WW2 RX−7、マシンカラーリングを一新!









 私達WW2が、その設立とほぼ同時にスーパー耐久レースに関わるようになって早10年が経ちました。クラブの名を冠したS耐マシン「WW2 RX−7」、通称78号車へのサポート活動も今年で9年目を迎えたところですが、今年は初夏に飛び込んできたビックニュースによって、私達の2009年のサポート活動は突如スタートを切ることになりました。

 それは、広島市交通科学館の夏季企画展
「カーレース・日本からの挑戦」のプレイベントとして7月11日(土)に広島市西区・マリーナホップで開催されるレーシングカーの走行イベントに、78号車の出場が決定したという驚きの知らせでした。

 広島市交通科学館の公式サイトの情報によれば、このイベントには
マツダ787B(JSPC仕様)マツダコスモスポーツ(マラソン・デ・ラ・ルート仕様)、そして、昨年奇跡の復元を果たして話題となったマツダRX−500といった、マツダの歴代ロータリーマシンが出場。78号車はこれらの名車に交じり、唯一の現役レースカーとしてデモ走行を披露することになるようです!

 S耐本番のレースウィークや事前テスト等での本コース走行とは違い、広島市内のど真ん中で、しかも大勢の一般観客の前でデモ走行を披露するなど過去に全く例のないこと。広島を拠点にしてスーパー耐久レースへの参戦を続けているチームテスタスポーツや、78号車のマシンの存在を地元の方々に知ってもらい、それと同時に私達WW2の活動を広くアピールする、絶好の機会を与えられたのです。

 こうして訪れた78号車の一世一代の晴れ舞台。今回はこれに向けた準備の顛末をレポートします。




78号車がオールペン!?

 実はこのイベント出場に向けた私達WW2の準備作業は、時間との戦いの一語に尽きました。

 まず、私達WW2がこの出場話を聞いたのは6月の下旬で、イベント開催日の僅か半月前のこと。
 当初、このデモ走行イベントに向けてレストア中だったマシン「
マキ F101」が直前になって走行を断念することになったため、急遽78号車のチームオーナーさんのところへ出場要請が舞い込んだというのが真相のようですが、経緯はどうあれ、2ヶ月後に迫ったS耐岡山戦に向け、オフシーズンの間に精力的なマシン作りを進めていた今の78号車をもってすれば、特設コースでのデモ走行レベルのパフォーマンスであれば、この差し迫ったタイミングでもさほど支障はないように思えました。

 しかし、78号車はひとつだけ、目に見える大きな課題を抱えていたのです。

 ・・・それは、
マシンのカラーデザインが完全にリセットされていたこと(@_@)。

 実は、昨年まで78号車が装着していたMAZDASPEED製のエアロパーツが2008年限りで公認切れとなっていたため、チームは今年のレース参戦にあたり、パーツの再公認の申請手続きを行うか、他メーカーの公認済みエアロパーツへスイッチするかの選択を迫られていました。
 結果的にチームは後者を選択することになり、真新しいC−WEST製のエアロパーツが装着されたところで、件のイベント出場話が舞い込んだのです。

 ここでの問題は、イベント当日までの限られた期間内で、エアロパーツの塗装とカッティングシート貼りを施し、元のカラーリングまで復旧できるかということ。

 オーナーさんがWW2のデザイン部長の
muneさんと相談したところ、時間的に困難との判断に至ったため、窮余の策として急遽、マシンを別の色にオールペンして間に合わせることになったのでした。
 そのカラーとは、RX−7の歴代限定車でお馴染みの
「サンバーストイエロー」

 このベース色変更は、2001年9月のS耐初参戦以来、ずっとホワイト基調のカラーリングを継続してきた78号車からすれば、とても大きなイメージチェンジでした。


MAZDASPEED・R−specエアロと78号車(2007年)


