からん からん



 喫茶店のドアベルが、心地の良い音を奏でる。

 その音と共に、ひとりの青年が店内に入って来た。

 その青年は入り口近くで店内を見回している。どうやら、待ち合わせの相手を探してるようだ。

 青年の顔は右から左へと廻っていき、店内を見渡し切ったように思えたとき、彼の首はぴたりと

止まった。

 そして青年はふっと顔を和らげると、左奥の方へと歩いていく。


 彼の目指す先には、空色の髪をしたひとりの女性が、黒いスクゥエアのサングラスをかけて

すまし顔で座っていた。




   「綾波、待った?」


 そう声を掛ける彼に、彼女は少しばかり不満顔で応えた。


   「…なんでわかったの?」


   「なんでって…。綾波がわからないわけないじゃないか。」


 彼は訳がわからない、といった面持ちで、彼女の向かいの席に腰を下ろす。


   「せっかく変装してきたのに…。」


 頬を朱色に染めた恥ずかしげな表情で、彼女は俯き加減に彼を伺う。


   「え?! 変装のつもりだったの?」


 驚きの声を上げる彼に、彼女は小さく肯く。


   「あはははは、相変わらずだね、綾波は。

    サングラスを掛けたって、綾波はすぐにわかるよ。」


 そう笑う彼に、彼女は軽くそっぽを向いた。


   「あ、ゴメン、怒った?」


 青年は彼女の顔を覗き込むようにして、小さく頭を下げる。


   「…碇くんもすぐに謝る癖、治ってないのね。」


   「あ、ごめ…。じゃなくって…。あ、あはは、はははは…。」


 照れくさそうに笑う彼に、彼女は優しく微笑む。


   「お互いさまね。」


   「そうだね、お互いさまだね。」


   「ふふふ…。」


   「ははははは。」


 ふたりは顔を見合わせて、楽しそうに笑った。





























命の価値は


外伝 参


二度目の輪舞曲






























   「そういえばさ、レイの誕生日っていつなの?」


 話のふとした合間に、アスカが何の気なしに尋ねた。

 それは今からちょうど一年前。

 レイがアスカとシンジと共に、とある喫茶店でのどかな午後のひとときを過ごしていた

ときのことであった。


   「誕生日?」


   「そうよ、誕生日。」


 アスカは手にしたアイスティーを置き、レイに尋ねる。

 グラスの中の氷が踊って、シャラン、と小さな音を立てた。


   「あたしは12月4日でしょ。シンジは6月6日よね。

    でもさ、レイの誕生日って知らないのよね、あたし。」


 アスカの向かいに座るレイは、ミルクティーのカップに口を付けながらさらりと言う。


   「私には誕生日って、ないの。」


   「ないって……。」


 シンジは隣に座るアスカの腰を、テーブルの下で突付く。

 彼女はすぐさま、はっとした表情に変わった。


   「あなたも知ってる通り、私はああして生まれたから…。」


 少しだけ、気まずい沈黙が漂う。


   「あ、ごめん、レイ…。

    変なこと聞いちゃったわね。」


 アスカは神妙な顔で、向かいの彼女に向かって顔を伏せた。


   「気にしないで。アスカのせいじゃないし、仕方がないことだもの。」


   「それに…。」


 レイは、一息置いて続けた。



   「私は今ここにいる。このことは本当のことだもの。


    今は、ああして生まれてきたことに感謝しているわ。」



 綾波レイ、という名の彼女は、惣流アスカラングレーと碇シンジに深い微笑を向ける。



   「あなたたちに逢えたから。」



 その飾り気のない無垢な笑顔に、ふたりは言葉に出来ない感慨を受ける。

 その透き通った笑顔に、言い知れない喜びを感じる。


 そして三人は、思い出にするには未だ早すぎる過去に、想いを馳せた。

























   「じゃあさ、僕たちで綾波の誕生日を決めようよ。」


 突如、口を開いたのはシンジだった。


   「あ、いいわね、それ。

    シンジにしちゃぁ、いい考えじゃない。」


 アスカはシンジの頬を人差し指で突付く。


   「なんだよ。人がせっかく…。

    アスカは一言多いんだよな、いつも。」


    「なによ、ばかシンジのくせに、あたしにたて突こうっての?!」


 相変わらずの口喧嘩を始めそうなふたり。

 しかしそれは、そのことをどこか楽しんでいるかのような、雰囲気でもあった。



 レイはふと、笑みを漏らす。







   『このふたりも変わったわね。』





       『そうね、私も……。』


























   「レイは何時がいいの?」


 ぼうっとしていたレイは、アスカの言葉にやや驚いたようだ。

 両手で握っていたカップをソーサーにぶつけて、カチャンと鳴らした。


   「え、何時って?」


   「も〜ぅ、あんたもシンジと同じで時々ボケっとしてるのよね。

    まぁ、シンジよりはマシかもしれないけど。


    だ・か・ら・ぁ

    レイの誕生日のことでしょ。」


 両手を大げさに広げたアクションで、アスカは溜息交じりに言う。


   「急に言われても…。」


   「そうだよ、アスカ。

    そんなの、急に決められないよ。」


 シンジはレイと顔を見合わせて、肯く。


   「相変わらず優柔不断ねぇ。

    よし、じゃぁ善は急げって言葉もあることだし、今日にしない?

