<WW204・Koji さん>

   
<WW2へのメッセージ>

 私は生まれも育ちも広島で、野球はカープ、クルマはマツダと言う、典型的な広島人です。
#実はクルマはマツダって人は思ったより少ないのですが(苦笑)

 親父はマツダの協力会社勤務で、我が家には私が幼い頃から歴代のマツダ車が有り
ました。その中でも、私の人生に大きな影響を与えたのは、何と言っても昭和50年式のサバンナクーペGSIIでした。納車されたときは3才の時だったので、ハッキリ言って何も判っていませんでしたが、自分の家のクルマ=一番良いクルマ・・・って、とっても単純な理由とは言え気に入ってました(笑)
 そんな私も小学生になり、一通りの漢字が読めるようになって、親父が買ってきたり或いは貰ってきたクルマ関係の本を読むようになりました。
 小学校3〜4年生のある日、親父が「ロータリーエンジン物語」と言う1冊の本を貰って来ました。その本にはロータリーエンジンが実用化されるまでの苦難の歴史が書かれていて、子供ながらにマツダのチャレンジングスピリットに感動して、このメーカーがますます好きになってしまいました。また、この本にはコスモスポーツやファミリアロータリークーペを始めとするマツダワークスの輝かしい記録が綴られており、中でも宿敵スカイラインGT−Rの50連勝を阻止したサバンナ&カペラの激闘や、通算100勝を達成したことを初めて知り、我が家のサバンナと同じクルマが活躍していた事に非常に驚いた事を覚えています。
 その頃からいつかはロータリーエンジン車に乗るんだ!と考えてましたね。

 マツダのレース活動を応援するようになったのは、MAZDA717Cの頃からでしょうか?実は小学○年生だったかに、掲載されたルマン挑戦記事を見て、こういうレースがある事を知り、意識するようになりました。(寺田陽次朗氏もマンガに登場してました)
 ルマン24時間レースも今のようにメジャーなレースじゃなかったので、レース終了後に雑誌に掲載されるリザルト位しか知り得ませんでしたが、マツダが良い成績を残す度に喜んでいた事が思い出されます。
 更に時が流れた1990年には地元のテレビ局が、ルマンに挑戦するマツダのエンジニアさんを追ったドキュメント番組を制作し、思わず私は釘付けになりました。レギュレーションの関係で、ロータリーエンジンは90年限りで走れなくなってしまうという状況の中で、その年に投入したMAZDA787は2台ともリタイヤ・・・わたくし本当に泣きそうになってしまいました(^^;。でも、もう一年だけ走れると言う事を知り、来年こそは悔いの無いレースを!と願ったのは私だけではなかったでしょう。

 翌91年は就職し、東京に住んでいましたが、休日で独身寮の人間が少ないのを良い
ことに、談話室に設置された50インチのプロジェクションテレビを占拠してルマンを観戦していました(笑)。エントリーした3台のレースカーはレーシングロータリーの音を響かせて快走し、着々とポジションアップをして行っていたので、これまで以上の好成績を期待しつつ、放映終了と共に一旦就寝しました。
 決勝日夜の放映が始まるとアナウンサーの興奮した言葉が・・・。

「ルマンでは今大変な事が起こっています!」

えっ?何事じゃ?と思っていたら・・・。
「チャージマツダ787B、ロータリーエンジン!ニッポンの、ニッポンのクルマがルマンのトップを走っています!」

えぇーーーーーっ!!!うそーーーーー!!!マジーーーーー!!!(死語)

って反面、ホンマかいな???(笑)って、ホント、にわかに信じられませんでした。それからゴールまでは、長〜い長〜い時間が経過しましたが、無事24時間走りきりウィニングランが始まった時には感動で涙が止まりませんでした・・・。
#もちろん喜んでいましたので、端から見ると泣き笑いだったのでしょうね。

 翌年はレシプロエンジンを搭載したMX−R01でルマンに挑戦しましたが、残念ながらその年を最後にルマンから遠ざかってしまいましたね・・・。また、ルマンと共に世界の部隊で活躍していたWRCからもほどなく撤退することになりダブルショックでした・・・。
 モータースポーツから撤退したマツダは、大メーカーと同じようにコストダウンに励み全く個性の無い魅力の無いクルマに成り下がってしまい、何だか老け込んでしまったかに見えました。しかも、追い討ちを掛けるようにロータリーエンジン生産中止!の話まで出てしまい、一時期は、このままではマツダファンを辞めるしかない!とまで考えました。その1年後にはアンフィニRX−7を思い切って新車で購入していましたが・・・。


 ちょうど1年前Nukupeeさんを始めとする数人の方から、マツダワークスをモータースポーツ界に復活させる「勝手連的草の根の活動」のお誘いが有り、二つ返事で返答させてもらいました。一人一人に出来る事は大した事は有りませんが、賛同してくださる方を増やしていきWW2を発展させていきたいですね。 (2000/10/4)