公園の過去と未来
公園は街の夢
日本にはもともと「公園」はありませんでしたが 現代において小学生に楽しい夢の公園の絵を描いてねとたのむと、サーカスやディズニーランドの不思議な建物、ジェットコースター、ゲームセンター、自動販売機がブランコや巨大滑り台にまじってかならづ顔を出します。
大人に公園の夢を聞くと、広い芝生や大木の木陰、一面のお花畑、噴水等の言葉がかえってきます。
高名な建築家安藤忠雄氏は大阪の再生計画で「中の島を公園にする!」(うーむ中の島公園とうのもあるんだけどな)と提案し
同じく原広司氏は空中庭園をシンボルとするビルを大阪にデザインしました。
空中庭園は公園と言葉は違いますがたくさんの人が使う園という意味では公園と同じようにかんがえてもいいと思います。
同じく昔の様子を当時の絵等から推量するとお寺の境内が子供たちの遊び場や寄り合いのための広場、として、お寺の前や橋の前の広場が市場やお祭りのだしものの仮設の遊園地として等、たいていのものはそろっていたことがよみとれます。
もちろんジェットコースターを見つけるのは難しそうですが。
絵に良く書かれていたことからもわかるように「公園のような夢」は昔から、少なくとも町人がいたころにはきっといまとおなじものがあったのですね。
江戸時代には大名庭園が期間限定で庶民に開放されたということですから今と変わるところはありません。
大阪だったら「造幣局の通り抜け」ですね、化粧品メーカーのバラ園のありましたね。
それより前のことはよくわかりません。
庶民の生活がわかる絵や文章がとても少ないからです。
街の夢は自然や人との関係の夢だと思います、昔からのそんな関係がが生活のかたちに編み込まれてどんどん積み上がって今、私たちが目にする風景が出来たのかと思います
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生活のかたちに編み込まれてきた自然や人との関係
有名な?作庭記(庭園の関係者だけかな)では庭に流れを引いて石を置いて景色を作ること、他の本では花を観賞すること、鳥羽草城の鳥獣戯画では美しい野草を背景にちょっとした広場等で遊ぶ様子がわかりますから、子供たちや、大人もそんな景色のなかでゆっくりとくつろぎ、景色を味わい、遊んでいたのでしょうか。
当時の書物によると「神仙思想」とか言われる説明が目に見えるだけの景色を補って、人と人を含めた自然との結び付きを確認し、インテリはきっとさらに知識を披露しながらみんなで憩いの時を過ごしたようです。
自然の流れに身を任せる農業が生活の糧でしたから神様の話が出ても無理もありませんね。
それから潅漑技術や、土木技術も得て、自然の成り行きからは一時的にせよ独立できるようになると人どうしとの交流に関心の軸は移っていったことでしょう。
それでも人の意思を無視する厳しい自然と豊になった物欲の間でゆれうごく人々の気持ちは茶の湯等も生み出し、豊かなくせに異民族の進入の心配もないという世界的には不思議な環境の中で、自然にに対しも人に対しても開放的で豊かな空間を好き勝手につくることができたようです。
でも基本は農業経済ですからやはり自然との一体感が人の交わりを結び付ける核であることはかわらづ、自然を支配する神様の替りに人の行動の繊細な観察による行動の中の法則性を軸とする儀式性や作法が自然と人及び人と人の見えない部分をつなぐ方法として成立したと思われます。
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拡がりを共有してぼんやりする、そして語り合う
人と人が心を割ってふれあう場を生活の中につくることが庭園や茶の湯の技術として可能になりました。
庭園はこれ以降ゆったりとくつろぐための場を超えて政治を含む重要な交流の舞台となっていきます。
たとえば禅寺の竜安寺の石庭です、安心感が得られるのに必要なだけ縁側から距離を開けて土塀を築き、落ち着いた広間をつくります。
雑草が生えないよう荒砂をひきますが、大抵は反射光が部屋の奥まではいるように白砂を選びます。
土塀は安心感を与える安定感が必要ですが、人を拒否するような感じは弱めるため精いっぱい低くします。
それでもまるで此処から先は危険というように突然土塀がたっているととても目立って落ち着かないので背後の樹林と山を借景に一つのまとまった構図になるよう白砂の画面に景石で模様をつけます。
せっかく重たい景石を持ってきたのですから、話題のきっかけにもなるよう当時の流行の禅問答にも使えそうな意味あり気なしゃれたものに配置してみます。
これで外と内が安定した距離で落ち着きましたので自然に禅問答ができそうです。
自分自身も気持ちが落ち着き、知らない人やお客さんにも自然に自分らしい言葉をかけられますね。
人と交流するには、まづ自分が落ち着ける場が欲しいと思います。
自分の気持ちが広くなる感じ、みんなと場を共有する実感は人との交流を演出する場となります。
奸智と疑いで殺伐とした武士の時代から、豊かさと安定へと動く時代が必要とした交流を演出する場であったと思われます。
自然の風物や流行の蓬莱思想を題材に交流の場だった石庭も「公園」だったかもしれません。
現在のように誰でも使えるものではありませんが、人の心を共有する拡がりを核に人の交流がなされたという点は公園そのものです。
古代に原始共同体で民主主義的な討論をする市民広場が公園になったという考えもあるようですが、日本ではそうではないような気がしますがどうでしょう。
そんな広場に立ってみても公園にいる気がしないのです、それよりも拡がりを共有してぼんやりする、そして語り合う、つまり場を共有しそれを媒介としてコミュニケーションをおこなう書院の庭園は公園そのものではありませんか!
