<WW211・FAMILIA09 さん>

   
<WW2へのメッセージ>

 「ねえ、この緑色の車なーにー?」「FAMILIAだぞ。」
 3歳の頃、今は亡き父に聞いた何気ない質問。これが私にとってFAMILIAとの最初の出会いであった。当時の私にはどの車も同じように見え、当然、FAMILIAに過大な興味を持ったわけではないが、小学校4年生の時に得たかけがえのない友人の影響により、マツダ党・FAMILIA党への道を歩み始めた。あれから21年・・・。

 この21年の間、私の中から「mazda」の文字が消えることはなかった。FAMILIAのCM(発信TO YOUの頃)が大好きで、赤いFAMILIAに乗りたいなと思った中学生時代。ロータリーに興味を持った高校時代。ワークスカー(757)を初めて見て感動した大学時代。ル・マンでの優勝を友人と電話で喜び合った20代・・・。思い出せばきりがないが、特にFAMILIAという車は、私の中の1番車である。

 「馬力のない車で早く走る。」これは、私の主義である。そのことばかり考えて走行していた私に、WRCでの323の快走は衝撃的であった。雑誌を読みながら胸の鼓動が高鳴っていたことを今でも覚えている。それがきっかけで、バイトをして貯めたお金でついに赤いFAMILIA(BG5S)を購入した。しかし、腕を磨こうと走り続けていた私のもとに届いたニュースは、WRC撤退という淋しいものであった。
 このやるせない思いをどこにぶつけたらいいのか・・・と、血気盛んな私は、日々悶々とした生活を送っていた。そこに届いた朗報「FAMILIA JTCC参戦。」 ・・・うれしさのあまり故障がちだったBG5Sを売りBHA8Pを購入した。そしてデビュー戦のTIサーキットで、A・GスコットのドライブするFAMILIAを見たとき、目の前が感動のあまり2重になった。「結果だけではない。参戦するチャレンジ精神。」当時のmazdaには、それがあったように思う。同時に人を引きつける魅力も・・・。

 現在、私は友人と共に「WW2」のステッカーを貼り、サーキットにいる。mazdaには、感動を数多く与えてもらったが、同時に失望感も与えられた。
 寡占状態にあり、感動の薄れているレース界にもう一度mazdaの感動とチャレンジ精神を吹き込んでほしい。切なる願いを込めてサーキットを走る。もう1度あの喜びそして感動を!夢よもう1度!

 THE WILL FOR WIN AGAIN!  (2000/10/6)