言葉の中の公園


1、はじめに

双思樹でも比翼の鳥でもないので人と人はつながりあってはいません。
だけど人はまわりの空気や大地だけではなく、なによりも"人"があって"人"になれるのです。
でも波動力学で説明するのでなければ、どんなものも離れたものは何であれ、お互いに認識できっこありません。
生まれながらには、受信器を持たない人が他の人を認識できるのはどこかでつながっている部分がないといけません。
つながっていないのにつながっていないといけないとは、なんと矛盾したことでしょう。

そんななかでの何だか苦し紛れの方法に思えますが、体の組成、構造がほぼおなじで普段同じ体験をしていたなら、その自分と他人の間で共通な体の反応をとおしてそれを共通の土台として"つながったつもりになって"表情や声や、触覚や匂いで人を含めて動物は情報を伝達できます。
でも人はもっと複雑な関係を伝達しあい複雑な社会をつくってきたようにみえます。 そんなとき言葉は始めにルールを知っておく必要があること、固定された意味に割りふらねばならない不便はありますが、たくさんの人をつなげられる能率的で手軽なすばらしい宝物として登場したと思います。
ことばは後で整理したり、まとめたりできますからどこの民族でも人が大切と思うことには対応する言葉が生まれてきました。
家族や特別に親しい人との間では共有する実際の体験が多いのでわざわざ約束事の多い、しかもどれかの類型にあてはめて表現するようなめんどうで不正確な方法は必要ありませんが、直接同じ体験を続けていない人に伝えるにはきっと言葉が断然便利に違いありません。
人の集合は社会を作り、当然のように言葉が社会を表現し伝達する役割を担います。
したがって言葉の中に人の社会があり 言葉が人の社会の夢をつくることになっていきました。

でもいつもことばがたくさんの人に同じように支持されて使われているわけではありませんでした。
便利な言葉ですから、言葉を広める手段を持っている人は自分にとって便利な言葉を広めようとしますし、そうでない人たちの言葉がひろがるためにはゆっくりと時間をかける事が必要です。
たくさんの人に必要があって自然にひろがった言葉はたくさんのこころが埋め込まれているので、あたりまえに深く広くたくさんの人の心に届きます。
が、一部の人のみの利益のために無理やり広められただけの言葉は他の人のこころには届きません。
だから言葉には感動的な言葉、または感動的な使い方とつまらない、形だけの煩わしい言葉、使い方があるのです。

詩人の谷川俊太郎さんも"人権"という言葉に対し、実際の生活の中での深い差別の現状と対比してあまりにも宙に浮いた現実感のなかで使われるこの言葉が日本においては詩では使えないことを対談(朝日新聞・1993/7/19・中国の詩人張香華氏との対談「ふに落ちぬ人権という言葉)で指摘しています。
また同じ理由で、字面としては同じ言葉でも使う側の意図によりたくさんの人に支持される言葉になったり反対の側になったりします。
"公園"という言葉もそんな言葉のひとつではないかと思います。
公園には誰もがふっと夢見るようなひびきと、汚い砂場と決まりきった遊具を思い浮かべるふたつの言葉があるようです。
きっと始めの公園は私達の祖先が築いてきた歴史の中でつくりあげた概念に現代での言葉をあてはめたのでしょうし、後のは"近代的な都市計画"のためにもちこまれた公園に対応して使われた言葉なのではと思います。
私達の夢にあふれた公園という言葉を実現できたら、その言葉がいつも本来の意味だけで使われるようになって、私達の豊かな空間遺産も現代の生活空間に生きることができることになるのではと夢が膨らみます。
"公園"が本来の言葉として我々のもとに戻ってくることを想像しているのです。
取り戻すことは新たに作るよりはずっと簡単なはづですので期待が持てますよね。
でも、耳に入ってくる緑だとか住民参加、市民、最近ではビオトープ、グランドワーク、ワークショップいづれも"公園関係"で使われている言葉ですがどれもなぜか私達の言葉とはかけはなれて遠いところにあって、背中が寒くなるような響きもあります。
私達の言葉の中に埋め込まれた私達のための公園を実現するためには、私達の言葉をつかって説明できるはづでしょうに.....こんな言葉ばかり使われてきたのはのはなぜなのでしょう。
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2、虔十公園林

昨年は宮沢賢治生誕100年でいろいろな作品が話題になっていました。

宮沢賢治のすばらしい小品に虔十公園林というのがあります。 題名に公園が使われているのは他に知りませんがこの小品はいかにも宮沢賢治らしく つらくてあたたかい作品です。

今読むとすこし宗教色が気になるかもしれませんがお葬式ではお念仏が自然な国ですから庶民的な表現と解するべきなのでしょう。

この時代、しかも岩手県で公園という言葉がどんな響きを持っていたのか、宮沢賢治がどんなイメージを持っていたのかと私には胸が詰まるような作品です。

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