 私達WW2としても当初、新規エアロパーツ購入に伴う部分的な再カラーリングだけを想定していたので、いくら時間的制約がネックになった結果とはいえ、この展開はまさに青天の霹靂。
 そもそも、2年前に懸命に仕上げた爽やかなグリーンのカラーリングが忽然と消えてしまったこと自体、私達にとっては受け入れるのに時間を要する'事件'なのに、現実的にはそんな感傷に浸る暇はありませんでした。すでにマシンの外観は変更されており、ボディには78番のゼッケンはおろか、ステッカーの類は一枚たりとも残されていなかったのです。
(唯一の例外は、合計11枚の歴代車検ステッカーのみ)

 とにもかくにも、賽は投げられました。
 オールペンでイメージを一新したとはいえ、一見するとナンバー付のストリート仕様車と見間違えそうなイエローのベタ塗りマシンでは、折角の晴れの舞台に全くもって格好がつかないのは明白で、そんな悲惨な状況は私達の意地にかけても回避しなくてはなりません。

 残された時間で78号車に対してできる限りの加飾を施し、少しでも現役レーシングカーらしい体裁を準備してやること、それが私達WW2に課せられた使命でした。

 こうして私達は急遽、カラーリングの再施工に向けスクランブル発進することになったのです。




新デザインの即決、そして準備

 とはいっても、イベント当日まで残された時間は、泣いても笑っても
二週間強・・・

 今すぐにでも新しいカラーデザインを決定し、カッティングシートやステッカー等の必要素材を手配しないことには、残されたただ一回の週末に貼付作業を計画することさえできません。また、仮に必要な材料が揃ったとしても、その二日間できっちり作業を完結させることが必須条件となります。要するに、失敗ややり直しなど全く許されない、まさに綱渡りのスケジュールしか組むことができなかったのです。

 このような状況の下、イベント出場話が駆け巡ったその週の水曜日、オーナーさんがチームメンバーを緊急招集し、カラーリングについての協議の場が持たれました。其々のメンバーが仕事を終えてから駆け付けるため、メンバー全員が揃ったのは20時前。すっかり日は暮れていました(^_^;)。

 ここでも2007年の時と同様、中心人物となったのはWW2の
muneさん。前回のカラーリング検討時のデザイングラフィックを巧く活用しながら、車体ベース色をイエローに変更した幾つかの候補案を提示し、チームメンバーと選定を進めていきます。
 この際にオーナーさんが一貫してこだわったポイントが、
「他のRX−7勢と絶対に似ていないこと」。つまり、私達のオリジナリティを堅持することでした。たしかに、過去の78号車の外観といえば、他のマシンとは明らかに一線を画する強い個性を持っていましたからね・・・。

 でもその一方で、ごく限られた施工時間を考慮した場合、凝り過ぎたデザインは私達自身の首を絞め兼ねません。このため、最終的にはシンプルかつインパクトのあるデザインを念頭に置き、施工面積と貼付けの難易度を無理のないレベルに落ち着かせた下記のカラーリング案に最終決定しました。



2009年仕様のベースデザイン決定!


 2009年版の78号車の新デザインは、両サイドでダイナミックに交錯する2本のラインと、それに絡む大きなWW2の文字が印象的です。ラインの色はCHARGEカラーを模したオレンジ&グリーンも検討したものの、ベース色のイエローとの兼ね合いでレッド&グリーンの2色に決定。・・・ま、どちらに転んでも、従来の白ベースのマシンから大きくイメージが変わることはまず間違いないところです。

 難題のデザイン決定が片付けば、あとは全力で作業に臨むのみ。

 私達WW2は翌週の週末、78号車がメンテナンスを受けている広島県北部の秘密のマシンガレージ(以下、
アジトと呼びます(^^ゞ)に、満を持して集結することになりました。



