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やがてセッション開始時刻まであと数分となり、コクピットに乗り込んでじっとコースインの時間を待つのは、我がチームでずっと予選のアタッカー役を務めてきた伊藤弘史選手。 Aドライバー予選でクラス3位に喰い込んだ檜井選手の勢いを引き継ぎ、これから伊藤選手が昨年の予選で自ら叩き出した1分41秒701のタイムをどこまで削り取ってくれるのか、Bドライバー予選に大きな期待が集まります。 与えられた予選時間を目一杯使って周回を重ね、マシンの感触を確かめながらアタックタイミングを探っていくというこのアプローチこそ、我がチームが過去の予選でずっととってきたスタイル。 タイミングを定めて一発勝負というやり方ほどスマートではありませんが、ここへきてようやく「いつもの」時間の流れが戻ってきた感じで、どことなく浮き足立っていた私も、これでやっと地に足が着いた気がしました(苦笑)。 |
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伊藤選手は時間通り14時20分にコースインすると、アウトラップ後の最初のアタックで1分41秒130をマークし、早々と自己記録をコンマ6秒近く更新! この時点でST−3クラスのワン・ツーを占めていた、岡部自動車のZ33&RX−7を抑えて、幸先良くクラストップに浮上します。 その数分後、#39・TRACY SPORTS eeiA NSXの赤鮫オヤジ選手が1分40秒474のタイムでクラストップの座を奪います。結局は、このBドライバー予選で40秒台を記録したのは後にも先にもこの1台・この1ラップのみで、#39のクラスポールの座は事実上確定です。 残念ながらクラス2位に後退した伊藤選手ですが、その後もずっとこの位置をキープし、41秒台のラップを連発。残り5分のところで1分41秒089までべストタイムを更新しました。 その直後、#333・エクセディ H.I.S.イングス Z の佐々木選手が1分41秒246のタイムで肉薄したものの、僅かに伊藤選手には及ばず。 この結果、伊藤選手はクラス2位でBドライバー予選を終了。 クラス内のタイム差の大きかったAドライバー予選とは打って変わり、Bドライバー予選はST−3クラスの1位から11位までが2.8秒足らずの間にひしめくという大激戦となりましたが、その中で勝ち取った見事な過去最高の順位でした。 |
たった今終わったばかりのこの公式予選は、私が土曜朝にチームと合流してから最初に迎えた走行セッションでした。
私自身もこの予想だにしなかった予選結果にはただ驚くばかりで、克ちゃんと二人顔を見合わせ、この喜びを一体どう表現すれば良いのか模索していました(笑)。 |
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その頃二人は、飛び石によるクラックが増殖しつつあった78号車のフロントガラスのスペア品を調達するために、WW2サポートカーのフレンディ号に乗り込み、サーキットを後にして県内某所へと急いでいたのです。 |
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ここで、過去にチームが何度も急場を凌いで来た方法、つまり、個人所有のFD3S車両を利用してパッドの慣らしを実施するというバックアップ案が浮上します。 ただ悪いことに今年のチームのパドックにはRX−7のスペアカーは不在・・・。出発の直前まで散々迷った挙句、自分のRX−7を帯同させなかった私の判断が今となっては悔やまれますが、所詮はあとの祭り。 そこで急遽WW2メンバー総出で、日曜朝にパドックに駆けつけられるFD3Sオーナー探しを開始することになりました。 |
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→ S耐岡山戦の決勝レースレポートは
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