダナオ島のタサダイという民族には攻撃性の完全な欠如がみられる。子供のけんかはあるが、大人になるまでにしつけられるらしい。

    12. タスマニア人

      タスマニア人は1873年までに英国人が絶滅させてしまった民族だが、非常に平和的な人々であったという。

    13. ブッシュマン

      西南アフリカのブッシュマンは多くの人が信じ込まされてきたほど温和ではないが、特に暴力的でもない。肉体的暴力や横暴な行動を強く否定する文化を持つ。クン族では親が子供に体罰を与えないという。襲撃や戦争も全くなく、白人からは隠れたり逃げたりする。

      まれに異なったバンドのメンバー間で密通が原因のけんかはあり、毒矢で相手が殺されることもあるが、バンド間の争いにはならない。

      ロビン・フォックスは「ブッシュマンはシカゴにおけるよりも高い殺人率をもつ」と主張しているが、先進国の場合すぐれた医療のおかげで死なずに済んだ未遂事件を考慮しなくてはならない。

      リチャード・リーによると、1920-1969の間のブッシュマンの殺人は22件で、10万人あたり34件、上の事情を考慮したアメリカの殺人は10万人あたり約100件。また1948年にブッシュマンの族長の裁定所が設立されて以来1969年までの間に2件の殺人しかない。

    14. エスキモー

      エスキモーの権威、カイ・ビルケット=スミスによると、攻撃性と暴力ほど不快なものは何もないと考える人々。

      それでも争いは起るが、暴力に訴えることは稀で、相手を非難する歌を歌って争う伝統がある。親類の殺害に対する報復でさえそのような歌によって行われることがある。

    15. ピグミー

      中央アフリカのイツリの森のピグミーは、コリン・ターンブルによると協力的な民族で戦争や反目、魔法(呪術?)さえももたない。子供や妻を殴るような暴力はあるがそれ以上はない。

    16. オーストラリア原住民

      多くは協力的で非攻撃的。死刑はあるが、これは攻撃性とは関係ない。密通や他の集団がかけた魔術による(と信じられている)死者が出ると、争いが起ることもあるが、そこでは武器を使わず言葉で争うことが多いという。またなわばりは重要視されていない。

    17. 攻撃の抑制

      その他20以上の採集狩猟民についても概して非攻撃的な文化を持つ。例外的に攻撃的な文化を持つのはフェゴ島のオナ族とアンダマン島民。オナ族の攻撃性はバンドに権力を持った指導者がいることと、バンド間のいとこ婚の禁止が原因らしい。アンダマン島民が攻撃的だったのはバンドに強い指導者がいた期間のみ。

      現代の採集狩猟民は先史時代の採集狩猟民より進んだ文化を持っているかもしれないが、それでも先史時代により近い民族であるはず。一番近いのはタサダイではないか(注:根拠は特に示されていない。最も他の文化との接触が少なかったから?)。

      遺伝子の消失という可能性は低いので文化的に攻撃の抑制を学習しているのだろう。

    18. その他の人々

      パパゴ・インディアン、ポピ、ヅニ、プエブロなどの農業を行っている人々の間で攻撃的行動は非難される。

      マレーのセマイと近隣部族の間でも攻撃的行動は非難される。

      ボルネオのプナン、サラワクの陸ダヤク、ポリネシア人ティコピアも怒りを暴力より言葉で表現するのを好んだ。

      シッキムの遊牧民レプチャ族も平和的。

      珊瑚礁に住むポリネシア人イファルクはマーストン・ベイツによれば子供の兄弟競争さえないほど非攻撃的。

      タヒチ島民はロバート・レヴィによると明白な敵意や暴力が否定されており、殺人も自殺も少なく、こどものけんかもない。

      その他、チベットや亜北極の人々、ラップ人、マレーの多くの地域に住む人々、ニューギニアのセピック川のアラペッシュ族も非暴力的。

      環境の変化が文化を破壊し協力的な伝統が失われる例もある。コリン・ターンブルによると(『ブリンジ・ヌガグ』筑摩書房)、東ウガンダのイク族は、平原で遊動的狩猟生活をしていたが、政府によって山岳部に移動して不毛な土地を耕作することを命じられ、短期間のうちに非協力的、暴力的になった。

      アードレイはこの報告を攻撃性生得説の補強材料として引用したが、当のターンブルは著者(モンターギュ)への私信でこれは曲解だとしている。

  8. 脳と「攻撃性」

    1. 大脳辺縁系

    2. "攻撃中枢"はあるか?

