世界平和の中心にある大麻」ヘンプライフ創刊号 

弁護士丸井英弘インタヴュー インタヴュアー 長吉 秀夫

 

丸井英弘弁護士は、1975年から40年以上、一貫して大麻取締法事犯の弁護をし続けている。それとともに、音楽活動や社会活動を通じて、常に運動の中心で大麻取締法の改正を訴え続けている。日本の大麻運動に強い影響を与えている人物のひとりでもある。

大麻取締法への取り組みから人生観までをじっくりとお聞きした。

 

ホピ族の予言と大麻との出会い

 

まず先生の戦後の活動、今までの経歴についてお聞かせください。

生まれたのは昭和19年。昭和1944年の913日です。弁護士になりましたのは29歳で、それが1974年だと思います。最初に大麻取締法違反事件を受任したのが1975年。30歳のときです。この最初の出会いがそもそも私は非常に印象深かったですね。このときはアメリカ青年が家に大麻を所持していたということで弁護依頼があったのですが、そのときにアメリカの青年の日本人のガールフレンドが、いろいろ弁護士を探しているということで私に出会ったわけですね。たまたまその当時国立で、「チベットの死者の書」というのに関わっていたおおえまさのりさんが国立にいましていろんな活動をしていたのですが、そこに出入りしていた女性のボーイフレンドが逮捕された彼でした。

 

たまたまそのときに、まだ20代半頃の若者でしたけれど、宮田雪(みやたきよし)さんとう方が彼女と一緒に会いました。その方はたまたまアメリカのネイティブインディアンの平和行進に参加するということで上京をしていて、たまたまおおえさんのところに滞在していたところ、その女性に出会ったということで、同席していたのですけれど、私は当時大麻のことは何も知らない状態で、そのみやたさんから、ずた袋、たぶん麻袋だと思いますがそこに入った資料一式を渡されて、これを参考にしてくださいと言われました。今でも私のこの書棚にまだ資料があると思いますが、その資料はアメリカのヒッピームーブメントの資料で  意識の拡大や解放ということがテーマになった文献があり、の中に大麻のことも書いてありました。

 

宮田さんはその後アメリカに渡りまして、ネイティブインディアンの平和講習に参加し。ホピ族に出会いまして、ホピの予言という話を聞きました。これはみなさんに知らせないといけないと、ホピの予言というドキュメンタリー映画を作りました。現在もその上映運動があります。これが私の大麻のはじめの事件でした。私の大麻との出会いはホピの予言と非常につながっているなと、最初から感じています。ホピの予言というのは、いわゆるホピ族に伝わる予言で、ある段階において、灰のつまったひょうたんが地上に落ちると。その時点から大地とともに生きる人たち、つまり自然とともに生きる人たちと、自然から離れてどんどん破滅の方向にいく人たちとで分かれてくると。今後どういう生き方をするのか人類は非常に問われている、と。それを示唆するのが広島、長崎に落ちた原爆のことではないかと。灰の詰まった大きい瓢箪というのが、原子爆弾なのではないかという話です。なぜそれがホピ族と関係あるかと言いますと、ホピの聖地に眠るのがウランでありまして、このウランは母なる地球の心臓部であって、絶対に手をつけてはいけないと言われているものです。それをアメリカ政府が強制的に掘り出して、このウランを研究して原子爆弾をつくったといういきさきがあります。

そしてこの出来事が、広島、長崎の原発投下にもつながってくるわけです。

したがって、大麻の最初の事件。大麻を所持したと依頼された事件が、広島、長崎の原爆投下とつながっており、さらに投下によって日本が敗戦という形になり、GHQ、つまり実質は米軍が日本を占領し、それもポツダム宣言に基(もと)づいて占領したのですが、そのポツダム宣言を乱用するような形で大麻の規制がはじまったと。で、昭和20年、194510月に日本はGHQの命令で、大麻草全面消去という命令を出します。ポツダム宣言の趣旨は、日本に基本的人権を回復するというものでした。人権を回復して平和国家をつくるということを目的に日本を占領したのですが、日本人の基本的な生活資源である麻を規制することは、これは日本人の人権を損害するもので、ポツダム宣言を乱用しているものだと私は思います。

