8月25日(金)晴れ
 今日は、八王子へ行く。終わったのは、5時近く、疲れた。ぼやっと見ているのも疲れるのである。家帰る途中、スーパーによって、山行用のパンを買ったりする。今日から、山に行くのである。11時5分の夜行バスに乗って富山まで行かなければならない。であるので、家に帰ってから、ちょっと仮眠をとった。なかなか、これでも忙しいのである。

 池袋の東口から深夜バスが出る。バス停まで行くと、人がたくさんいる。今日は、富山行きのバスは3台出る。山登りに行くものが、大半と思いきや、そんなに多くない。もう、夏山シーズンも終わりだからだろうか。この富山行き、電車に比べて安いせい(7350円)もあるのか、人気があるようである。深夜バスというと、スキーバスの狭くて寝れない感じがして、遠慮したくなるのだが、このバスは、座席が180度近く倒せて、座席も少なく、仮眠をとれる。そういうのも、高速に入る前、消灯となる。高速を途中三カ所停まるのだが、深夜ともあって、特にアナウンスはされない。うつらうつらしていると、富山に着くという案配である。ただ、運転席後ろの1C,1Dは、ちょっと狭い。予約する場合は、避けた方が良い。実は、今回この席で、足を伸ばすことができなかったのである。

8月26日(土)晴れ時々曇り
 富山には、5時50分に着いた。定刻通りである。富山地方鉄道の立山行きの電車は、6時35分で、その間、コンビニを探したりぶらぶらする。ちょうど、駅前にあったので、入ってみると、店員が古くなったサンドイッチやおにぎりをかごの中に捨てている。しょうがないので、到着したてのかごの中から、サンドイッチを買った。
 電車がやってきた。出発の10分前にならないとホームに入れない。ぞろぞろと人が集まってくる。車両は、2両しかないので、乗れないと思うのであろう。時間になって、車両に乗り込む。山に行く人もいるが、立山に観光に行く人も多い。有峰口に着く間、朝食を済ます。有峰口には、7時20分に到着。出ると、バスが待っている。でも、荷物の計量があって、それを終えないとのれないのである。ザックは10キロ以下だったのでお金は払う必要はなかった。
 バスは、途中、有峰ダムのところで停まる。折立には、8時50分に着いた。土曜日と言うこともあってか、車で来ているいる人が多いようである。駐車場には、車が多く停められていた。
 9時10分に折立を出発する。最初、落葉樹の林の中を登っていく。一時間ほど登ったところで、稜線にでる。そこから、太郎平に続く道が見える。太郎平の稜線上の道は広い。有峰湖を建設中の時に、前田建設に頼んで道を造ってもらったと言うことである。その時ブルドーザーがはいって、道を整備したというから、なるほど、広いわけである。この道は、雨が降ると、土壌の流出が起きて、荒れたのだが、木道の整備によって防止できるようになったそうである。当時、1キロ敷くのに2000万円かかったと言うから、めちゃくちゃ金がかかっている。
 尾根筋を登って、いったん、下り、上り返し、そのまま、広い道を進むと、木道が現れる。そうすると小屋も近い。太郎平に着いたのは、12時35分であった。ここに泊まっても良かったのだが、時間があるので、20分ほど休憩した後、薬師沢小屋に向かう。太郎平からは、下りの道で、降りきって、沢のある湿原をしばらく進み、また、下ると薬師沢小屋に着く。8月の後半でもあり、花はあまり見ることはできなかった。ただ、太郎平から、ゆく人はあまりいない。静かな小屋を期待していったのである。
 14時55分に薬師沢小屋に到着した。久々歩いたせいか、頭が痛い。だいたい、汗をかき、風に吹かれるとこうなる。体力がないのである。バッファリンを飲んで、休む。休んでいると、食事の時間になった。なんと、今日はカレーであった。正確に言うと、カレースープごはんである。これってすごくない?今時、こんな食事を出すところはないのである。ホントにすごくて、具なんって入っていないのである。どうも、荷揚げをあまりしていないようなのである。トイレットペーパーもない。これで、8400円は、高いなあ。次の日に泊まった人にきいてみたら、やはり、カレーだったという。太郎平小屋を避けて、ここに来たのが間違っていたのである。ここに泊まってはいけない。
 そんなではあったが、時間が来ると消灯になって、眠るのであった。

