電柱のはなし
 
by KAZUHIRO SHIMOURA
− 配電マンに捧げる −
Aug.30, 1998 original text
Jan. 1. 2000 last revised

(はじめに)

最近、日本の電気料金が高いと報道されることが多い。一方、電気は我々の日常生活においてますます必要不可欠なものとなっている。照明はもとより、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、エアコンなど現代のライフスタイルを支える家電機器の電源として、また、電話、テレビ、ビデオ、パソコンなど情報機器の電源として、さらには、高層マンションのエレベータや給水ポンプの動力源として。そして将来は、電気自動車、高齢者の介護機器など、快適、環境、高齢化などの時代の要請に応じて電気の新たな利用範囲は現在も拡大しつつある。

日本において停電が珍しくなったのは昭和40年代以降のことである。それ以前は日常的に停電があった。各家庭の柱には取り外すと自動的にスイッチの入る懐中電灯が備え付けられていた。電気の品質は決して自動的に保たれている訳ではない。最近もニュージーランドで地中ケーブル過熱による大停電が発生したし、四国電力の鉄塔が倒される事件もおきている。停電は、地震、台風、雷、等の自然災害、故意や過失に基づく人災、また設備の劣化等により発生するものであり、配電技術者の歴史は一面において、それらをいかに克服するかという知恵くらべの歴史でもある。

配電線は、日々移り変わる町並みに速やかに対応させなければならない。一方、情報化社会の進展は電気のさらなる品質を要求しており、深夜工事や、様々な工夫により電気を止めずに工事を行うなど、日本の配電線の裏側には様々な苦労がある。雷や台風の風雨の中、電力会社や工事会社の作業員が復旧作業に走り回っていることは、残念ながら一般には知られていない。工事において、ゴム手袋をはめた手で電流の流れる6600Vの高圧電線を掴んでいることも余り知られていない。毎年何人かの作業員が感電や墜落で命を落としていることも殆ど知られていない。日本の電気の品質は彼らの努力と責任感により支えられているのである。

あらゆる仕事の原点は、現在のシステムを少しでも良いものにして次の世代に引き継ぐことにある。そして教育とは現在の社会システム、すなわち我々の生活が誰によってどのように支えられているのかを教えることである。私は配電業務を通してこれを体で学んだ。現在の高信頼度の電力設備は先人の努力の結果である。そして将来を見通した時、電柱というインフラが情報社会で果たす役割もまた大きい。現代に生きる我々は、来るべき情報社会に向けてインフラを次の時代に引き継がねばならない。そのために電力系統のラスト1マイルの世界について書いておくことは無駄ではないと思う。


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