だから最初から奇異な形で大麻の規制ははじまっているんです。米軍を中心とした軍事占領からはじまって、平和国家をつくるための、人権を回復するための占領を利用して、アメリカ政府にとって都合の良いような占領政策をやってきた。それが最初のものが大麻草の規制だったと私は思います。

 

 

大麻草を規制した背景にあるアメリカの石油産業

 

大麻草を規制した背景は、アメリカの特に石油繊維、石油化学産業の市場にするために、それと対立する大麻草を規制して、従来の自給自足型、自然環境と共生していくような生き方をしてきた日本の社会を、アメリカの消費国、石油製品の消費国にしていくというのが、占領政策としてあったと私は思います。その大きなひとつが大麻草の規制だったと思います。大麻草の規制以外にも、もちろん肉食を普及するとか、米を規制してパン食にさせるとか、ライフスタイルも和服から洋服へ、草履や下駄から靴の生活へと変えさせられた。それまでは草履も麻紐を使っていたわけですけれど、それらが石油製品に変わっていく。着るものもナイロンに変わっていく。農業や漁業でも麻紐をつかって作業をしたり、いろいろなものをつくってきたのですが、それが全て石油製品に変わっていく。その結果、日本の海はずいぶん汚染されていきました。石油製品というのはなかなか分解をしないので、ヘドロとしてどんどん溜まっていくんですね。それで日本の海岸線はずいぶん汚染されてしまったように私は思います。そのあとコンクリートで固めるというような形をとりまして、日本の自然がどんどん破壊されてきた。

さらに原子力開発というのをやって、日本の国土に50基以上の原発をつくり、放射性廃棄物という処理処分が不可能なことがわかっているものを、どんどんつくって、日本の環境をどんどん汚染させてきた。原子力発電というのは、日常的に放射性廃棄物が出るんですね。その状態がずっと続いてきていると。そして大きな事故も何回も起こしていますよね。そういうことで、本当に日本では放射能汚染が続いているような状態になっています。他にも、農薬や食品添加物などが、食品の中にもどんどん紛れ込んで汚染されています。一見環境はきれいになったように見えますけれども、実は深いところで汚染はどんどん進んでいる。その結果、日本人の体力や精神力はどんどん衰えています。精神的にも不安定な人が続出していて、きれいになるどころか、逆に薬浸けになっている。たとえば夜眠れないとか、アル中になったりとかね。いわゆる薬物乱用といっているけれど、実は社会そのものが薬浸けになっているんです。

これがまた健康保健制度と結びついて、医者がどんどん薬を処方するものですから。それを患者さんが全部使ってしまう。しかも、この費用は国民の税金が使われておりますから、医療費はどんどん増える。どんどん体力が弱ってくるから、老人になるとボケがはじまる。そしてその介護のために、多大な税金をつかっている。今日本社会は、ほぼ壊滅的な状態になっているのではないかと思うのです。

 

また田舎では、なかなか仕事がないので若い人たちが都会にどんどん出て行ってしまう。日本の自然の生活がなくなって、お祭りなどもどんどんなくなっていく。今は過疎で、あと10年もすれば消滅してしまうようなところも出ています。あと10年、このままいけば、日本には田舎がなくなってしまい、若い人は少ないという非常に変形した社会になっていきます。

 

産業も本当に社会をよくするような産業は何があるのかな、と思うんですね。都会にすごくたくさんの人口がいますけれど物を生産しているわけではないのですよ。生産しているのは田舎です。じゃあ都会の人は何をやっているのかと。そういう人たちを養うために多大なエネルギーや食べ物がいります。そういう人たちを養うために、原子力発電や大規模なダムの開発をやって電力を使うとかね。これは、本当の進化と言えるのでしょうか。便利にはなりましたが、そのぶん体力は弱まりますよね。

 

 

大麻は現代社会の抱える問題の象徴

 

大麻草の問題は、そういったことの象徴的な問題です。そして非常に問題なのは、情報が統制されていて、正確な情報が伝わらないということです。大麻はすばらしい伝統的な穀物で、衣食住、エネルギー、医療、トータルに活用できて、自給自足的な経済の根幹になるものだし、環境保全型の資材です。しかし、有用な資材にも関わらず、非常に悪いものだという情報だけが先行している。具体的に何が悪いのかというのが語られないのです。なにかわからないけれど、悪い、悪いと言っている。