一気呵成の集中工事

 前述した通り、7月の最初の土日が、イベント当日までに残された唯一かつ最後の週末。完全なプライベーターであるチームテスタスポーツは、平日にマシンの作業を進めることができない分、この二日間できっちりイベント出場の準備を終える必要がありました。つまり、マシンのメンテナンス作業と今回のカラーリング作業が同時に進んでいくため、お互いの進行状況を見極めながらの作業となります。

 後者を担当するWW2としては、今回の最大の山場は両サイドのダイナミックなラインで、この貼付けの出来映えがデザイン全体の評価を左右し兼ねないため
、ここに全力を挙げて取り組むべく、初日からメンバーを総動員して臨む作戦としました。

 とにかく話が急展開で進んだので、メンバーには突然の参加要請となったにもかかわらず、当日の土曜は午前中からデザイン担当の
muneさん夫妻をはじめ、janさんおくさんT−eMさんが、山奥のアジトへと次々に集結してくれました。

LH側のライン貼付け風景

渾身の密着作業!


 私がやや遅れて昼過ぎに現着した時、すでにメンバーはLH側の緑のラインを貼り終え、その上からの赤ラインの重ね貼りがちょうど佳境を迎えているところでした。
 
 眩いばかりのイエローにオールペンされたマシンと初対面しながら、私は思わず前回のカラーリング作業のシーンを回想していました。つい昨年までは、私達は作業場所を求めて広島市内の個人宅ガレージや、自動車ディーラーの駐車場などを間借りして転々としていたわけですが、オーナーさんの手で新しく設営されたこの秘密のアジトは、作業スペース・周辺環境ともに理想的で、思う存分作業に没頭することができそうでした。
 地理的には広島市中心部からやや距離が離れてしまったものの、十分なクルマ置き場があるので実質的に全く問題はありません(^^)。


 さて、今回は作業工程短縮のため、カッティングシートをボディーに貼った後に外郭をカットするのではなく、予め最終形状にしたシートを準備して臨んだので、本来のデザインイメージに忠実になるよう、随時、位置や角度を慎重に検証しながらの貼付け作業となりました^^;。よって、貼付け段階で気泡の進入を完全に防ぐことはかなり難しく、ヘラや針を使い気泡を「後処理」する頻度が例年以上に高くなりました。
 そしてその気泡の締め出しに脇目もふらずに取り組んでいるのが
janさんmuneさんT−eMさん。ライン自体は無事、狙い通りの位置に収まっているようです。

 そういえば、私達は何種類かの形状や材質のヘラを用意して作業にあたりましたが、カッティングシート自体の厚みや強度、相手側のボディ形状等の諸条件によって、その都度マッチするヘラが微妙に違ってくるものですね・・・。



儀式は一際盛大に

 ところで、私達がこうしたS耐マシンのカラーリング作業を行う際に、必ずWW2首謀者の私に回ってくる役回りがひとつあります。

 それは、私達のメッセージを込めた
「WW2ステッカー」の貼付け

 メンバーの有難い気遣いにより、作業の難易度とは無関係に(笑)半自動的にお鉢が回ってくるのがこの作業で、今回もその例に漏れず、マシンのノーズ部分を飾る大サイズのWW2ステッカーを、この私が責任持って対応することになりました。

 一般的にノーズ部分はレーシングカーの正面を飾り、とても目立つ位置であるため、貼られるステッカーの価値も別格。バブル期のF1マシンでは小さなシンボルマークだけでも億単位の値段が付いたほど。
 そんな重要な位置を、実は私達の78号車では代々WW2のために割いてもらっています。それは、マシン名の一部を占めているという単純な理由からではなく、モータースポーツシーンでのマツダ車の活躍を願う私達WW2のコンセプトをチームの皆さんがよく理解し、共感頂いていることの証しであり、一般的なスポンサーステッカーとは趣を異にする大切な意味合いが込められているのです。

 ということで今回も、数少なくなった在庫ステッカーの中から厳選した、大サイズの真紅のWW2ステッカー(後期型
)を、感謝の気持ちを込めて有難く貼付けさせて頂きました。

