公園の予算はいくら必要か?

1、公園の予算は幾らくらいのもの?

公園づくりの予算幾らくらいいると思いますか?。
少しでも建設に関係した方なら面積当りの目安がすぐ浮かんでくると思いますが(公園工事等の公共工事は「おまかせランチ」なので大変簡単に決まってしまう、決まってしまっている!のが当たり前なのです)、別の計算の仕方もしてしまいそうになります。
公園というと、 一番はじめに思い浮かべる広場ははじめからひろっぱの形をしていると、お金をかけないでよさそうですね。
雨が降ってあちこちにミニサイズの川ができて、「ああアマゾン川みたいだ」
素足でぬるぬるした水路を歩いて深い足跡をつけてみると、もしかしたら恐竜の足跡の化石もこうだったんだ、とまたまた思いを馳せてしまいます。
泥遊びもいいけれどサッカー遊びもしたい!。ゲートボールも外に出ることの少ない高齢者のコミュニケーションの場になるぞ!と思ったら、平らにならして、きれいな砂を5cm以上敷均し周りに排水路を作らないといけません。
うむ..まあ道でも排水は必要条件だからしかたない..1mあたり小さいもので5000円位か?砂を入れて均して1000円/m2みといてよ。
うちの子はソフトボールが好きで...だったら周りに防球ネットをつけなくっちゃ。
えっ..1m当り20000円はいるなあ。
そうなると、小さい子は砂遊びがの場が無くなるので、砂場をつくり、たまに来た孫を遊ばせるには小さくても遊具が欲しい。
え-と砂場は30万円位かなあ、あの小さいうさぎさんのスプリング遊具は、25万円...
遊ばせるのは楽しいけれど夏は暑くってたまらないので、日陰棚と勿論ベンチが絶対いる。はい、200万円!
....近所の公園は古い遊具ばかりでおもしろくないといっているので、他ではないような新しい遊具をいれたいな!はあーい、5百万円追加!!!。


2、いいものを作るのにそんなにお金が必要だったわけではないけれど

お金が要るような夢を語ることにあまり努力が要らないようです。 でもはじめのお金をかけないでえられる物は、1千万円かけたからといって得られるもんではありませんし、ほんとにそこで欲しかったものであるとも限りません。
公園(屋外の生活スペース)は、私は日本では歴史的に庭の延長線上にあることにしているのでそのへんの経過と較べてみさせてください。
日本の庭は世界的なブランド品なので身近なダサイ公園と較べるのは気の進まない人もいるかもしれませんが、「日本庭園」も全部たいしたものというわけでも有りませんので気にしないでいいかもと思っています。
とにかく、公園の夢を膨らませたのと同じく庭でも夢を膨らまして作ってきたはづです。
庭でできることは「そこで営まれるであろう生活」を実現するための設備、基盤としてどんどんすばらしいものになって、結果として名声を確立した桂離宮や竜安寺になったのでしょうし、言い換えれば庭でできることは、それだけとも言えます。
ブランドとして名をはせているこれらの庭園は決して財力をつくしたものではないのは明らかですし、むしろ余分のお金がなかったから個人的でどちらでもいい些細な趣味の偏りを残すことができなかったのかも知れません。
言い換えるとどうしても必要と熟考したもの以外実現できる余裕がなかった、要らない施設の維持に手間をかけることができなかったと言えると思います。


3、お金を掛ける値打ちができた!

桂離宮をつくった人は、文化的な生活を期待される地位(皇族=貴い人?)ではありましたが権力や財力は特別ではありませんでしたし、(つくるのに)それが必要ではありませんでした。
ところがちょうどこのころは経済が豊になって、時代が動いていたのです。
経済的な豊かさが生活の夢を豊かにし、当然描く生活もかってないほどの豊かさを開花させ、前記のような文化を実現させたのですが実は両の刃だったようです。
この豊かさは、分け前にあづかれると誰にも分け隔てなく楽しいものですから、 うらやましさも尊敬もわいてきます。
こんなふうに人の能力や存在がそれらで量られるようになって、いわゆる「偉い人」があらわれてきました。
まづ経済を力で制圧した「怖い人」はそれ以後「偉い人」として今に至るまでづっと歴にの中で目立った人になりました。
偉くなって、人や金を意のままに動かせるようになると、当たり前のことしかできないのでは馬鹿にされたように感じてしまうのかも知れません。
ついつい庭でも、できる以上のことを考えてしまいます。
日本ではもともと、庭は精神的な生活の質を維持するための基盤的な住宅設備!でしたから、トイレや井戸の配置同様、比較的そんな目に合うことは少なかったようなのですが、太閤さん以降の大名や町人の間で自分の日常の生活の質より、人目の評価や評判の方ががうれしくなってくると、なんだか当たり前の庭ではなく、自分の評判を絵にかいたような、あの人ならこれくらいすごいんじゃないかな、というイメージにふさわしいものを作らざるをえないようにおいこまれてしまうもののようです。
まあ、この時代は偉くなってしまったら、それを維持するためには生活の質を!なんていっておれなくなったのかもしれません。
(あれっ、今の中央省庁のキャリヤや一流企業の出世組はおなじかもね)と、いう訳?でこれ以降の「庭」はわかりずらい姿になって現在に至ることになってしまいます。
それで後世に残るのはそんな「庭」でなくなった 、立派な「庭の姿をした広告塔」ばかりになってしまうことになりました。
広告はその時代にのみ意味の有るので後から見ると「なんのことじゃ」が普通です。(もっとも深遠な庭にまつわるお話は「観光」には欠かせませんが)
ところが、誰だって立派なものはなんだか訳がわからなくっても残しておかないともったいないという気になってしまうものですから、私たちの目に触れるのは訳のわからないものばかりになってしまうのはしかたないということになってしまいます。


4、結局、実際は幾らかかるの

明治以降は、西欧文化吸収政策の影響を受けた結果、もともと力の象徴として作られたヨーロッパの宮殿、及びその「庭」の概念が入ってきてしまいましたので、公園政策には当然のように健康的、文化的な庶民(あっ言い間違い!市民でした)にふさわしい格付として定食メニューが定着しました。
というわけで不況下では公園予算が首尾よく取れてもたいていはCランチですが、住民参加は建設省のお勧めでも有るし、地元が協力してやっているんだからとBランチをだしてくれたりもします。
たまには「偉い人(センセー)」が役所に来られてAランチになって不思議な広告塔?(お子様ランチの旗よりはづっと大きく業界用語ではモニュメントとかシンボルとか表現されます)が追加されたりすることもないわけでは..ということもあるかも。
そんなのを目にした記憶はありませんか?やっぱり「いわゆる庭」の伝統はしっかり引き継がれているようです。
「Cランチが幾らか」というのは数字として答えるのは簡単なのですが、その経費だとか、実際の使い方に説明がいるので、アンパンが幾らで売っているか、とか自動車が幾らかというほどわかりやすくないので、比較的新しい同じような規模の公園を見てそれくらいできるていどと思ってください。
ですから今有るのと違うのが欲しければ予算は一から計算してなんとかする方法を個別に考えるということです。
計算してみてCランチの範囲に収まっていれば比較的実現は楽ということですが別な難問も場合によりありますので具体的なケースがでてきたときに考えましょう。

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