 

私は裁判でも、大麻草のどういう点が悪いのか、どういう被害があるのかということを、検察官に求めています。しかし、彼らは明らかにしないんですよ。明らかにしないのだったら、告訴を取り下げてくれと言うんだけれど、明らかにしないままで、「大麻が悪いのは公の事実だから具体的に証明する必要がない」ということで、裁判所も是認しています。単に大麻草を栽培し、所持しているだけで、誰も被害者はいないのにどんどんどんどん捕まえているのが、今の現状です 

 

話は前後しますが、最初の裁判で、私が大麻の事件で最も奇異な感じがしたのは、家に大麻草があっただけで、なぜ逮捕されるのかということでした。たとえば家に包丁があっても、逮捕されないですよね。爆発物が置いてあるなら、別な問題が起こりますが。大麻草という植物から生成したものがあっただけで逮捕するというのは、人権保障を第一とする日本の憲法にも馴染まないものだと思ったのです。私は、社会正義と人権を守る弁護士の仕事に魅力を感じまして法律を勉強し、弁護士になったのです。たとえば、その人の部屋のプライバシーを守るのは、人権そのものです。その権利は、憲法13条の幸福追求権のひとつだと思います。自分の部屋で、自分の好きな植物を栽培することは、当然の権利だと思います。そこに入ってきて、その人の植物は取り上げるということは、住居侵入窃盗行為ですね。逮捕するというのは、逮捕監禁罪に該当する犯罪行為なんですよ。この犯罪行為を認めているのが大麻取締法です。

大麻取締法では、大麻の所持栽培を無免許でしている場合は規制するとなっていますので、裁判所も簡単に逮捕状を出してしまうのです。また、現行犯逮捕して、それが犯罪であるとすぐに認めてしまう。裁判所は人権の砦と言われていまして、それをチェックするのが裁判所なのに、人の家に勝手に入り、物をとり、拘束するという人権侵害行為を是認しているような態度を、裁判所はずっととっているのですね。拘束したひとを起訴し、有罪にしている。

 

だから大麻取締法に限って言えば、人権を守るべき司法部が人権侵害を行ってきたのです。だからこれは、国家的な冤罪事件だと私は思います。大麻取締法が現在存続し、それが逮捕者を出し、そして刑務所に服役させるとか、逮捕されることによってその人の社会的地位が剥奪されるとか。そういうことをずっとやってきたわけですよ。人の生活を、平和に住んでいる市民を、不当に逮捕し拘留してきているのです。だから、大麻取締法自体が、国家的な冤罪のもとになっている法律だと思うのです。

この法律を、一刻も早く廃止すべきというのが、私の基本的な意見です。

 

私は大麻の裁判を、75年から40数年間やってきていますが、まったくその傾向は変わりません。やり始めた当初は、若干ですが裁判所でいろいろな議論がなされ、アンドリュー・ワイル証言などがあったり、長野地裁の支部では厚生省の麻薬課長を証人によんで調べたりとやっていましたけれど、今の裁判所は、まったくそういうことをやらない。大麻が悪いのは公知の事実ということで、証明しなくてもいいんだという態度を一貫してとっています。

 

それが少し崩れ始めたのが、長吉さんも支援した山本正光さんの医療大麻の裁判ですよ。

患者の方は大麻をやれば命を助かるんだということで使った場合、なぜそれが問題になるのかということで、審議をせざるおえなくなったのが医療大麻の事案だったと思います。しかし、普通の事件ではそういうことをまったくしない。弁護側が、大麻の何が悪いのかと証明を求めても、検察官は何もしません。弁護側から証人申請をしても認めません。認めたのは医療大麻の事案が唯一で、いろいろな本を証拠申請しても、検事が不同意をすれば証拠としても採用されません。だから、裁判にならない裁判がずっと続いています。一番の問題は、いかにも裁判をやっているように見せていて、裁判にならない裁判をやっていることです。一種の独裁ですよね。

 

日本の社会もそうですよね。大麻のことを冷静に議論する雰囲気が日本にないんですよね。公正な議論がされない状態になっている。日本は民主国家であり、司法制度がきちんとできているように思われますが、大麻取締法の事件からは独裁的な面を見えてきて、民主主義が機能していないというのが、私の率直な印象です。

 

 

アンドリュー・ワイル博士の証言と芥川裁判

 

先ほどからのお話でいうと、70年代のアンドリュー・ワイル証言や、80年代のポールマッカートニー事件。その前だと、井上陽水の事件が70年代後半。この時代はまだいろいろと司法も議論されたり、当時の社会は普通に大麻問題を見つめようという姿勢はあったのですか?

