帰 路

by  Kazuhiro SHIMOURA

Sep. 14, 2000

 

ホテルより、海岸近くの空港までタクシーでいく。8万リラ、約4000円。途中、ベネチア広場から真実の口、競技場などに別れを告げて、ハイウエイを時速130kmで飛ばす。快晴、順調この上なし。

 

10時半の飛行機でウィーンへ。空港で少しゆっくりした後、12時45分のOS557便で関空に向かう。大阪工大の前田先生と隣席する。2週間ポーランドの学会に行って来られた由。阪大電気工学の先輩であることが判明、思い出話等々に花を咲かせた。

 

日本の将来を悲観している人が、あらゆる世代で多いとのこと。日本の青年は海外の同世代との交流を深めるべきである。相手の立場を感じられる事、知恵を学び、良きライバルとなる事こそが、新しい日本の手がかりとなるからである。世界の動きから孤立すれば、日本は弱体化してしまう。

 

7時半頃到着。空港に父が来ており、泉佐野の実家に戻る。8時32分であった。従兄で関電からUSJに出向していた下浦康邦氏が亡くなった由。42歳、過労死。余暇に数学史の研究をして学会発表もされていたようである。

 

保安協会から屋内設備点検の人が来られる。最近は4年に1度という事であり、オリンピックと同じですね、と話す。イギリスの石油ショック続く。私はすべき事を進めるのみである。夕方、交野に戻る。