そうであれば悲しいことや辛いことの試練は逃避するのではなく、あるがままに受け入れて、そこから学び取ることが大切で意義のあることになります。人生においてすべてが自分の思いどおりになったという人はおそらくいないでしょう。学び取る試練(課題)が何もなければこの世を卒業して生まれてくる必要がないのです。 このように考えてくると、すべての人が試練(課題)を抱えて生きているということになります。自分だけがなぜ、どうしてと考えがちですが自分だけでなくすべての人が形や内容の違いこそあれ何らかの試練(課題)を抱えて生きているのです。 この人生の試練は逃避の為の画策をせず、すべてをあるがままに受け入れ、本当の自分の心に問い、その心のままに乗り越える方がよい。その方が逃避することにとらわれるよりは自然な流れに沿って乗り越えられるように思う。 |
日々を生き生きと 私たちは生き生きとした日々を送りたいと思う。心の底から生き生きと楽しく日々を送りたいものです。しかし思うにまかせない。どうしてだろう。それには見栄や外聞にとらわれたり、生活のためと自分としては不本意な仕事を続けたり本当の自分の心に反することを行っているからである。 いろいろなことに捉われず本当に自分のやりたいことをやっている人は生き生きと輝いて見える。お金や名誉や地位などにとらわれていると自分のやりたいことに二の足を踏んでしまう。またこれとは別に、本当に自分のやりたいことを考えたこともなく日々を送っている人もいることでしょう。 とらわれのない心で自分の好きな本当にやりたいことを確かめて、第一歩を踏み出せれば生き生きとした日々の世界が開けてくることでしょう。ただこれが一家を支える仕事となると収入の保証がないので、それ相応の覚悟と家族の同意が必要になる。 何事にもとらわれないで本当の自分の心からわき出てくるやりたいことを真の心のあるがままにできれば生き生きとした日々を送ることができるでしょう。 とらわれることなくあるがままには私たち凡人にとってはなかなかできない。そんな中で少しでもそうあるべく日々を、人生を送りたいものです。 |
― 思うにまかせない日々をとらわれのない真の心のあるがままに ― 幸山