 

ありましたね。わたし75年に最初の事件をやって、7677の辺りはそのような感じでした77年がいわゆる芥川事件ですけれども、この裁判を通して、ワイル博士が証人に立ち、マスコミも大麻は特別に規制するものではないという意見を出していました。毎日新聞の当時編集委員だった関 元さんが、たかが大麻に目くじらをたててはいけないという論説を出したりしまして、そういう風潮がありました。それで裁判所も長野支部のことのように、麻薬かどうかを調べるとかそういう姿勢がありました。しかしそれが、1985年に最高裁で、大麻に有害性があることは公知の事実であるという判決がでてからは、一挙に問答無用になっていきました。それまでは私も最高裁まで争ってやりましたけれど、結果的に大麻は有害性があるという最高裁判決が出てからは、そのような動きはできなくなりました。

しかし、最高裁の判決で述べている有害性とは、大麻には精神変容作用があって、自動車運転に影響があると言っているだけなんです。しかも、アルコールよりも有害性があるとは言っていないんですよ。それだけの理由なんですよ。アルコールは持っていても逮捕されないし、酔っ払っても逮捕されないですよね。大麻だけが逮捕されちゃうっていうのは、やはりおかしいです。

 

 

おかしな話ですよねぇ。余談ですが、85年の論拠は科学が進歩したからもう覆されていて、WHOが言っていることも変わってきていますから、本来であれば根拠がもうないわけですよね。そういうことも改められていない・・・

 

はい、変えようとしていないですね

 

 

芥川裁判において、アンドリュー・ワイル博士はどのような経緯で証言台に立ったのですか。

 

これは1978年の913日の証言を見てもらえれば一番わかるのですが、誰か大麻草のことできちんと証言できる人がいないかと探していたらたまたま、当時マリファナ問題の決定盤と言われるワイル博士の著書である「ナチュラル・マインド」が出版されていました。この本は1977年に出ていますから、ちょうど芥川裁判が始まった頃です。私もこれを読んで勉強しまして、これが集大成だと思っていました。この本は、マリファナ問題がほぼ網羅しているという本だったんですよ。この本自体も証拠に出したと思うのですが、「じゃあワイルさんが証言してくれるといいな」と思ったのは、偶然にも来日されて講演をするという話を聞いたからです。それで人づてに連絡をとったところ、証言しますという話になりました。おそらくホリスティック医学の関係で来日されて講演していたかと思います。ちょっと私も記憶が定かではないのですが。

 

1980年の第一回マリファナ国際会議がオランダで行われました。これを中心にやったのがアメリカの解禁運動団体のNORMLと、イギリス、オランダ、ドイツ、イタリア、フランスの解禁運動をやっている団体です。国連に対する働きかけをしようという彼らの呼びかけで、国際会議をやったんですね。国連では大麻を麻薬みたいに扱っているので、その取り扱いを変えさせようという運動を起こすために、みんなで集まろうということで、この会議が開かれました。

その運動の中心を担っていたアメリカの市民団体がワイルさんと、彼に近い関係者だったように思います。

 

 

先生もこの国際会議に出席されたんですか?

 

しました。たぶんワイルさんの紹介だったと思います。私と芥川さんに、日本の代表として国際会議に出てほしいという依頼がきました。芥川さんは裁判中だったので、保釈中で海外に出られない状態で、私だけが出席しました。あとはカメラマンがついてきました。芥川裁判でのワイルさんとの出会いが、1980年の国際会議出席につながります。

ちょうどポールマッカートニーが2月に来日して逮捕される直後に行われたと思います。

 

 

ポールマッカートニーの事件は、若い人たちは記憶にない人も多いと思うのですが、どういう感じだったのですか?

