「美浜の会ニュース」No.49(1999.4.29)より


事故から20年を経たスリーマイル島原発周辺では


 百人以上の人々があかく揺らめくキャンドルを手にして、夜明け前の雨の中、スリーマイル島原発を目前にした広場に立ち並んでいる。20年前に発生したアメリカ合衆国で最悪となった商業用原発事故を「記念」するためにである。こうして彼らは3月28日の午前4時を迎えた。
 1979年の同時刻、2号原子炉1次系の圧力逃し弁が開固着し、冷却水が失われ、炉心溶融事故が始まった。原子炉水位計の不備が運転員の判断を結果的に迷わせ、緊急炉心冷却装置は切られた。そうしなければ原子炉容器が破壊する恐れすらあると判断出来たからだった。原発からは放射性の希ガスとヨウ素が放射能の雲として環境に放出された。早い時期に炉心の半分もが完全に溶融していたことが数年後に判明した。14万もの人々がハリスバーク地方から避難した。
 5人の活動家が同発電所敷地への大胆な不法侵入の罪で逮捕されたが、軽罪であり、その日の午前中に釈放された。集会が開かれた。「ここに集った参加者の半分はスリーマイル島事故が起こった時にはまだ生まれていなかったのです」、「私たちは新しい世代にことを引き継ぎつつあるのです」と、熟練の反核活動家が語った。1号炉の1985年の再稼働を断念させることが出来なかったことを残念がる発言があった。他の者は、米国内の原発は老朽化しても安全であると請け合う原子力産業に対する不信を表明した。事故当時妊娠していたという女性は、20年前に事故の知らせが届いた時に感じた恐怖を語った・・・。
 幾つかの新聞やインターネット上で、以上のような事故20年目のスリーマイル島原発を取り囲む様子が報道されている。事故の調査に当たった「大統領委員会」は、最大の外部被曝線量は年間の自然放射線レベル(約1ミリシーベルト)であり健康への影響は考えられない、とする報告書を事故後直ちにまとめた。しかしその権威をもってしても事実を曲げることは出来そうにはない。原発事故がガンや白血病、甲状腺障害の原因になったとして2千人を超える住民が電力会社を相手取って訴訟を起こしている。裁判にもって行くための、証拠として、証人として認めさせるための、激しい闘争が今も続けられているという。そのような中にあって住民の側に立つ極めて興味深い研究が1990年代に入ってから報告されている。その一つは米国ノースカロライナ大学のスティーブン・ウィングらによる、「スリーマイル島周辺におけるガン発生率の再評価」(*1)についての研究であり、もうひとつはロシア科学アカデミーのウラジミール・A・シェフチェンコらによるスリーマイル島周辺住民の被曝線量評価についての研究(*2)である。
 ウィングらの研究は、住民らの裁判闘争の過程で、裁判所の命令によって、周辺での発ガンを調査するために設立された「TMI公衆健康基金」の援助を受けて、1975年から1985年を研究対象年として実施されたコロンビア大学のハッチらの研究に対する批判的研究である。ハッチらも事故による被曝と全ガン及び肺ガンの発症との間に正の相関を見出したのであるが、それは事故の影響を反映したものではないとし、これ以上の調査は必要でないとする結論を下した。ウィングらはハッチらの研究にある論理的問題と方法論的問題を指摘し、再評価に乗りだした。そして、被曝線量と全ガンと肺ガン、白血病の発症との間に正の相関を見出した。そして統計に潜む「ゆがみ」をひとつ一つ注意深く検証し、スリーマイル島周辺での発ガンの増加には、事故による被曝線量が関係しており、ガンとその他の健康上の影響についての継続した調査が必要であるという、ハッチらとは正反対の結論を導いたのだ。
 同じ統計を基礎にしながらも、ウィングらがこのような結論をたどり着いた一つの理由は、彼らが周辺住民の被曝は自然界のバックグラウンドレベルであるとは信じなかったからである。事実、事故当時の被爆線量計測のシステムはおそまつであって、最も重要な時期の記録も取れていないのである。放射能雲が通らなかった、あるいは通り過ぎた後では被曝線量計は当然ながら役に立たない。記録計から読み出される数値だけでなく、多くの住民が自らの経験と被害を踏まえて訴えた、皮膚の紅斑、脱毛、嘔吐、ペットの死亡、等々の事実を彼らは重視したのである。
 このような住民の放射線障害の兆候に注意を向けたもう一つのグループがシェフチェンコらであった。彼らは1994年7-8月と1995年1-2月に、スリーマイル島原発周辺に住み紅斑、脱毛、嘔吐、下痢等の症状があった29名について細胞遺伝学的調査を実施した。細胞遺伝学的調査とは放射線被曝によって人間の染色体(遺伝子の実体)に異常が現れることを利用して被曝線量を求める調査である。その結果、600〜900ミリグレイという(注:600〜900ミリシーベルトと読み代えても大きな問題はない)、従来の予測よりも数百倍から千倍も大きな被曝線量があったと評価された。この被曝線量の評価にはチェルノブイル事故の精算人(後片付けや救助活動)として作業についた人達のデータが使われた。
 これらの研究が裁判の証拠として認められるならば大きな威力を発揮することだろう。そしてウィングらの言うように1985年以降の調査が強く求められる。ウィングらの批判を受けたハッチはその論文に再々反論をしているが、更なる研究が許可されることについては合意したと伝えられている。しかし発電所側はそれに反対している。
 スリーマイル島原発事故から20年が経ち、事故当時の赤ん坊は既に成人した。しかし、事故の、とりわけ健康被害についての真実の姿は未だ明らかにはなっていない。住民らによるそのための努力は未だその途上にある。 (T.Y.)

(*1)Steve Wing et al. "A Reevaluation of Cancer Incidence near the Three Mile Island Nuclear Plant: The Collision of Evidence and Assumption" Environ. Health Perspect. 105(1997)52-57. 同論文についての解説が、京大原子炉実験所の今中先生によって書かれています(原子力資料情報室通信275)。
(*2)ウラジミール・A・シェフチェンコらによる研究は、「チェルノブイル事故による放射能被害-国際共同研究報告書」今中哲二編(1998)技術と人間、に採録されています。