将来この場に登場する人が増えて、誰でもといえるようになればきっとそのまま公園です!。
さて、どんどん時がたちます。
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いつのまにか公園ができている
いつのまにか工業化社会を経て、情報化社会といわれる時代、食料自給率は実質50パーセント以下という時代になって人の一体感を保証する核は単純に自然との繋がりではなくなってしまいました。
「公園」とは明治維新以後、政府の西欧化政策のなかで西欧を模範とする近代的な都市計画の導入と共に持ち込まれた名称です。
そして民主主義の香りとともに「公園のゆめ」も万博や花見を通していつのまにか庶民の心に受け継がれたのは驚くべきことだと思いますが、これは豊かな空間文化が基礎にあるからに違いありません。
一度知った贅沢は忘れられないものですね。
ただ、具体的な形態は似ていても、脱農業、人口の増加、都市化等の中で、自然との同化を軸とした従来のゆめに変わって、個人の空間を核とした人と人のつながりの中で憩う新しい夢が生まれたようです。
公園は庭園と違って、始めから共有を前提とし、規模も大きく用意されますので過去の豊かな手法(人と人のふれあいの調整)を基礎にした新しい手法がいっぱいつかえそうです。
「公園」という概念自体は明治維新後の西欧化政策の一環として導入された経緯があるので、現実には色々問題もあるのも確かに事実だと思います。
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公園は街の顔になった
公園は都市公園法で割り振られた住民一人当りの必要面積等にに従って計画され、多くは公共事業で建設され、行政により管理されていました。
道路や河川と同じく国民の経済活動の基盤となる、都市での健康的な生活に公園が必要なものと位置づけられていたのです。
でも法律上は公園ではない公園もあります。
小さな遊び場でドングリ公園だとか可愛い名前で呼ばれている小さな公園がそうです。
これは近くに公園が不足しているとき、行政で空き地を借りて遊び場として利用させてもらうといったもので、住民の切実な願いで造られたりしたことが多いので本物?の公園以上に奇麗に使われていることが多い公園です。
そんなこともあり、おかげで街を歩くと公園にであうこともあるようになったのです。
私は初めて訪れた街で偶然、楽しそうに使われている小さな公園を見つけて、やっとその町が見えたような気がします。
その他の場所でも住民の顔は勿論見掛けるのですが、営業向きの笑顔だったり、忙しそうな顔だったりで、街の雰囲気が印象として残るようなことは少ないものです。
公園は外からの人にとっては街の顔、お家でいえば家族の顔です。
街の生活を内外に分けると公園は街の生活の外半分で、勿論内半分は各住宅です。
その外半分のいいところが全部公園に顕れるのです、それもよそいきの顔ではなく、子供を抱いているお母さんのような顔のような役割だったりするのです。
でも時には、厚化粧に着飾った顔、しかくばった取りつく島もない顔、機嫌悪そうでそっと目を伏せて通りすぎたくなるような顔の公園に出会うこともあります。
これは、その公園が地方の有力者の顔だったり、毎年中央省庁より降りてくる新方針による予算を確保するためだけの公園だったり、造っただけで手が回らなかったためだったり等いろいろな理由によります。
でもとにかく法律で造っていくのだからとにかく「できて」きたのです。
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公園ができたあと
大抵の場合出来た公園はひろびろとして、のんびりできるものですから、まづ住民によろこばれるのですが、ここから問題が始まります。
犬の糞や夜中の中高校生のたまり場、木の葉の大軍、雑草と蚊、あふれたクズカゴ、、
公園だって部屋と同じく誰かが維持管理せねばならないのです。
これまでの話の続きでいくと、お上(行政)が造ったのだからお上が管理すればいいんだ、川や道路みたいにと言うことになるかと思います。
でもちょっと待ってください。
公園は住民がのんびりしたり、子供を遊ばせたり、花を見たり、、一人ひとりが自由に使える場所なのです。
使うのは近くの住民、それぞれ好みも生活習慣も多様な個人です。
一人ひとりが気に入ったように一緒に、又は他の人の利用を邪魔しないように気を使いながら使いこなす場なのです。
道路のように一定のルールに従い決まった目的のために使うものとは違います。
川のように一定の安全基準を確保するために管理するものでもありません。
