▲侘 寂 萌 インデックス


宗谷岬灯台
暗くなるまで待つ

 このところずっと晩酌を欠かさない。
 しばらくワインを飲んでいたが、夏の暑い盛りの頃から缶チューハイのたぐいに切り替えて、最近はほぼ焼酎、たまにウイスキーを飲んでる。

 遺伝的に酒が飲めない体質なのに、台所には酒瓶が常に二、三本。駅前までブラブラと歩くついでに酒屋で安酒を物色してる。

 といってもアルコールの量としては、たいして飲まない。
 水で5倍くらいに薄めて、実家でとれた梅で作った自家製梅ジュースを加えて、ちょうど缶チューハイのようにして飲む。

 飲むのは晩飯の時に限り、明るいうちに飲むことはしない。
 あんまりヒマなときには、日の高いうちから一杯飲もうか、ともたまに思うが、「昼間っから飲むのはどうも……」と自制を働かせて飲まないようにしている。

 このあたりが我ながら面白い。
 誰も見ていないし、誰に気兼ねする必要もないというのに、世間的な常識や形式に、どうしても従ってしまう。
 先入観や偏見から自由になるのは容易なことではない。


宗谷岬 日本最北端の地
「オタク」は存在しない

 ――らしい。
 オタク文化に詳しい学者さんの脳内には。

 ヒマなので、リハビリに励みつつ、オタク文化関連の本をさらに何冊か読んでみた。

 あんま面白くない。時間の無駄っぽかった。
 でもひとつ、面白いことに気づいた。
 オタクに関する論考であるはずなのに、いずれの本でもオタクそのものにはまったく言及されない、ということだ。

 オタク――ニュース・バラエティとか深夜のカルチャー系の番組とか「しゃべり場」なんかで晒し者にされる、いわゆるキモオタ。
 どの本でも、そういうオタクが直接扱われることがない、というよりも、存在そのものがキレイに無視されている。

 おもすれー、と思う。
 オタクというのはそこまで忌避されるべき存在なのか、みたいな。
 儲けの対象としてしきりに取り上げられるようになったオタク文化を支えているオタクそのものに迫らずして、オタク文化を分析・研究できるのだろうか。
 まあ商売には関係ないか。
 学者ってのはいい商売だなあと思う。
 こんど生まれ変わったら絶対(©松田聖子)おれも電波学者になろう――とかいう皮肉はともかく。まあ、学者さんの気持ちもわからんでもないが。

 ヒマついでに、図書館の同じ棚に並んでいた宮台真司の本も借りてきて、いま読んでる。
 ラジオのコメンテーターとしては馴染みがあるが、本は初めてだ。
 うーん、とんでもないインチキ野郎だなあ。

 オタク学者さんも含めて、文系脳の脳内論理だわな。
 そんなタワゴトをひねくっていられるようなお前の安逸な生活は、どこかでまっとうに働いているリアルな人間に支えられたものなのだということに対する敬意の欠如。

 まあ、宮台真司は自分自身でそういうエクスキューズを入れているが、入れりゃいいってもんじゃない。
 そういう他人のエクスキューズを批判している宮台センセイの場合は。


宗谷岬 「日本最北端の地」碑
不便より不安

 骨折した左ヒジの回復が遅々として捗らず、なにかと集中できない。
 主治医には「どんどん動すように」と急かされるのだが、筋肉が硬く張って、プラスチックと化したようにヒジが曲がらない。

 暇を持て余しているので、本を読むが集中力が続かず、だらだらと日がなインターネットのページを漫然と眺めて過ごす。
 結構あせる。そして不安になる。この機会に企画をまとめようと目論んでいたが、そんな気にならない。
 風邪で学校を休んで寝ているときの「明日になったら死んでるんじゃないだろうか」状態。

 不安というのが辛いですわね。
 服を着るのも、食事の支度をするのにも不便で、時にイライラするが、不便なことそのものはあまり苦にならない。
 山にいくのも、自転車ツーリングにいくのでも、幕営をするには、両手両足が完全に動かないと難しい。
 日常生活なんかどうでもいいが(笑)、幕営ができなくなったらいやだなあと、それだけがイヤで不安になる。まあ、そう心配することもないみたいだが。

 リハビリ担当の兄さんの「あせる必要ないですよ」の言葉にずいぶんホッとさせられるんだよね。
 変わり者のおれでも、そういうなんでもない、小さなことで安心できたりするのが意外な発見だったり。

 ていうか、マウスのボタンは多ければ多いほどいいと痛感。追加ボタンに機能を割り当てられるのって超便利。
 でも、ワイヤレスの光学マウスはなんだか具合が悪いやね。
 節電のためにLEDの光量を落とすのはいいのだが、電池換えたら反応が突然悪くなってイライラするわ〜!


