▲侘 寂 萌 インデックス



二〇〇一年

 たまたまクラークを10年以上ぶりに読み返した直後だったので、BSで放映された<2001年宇宙の旅>を久々に見てみた。

 傑作だね。すべてが素晴らし過ぎる。
 完璧な構図とリズム。額に入れて飾っておきたいほど、すべてのカットが完璧だ。
 映画を見たのは今回で4,5回目だが、クラークの遠未来もの長編<都市と星>,<幼年期の終わり>を読んだばかりだから「こんなに分かっていいかしら」(川津祐介)ってくらい内容もよく分かって(自分なりに解釈できて)楽しかった。

 映画<2001年>が非SF読みにとって難解なのは当然なのだが(クラークの遠未来ものでも読んでいない限りゼッテーわかんね)、それにしても2点不可解な点があったので原作(というよりも小説版)の<2001年>を今回初めて読んでみた。
 2点とは、HALエピソードの映画本編に占める異常なウェイトの高さと、最後、ルイ王朝風の白い部屋の意味、何故ルイ王朝風? この2点。

 ビックリ。フツーに分かりやすい! 小説版は。
 全ての謎がきちんと合理的に説明されている。さすが。エヴァとは違う。
 でもなんていうの? 映画のあの、恐ろしいまでの美しさ? がないよねー、みたいな。神をも畏れぬ発言だが。

 映画<2001年>が難解なのは、監督・クーブリックの「狙い」がまったく示されていないからだ。
 観客ってのは横着なもんで、いちいち「はい、ここが泣くとこですよ〜」ってキュー出してもらわないと楽しめないんだよね。近年その傾向顕著過ぎ。

 クーブリックと共同で脚本を書いたクラークの<2001年>に込めたメッセージは簡単にいえば「悠長なこと言ってる場合じゃねーぞ!>人類」ってことなんだよね。いやちょっと違うか。「あらゆる先入観を捨てなさい」って感じ? 「宇宙船地球号とか、ジェンダー・フリーとか、リサイクルとか言うのやめれ!」みたいな。あるいは「宗教ヲタはDQN」とか。ある意味ジョン・レノン(と歌詞はオノ・ヨーコの共作?)の<イマジン>と同趣旨か?

 ――と、共同脚本のクラークはそういうことを言っているわけだが(明示的ではないにせよ)、クーブリックは「別になんでもいい」んだよね。遠い未来の一場面を提示しているだけ。「正しい・間違っている」「いい・悪い」「好き・嫌い」あらゆる判断を排除している。確固たる哲学として「なんでもいい」。
 すげえ。だいたいが人間ってのは自己主張せずにはおれないのに、クーブリックはこれっぽっちも自分の価値判断を盛り込んでいない(ように見える)。それが映画<2001年>を永遠の傑作たらしめている。

 テレビとか新聞とか、チンケな判断盛り込み過ぎ。しかも本心と裏腹。



田舎暮し手鍋暮しいとをかし

 うわあISPやネット取引のIDやらパスワードて覚えているようで忘れていてすっかり困ったことになってらあみかけハこハゐがとんだいゝひとだ。





▲侘 寂 萌 インデックス