▲侘 寂 萌 インデックス


コイに餌をやる女の子@手賀沼フィッシングセンター
キャベツが入ったメンチカツパン

 セブンイレブンの「キャベツが入ったメンチカツパン」(税込147円)はなぜ冷たいほうがおいしいのか――。

 今日、自転車で手賀沼までいく途中、いままで通ったことのない道を選んで走っていたら、すっかり迷ってしまい、疲れて死ぬほど腹が減ったので、折りよく現れたセブンイレブンに入って「キャベツが入ったメンチカツパン」と「まちのお菓子屋さん」シリーズのチョコレートを買って食べた。

 「キャベツが入ったメンチカツパン」は、店員さんに「温めますか?」と聞かれ、北風が強く身体が冷え切っていたこともあり「はい」と返事をした。「キャベツが入ったメンチカツパン」を電子レンジで温めてもらったのは初めてだ。

 たとえばカレーパンは電子レンジで温めると劇的においしくなる。
 だから今回も劇的においしくなるかと思ったら、案に相違して、あんまりおいしくなかった。
 いや、むしろ冷たいほうがおいしい。
 アツアツの「キャベツが入ったメンチカツパン」は、どうも味がしなかった。

 なぜだ?
 ヤマザキの「大きなメンチカツ」は温めたほうがおいしい。
 それなのに、なぜ「キャベツが入ったメンチカツパン」は冷たいほうがおいしいのか。

 そういえば――普段、惣菜のフライ(コロッケやメンチカツ)をよく買って食べているが、いつも電子レンジで温めずに食べているな。
 衣がべちゃつくのがイヤだから。

 温めた「キャベツが入ったメンチカツパン」がうまくないのは当然で、むしろ温めた「大きなメンチカツ」がうまいほうがレアケースだったか。
 なぜだ?


西印旛沼のマガモ(アヒル)
リハビリはつらつ

 骨折・手術よりほぼ二ヶ月経過。
 回復、捗々しからず。
 肘、未だほとんど曲がらず。ただ、ようやく曲がりかける気配の兆しらしきものが。

 いままでずっと、少し歩くと腕全体が鬱血してピリピリと痺れていたのが、そういうこともほとんどなくなったので、思い切って自転車に乗ってみた。

 これまで診察の帰りに片道2時間ほど、たとえば4つ先の駅前のショッピングセンターまで歩いたりして気を紛らせてきたが、もっと遠くへ行きたくてたまらない。

 恐る恐るサドルにまたがったが、思ったほど腕に負担はかからない。
 幹線道路の歩道を走るのは怖いが(このあたりはどこも歩道が恐ろしく狭い)、すぐに田畑や鄙びた集落を抜ける道に入る。
 スピードを上げる。楽しい。気持ちいい。
 徒歩では片道2時間以上かかる、最寄りの道の駅まで40分ほどで走った。
 ここまできたら戻るつもりだったが、あまりに気持ちいいので、印旛沼まで走ることにした。

 ただ、腕は心配なさそうだが、パンクが怖い。
 パンクしたら、不自由な腕ではとてもチューブの交換などできそうにない。
 路面に目を配り、砂利や段差をできるだけ避ける。

 西印旛沼に出て、高橋Qちゃんの練習コース「金メダルジョギングロード」に入る。
 最高気温は7度に届かず。
 向かい風が強く、冷たい。

 へとへとになって、いつも休憩ポイントに使っているローソンにたどり着く。
 久しぶりにお腹がすいた。
 カレーパンとうぐいすパンを購入。
 駐車場のすみで立ったままパクつき、家から500mlのペットボトルに詰めて持ってきた浄水器の水を飲む。
 うまい!