 
*…サブタイトルの違いによるバリエーション
   ●前期型 : 〜The WILL for WIN,Again!!〜
   ●後期型 : 〜Come back to Motorsports,MAZDA!!〜

 そういえば、今年はWW2の誕生10周年を記念してステッカーデザインを一新するという構想があったので、こちらも忘れずに進めなくてはなりません(大汗)。



 さて、従来であれば、この正面玄関へのステッカー貼付けをもってWW2代表としての任務は完了!となるのですが、今回ばかりはさらに大仕事が待ち構えていました。そうです、デザイン図でマシンの両サイドを大胆に飾っていた巨大なWW2ステッカーの貼付けが残っていたのです。

 言うまでもなく、これはWW2ステッカー史上最大のサイズで、私のRX−7のボンネットに載せるとその大きさは一目瞭然。が、そんな驚愕のサイズもさることながら、それ以上に注目すべき点は、インパクト満点のカラーコントラスト。
 黒文字のWW2の上から派手なメッキシートで文字を重ね貼りし、立体感の演出まで加えた迫力満点の仕様となっています!


CHARGEステッカーを凌駕!
 当然ながらここまでの大物は私一人では到底手に負えないため、T−eMさんjanさんにヘルプを要請し、三人で貼付け作業に着手します。

 デザイン決定時のスケッチはあくまで平面的な構図なので、RX−7独自の曲率の高い側面形状に沿わせた状態で、イメージ通りの見映えが実現できるかは重要なチェックポイント。2本のラインと同様に、WW2ロゴも慎重に貼付け位置と角度の確認を行っていきます。

 そしてLH側から貼付けを開始。黒文字のWW2ロゴを貼った上から、やや位置をずらしてメッキシートを重ね貼り。ここでも、前から後へ絶えず変化していくボディの曲面に対して一定のラップ代を保つよう、繊細かつ大胆に文字を重ねていきます。

 この貼付けでは、下側の2本のラインまで含めると最大で4枚重ねになる部分もあり、文字の途中で随所に階段状の細かい段差が生じたのですが、それにもめげずなんとか貼付けを完遂。

 下地の層に残っていた気泡があると、重ねたシート上にも延々と影響を及ぼしてしまうため、どこまでベースを綺麗に仕上げるかが悩み処ですが、ここは時間の制約で思い切って割り切りました。
 それでも、派手なメッキシートのインパクトに助けられて、表面の細かい凹凸が思ったほど目立たなかったのはラッキーでしたね(^^ゞ。

メッキシートの効果は絶大!



最後の追い込み

 こうして一通り大物シートの貼付けを終えると、作業は反対側のRHサイドへと移ります。

 毎回そうであるように、一回目で要領を掴んで臨む二回目の方が、黙っていても作業効率やクオリティがぐんと向上するもの(^^)v。
 WW2の大文字に至っては、大胆にも一文字ずつ切り離し、取り回しがし易いサイズにしてから貼り付けるという秘策が功を奏し、LH側よりもうんと短い作業時間で、会心の仕上がりにできました。
 もしも別にマシンがもう1台控えていたら、一段と高いレベルの施工ができるスキルが培われていたと思われますが、冷静に考えると、ここまで酷使した腕や腰、そして指先の局部疲労がすでに限界に達していて、現実には無理だったかもしれませんね^^;。


 両サイドのデザイン施工が終わると、次はサイドスポイラー下部のブラックアウト部分です。
 この時点で大小の文字ステッカーの貼付けはまだ随分残っていますが、それ以外のデザイン的な要素としてはこのエリアが最後の作業。幸いにも、黒のカッティングシートは前回のカラーリングで使用した余剰分を活用することができました。

