<WW216・しゅんさん>

   
<WW2へのメッセージ>

 ロータリー・エンジンとはいつも私に衝撃を与えてくれるものです。

 私とロータリーの初めての出会いは、父親の乗っていたサバンナRX-3。6歳のときだったでしょうか。しかし、安全運転(親も小さい私に気を使っていたのでしょう)で走るそのサバンナに乗っているときは、ロータリーエンジン自体を意識していたわけでもなく、ただ乗っていただけでした。
 そして、私とロータリーの初めての衝撃的な出会いは、私の母親のお兄さん(おじさん)が乗る、ルーチェワゴンに乗ったときでした。当時、私の父親の乗っていたファミリアバン1300が苦しそうなエンジン音を出してトロトロ走破していた長い登り坂を、そのルーチェワゴンは、圧倒的な加速を続け走破してしまうのです。しかも振動も無く、音も静かに法定速度を無視した速度(もう、時効という事で・・・)でかっとんで行くのですから。
 このとき、初めて「ロータリー・エンジン」を理解し、興味をもち始めたのです。

 そして、さらなる衝撃は,サーキットで起きました。ル・マンを走るロータリーのGr.Cカーが3ローターになったときです。
 このとき、当時の漫画や雑誌では、架空のマルチローターが出ていましたが、それが現実になったとき、ル・マン24時間のテレビ中継を見ているだけで、,明らかに今までのどのエンジンとも音が違っていたのには驚きました。ロータリーってこんなにも高音で綺麗な音が出るのか・・・。あまりに嬉しくて、高校の美術の課題にMAZDA 757(Gr.A仕様の323も)を描いて先生の失笑を買ってしまった私です。   

 そして1991年、ル・マン24時間でのMAZDA 787Bの優勝。歓喜した私は、その後、初めてマイカー(BFファミリアXE)を持ったこともあり、2ヵ月後に日本で行われた鈴鹿1000kmレースへ、実際にMAZDA 787Bの走る様子を見に行ったのです。練習走行で初めてMAZDA 787Bがピットアウトした瞬間、全身に電撃が走り、目頭が熱くなっている私がいました。
 エンジンの咆哮で涙が出てくるなんてのは、生まれて初めてでした。
 レースの予選・決勝と4ロータリー・サウンドを二日間存分に満喫したのを思い出します。それからと言うもの、今まで以上にロータリー・エンジン、そしてMAZDAな生活へと浸っていくようになったのです。

 こんな私ですが、実はまだロータリー・エンジン車を愛車にしたことはありません。貧乏学生生活を謳歌した私には、RX-7を養っていくお金と自信がありませんでした。それに、2台乗り継いだETUDEも気に入ってましたし、現在も続くMX-6をパートナーに選んだ私は、どうしてもマイナー指向が強いんでしょうね。よく目にするRX-7よりも、誰も名前を知ることの無いMX-6を選んでしまいました。そして、今や1児の父となりましたが、やっぱり若いうちにしか乗れない車には血の涙を流してでも(笑)乗るべきだったかな・・・と思い返すこともあります。
 そんななか「RX-EVOLV」の登場。大人4人を乗せて走れるロータリー。次の愛車決定!とも思われましたが、次のスタディモデル「RX-8」が現れたら・・・あらなんか狭そう・・・雑誌等には十分広いとも書いてありますが、やはり私みたいな家族想い(?)な おぢさん は5人が無理なく乗れ(チャイルドシートも無理なく装着でき)、一人のときには,存分に走りを楽しめる・・・そんなセダンやワゴンが欲しいわけです。レ○シィのB4やワゴンが売れてる理由の一つにはそんなところがあるのではないかと思います。前述したルーチェワゴンのようなコンセプトを持つ車がまた出現したら、絶対決まりなんですけどね・・・

 ちょいと余談になってしまいましたが、マツダのいいところは、そこかしこに技術屋の息づかい・情熱が感じられること。エンジンで言えば、ロータリー、ミラーサイクル、プレッシャー・ウェイブ・スーパーチャージャー・・・。足回りなら、SSサス、マルチリンク、4WS・・・。走るために必要不可欠な部分には、必ずマツダの独自性=技術が存在します。私が見出すマツダの存在理由は、これにつきます。
 これからもどんなシチュエーションでも走る喜びを満たしてくれる・・・そんな車文化をはぐくんでくれることを期待しています。そして、そんなマツダがある限り、私は一ファンとして応援し、これからも末永くマツダの車に乗りつづけていきます。(2001/5/16)