<WW207・こーぢさん>

   
<WW2へのメッセージ>

 ロータリーがル・マン24hレースを制した当時、私は学生だった。「日本車初のル・マン制覇」という文字がクルマ雑誌に躍りマツダの偉業を称えていたが、当時の私にとってそれはメディアを通してしか知ることの出来ない、遠い国の出来事であった。REのこと、マツダが過去長い期間にわたりル・マンに参戦し続けていたことなどは知識として持っている程度に過ぎず、そのようなことを肌身を通して感じる機会は私にとって皆無だった。まさか自分が将来REを転がしたり、787Bのエキゾーストノートを生で聞いたり出来るなどとは、夢にも思っていなかった。

 あれから何年もの時が流れた。
 その間に私の人生は、ル・マンを787Bが制した1991年の暮れにデビューした、787Bと同じREという血統を持つスーパースポーツ、FD3Sという1台のクルマにより大きく変わった。私の親友がこのクルマを購入したことにより、ただのクルマ好きだった自分があっと言う間にFD3Sの、そしてREの虜になってしまったのだ。
 当然のごとく、社会人になると同時に自らもFD3Sを購入し、そして改めてREの楽しさに目覚めることになる。

 そんな中、すっかりRE信者となった私に思いがけないチャンスが飛び込んだ。
 それは、91年にル・マンを制した787Bの実走に立ち会える、というものだった。サルテを駆け抜けた4ローター・ペリフェラルの音が自分の耳で聞けるというのである。断る理由などあるはずない。9年前にはTVの向こう側でしか見ることの出来なかったあのクルマを肌で感じることができるチャンス、逃すわけはない。
 そして当日。紛れもなく、橙と緑をまとった派手なチャージカラーの、本物の787Bがそこにあった。しかも、手に触れることの出来る距離に。それだけでも夢のような出来事だ。前週に実走をこなしていたためか、車庫の中で意外なほどに軽めのチェックを終え、いよいよその動力源に火が入れられるときが。
 IGオンと同時に、フューエルポンプが目覚めた音がする。そしてその直後…

 「ヴァン!!」   …なんという大迫力!

 当然だが、同じREの音といっても、普段聞き慣れたFDのそれとはまったくの別物。アイドルではハッキリと排気の脈動音が聞こえる。これがペリの音…。まるで、本当に心臓の鼓動のように。そしてスロットルを開くと、点で聞こえていた音がひとつの線になり、音量は暴力的に増大する。

 すごい…。

 そしていよいよ787Bが走り出す。はじめはゆっくりと、そして次第にペースをあげていき、いよいよ本領発揮。コーナーを立ち上がり、1km強のストレートの遠くから爆音を上げながら加速して近付いてくる。遠くにいる間は低い音しか聞こえないが、近付くにつれて高音が徐々に重なっていき、そして目の前で最高の和音を奏でながら、一瞬にして通り過ぎる。そこから、次のコーナーへ備えシフトダウン。同時にアフターファイヤを吐き出し、「パン、パン!」と乾いた音を響かせながら、そして消えて行く。

 カッコよすぎる…。

 結局その日、私は4ローターサウンドをいやというほど堪能し幸せな気分であったのだが、時間が経つにつれ次第に心境は複雑となった。
 あの日見た787Bの姿は、91年に勝利を収めたときのままだった。逆にいえば、あれから9年もの間、REは進化することを止めたままなのだ…。
 今回の出来事は、それをひしひしと実感させた。

 業績不振を理由にレース活動から撤退したまま、いまだに復帰の声明は出されていない。心配なのは、過去に地道なレース活動を積み重ねていった、マツダのモータースポーツ魂が忘れ去られてしまうことである。過去に多くのメーカーが資金力を背景にクルマとチームを作り上げるも、結果が伴わず早々に撤退していった。しかし、マツダのレース活動とはそのようなものではなかったはずだ。
 1日も早く復帰して欲しいと思う反面、にわか復帰になるくらいなら出て欲しくない、というのが正直なところである。長期的な視点に立ち、REを武器にして再び腰を据えたレース活動を始めたとき、それがマツダにとって本当の意味での復帰だと思う。

 最近マイナーチェンジを受けたRX−7のカタログに、このような一節が載っている。
 「23年間、RX−7はサーキットで磨かれてきた」
 この言葉が嘘でないと信じ、マツダワークスのレーシングRE本格的復帰を待ち望む。そして、私のような小さな思いがこのWW2を通じて集まって大きな思いとなり、少しでも復帰のきっかけになってくれれば、これほど嬉しいことはない。  (2000/11/6)