    ね、レイ、どう?」


 アスカは楽しげな口調で、レイの顔を覗き込む。


   「ア、アスカ、そんなの駄目だよ。

    もっと真剣に考えないと…。」


   「ね、綾波もそう思うよね?」


 シンジは抗議するような口調で、レイに同意を求めた。

 しかしレイは、シンジの思惑とは裏腹にあっさりと承諾する。


   「私は今日でいい。」


   「あ、綾波…。」


 戸惑うシンジをよそ目に、アスカは弾むような口調で言った。


   「さっすがレイ、話が早い!

    そうと決まったら早速パーティーの準備よ。

    シンジ、相田と鈴原にも連絡して。私はヒカリに電話するから。

    みんなでパーッとやるわよ!」

















* * *















   「あのときはどうしようかと思ったよ。」


 一年前のことを思い出して、シンジは苦笑する。


   「今だから聞くけど、ホントに今日で良かったの?誕生日。

    もしかして、もっと記念になる日とかあったんじゃぁ…。」


 心配そうに話すシンジに、レイは笑顔を湛えながら言った。


   「私はあの日、とても嬉しかったの。

    碇くんとアスカが私の誕生日を決めてくれる。そのことがとても、嬉しかったの。

    だから、私の誕生日は3月30日の今日でいいのよ。」


 その言葉にシンジは安堵すると共に、彼女の想いを感じた。


   「そう…。それならいいんだ。

    だってさ、アスカが思い付きで決めちゃったみたいだから、気にしてたんだ。」


 ほっとした表情の彼に、彼女は優しく言う。


   「碇くん、ありがとう。」


   「でもね、多分アスカも、思い付きで言ったんじゃないと思うわ。

    きっと、そうだと思うの。」



   「ふーん、そうかな……。」


   「うん、そうかもしれないね。だってアスカだもんね。」



 ふたりは、金色の髪の彼女を思い浮かべながら、お互いの顔を見合わせて笑った。









   「はい、綾波。」


 シンジは手にしていたバッグの中から、包装紙に包まれた細長い箱を取り出す。


   「誕生日のプレゼント。気に入ってもらえると嬉しいんだけど。」


 照れくさそうに、頭を掻きながら手渡すシンジ。


   「あ、ありがとう、碇くん。」


 対してレイは、本当に嬉しそうな笑顔で、戸惑い交じりにそれを受け取る。


   「開けてもいいかしら。」


 肯く彼を確認して、彼女は包装を解いていく。

 その中から現れたのは、真っ白なケース。

 レイは、胸を躍らせながら、それをゆっくりと開けた。


   「わぁ…。」


 そこから現れたのは、シルバーのネックレスだった。

 細身で決して派手ではないが、気品のある、そしてそれなりの値段がしそうな品物であった。


   「碇くん…。本当にこれ、いいの?」


 不安げに尋ねるレイに、シンジは微笑みで答えた。


   「綾波、付けてみてよ。」


 レイはこくんと肯き、彼女の細い首に、銀の鎖を大切そうに結び付けた。


   「どうかしら?」


 頬を赤く染めながら、彼女は満面の笑みで、彼に向かう。


   「うん、すごく良く似合うよ。」


 そう答えるシンジに、レイは、この上ない笑顔を見せた。












   「そろそろ行こうか。

    アスカがパーティーの準備をして待ってるはずだから。」


 シンジはテーブルの隅にあった伝票を手にしながら、立ち上がる。


   「そうね。行きましょう。」


 そうしてレイも席を立つ。

 しかし彼女は、何かに気付いたかのように暫しの間、眼を閉じた。


   「綾波、どうしたの?」


 不思議そうに尋ねるシンジに、レイは、目を閉じたまま言った。


   「この曲…。去年も流れてたの。」


   「この曲…?」


 シンジもまた、その曲に耳を傾ける。


   「あぁ、ベートーベンのロンドだね。僕もこの曲は好きだよ。

    それにしても綾波、よく去年のことなんか憶えてるね。」


 妙に感心するシンジ。

 対してレイは、笑ったまま、何も言わなかった。







   『だって…。私の初めての誕生日のことだもの。』
















 カウンターで会計を済ませたシンジが、レイに呼びかける。


   「綾波ぃ、早く行かないと、アスカがまた怒るよ。」


 レイは閉じた目を開いて肯く。


   「そうね、またアスカに怒られるわね。」


 そうしてふたりは笑いながら、輪舞曲が流れる店内を後にした。

















 一歩外に出ると、常夏の日差しがふたりに降り注いだ。


 レイはふと、銀の首飾りに手を遣りながら振り返る。
















   『そうね、今日は…。


          二度目のロンド、ね。』
































 時に、西暦2021年3月30日。



 それは一年前と同じ、穏やかな日のことであった。





































〜 fin 〜



































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