(C)MICHIKO MIYAKEAll Rights Reserved




何かが満たされた時、何もしたくなくなる。
ただ目を閉じて、静かにこの余韻を味わっていたい。
いまここに漂っている空気を私の魂に記憶させたく、
ゆっくり深く息を吸い込む。
体のひとつひとつの細胞がびりびりと共鳴し、
隅々までにその震えが浸透していくのを見届ける。
やがて美術という長い息を静かに吐いてみたくなる。
もしいつか生まれ変わった時、
どこからともなく伝わってくる空気の振音に
薄れゆく今日の記憶の断片を
ほんの少しでもよみがえらす事ができるのなら、
どんなに幸せだろうと願いながら。


私の美術は、私より数年先を歩いているような気がしています。時々、制作して 
数年たってから、こういう事だったのかと自作品の見方が変わる事があります。
そして、美術を通して様々な事を経験し学んできたような気がしています。
最近、改めて美術に感動し、美術に感謝しています。
美術に関わって、二十数年が経とうとしています。その間一貫して「光と影」という
テーマに魅了されています。ガラス等、素材の持つ物質的な光と影の作用から次第に
精神的な意味へと興味の対象は移ったようです。神秘の光は屈折したり反射したりして
半透明の光となり、また半透明の影となって写し出されます。この半透明性の中に、
私は言葉では表現しづらい微妙で曖昧な感情や、本音と建前 (アイロニー) のような
両義性を見いだします。この両義性が私という人間を作っているようにも、この社会を
形成しているようにも思えます。時として、半透明の度合いは限りなく黒に近い影となり、越えることのできそうもない壁となって立ちはだかります。またある時は、限りなく
白に近い光となり、神様はいる!と思えたりします。

 それでは、この光と影の透明と半透明、そして半透明と不透明の境界はどこにあるのでしょうか? このような曖昧な境界線は私自身の中にも存在しているようです。
例えば、私が本質的に持っている長所と短所の境界が区別できなくなっています。
半透明な現象が、私という受動体に物事をそのようにとらえるよう導いているのでしょうか? それとも、私という能動体が、その時々の視点や勝手な思い込みで、物事を半透明に
とらえているのでしょうか? このスパイラルのような堂々巡りを繰り返しても、依然として、半透明なことに変わりはありません。ただ、この神秘的な半透明の作用は、様々な
個人的な習慣や記憶を反映させ、感情を創り出します。あらゆる半透明の現象において、どの現実が選択され、それをどのように知覚し、そしてどの意識が対処するかの配合に
よって半透明性は如何ようにも変化して行くようです。ですから、感情も創りもの。
いかようにも変化し、結局、記憶さえも塗り替えられるのではないかと思えてきます。
そしてこのようなアイロニーは、しがみつき葛藤を繰り返す人間心理の根底に横たわる
元型のように思えると同時に、諦めとも思える癒しの「空 (くう) 」が頭をかすめたりも
します。

 毎日の同じような日々の繰り返しの中にも、何かしらの微妙な変化があり、ある日ふと私自身、変わったなぁと気付く事があります。気がついてみると、食べ物も聴いている
音楽の好みも、そして周りいる人達までも変わっていました。感情や直感の繰り返しに
よって得られたものもあれば理性や思考の繰り返しによって得られたものもあるのでしょう。現実の世界で何か問題にぶちあたると、もし私が映画監督だったら、どういう展開にするだろうと美術という非現実の世界に逃避する時があります。そうすることによって
恐怖や不安、私利私欲に駆られてではなく、美学を持ってどう決断すべきかのヒントを
与えてくれます。そして気がつくと現実と非現実の区別すらつかなくなっている時があります。どこからともなく伝わってきた緊張した空気が、私を震わせ、その振動をそっと
感じてみる勇気が持てた時、自分の弱さやふがいなさを世の中の矛盾や他の中に見いだし、戦慄が走ったり、愛おしくなったります。優しさが脅威に変わったり、頑固さが信頼に変わったりします。拒絶されたり手放したと思ったとたん境界線の変動と領域の広がりを実感したりします。混沌とした流れの中にも、規則やバランスのとれた調和を感じます。そして、その半透明性の微妙なさじ加減がわかった時、すべての正と負が繋がって今の私に辿り着いていることに気がつきました。

 私の作品は、消えゆくものや見過ごされがちな脇役的に存在するものの中に秘められた美しさを発見した時の喜びから始まります。そして、はかないものに美しさを見いだし、とどめておきたいと感じています。どんなモノにも美は潜み、どんなに小さくても美しいモノは、善となり人の心を動かす力があると思います。とるに足らないものの断片を繰り返し積み重ねていくと、それが本質になってくるような気がします。表面的に見られる
断片の繰り返しの奥には、何か別の新しいものが生まれている様です。制作を通して、
「光が影」となり「影が光」となる瞬間を感じています。美術は、私に光と影は対立するものでなく、隣り合わせに存在するものだと教えてくれました。そして、光なくして影は存在せず、影は、光を演出すべくその身を捧げると教えてくれました。

「色即是空」そして「空即是色」。慈愛と尊敬と感謝を込めて、美術と繋がっていたいと思う今日この頃です。

2008 年
三宅 道子