 結局、西印旛沼を一周して、当初の予定よりもはるかに長距離を走り、家に戻る。
 あー、楽しかった。
 遠くへ行くのは楽しい。束縛されるのはつらい。
 明日は手賀沼に挑戦するか。

 リハビリはつらいよ、じゃなくて――リハビリはつらつ。


生口島 向上寺 国宝三重塔
ガイジンこわい

 ほりえもんとやらがどんな末路を辿ろうが知ったこっちゃあねぇが――。

 なにかといやぁ「欧米に比べて日本は、閉鎖性が云々、危機意識が云々、自己責任意識が云々、外交戦略が云々」などと文系脳のたわごとを言い散らかし、ガイジンじみた整形顔に派手な化粧のチャパツ女に勝手放題させているテレビ屋風情が、ただガイジンと同じことをしているだけのほりえもん叩きに必死という噴飯。

 ガイジンこわいもてぇげいにしろ。
 みんなまとめて二葉亭四迷。

 ていうか、Ask John「日本ではHENTAIとは呼ばないそうですが」の論考。
 そんな、大マジメにあーた。ガイジンのオタクおもしれー。


梨畑と収穫作業用の屋根なし軽トラック
まずいカレーは作れない

 今日はカレーを作って食べた。
 バーモントカレー(辛口)に赤缶のカレー粉とコンソメ、おろしにんにくやケチャップなどを加えて味付け。具は、特売の豚ひき肉に、基本の野菜3種類に、安売りのぶなしめじ。計およそ600円で6食分。

 なんてカレーはうまいんだ。
 インスタント・カレーの存在が、いかに自炊生活を助けてくれているか。
 どう作ってもうまい。まじうまい。

 カレーの素はそれこそ無数に売られているが、おれが好きなのはバーモントカレー。安いというのもあるけど、やっぱり一番おいしい。
 一晩寝かせた系のカレーが売り場でも増えたが、どうにもあのとろみは安いレトルトカレーと同様の不自然さでいただけない。

 レトルトカレーもたまに食べるとうまいのだが、久しく食べていない。
 銀座カリーは確かにうまいのだが、変な言い方だが、うますぎてうまくない。
 ウインナーのシャウエッセンもそうなのだが、味を作りすぎているので、続けて食べると飽きてしまう。(高いし)

 で、一緒に、やはり安売りしていたパックのもずくを初めて食べてみたが、これがうまい。
 みのもんただか、あるあるだか、スパスパだかのおかげで始まった酢ブームもすっかり定着したそうで、スーパー等で酢の売り場面積が増えているそうだが、もずくもまた結構なスペースを確保して売られている。
 もずくうまっ。これはヒット。
 たまご、納豆の二大冷蔵庫常備食品に次ぐ位置をひょっとして占めそうな感じ。

 ところで、キャンプの料理といえばカレーが定番だが、山で食べるカレーは実はおいしくない。
 だから幕営登山のときにもおれは、夕食用のレトルトとしてはカレーは持って行かない。

 お腹が減っているときにはなんでもおいしい――これは間違いだ。
 お腹が減りすぎると、うまいもの、身体が求めるものしか食べる気にならない。
 過酷な運動により死ぬほど空腹なときには、肉。甘ーく煮た肉がうまい。
 レトルトでいえば、すき焼き丼とか、豚角煮丼あたりがもう信じられないほどおいしくて涙が出る。


八千代緑ヶ丘のマンション
リベラルっぽいの辟易

 大阪で17歳が母校の小学校に出向いて殺人。

 子供(に限らないが)による、この手の、意味不明系の殺人もそう珍しくもなく、たびたび起こるようになったが、まあ、仕方ない。
 戦後民主主義の成果なんだから。

 (殺)したければ、なんでも自由に(殺)していい――というのが、戦後民主主義が一貫して子供に教えてきたことだ。それ(自由?)は問答無用で正しく、素晴らしいのだと教え込んできたんだから、殺人が頻発するのも、まあ、しょうがない。