      脳損傷の研究には限界がある。リチャード・L・グレゴリー教授のたとえ:「ラジオを一度も見たことがなかった人がいて、その機能を知りたがったとしよう。偶然に抵抗器を取り除いたところ、静電気の音が出たとする。このことから、抵抗器は正常回路において静電音を抑える機能を果たすひとつの"中枢"であると結論してよいだろうか。」

      脳刺激で行動を引き起こす実験についても、電気刺激は刺激部位の細胞全てを同時に興奮させるという意味で、化学的刺激は通常の10倍もの伝達物質を必要とするという意味で、異常な状態であることを考慮しなくてはならない。

    3. 刺激実験

      脳刺激(扁桃核刺激)による攻撃的行動の発生は霊長類では自働的な反応ではない。ネコと違いサルの場合は、社会的に優位の個体に対しては攻撃できない。人間では怒りなどの感情を発生させることはできるが行動までは発生しない。

      脳刺激による行動は全ての個体で発生するのではないので、個体毎の過去の不快な記憶を想起させることで行動を起こすのかもしれない。ネコは不快の原因が目の前のものにあると安易に信じるが、サルや人は状況を見て判断するものと思われる。

    4. 脳刺激と攻撃性を関連づけることの疑問

      ロッド・プロトニクによると、現在のところ攻撃的反応を学習する機会のなかった動物に対する脳刺激で攻撃的反応を発生させた実験はないという。

    5. 遺伝と環境の影響

    6. いわゆる爬虫類脳について

      ヒトのいわゆる爬虫類脳は皮質による制御を受けるように再編成されているので爬虫類(や原始的な哺乳類)の脳と同じようには機能しない。ネズミでは爬虫類脳が単独で担う機能も、ヒトでは皮質の障害によって機能しなくなる例がある。

      アードレイやブライアン・クロージャー(ロンドンの戦闘研究所所長)、アーサー・ケストラー(『機械の中の幽霊』(ぺりかん社))らの爬虫類脳に対する認識は間違っている。

    7. より合理的な見方

      J.L.ブラウン、R.W.ハンスパーガーのネコの電気刺激実験によると、攻撃的行動と脳の特別の部位との相関は単純な一対一関係ではない。

      攻撃性の神経生理学の指導的研究者であるホセ.M.R.デルカドによると、攻撃性は脳の特定部位と関係する反応様式ではあるとしても、その反応の発現は以前にうけた感覚刺激や経験に本質的に依存する。

      デビッド.N.ダニエルス、マーシャル.P.ジルラ(スタンフォード大学医学部精神科)曰く「攻撃性は基本的だが、われわれは攻撃するようにプログラムされているわけではない。われわれは暴力の本能を持つように運命づけられているわけではない。」

    8. XYY異常

      1965年に発見されたXYY染色体異常は攻撃性が遺伝的に決定されることの証拠とされることが多いが、これは根拠に乏しい。重罪犯の刑務所にいる暴力犯罪者の3.5%がXYYだった(XYYは男子1000人に一人)ことが根拠にされるが、彼らの多くは対人ではなく対物犯罪を犯している。

      刑務所のXYY犯罪者の多くは背が高かった(6フィート以上)が、背が高いことでからかわれたりいじめられたりしたのが攻撃的な性格になったのかもしれない(注:これはちょっと乱暴な理屈では?)。

    9. 経験と発育

      行動は遺伝子だけでは決定しない。さまざまな変った発育条件のもとでは全ての動物は通常のパターンとは異なる行動をとる。ペットとして育てられたライオンは攻撃的でもなく、狩をすることもできない。

      1971年のアレン・ディーツとハリー・ハーローの報告によると生後6-18ヶ月間親から隔離したアカゲザルが他のサルに対して暴力的になる。彼らはこれをもってアカゲザルの暴力的行動が生得的であり親からその抑制を学習する必要があるのだと結論したが、実際には隔離によるストレスで幼いサルの心が傷付いたために暴力的になったのではないか。

      ビクター.H.デネンバーグとM.X.ザロウの実験によると、ラットの母に育てられたマウスは攻撃性が著しく減退する。曰く「われわれは、適当な飼育条件が一見生得的な攻撃的傾向を変更する著しい効果をもちうること、またそれらが攻撃的傾向の発現を阻止することさえありうることを感じている。」