 塗装工事中の坪井小学校
アーサー・C・クラークの宇宙人

 小説としてどちらが面白いかといえば、それはクラークよりもハインラインの方が面白い。

 クラークは紛れもなくすごいし、必読の傑作をいくつも書いているが、大雑把にいうとクールで人間味に欠け、マンガ的なエンターテイメント性が薄い。
 その点、ハインラインはキャッチーな良質の通俗性に富み、主人公やヒロインが己の力で未来を切り開く肯定的な物語は、まことに好もしい。萌える、のではなく、燃える。

 しかし、社会の仕組みというものを朧げながら知るに至り、ようやくクラークの書いたことの意味が納得されるようになった。

 「2001年宇宙の旅」や「幼年期の終わり」において、人類は宇宙人との接触により、高次の存在へと進化(?)するが、若い頃はこれが不満だった。
 なぜ宇宙人なのか。そういう非ハインライン的な、他力本願的な(誤用)解決が面白くなかった。
(ところで「モノリスは一神教のキリスト教が云々」という説明は違う。クラークもキューブリックも神に興味ないので。宇宙に出て行けば想像を絶する不可思議な存在と出会うに違いないが、それは純粋に物理的な存在であり、神ではない。映画「2001年宇宙の旅」に神は登場しない)

 でも、クラークのいう通りなンだよね。
 人間は自分自身の力では絶対に、宇宙的な存在にまで進化できない。宇宙人に助けてもらわずとも、圧倒的な存在を目の当たりにしない限り。(人間の能力うんぬん以前に、お互いのエゴが対立して無駄な争いを繰り返すばかりなので)
 科学者であるクラークは、つまらない感傷に浸ることもなく、人間社会の有様を冷静に判断して、こういう結論に達した。
 おれもここ何年かでようやく、クラークの遠未来ものの意味を、腹から納得するようになった、ような気がする。

 まあ、いつ訪れるとも知れぬ宇宙人との接触を待たずとも、信長みたいのが出てきて、面倒な連中はまとめて焼き討ちかけて始末する――ってんでも幼年期を終わらせるキッカケになるとは思うが、かなり難しいわね――というようなことを、NHKの番組改変問題とか、どうでもいいことがニュースになっている状況を不愉快に感じながら思う。
 「馬鹿はすっこんでろ」の一言で済むような話だってのに。


船橋市坪井町の畑
ま た 大 阪 ...

 出身地である千葉市のホームページを何気なく閲覧していたら、全国の政令指定都市の人口などの統計データのページがあって、そこで大阪の特異性をハッケンした。

 平均寿命が男女とも、13の政令指定都市中、大阪が最下位なのだ。(平成12年のデータ)

 男性のトップは、千葉市の78.82歳。対して大阪は75.74歳。その差、3.08年。
 女性のトップは、札幌の85.61歳。対して大阪は83.38歳。その差、2.23年。

 男の75.74歳というのは、ほかの都市と比べても際立って短い。
 ブービーの北九州でさえ77.00歳で、75歳台でも76歳台でもないのだから。
 (というか大阪府自体、47都道府県中、男43位、女46位で、男女ともダントツに低い青森県に次ぐ短命グループのひとつ)

 大阪ってのはやっぱり変わった町なんだねえ。
 一度しか行ったことないけど、たしかに、明らかに変わってた。

 大阪は一度、じっくり住んでみたい町のひとつだ。


小樽駅 プラットホーム
サブカル

 社会科学系の理屈を格別信用していないので、特にサブカル系の言説などに興味はなかったのだが、サブカル(?)学者のオタク論みたいなものを一冊読んでみた。

 難しくてよく意味がわかんなかったけど(笑)、書いてあることは違うと思った。直感で。(笑)

 本の冒頭で、「オタクは部外者がオタクについて語るのを極端に嫌う」といったようなエクスキューズを入れて、自分がこれからオタクについて語ることを自己フォローしているのだが、要するにそういうことだ。

 サブカル系のオタク論ってのは、要するにいまならまだ(?)儲かるから乗っとけ、ってだけでしょう?(大塚英志などは別としても)
 自分のため、だわね。

 ヲタクがなぜ二次元に萌えるのか?
 それはリアル女がいくらオシャレをしようと、それはまったく彼女自身のためだからですよ。そういうギラギラした野心に、ヲタクは興ざめしてしまう。

 萌えキャラは違う。
 萌えキャラがかわいいのは、純粋にヲタクのため、だ(少々眉唾)。だから、萌える。

 ヲタクはね、自分自分、あたしあたし、っていう「アタシ主義」が嫌いなんですよ。
 (自分だけは別として(笑))

 おれはヲタクじゃないが、部外者がオタクについて語るのはやっぱり嫌いだ。
 (腕の調子がいまひとつなので、元気なときに再考)