8月27日(日)晴れ
薬師沢小屋での朝食は、これまたひどいものであった。小屋の規模が小さいので、このような食事になるのではないかと考え、今日は、雲ノ平に泊まろう言う結論になった。食べ物は、切実な問題である。
 6時に小屋を出発。大東新道を行き、高天原に行って、それから、雲ノ平に行く予定であった。大東新道と言うのは、大東鉱業と言う会社が、金鉱を採掘しようとして作った道である。薬師沢に沿ってつけられている。高天原小屋も、もともと、大東鉱業の飯場跡に建てたものである。しかし、こんな奥深いところに金鉱を求めて入るなんって、ちょっと考えられない。

 薬師沢にそって進む。7時25分にA沢出会にあたる。沢は崩壊しており、土砂が崩れ落ちている。ここから、沢の中州にでて歩く。10分ほどでB沢出合である。ここから、沢を離れる。B沢を登って行くと、左に道が付いており、その道を登っていって、沢を離れる。地図では、沢に沿って、トラバースしていくような感じであるが、途中、小さな沢を横切るので、そのたびに上り下りがある。二時間ほどあるいて、高天原峠に着く。ここは、雲ノ平と高天原を分ける。峠から、高天原へは、下って行く。沢の音が聞こえ、下りきると、沢の流れている湿原となる。環境保護のため、木道がしかれている。

 小屋へ行く途中、ワタスゲが密集していた。高天原は、湿地帯であり、高山植物が多数見られるとても良いところである。小屋には10時30分に着いた。小屋の屋根が真ん中あたりでへこんでいる。悪い予感がした。とりあえず、温泉に向かうことにした。
 温泉は、小屋から15分のところにある。下りで、風呂にはいった後、登らなければならない。一寸、厳しい。下っていくと、沢に出会う。沢の左側に、二つ風呂があり、一つは女性用、一つは混浴である。風呂は、素晴らしかった。

 乳白色で、硫黄泉である。汗を落とすにはちょうど良い。ただ、今時の温泉と違って、非常に濃い源泉である。硫黄が肌につき、山から帰っても、匂いが残っていた。これが、本当の温泉と実感した。
 温泉から小屋に戻って、ビールを飲んだら、もう、雲ノ平に行く気はなくなってしまった。でも、食事が心配なので、小屋の人に、カレーじゃないでしょうねときく。カレーじゃないというので、安心する。実際、夕食は、とても美味しかった。今回の山小屋の中で、一番良かった。
 何もすることがない。最近は、山小屋でのこの時間が嬉しい。やることがないので、小屋に置いてある本を読む。辻邦生の短編小説があったのでよむ。『城』を読んでみる。これは、ほとんどが単文で書かれていて、タ形で終わっている。読んでいて、とても読みづらい。辻邦生は、実験的にタ形を用いたのだろうか。でも、これは、失敗だね。簡潔性よりは、タ形を連ねることによって、冗漫な感じが出てしまう。タ形の場合、現在と切り離された事実を述べるため、読者は、物語にはいることができなからね。
 そんなこんなで、眠たくなって寝てしまったのだが、話し声で起こされてしまったのである。二人の中年の女性が、延々と話しているのである。大声ではない。だけれども、はっきりと聞こえるのである。話の中身から、彼女らがどこに住んでいて、どういう仕事に就いていて、何に不満があるのか、わかってしまうのである。飽きることなく話す。これには、さすがに参った。
 待ちに待った夕食である。今日のは、ごちそうである。例の二人づれも、食事らしい食事を食べたと行っていた。薬師沢小屋のカレーはほんとにひどいからね、そう感じるのである。今回の山行で一番良かったけどね。食事の時、となりに関西出身の家族連れがいた。三世代の家族のようである。でも、これがうるさいのである。もともとうるさいのに、酒が入っているから、ますますうるさい。特に、一人のおばさんがテンション高く、一人で盛り上がっていた。夕食を終えて戻ると、例の二人のおばさんが、ほんとにおばさんはうるさいと言っている。どっちもどっちである。