 ただし、このエリアを決して侮ってはいけません。貼付けする上下幅こそ狭いものの、実はとても骨の折れる作業なのです。なぜなら、サイドスポイラーの複雑な断面形状とその変化に沿わせながら前後を通さなくてはならないことに加え、貼付け面が側面から裏面まで廻り込むため、大変窮屈な作業姿勢を強いられるのです。この部分だけでも黒スプレーでさっと一吹きすればどんなに楽なことか・・・といった邪な思いを封印し(笑)、
T−eMさんおくさんの妥協なき作業が進んでいきます。
 マシンの裏側など、公式車検時以外はまず人目に触れる箇所ではないので、見た目はそれほど重視されないのですが、長年78号車と苦楽を共にしてきた我々ゆえに、安易に妥協はせず、できる限り丹念に仕上げてやりたいところなのです(^^)。
 
 この作業と並行しながら、タイヤ供給元のヨコハマのADVANステッカーを所定の位置に配し、LH側ドアにS耐のゼッケンベースを貼ったところで、すでに時間は19時過ぎ。
 外も暗くなり始め、薮蚊の姿も目立ってきたので、私達はようやく撤収の準備を開始しました。


一日目の撤収直前の様子


 どうです? ほぼ何もないイエロー1色の状態から、一日目でここまで到達!
 僅か二日間という時間の制約が当初から心配されていたものの、メンバーの必死の作業の甲斐あって、満足できる仕上がりレベルを保ちながら、無事に折り返し地点を通過したといえますね。



繋ぎ切ったバトン

 二日目は参加メンバーが少し入れ替わり、前夜に出張から帰還したばかりの
克ちゃんが満を持して参加です。いつもやる気満々の彼は、土曜夜の帰着直後にも参加を志願。無理せず日曜に体力を温存するよう私からお願いをしたほどでした。

 連日の参加となる
muneさん達に克ちゃんが加われば、きっと問題なくゴールまで導いてくれるはず・・・。

 そう信じて疑わなかった私も、78号車が世紀の大変身(?!)の真っ只中にあることを思うと何となく落ち着かなくなり、予定があった日曜日にちょっとだけ時間を工面し、再度アジトへと向かいました。といっても、結局は残作業の内容確認と完成画像の送付をお願いした程度で、メンバーの激励のために訪れたようなものでしたが、ずっと綱渡りを演じてきた今回のスケジュールの実質的な最終日に、メンバーに最後のバトンをしっかり託せただけでも、往復4時間かけてわざわざ顔を出しに行った価値はありました!。



作業が完了し積載車へ搭載された78号車



 
そして待つこと半日、克ちゃんから届いたマシン搬出時の画像がこれです。
 なんと驚くことに、周囲がまだ十分明るいうちに撮影できているではありませんか(^^)v。

 二日目の作業をまとめると、施工途中だったRH側サイドの続きの作業と、LH側のリファインを行ない、新たに「C−WEST」や「MAZDASPEED」などの文字ステッカーを追加。そして、空白だったS耐のゼッケンベースにはしっかりと「78」の数字を入れています。
 これこそ、何処へ出しても恥ずかしくない「現役バリバリの」レーシングカーの姿です!


 デザイン決定から施工完了まで一週間半という綱渡りのスケジュールをついに乗り切り、私達は晴れのイベントに全く新しいデザインの78号車を間に合わせることに成功しました。
 あらためて振り返ってみると、従来であれば本番レースの2〜3ヶ月前から徐々に取り掛かっていた作業を、極めて短期間に集中して取り組まざるを得ない環境に追い込まれたことで、結果的にいつも以上のスペシャルパワーが引き出せた気がします。

 REの歴史を築いた珠玉の名車たちと競演しても、決して見劣りしない78号車のアピアランスを無事準備することができた私達の胸には、計画した作業を完遂させた達成感と、晴れ舞台に自信を持って臨めるという安堵の気持ちが交錯していました。


 こうして誕生した眩いばかりの新しいイエローのカラーリング、当座のデモ走行イベントはもちろん、9月のS耐本番レースでもきっと映えてくれるものと確信しています。

 WW2の皆さん、本当にお疲れさまでした!