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2000/ 11




●2000/11/25 高畑勲

 このところひどい風邪を引いたりして、ずっとヒッキー状態。

 で、ぼんやりテレビを見ていたら、NHK教育で、十代の子供らの問題に関する番組をいくつかやっていた。村上龍のやつ(司会の町永俊雄アナがよかった、こういった文学的な番組によく出てる)としゃべり場の前島君が出てたやつ。

 僕はエロゲ屋で、十代の子供相手の商売だから、少年問題についてエロゲ屋なりに色々考える。けっこうマジに。(ていっても、甘えてんじゃねーよというスタンスで、都市住民みたいに、優しくは考えてやらない)

 最近の子供は大変だよねー。大人からは妙な配慮をされ、自分自身、妙な配慮をしなくてはならない。

 昭和40年代生まれの僕が子供の頃は、インチキ臭いことをインチキ臭いとあっけらかんと言えた。
 年末の街頭募金がインチキ臭いと思えば、「ちぇっ」とか言っても別に虐められなかった。ていうか、それがマジョリティーだったしね。

 今の時代、とてもそんなことは言えない風がある。
 環境問題であるとか、介護であるとか、各種ボランティアは天皇制以上のタブーだ。僕みたいな馬鹿でも、怖いからあんまり具体的に書けない。

 不健全だよねー。

 興味がなくてもパラリンピックは素晴らしいと思わなくちゃいけないし、浮浪者のことはホームレスって言い換えなくちゃいけない。現代の十代はヘソの緒切ってからずっとインチキ野郎(©サリンジャー&野崎孝)でいなければいけない。

 これは思春期の若造にとっては辛いかもしらんと思う。そういう微妙な違和感が積み重なって、結局、マジな奴(馬鹿,ロマンチスト,ウブな奴)は殺しちゃうんだよねー。
 現代の十代の不幸は、お前なんかどうだっていいんだよ、と扱われないことだ。その点、僕は四人兄弟の次男でラッキーだった。

 エロゲ屋みたいなヤクザな仕事ですら、現代では行儀良くしていないといけない。

 ふざけるなソフ倫とか、雑誌屋はなにやってんだとか、ライター連中ってだいたいピーコ野郎だよねーとか、若いくせに元気ねえよとか、そんなことは表立って言えない。

 さて、答はどこにあるのか?
 この窮屈な状況に関して、大人たちは答が見いだせなくてオロオロしている。

 僕が知る限り、この問題に正面切って、ストレートに、シンプルに答え得たのは高畑勲だけだ。

 テキトー。

 ホーホケキョ となりの山田くんのこのテーマは、考えれば考えるほど素晴らしい。
 やっぱスゲエよ、高畑勲!

(「テキトー」って言葉、いしいひさいちの原作にもあるのか? たぶんないと思うんだが...あったら、いしいひさいちも改めてスゴイ。ていうか、となりの山田くん、実はまだ見てないんだけど、テレビでやってるのを2,3カットみただけでも面白かった、傑作だと思ったヨ)


●2000/11/12 第三の男

 石器を自分で埋めていた藤村さん。
 非常な批判を浴びているが、気持ちは分からんでもない。

 批判一辺倒でなく、もうちょっと大らかな心というか、人生に対するルーズな姿勢というか、さらには科学的な視点があってもいいのじゃないか。歴史なんてそんなもんだと、自らの人生をかけて改めて認識させてくれた彼の功績は小さくない。

 多くの人間にとっていびつな、だが表立っては反対できない類の平等主義が蔓延しているせいで、大っぴらに差別出来る人間、虐めてもいい人間が現れれば条件反射的に容赦なくいたぶってしまう。
 僕は名刺折りおじさんも、森首相も好きだけどなあ。

 さて、僕の1本目と2本目のゲームは、原チンと僕の二人でシナリオを書いたことになっているが、実はもう一人いた。会社では秘密にしていたが。

 その第三の男は原チンの知人で、この件に関しては原チンとも話したことはないので何者かは知らない。原チンとはもう連絡は取れないので、恐らく永久に分からない。

 二本のゲームとも企画は原チンなのだが、とにかく彼は全然会社に来ない。僕は社長に小突かれて(こんな風に小突かれながら仕事を覚えたのも、僕あたりが最後の世代だろう)、何度か多摩動物公園の原チンの家まで行って、フロッピーディスクの中身を探ったものだった。

 原チンは会社ではほとんどシナリオを書かず、いつも家にもいなくて、どこかよそで書いている風だった。
 原チンが会社で書いたセリフに比べて、どこかで書いてきたセリフは、まるで別人が書いたように冴えた出来映えだった。
 というか、別人が書いていたのは明らかだ。

 その第三の男のシナリオの出来映えは鮮やかだった。僕は特に、二本目のゲームのロングヘアーの女子高生シナリオの導入のうまさに感心した。

 原チンはコンピュータ専門学校の出身だったから、第三の男は同級生だったのだろう。
 彼は今、どこで何をしているのだろう。ゲーム屋をしているんだろうか?
 是非、会ってみたいなあ。


●2000/11/05 幕張

 実家の祝い事で幕張のホテルに行ってきた。
 完全にSFの世界だよね、幕張。行くたんびたまげますわ。

 僕が子供の時分、幕張は潮干狩りで知られるだけの田舎町で、隣町の僕らにとっては野犬の群とツッパリの多い危険エリアだった。

 ところが今や幕張にはカリガリ博士みたいなマンションとかサイケな建物の連続で、建築学科志望だった僕にとってはなかなか興味深い。

 でも住む街じゃないよなあ。
 あの一帯、渡辺篤史の建物探訪状態。「エコロジー、イッツいーじー!」的違和感。

 まさか幕張なんかで、TVチャンピオンのケーキ職人選手権三連覇、
シェフパティシエ横山知之のケーキみたいなものが食える時代が来るとはなあ。
 モンブランの中の焼いたメレンゲ(うまい)よりそっちが驚きますわ。

 ていうか、あんな田舎がどの道もアホみたいな渋滞なんて、間違ってるわ。

 (しばらく時間が経って...)

 なんで、↑こんなことを書いたのかなあと思って考えて、そうか、自分の故郷に、この日記で書いてきたところの都市住民文系の連中が増えつつあることが気に入らないんだと気づいた。
 もっと寛大にならないと


●2000/11/01 学園物の条件

 前回の蛭田昌人論で、蛭田さん及び同級生について書いた後、では学園物の条件とはなんだろうと考えてみた。
 うんうん唸りながら仕事するうちに、ふと思いついた。我ながら的を射ていると思う。

 主人公とヒロインが喧嘩する
 これが学園物、青春物、ジュブナイルの絶対に外せない条件だ。

 この点で、いわゆる泣きゲー古典的な青春物の対極に位置するものであることがわかる。

 以前の日記で、現在のエロゲのヒロインはユーザー自身であると書いたが、なるほど、当然ながら自分自身とは喧嘩できませんわな。

 しかし、やっぱ喧嘩はした方がいい。そうじゃないと一足飛びに殺しちまったりするから。





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