函館 五稜郭駅前
土鍋炊爨

 炊飯器を使わなくても、ご飯はあんがい簡単に炊けるものです。

 たいしてコツもいらない。
 「はじめチョロチョロ、なかパッパ、赤子泣いても蓋取るな」という文句があまりにも有名ですが、まずこれは忘れるべし。

1. 土鍋はダイソーで100円で売っているもので充分。ぼくはこれ。旧横川駅の「峠の釜飯」の釜でも充分炊ける(らしい)。普通の金属鍋でも以下の手順で恐らくOK。
2. 米1合を手早く研ぐ。(無洗米はだめ, まずいし協会が怪しい団体なので)
3. 水200mlを足して、30分以上浸しておく。
4. ガスコンロに乗せ強火にかける。(二口以上ある場合は火力の弱い口を使う, あとでできるだけ弱火にするため)
5. 煮こぼれたら(蓋の穴から泡が吹き出したら)、すぐに弱火に落とす。(ギリギリ消える直前くらいまで弱火にする)
6. このまま12分待つ。
7. 火を落としたら8分蒸らして、完成。熱々のうちに食うべし。水加減と加熱、蒸らし時間はお好みで調整。

 ――というのは、なんの前振りかというと、ウェブでCDとコンサートのチケット買ったら疲れてしまってもういいやー。腕が鬱陶しい。
 銀行にクレジットカードに、各種ウェブサービスのIDにパスワードだらけで面倒くせー。


函館 新雪積もる駐車場
稚内の女子高生

 -7度の稚内でも女子高生のスカートはミニだった。おまけにタイツもストッキングも履いていない生足。

 おどろいた。
 青春18きっぷを使って、各駅停車で稚内まで行くあいだ、山形以北ではずっと雪降りだったが、秋田や青森の女子高生が雪の中、ミニスカ・生足で歩いているのを見てまず驚いたが、北海道に渡れば、さすがにそんな女の子はいないだろうと思ったところが、とんでもない。

 前線の通過による猛吹雪の函館でもミニスカ・生足。
 軒にマンガみたいなツララがぶら下がる旭川でも、ミニスカ・生足。
 日本最北端の地、稚内でもミニスカ・生足。

 すげえ。-7度だぜ? それでもミニ。
 実に馬鹿げているが、ここまでくると「天晴れ」の言葉を彼女たちに贈りたい。

 寒いときにヒトが厚着をするのは、そうしなければ死ぬから、というまったく単純にして科学的な理由によるが、女子高生が氷点下の雪のなかでもミニスカ・生足でいるのは、そうしなければ死ぬから――というのは大げさではなく、生存に不利だから、だ。(少なくとも女子高生たちに与えられたルールでは)

 ほかの女の子がミニスカ・生足なのに、自分だけタイツなんか履いてたら、生きるのに不利、だということを-7度の寒さよりも身にしみて実感しているわけだ。
(まあ、スカートの下にジャージを履いた「埴輪ルック」の女の子も結構いるはいるが)

 すげえ。
 女子高生、すげえ。
 伊達酔狂のかぶき者、粋オツ洒脱な風流人。

 でも、片手落ちだな。
 腰から下は萌えるンだけど、上半分は萌えない。

 顔がまずい――ってのも失礼だが、表情がね、よくない。
(これは稚内の女の子のことではなく)


JR蟹田駅 津軽海峡を渡る特急を待つ
しかしなんていうか

 大谷昭宏ってひとは馬鹿なのかね――って、松の内から早くも乱暴なことを書いてしまったが。

 「フィギュア萌え族」(仮)とか、勝手な造語には目をつぶるとしても、「萌えエロを規制すべし」という主張が意味するところは、つまりは「ヲタはキモイから氏ね」ということを文字通り意味していることに、まったく気づいておられないご様子。

 おれ自身は差別容認主義者なので(笑)、そういう主張を良いとも、悪いとも思わないが、オータニさんみたいなジャーナリスト(笑)は、戦後民主主義を信奉するリベラル派で、自由だの平等だのを語って(騙って)ずいぶんいい思い(高収入)をしてきたわけで、そういう進歩的(笑)な人があからさまに「ヲタは氏ね」とか言っちゃうのはまずいわな。
 いくら馬鹿だからといって、戦後民主主義的には、本来タブーともいえる差別発言だわな。
 オータニさんがそういうことを言いたいんなら、私は差別主義者である、という立場を堂々と表明した上で仰らないと自己矛盾してしまうわな。

 この戦い(?)、ヲタクかオータニさんか、どっちが勝つか、まあ見ものだね。
 別段ヲタクにシンパシーを感じるわけでもないが、戦後民主主義が本来(金づるとしての民主主義ではなく)、真に目指すところの正義がヲタクの側にあるのは明らかだわな。


清水寺 仁王門と三重塔
あけおめことよろ

 片腕の自由が利かないというだけで、めしを食うのも苦労すれば、寝返りひとつ打てずに不便もいいところだが、これが縄文時代だったらかなりの確率で飢え死にしていたかもしれないわけで、今年からの人生はラッキーにも手に入った余生だと思って、神に、などではなく、テクノロジーに感謝する。
 なによりウォシュレットの便利さに多謝。





▲侘 寂 萌 インデックス