 ウブな小僧が今回のようなエラーをやらかすのは仕方ないとしても、我々が真剣に考えなければいけないのは、無関係の人間を犠牲にしない、ということだ。

 今回の件でいえば、犯行の動機(?)は小学校時代のイジメだそうだが、であれば、この犯人の小僧が向かうべきは、そのイジメっ子だったわけだ。

 なぜ、犯人は、そのいじめっ子に恨みをぶつけずに、小学校の担任にぶつける――どころか無関係の人間を傷つけたのか。
 イジメっ子はコワイけど、学校(先生)ならコワクない――だったら、コワクない方に行っとけ。

 これもまた戦後民主主義の、巨大な負の成果だ。
 直接の相手を攻撃するのではなく、やりやすいところを狙う――これが安全で、安直で、しかも高い利益を得ることができる。
 戦後民主主義が獲得した最も分かりやすい――つまり、一般に浸透した原理はこれだ。圧力団体や進歩的な言論人、マスコミの常套手段。
 犯人の小僧は、テレビや新聞を見て、ちゃんとそれを学習して、忠実に、教えられたとおりに実行したわけだ。ある意味優等生。

 もう、馬鹿がエラーをやらかすのはしょうがない。
 しょうがないから、せめて相手を間違えないように、無関係な人間を巻き込まないように、それだけは教え込まないといけない。

 当事者に面と向かってものを言えってこと。言う度胸がなけりゃ黙ってろ。
 そして部外者である周囲の人間は、余計なお節介焼かないってこと。無責任を通す。


船橋市坪井町の開発地区「船橋美し学園」
土踏まず

 広大な雑木林をすっかり切り開いて造成した定期借地権付きの宅地に、シムシティでまだRの文字が残っている住宅地の発展段階みたいにポンポンとおもちゃみたいな家が建ちつつある。

 この段階の住宅地はどこか廃墟のような寒々しさが漂い、なかなかに面白い眺めだ。
 少子化でそろそろ人口減少時代だというのに、よくもまあ次から次へと、ここでも、そこでも、いたるところで家が建つもんだと関心する。

 「街づくり」のハード面に関しては、よく電柱が邪魔であるとか、バリアフリーなどといったことが取り上げられることが多いが、町を歩いていておれが一番不満なのは、街路樹が少ないことと、土(の道)が皆無であること。

 そんなにどこもかしこも、アスファルトや石で固めなきゃだめかね?
 アスファルトの道というのは、タイヤがついたもので走る分にはまことに気持ちが良いが、歩くには辛い。
 街路樹も、落ち葉の掃除が面倒だというので沿道の住人には不評らしいが。
 土を踏んで歩きたいのは少数派か。


青森駅前
鑑賞意欲

 ラジオを聞いていたら、ここ数日で二度、飯島真理の「愛・おぼえていますか」がかかった。
 べつに突如、飯島真理ブーム再燃(?)とかじゃなくて偶然なのだろうが。

 なんだっけ、マクロスの映画のテーマかなんかだっけ。
 当時からアニメとか見ていないので思い入れも特別ないが、「けっこういい曲じゃん」と思った。
 飯島真理ていど――っていうと失礼だが、たかが飯島真理ていどのB級アイドル(?)が歌う、しかもアニメの曲にしては。――と、作曲は加藤和彦か。

 ラジオを聞いていても、いまどきはロクな曲がない(ロクなものもあるんだろうが耳に届かない)。
 それはJポップとかに限らず、世界的な傾向だ。世界ってのは米国のことだが。米国のコンテンポラリー音楽もひどいもんだ――と思う、たぶん。ろくに聞いてないのでよくわからんけど、きっと。

 これは(ロクなものがないのは)音楽に限らないが、抽象的にいうと、当代の娯楽は総じて「鑑賞意欲」というものを客に対してまったく要求していない。
 商売上の理由から、客の鑑賞意欲など当てにできないというのは分からんでもないが、それでは市場・業界はジリ貧とならざるをえないのだが、それも自業自得。業界の人間と、それよりももっと客の。





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