 

コンサートのために来日した際に、成田飛行場でつかまったんですよね。有名な人気のあるビートルズのメンバーでしたので、新聞でもマスコミでも報道しまして、すごく話題になったんです。基本的には起訴されなかったので、国外退去という形で終わりました。ただ当時彼は数百グラム持っていまして。

 

そんなに!

 

だから普通なら、今なら当然起訴されるのですがね。

 

70年代から80年代の前半くらいまでは先生もおっしゃったように、わりとそういう事件もあったけれども、オープンに議論する空気はあったのですね。

 

ありました。

 

それがどんどん悪くなったと。85年の最高裁の決定のことがあり、バブルがはじめたりもして、そこから締め付けが厳しくなっていったということですね。今になっても変わらない。

 

むしろ厳しくなっている感じがしますね。

 

これはでも世界と逆行していますよね。アメリカも厳しかったですが、今はどんどん解禁していこうという感じになっているのに。

 

 

厳しくなっていく日本とアメリカの関係

 

そうですね。1977年に芥川裁判をやる頃は、アメリカでも解禁の動きがどんどん進んでいました。それを毎日新聞の関さんも紹介する。カーター大統領のときに、そういう動きがどんどん出てきたんですよ。その後、アメリカ自体の方針が変わってくるわけです。戦争もはじめまして、アメリカ自体が大麻に関しても規制を強化してきたんですよ。それと日本の状況は連動しています。連動させようという、アメリカの方針もあったと思いますよ。日本の司法の中心部は、アメリカ政府の意向で動いていますので。

米軍と日本政府の会議がありますでしょう。日米合同委員会。あれには司法部の重要人物がぜんぶ入っているようですので、一番根幹の部分は抑えられているんです。その方針がずっと続いている感じがしますね。だから日本政府といっているけれど、実際はアメリカ政府の政策が強く反映しているのです。大麻の規制も、一貫してやっているのはアメリカ政府な気がしていますけれどね、私としては。

 

 

日本は相変わらず何も考えていないということですか

 

独自の判断力を持っていないような感じがします。裁判官とか検事を見ても。

 

 

これから日本はどうなっていくのか、我々はどうしていくべきなのか。先生はどう思われますか

 

大麻の問題はひとつのメルクマールであって、大麻だけじゃないんですよね。ほかの問題に全部絡んでいる。軍事の問題にも絡んでいます。本当の意味で、日本は平和的な独立国家になっていないわけですよね。そこがまず国際的に我々は目指さないといけないところですよね。そして日本人が、本当に自由にものを考えられるような環境ができてくれば、全部変わるとおもいます。そういうふうに、大麻もほかの問題も、つながっているような感じがします。

 

現場つまり警察などは、大麻の事件には被害者がいないことがよくわかっているわけです。そのため警察官が、積極的に大麻の事件をやっているような印象はありません。最近は特にそんな感じがします。法律があるからやらざるをえないと。検事も裁判官と同じように感じます。「悪いからやるんだ!」と積極的にいうひとに、私自身は会ったことはないです。

 

それは最近ですか?

 

ずっと前からそうですね。だって被害者もいないし、酒よりも害がないということもわかるしね。

 

 

警察の大麻事犯にたいする態度は、どのように変わってきたのでしょうか?

 

日本の警察というのは戦前、人権的な問題がありましたよね。捕まった人間をモノみたいに扱うわけですよ。縄で縛ったりとかね。アメリカはそういう点では、人権という思想では良い点もありました。私もそういう影響で育っているのですけれども、人間というものを1人の独立した人格者として考え、人権を尊重するという考えです。これはアメリカの憲法などの考えにもあるわけですけれど、そういうのがかつての日本にはなかったのです。市民の人権などを尊重しないといけないという考え方がかなりありました。上目線で怒りつけるような態度は、だんだん少なくなってきたかなと思います。たとえば昔は呼びつけにしていましたが、今はさん付けに変えなさいとか。そういう感じです。

 

 

現場はすでにわかっている。でも状況は一向にかわらない。これはなんなんですかね。

 