8月28日(月)曇りのち晴れのち曇り
 朝起きると、曇っている。今日は、雨かなと思ったが、高天原峠を登るにつれて、晴れてきた。山荘を出発して、50分ほどで峠に着いた。7時15分であった。雲ノ平へは、そこから登りながら進む。途中、開けた場所に出会う。8月の最盛期なら、花が多く見られそうである。何回か登りなおしていくと、電波塔とのところに出る。電波塔から下って、登り返すと小屋が見える。9時10分に小屋に到着。すでに登山者は出発してしまっていて、人はいない。そこでケーキセットを頼む。まずますであった。写真を撮ったりしたりして、ぶらぶらしていると、若い女性が一人カメラを持って登ってきて、写真を撮っているので、撮りましょうかと言ったら、いつも一人で登っているので、自分の写真はないので嬉しいと言っていた。偉く喜んでもらえて嬉しかった。

小屋を9時45分に出て、祖父岳に向かう。途中、水場を通るが、水は流れていなかった。そこが、テント場になっているが、テントはなかった。水場から離れて登っていくと、黒部の源流と祖父岳に向かう分岐に出会う。祖父岳に向かい、登り切ったところが頂上となる。11時35分に着く。そこから下っていくと岩苔乗越に着く。ここから、鷲羽岳に向かう。登っていくと、ワリモ岳に着く。頂上にのぼって見ると、360度の展望である。そこから少し下り、登り切ると鷲羽岳に着く。途中、例の家族連れに追いつく。頂上には、13時30分についた。頂上で記念写真を撮っていたら、例の家族連れが写真を撮ってくれと言う。このときになると、かなり馴れ馴れしい。10分ほど休んで、下る。鷲羽岳から三俣蓮華小屋への下りは、ざれたところを下る。かなり急斜面なので、滑りやすい。三俣山荘には、14時28分に着いた。一時間ほどの下りである。休憩していると、例の家族連れが写真を撮ってくれと言うので、写真を撮る。もう、家族も同然である。明日帰ればならないので、三俣山荘には泊まらないで、双六山荘に向かう。雲行きは怪しく、雨が降りそうだったが、例の二人連れもいるし、静かさを求めて、双六に向かったのである。
 小屋から登っていき、しばらくすると三俣蓮華岳へ分岐に出会う。そのまま、トラバースしながら、双六に向かう。時たま、雨が降ってきたが、山荘には、16時20分に到着。小屋は、新しい。宿泊する人は少ない。この小屋は、民宿に近い。食事もまあまあだし、電気も明るい。この小屋のオーナーの小池さんは、写真家でもあり、サイン入りの本を売っていた。快適と言えば快適なのだが、部屋が密閉性が高いので、布団が湿ってしまう。朝起きたら、結露がすごい。新建材だとこうなってしまうのだね。

8月29日(火)晴れ
 朝、ガスがあったが、すぐに晴れる。快晴である。双六山荘を6時5分出発。稜線に出ると、槍穂高連峰が見える。

鏡平の分岐に7時に着く。稜線から離れ下る。鏡平小屋に着いたのは7時40分であった。そして、10時20分には、新穂高温泉に着く。これで、今回の山行も終わる。無料の温泉施設に入った。平湯行きのバスにのり、平湯で、14時35分の新宿行きの高速バスに乗った。家に着いたのは、7時であった。