  9. なわばり意識

    1. いわゆる「なわばり本能」説

      アードレイは人類はモノマネドリのようになわばり的であり、なわばり本能のもたらす衝動で土地の権利や国の主権を守るという。

    2. 再び、本能について

      アードレイはなわばり本能説に反対する論者として、マーガレット・ミードと著者(モンターギュ)を名指ししている。アードレイは著者の主張を今では信用されなくなったジョン・ブローダス・ワトソンの行動心理学(行動を全て環境からの学習で説明する説?)と同一視するがそれは間違っている。

    3. 潜在能力、経験、学習および実能力

      例えば言語能力は生まれつきの潜在能力である。しかしその潜在能力は訓練によってはじめて実能力になる。遺伝的に決定されているのは実能力ではなく潜在能力である。

      ノーム・チョムスキーは言語の潜在能力の先天的機構が人の脳にあると主張するが、言語能力を本能だとは主張しない。攻撃性についても「人間の精神構造の中には、ある特殊な社会的および文化的条件の下で、攻撃性を導き出すような先天的傾向が存在するのは疑いない事実である。」と述べる一方で、人間本能論と混同されないよう望んでいると言っている。

    4. なわばりを持たない動物

      多くの動物のなわばりに関する行動さえもアードレイの基準を満たすほどには本能的ではない。

      なわばり行動の傾向をまったく示さない動物も多い(カリフォルニア・ジリス、オナガノネズミのおとなのオス、メスオオカミ、アカギツネ、プレーリーマダラスカンク、シマウマ、グランツ・セガル、野犬、フーティア、チーター、山ヤギ、シカ、ワラビー、アカゲザル、ヤセザル、ヒヒ、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ)。

      フランソワ・ブーリエによると哺乳類のなわばり行動は鳥類のそれよりはるかに重要度が少ないというが、アードレイが例に引くのはほとんど全部鳥類である。

      また、「なわばり」「生活圏」「中心地域」「支配圏」「私的空間」の区別が必要。

    5. 環境条件となわばり性

      魚ではアユ、バス、哺乳類ではイエネズミ、ベルベット・モンキー、オナガザルなどでは、個体密度などの環境条件でなわばり性が変化する。なわばり性は遺伝的に決定されるのではない。

    6. なわばりにおける攻撃の意味

      動物のなわばり防衛のための攻撃の多くは示威や儀式化された戦いであり、攻撃的ではない。

    7. 人類となわばり

      人類のなわばり的行動についての初期の研究は今では通用しない。クレランス.R.カーペンター、ラドクリフ=ブラウンなど。

      採集狩猟民にはなわばり的行動は稀で、なわばり性は農耕や都市化の発生によって発達した。

  10. 戦争と暴力

    1. 領土と戦争

    2. 抑制の機能

    3. 多くの「非好戦的」民族

    4. 戦争の原因

    5. 攻撃性の方向転換

      ローレンツの、スポーツで攻撃性を発散できるという主張する。しかし、リチャード.D.サイプスの130の異なった社会についての調査によると「好戦的行動が認められるところでは、戦闘的スポーツが典型的に認められ、戦争が比較的まれなところでは、戦闘的スポーツが欠落している傾向がある。」

      スポーツは戦闘的文化の構成要素であり、スポーツは攻撃性を昇華するどころか、むしろそれを強化する。観客の暴動は後を絶たない。

  11. 思想上の影響

    1. ヒトは「欠陥種」なのか

    2. 科学者と人間の本性

    3. 社会的、政治的影響

    4. 自己達成的な予言

      攻撃性生得論が自己達成的な予言になりうる。

    5. 領土権、人種主義および不平等

  12. 人間とは何か

    1. "新しい"人間像

    2. 環境による影響

    3. 戦争、"野獣"、"野蛮人"

    4. 焦点ずらし

      攻撃性生得論者は論文を選択的に無視する。

    5. 人間行動の柔軟さ

    6. 遺伝子と環境

    7. 自然の中で

    8. 協力の意味

    9. 潜在能力と教育の可能性

    10. 都合のよい選択

      さまざまな行動パターンをとる猿がいる。人の行動パターンの起源を猿に求める論者は恣意的に特定の種の猿を選んでいる。

    11. 事実対幻想

      青少年非行は環境のせいだ。