結局サラリーマンですから、現場で働いている人間は。裁判官も検事もサラリーマンですから。上というか、法律が変わらないと変わりません。法律も、政府が方針を出せばすぐ変わりますけどね。政府が、逮捕する予算を出さなければいいんですから。逮捕しなければいいわけですよ、わざわざ。被害者もいないんだから。内閣がそういう方針を出せば、警察は動きませんのでね。重大犯罪、悪質犯罪だけやればいいわけで。わたしは法律かえなくても、すぐにできると思いますよ。

それによって予算が削減されますよね。捕まえる予算もなくなるし、捕まった人の被害もなくなる。いいことあると思うのですが。まずそれを実施するのが今すぐやれることですよね。

 

 

主権者としての自覚を持つことの大切さ

 

そのために僕らがやれることってなんですか。

 

それはやっぱり、大麻草を所持栽培した人を捕まえることは、人権侵害だと主張することです。法律があるから逮捕してもいいとなっているけれども、法律自体が非常に根拠のない不十分な法律ですね。立法目的が不明確だし、法律で守るべき法益も不明確。だからこういう欠陥法を運用することが、法治主義に反すると思うんです。法治主義というのは人権を守るために法で治めるのに、その法で人権侵害しているわけですから、大麻取締法は法治主義と真逆の法律なんですよ。だからこれを廃止する必要があるんですね。「大麻草を栽培しているだけでなぜ捕まるのか」、「被害者もいないじゃないか」と主張すべきなんです。逆に、大麻には有用性がすごくあるわけだから、そちらを研究すべきじゃないかとね。

国民の意識が変わらないとなにも変わらない。やるべきこっとは、そこだと思います。

 

だから出版物は大事なんですよ。今回のヘンプライフの出版も表現の自由の根幹ですし、それをいろんなところで情報が出れば変わるわけですが、今は新聞もマスコミもぜんぶ逆の情報をほとんど流してきましたので、ミニコミだけでやるのは非常に時間がかかると思いますよ。

 

 

みんな意識を変えていくのと、勉強して発言していく必要があるんですね。

 

もうそれが根幹だと思います。そのためには自分の媒体を持たないとだめですね。インターネットでも情報をコントロールされているわけでしょう。だから自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分で発信していく。そういうことを1人ひとりがやっていかないと、やっぱり自主的な判断はできないと思うんですよ。

我々は、この国の主権者なのです。主権者というのは決定権を持っているわけですよ。今の日本人には、主権者としての自覚、行動がないんですよ。さらにいうと主権者教育を日本の学校はやっていませんからね。あなたは主権者ですよという自覚もさせないし。そこらへんも連動している感じがするなぁ。学校教育からはじまってね。お金が儲かればいいとか、いい就職先が保証されればいいとか。日本で行われている教育は、物質的な利益だけを中心にしたものですから。もっと人間の尊厳や本当の平和な気持ちを育てるとか、基本的に大事なことがあってこそ、経済もまわるわけですからね。

 

仕事イコールお金儲けだけではないですからね。

 

やっぱり自分と社会に貢献することだと思うんですよ。いいものをつくるとかね。守るべき道、筋が今の日本にはないんですよ。

 

 

戦い抜いた先にある楽園

 

最後に、先生にとって麻とはどんなものなんでしょうか。

 

私は大麻取締法違反の弁護をしたことで麻の存在を知ったわけですが、麻という植物が非常に有用なものだということも知りました。大麻は、日本では縄文時代から使われている、日本人の生活に密着した素材であると。そして、環境と共生していく生き方をするうえで、非常に大切な植物だと思うんですよ。こういう植物をもっとうまく活用することが大事なのであって、日本の社会を今後どうしていくかといういろんな問題を解決していくための大きな素材になるように思います。

 

 

もっともっと見つめないといけないものだと。

 

大麻は本当に大事な、貴重なものです。金のたまごじゃないけれど、本当に大事な植物を、神さまが、大自然が与えてくれた恩恵だと思うんですよ。感謝の気持ちを持って接していくのが、大事だと思うんです。それを犯罪視して、絶滅させるなんてことをやっているわけでしょう。税金をつかって北海道でも処分していますけれども。我々は大自然とともに生き、大自然に生かされているわけですよ。そのひとつの素材が大麻草だと思うんです。だから大麻草を始末するということは、自然に反する生き方だと私は思います。

 