だから公園ごとに個性が顕れるのが当然で必要なのです。
そんな住民の個性と生活を愛するきもちが積み上がって魅力的な(他の国の人にはめずらしくって美しいといわれるような)街ができ上がっていくのだと思います。
ところが公園へ寄せられる不満のなかにどこも同じようでつまらないという声をよく聞きます。
これは始めに言ったように行政が建設し、管理することに理由があると思います。
行政はひとつの法律に従い建設された公園を、限られた予算で、(事実上最低限以下の)管理しますから、無駄使いは絶対赦せませんし、現実的には予算が全然足らないというのが現実で個々の住民の生活に合わせるような余裕はありません。
つまり住民の個性に合わせた公園になるようなしくみにはできていないのです。
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このままでは
予算がなければ仕方がない、そのために税金を上げるわけにはいかないということでどうにも仕方がないことなのでしょうか?
予算がないというのがくせ者です。
必要な予算の大半は管理なら人件費、管理を委託するお金です。
そう掃除とか草刈りとか、剪定とか枯れ木の撤去です。
これだったら利用者でも出来ると思いませんか。
建設の場合は税金が予定通りの使い方がされるよう細かく仕様をきめて設計図のとおりに施工せねばなりませんので、細かい変更や現場の対応はほとんどできません。
この予定自身が細かく利用者のことを考えているのではないのですがそうせねばなりません。
設計図の段階では現況の木の枝ぶりや、搬入される予定の樹木の規格以上のことは何もわかりません。
大きいお徳用の樹木を見つけても他の本数を減らすことも出来ません。
図-1(いままでの公園づくり)
役所が「公正に」管理や建設の事業を奨めるには大変不効率な手続きと経費がかかります。
誰でもできることを「日本国中誰が見ても公正」にやろううとすると予算が倍もかかってしまいます。
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これからは利用者が直接考え、維持管理を担い、専門家が助ける
でも利用者が直接やるなら、この枝は寝室の窓の目隠しになるから残して、この枝は居間が暗くなるから切ってしまうなんてことまで簡単にできるでしょう。
徒渉池を利用者で管理できるから造る、楽しいけれど危険かもという遊具でも、注意して使うから大丈夫と設置することも出来るのです。
利用者が出来ないほどのことだけ行政にたのんだりできれば予算はづっと有効に使え、公園も使いやすいものになると思います。
公園の建設も仕様を決めるのではなく、始めに軸になる機能のみ決めてあとは住民の細かい希望に添える方法もあると思います。
実際公園を造り始めた30年前位には請け負った造園業者さんが地形を独自に生かして施工し設計図とはだいぶ違う完成になったというようなこともあったようです。
行政でも公共事業の投資対効果を高めるため民間資本による公共事業や多様な形態の請負工事を奨めているそうです。
今までのきまり決った設計と維持管理を前提にした工事ではなく、始めから住民の要望により設計し途中でも敷地の都合や搬入された樹木の姿による変更が出来て、住民が満足できるものを予算の範囲で、可能な範囲だけ造り、後は住民が維持管理しながら完成させるということも、この機会を捉えてできるかもしれません。
そして住民が利用者、管理者として公園に関るときに必要になるのが公園の専門家です。
公園の敷地の特徴を把握しこの敷地のいいところを生かし、悪いところを忘れさせ、住民から出てきた要望の真意の練り上げと足らないところの調整、利害対立の解決アイデア提案、維持管理の予想等をおこなう技術者です。
やっと積み上げてきた庭園文化、世界では日本といえば庭園の国です!その文化が公園でつかえるようになるのです。
>図-2(これからの公園づくり)
今風に言うと住民が、投資対効果の高い公園、その維持も含めた値打ちのある公園を手にするには、熱い公園への思いを基礎にそれを具体的な形にするのを助ける専門家が必要だと思います。
これからは他から移入されたものではなく昔からづっと続いている生活のなかでのほんとの公園が出来る!かな?。
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料理の値打ちはおいしさであって栄養ではありません、おいしさは役所が決めるのではなく自分たちで味わって決めるのです、公園の楽しさも自分たちできめましょう。
おわり