<WW201・Nukupee>

   
<WW2へのメッセージ>

 私は学生時代に観戦した1989年のJSPC(全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権)レースで、きわめて個性的なロータリーサウンドを奏でながら戦いを挑んでいる4ローターマシン・マツダ767Bの圧倒的な存在感に魅了されてファンになり、以降ずっとMAZDAのレース活動を応援してきました。FISCOでの国内耐久戦は全レースを観戦、ル・マンや世界選手権、そしてIMSAでの活躍はTVやレース専門誌で逐次追い続けました。もちろん、MAZDAディーラーで貰える「ポール・ポジション」誌をいつも心待ちにし、ワークスチームの生々しいレポートをじっくりと熟読していたものです。
 それだけに1992年末のレース活動休止発表には我が耳を疑いました。

 ワークス活動沈黙が続く中の93年、MAZDASPEEDが翌年から国内ツーリングカーレースに参戦開始するというウワサを聞いた時に、私は居ても立ってもいられなくなり、マイカーとしてランティスクーペを購入し、94年4月のオートポリスでの開幕戦には遠路駆け付けました。そこにはREサウンドこそありませんでしたが、直4エンジンのライバル勢に対し唯一のV6エンジンで果敢に挑む姿があり、私は近い将来のMAZDAのレース復帰を確信して嬉しくなったものです。
 しかし、その後は活動再開のアナウンスもされないまま、次第にMAZDASPEED単独でのレース活動も戦線縮小を余儀なくされていき、1999年にMAZDA本社に吸収・統合されるに至っては、モータースポーツの実働部隊はもちろん、プライベータのユーザーサポート機能さえも存在しないという、MAZDAのレースファンにとっては到底許容し難い状況となっています。

 1991年のル・マン総合優勝も、メルセデス、ジャガー、ポルシェといった数々のライバルを打ち破ったからこそ、その勝利に価値があります。1970年代からの地道なル・マン・チャレンジを通じ、ようやく本場ヨーロッパのレース界に認められる存在となり、温かく迎え入れられるようになったMAZDA。いざ勝利を手にした瞬間にさっと手を引き、全く見向きもしないのは彼らに対する恩返しを忘れた行為です。ともすれば「勝ち逃げ」と揶揄されかねない今の状況は、それまで積み重ねた苦難の道程があるだけに、余計に寂しく残念に感じられます。
 偉大なル・マンの歴史を支える一員として、新たなチャレンジャーの挑戦を受ける立派な役割を果たしながら、2度目・3度目の栄光にチャレンジしてこそ、かの地でのMAZDAのイメージやREサウンドの素晴らしさがアピールできると私は思うのです。
 それは地元・日本においても全く同じですね。
 HONDAやTOYOTAは決して賞金稼ぎ目的でモータースポーツ活動をしているわけではありません。企業イメージ向上や社員の士気高揚を狙った宣伝活動であることは明らかです。スポーツカー・イメージをアピールし始めた昨今のMAZDAこそ、モータースポーツ活動を通じてファンの心をとらえることを一番必要としているはずです。(実際、10年ほど前にそうして大のMAZDAファンになった私が言ってるのだから説得力ありませんか?) そんな大事な活動が、熱意あるプライベートのMAZDAユーザーによってごく一部のレースで細々と受け継がれているというのが悲しい現実です。

 当時のTVやビデオだけでは到底感じ取れない、生き生きとしたレーシングREサウンドを、私を含む過去のレース活動に接することができた人達だけのものにしておくのはあまりにも残念でなりません。MAZDAという日本のメーカーが強烈な存在感を放ちながら世界の強豪と伍して戦っていたという事実、そしてその根底に息づく壮大なチャレンジングスピリット。その「目撃者」である我々にとって、これをタダの「昔ばなし」としてコトバだけで後世に語り継ぐのはあまりにも荷が重過ぎます。


 「お父さぁん、MAZDAのロータリーってカッコイイの?」

 「よーし、じゃあ今度サーキットに連れてってやるからな!」

 「うん、絶対だよっ!」


…「The WILL for WIN」よ、再び。      (2000/10/1)