10/4(Thu) アムステルダム(ECOC2001参加)
・(AM)Modulation Format, Network
Architecture, (PM)Post-Deadline
・Nicolaas Witsen泊( tel. 001-31-20-626-6546, fax. -20-620-5113 )
昨日はネットワークアーキテクチャー、およびポストデッドラインがあった。英国のネットワークの招待講演者は女性であったが、実に堂々としたもので私も含めて立ち見も多かった。ポストデッドラインは10件ほどあり、ラマン増幅による40GのWDMの発表が主流であった。半数は女性による発表であり、Tycom, Alcatel, Lucentなど常連である。日本からもKDDI,
Fujitu,の他に光CDMAでCRL+阪大連合が新しく入った。
会議終了後に、Amsterdamコンセルトヘボーのコンサートを聴きに行く。ホテルからは16番のトラムである。前半はチェロ協奏曲であったが知らない曲であった。後半はブラームスである。山形大の中川先生は奥さんと仲良く並んで聴いておられた。コンセルトヘボーの入り口では学生がトランペットなどでモーツアルトを調子よく吹いている。
ホールは40m*30m程度の長方形、指揮者や独奏者は2会席の廊下から階段で下りてくる。私は2階席のすみに居たが、ホール全体がよく見えたし音もよく伝わってきた。距離があるので、視覚と聴覚に0.1秒程度のズレが生ずる。目をつぶって観客と空間を共有する。楽器の音が空間に浮かび上がる。指揮者は拍手の度に階段を降りてきたり、また駆け上がったりするので大変である。
私は将来、人々がこのように話すと信じている。20世紀初めの10年は物理学の奇跡の10年であった。この間に量子論や相対論が生まれ、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルクなどの英雄達がヨーロッパを闊歩した。20世紀終わりの10年は光通信の奇跡の10年であった。この間に光ファイバの伝送容量は10000倍に増大し、世界を一つに結びつけるインフラが発明された。
これを成し遂げた英雄達には日本人も多く含まれていて、私は彼らと空間、時間を共有していた。学会とは学ぶための会合ではなく、時間と空間を共有しながら共に考え、創造するためのものである。アムステルダムの人々は我々の活動を全面的にバックアップしてくれた。NYでテロがあったにせよ、参加して良かった、というのが周囲の人々に共通した感想である。
(2001/10/05朝)
10/5(Fri)
アムステルダム国際空港( 14:25, KL867 ) à
10/6(Sat) à 関西国際空港 ( 08:40
)