公園のデザインをはじめる
1、公園のデザインとトロ箱の花
ある大変地元で親しまれて使われている公園の入り口付近にずらっとトロ箱の花が並んでいます。
決して珍しい風景ではありませんが、役所の人の話では「公園の改修の時にはきれいになります」とのことです。(改修の時には取り払って替りに、計画された場所に花壇が作られる)
あるときフランスの都市計画家の視察団が日本を訪れたときのことです。
東京のニュータウンや京都の町屋を見学したのですが偶然移動中に下町を通ったとき、
下町だったらどこでもある玄関前のトロ箱に植わった花を見て感激したそうです。
「日本では狭いところでも、工夫して花を育てて豊かな環境をつくっている」。
確かに花の飾られ方で一番多いパターンかもしれないという気がします。
そして海外、特にイギリスやニュージーランド帰りに、日本で目の敵にされるのがトロ箱の花です。
園芸ブームはまづトロ箱をプランターに取り換えるところからはじまりました。
これにならってでしょうか、最近都市の駅前などはかならづといっていいほど長方形のプラスチックのプランターで飾られています。
町として見た時どれがいいかはにわかに答えられません。
私もスペイン旅行の折りには、くずれかけたレンガの古屋によろこんでしまいました。
現地の人にとっては町の景観を壊す汚い古屋だったと思います。
さきほどのイギリス庭園風の飾り付けをした庭園も、住宅地で見かけるようになりましたが、あまりピシッときめたものより全体的にはきれいんだけれど半分壊れたトロ箱が端っこに見えているような庭の方が、うれしい気になりませんか?
ここまで書いたら、気が付きました。
人の外観(容姿、ファッション、お化粧...)と一緒ですね。
よく指摘されますが、小さなアンバランスが豪華なデザインを薄っぺらな下品なイメージにし、同じ位小さなアンバランスが全体の雰囲気にきわだった豊かさを生み出していることがある。
デザインとは身勝手なものですね、
これを仕事にするのは、いわゆる浮き草稼業なんでしょうね。
でも先の二つのデザインには確実な差が確かにありますよね、きっと。
2、デザインなんて考えなくていいじゃない!使えりゃいいんだよ(デザインの始め)
きっとそのとおり、、、だと。
でもそのことがデザインの始めだということにします。
まづ、当たり前に必要なこと、ここから入るのが便利で安全、ここでボール遊びをするのが他の遊びや、周りの家の窓を壊す心配が少ない.....。
でもたいていの場合、あちら立てればこちら立づ....で思案投げ首となります。
必要と思ったことの取捨選択も決定的な理由がなかなか見つからないことが多いものです。
ここで、直接必要でない障害物(もの?木だったり壁だったり...)をほおりこんでみたら?
ファッションだったらいっぱい例はありますよね、ボタンをとんでもなく大きくして目をそこにひきつけたらとか、ふわふわの毛で形をぼかしてしまったらとか、でもこの話は具体的には大変難しいですよね。
とても専門的な見方(日常的な全体的な見方ではなく抽象化した見方)だと思いますが、大事なことは、はじめにわかりきったしたいことがあって(ファッションの例だと他の人や、他の時と違うインパクトや、表現したい雰囲気)次の手の下し方が選ばれるということです。
つかう人、見る人の間でそんな"何か!"が共有できることがデザインの始まり....ということです。
3、デザインの作業
つかう人、見る人の間で共有できる"何か!"をはっきりさせることが大仕事です。
はっきりさせること自体、けっこうエネルギーがいるのです(そのままでは、ついぼんやりしたり、どこかへ行ってしまったり曖昧になってしまいます)。
その作業の中でうまくいかないところ、したいのにもりこめないこと、理想の実現を邪魔する変えられない条件の矛盾を、そう見えなくなるような視点をみつけることになります。
逆立ちしてみたり、トイレで考えたり、皆さんもデザイナーの奇行を聞いたことがあると思いますが。(売れているデザイナーはヨットで考えたりします)
そのために、様々な設定(先ほどの何かのものをほおりこんでみたり、とんでもない奇抜な見え方にしてみたりなどと工夫?します。
この手の変なデザインは新聞やテレビで見飽きていると思います。
そしてどおしてへんてこなのかも少し納得してもらえるのではないかと思いますがどうでしょう。
やっぱりへんてこかもしれないけれど。
4、デザインの結果
というわけでたいていのデザインの結果ははじめとは違うものになります。
始めと同じだったらデザインする必要がなかったわけでデザイン料ももらえないかもしれませんが。
さてここで言いたかったのはデザインとは「私はこんな色がいい、私は優しい曲線が好き」とかいうのではなく、何がしたいか、どんな役柄で町を歩きたいか等と考えることから始め、自分でわからないところは人の様子を見たり、雑誌などを調べたりして何らかの方法で社会的な蓄積(文化、歴史、他人や専門家の事例....)の助けを借りて実現するものであるということ。
その結果、以前とは少し違う風景をつくり積み重ねていきます。
やっぱりなんのことやら?という感じですが
利用者が自分たちで公園をつくるというとき「専門家との連携は?」「アンケートのことなどうるさくかいているのにどおして住民参加とかいってるのにワークショップがでてこないの?」への答えのつもりです。
えっやっぱり何のことかわからない?
今後もう少し個別に書いていくつもりです。