あと弁護士としていえば、大麻取締法事件をとおして、法律とは何かとか、この国の司法っていったいどうなっているのかとか、すごく自分としては考えさせられてきました。しかしこれが、本来の弁護活動だったのかなと思うんです。本来、そういう法律がなければやる必要すらなかったわけですよ。だけど大麻事犯を弁護することで、私も生活をしてきました。そのため、この法律を廃止しないと、私の弁護活動の使命は達成されないように今は思っています。逮捕されるようなことがないようにすることと、今後日本の社会で大麻を有効活用できるようにするまでやらないとね。ただ弁護をするだけで実態が変わらないようでは、私も中途半端だなぁと。このまま弁護活動を終えるのはなんか中途半端だと感じています。73ですからね、100まで生きてね。

でも大きな時代の流れは来ていますので、5年から10年で激動期が来るように思っています。

 

少なくとも、そこまでは戦っていくという

 

はい。私はその次の生き方をしたいです。まず戦争を廃止し平和な社会にする。そして麻も自由に使えるようにする。そして楽しい生活によって地上天国、地上楽園にして、自分の人生を全うしたいなぁと。だから地上天国をつくりたいです。つくったうえで私は天上天国に行きたい。地上天国にしないで天上天国にはいけませんのでね。わたしは、地上に天国をつくりたい。だから戦争をなくさないといけないと思う。自己中心的なものや欲というものが自分の中にもあるし、競争心もある。プライドや名誉心もあるんですが、そういうものを捨て去って、自分をもっと高めていってね、もっとレベルの高い、より洗練された人間になっていかないといけないと思っています。天国に行くには聖者や仏様にならないといけないと思っているですよ。聖者にならないと、本当の平和にはできないと思っています。私はまだまだ未熟ですから、もっと修行を自分でしていかないといけない。自分を磨いていかないといけないと思います。

 

これはヒッピー運動の原点でもありますよね。ヒッピームーブメントの中心が麻の解放だったんですよ。ヒッピーというのは「ヒット」というネイティブインディアンの生き方です。彼らが目指していたのは、大地とともに生きる生き方。「ヒット」というのは物知りとか、よくわかった人という意味です。物質というものにとらわれるのではなく、自然とともに生きる生き方。大地とともに生きる生き方。自分の小さいエゴにとらわれるのではなく、自然とともに生きる生き方。お互いが慈(いつく)しみあって、助け合っているような思いやりのある生き方を目指した社会だと私は思うんですよ。われわれは、それを再現しないといけない。ヒッピー運動を喚起する必要があるんです。

 

でも都会の生活をしているとモノに依存する、電気を使う。だから生きること自体が罪をつくっていることになっているわけですよ、今は。こういう社会を早く変えたいです。生きること自体が人を傷つけるのではなくて、人を喜ばせる生き方にしないといけない。そのためには環境を変えないといけないんです。排気ガスを出すようなものにはのらないし、発電も自然エネルギーを使うとか。武器はまずやめるべきです。原子爆弾はまさそうだし、人を殺す道具はつくること自体が犯罪だと思います。それを今は堂々とつくっているじゃないですか。世界中がやっていますよね。

 

まず先進国は、武器を捨てる選択をしないとダメだと思います。北朝鮮の問題もありますが、アメリカだってロシアだって、みんな核をいっぱい持っているじゃないですか。それを反省してやめないといけないと思うんです。軍事産業が儲かるばかりですね。民衆は税金が高くなるばかりで、どんどん被害だけを受ける感じが私はするんですよ。もっと世界中の人たちが手をとりあって、国境を越えて、お互いに「武器をやめよう」と各国の政府に訴えかけて軍縮やるべきだと思うんです。核兵器をすべて分解すべきです。日本の政府が、きちんと模範を示すことも必要だと思いますね。

 

■ありがとうございました

 

 

 

丸井英弘 (まるい ひでひろ)

1944年、愛知県名古屋市生まれ。国際基督教大学および、東京教育大学卒業。人権の保障と環境問題に対して、法的側面から貢献したいという思いから弁護士となる。1975年から現在まで多くの大麻取締法違反事件を100件以上担当し、一貫して、大麻を刑事罰で規制することの不合理を訴えてきた。大麻についての誤解や偏見を与える情報を是正し、大麻すなわち麻の有効利用を促進するための正確な情報提供を行うために精力的に活動している。