34WW2、今年もS耐岡山国際戦に出陣!(その2) 




 

 
●9月6日(土)
     14:20〜14:35
 Bドライバー公式予選


 
Aドライバー予選に続いて、次はBドライバー予選のセッションです。
 檜井選手がチェッカーを受けたそのちょうど30分後に、伊藤選手のコースインの時間がやってきます。

 檜井選手の渾身のタイムアタックを終えてピットに帰還した78号車は、直ちにジャッキアップされ、チームメンバーの手によって出走準備が進められます。
 スリックタイヤは予選用にマーキングされた2セット目の新品タイヤに交換され、燃料は20Lを補給。追加分の燃料だけで10周近くアタックができる計算なので、実走行時間を考えれば少し多めですが、マシンの燃欠発生タイミングがまだ正確に把握できていないため、エンジンにダメージを与えないための安全策です。

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出走準備中の伊藤選手

 やがてセッション開始時刻まであと数分となり、コクピットに乗り込んでじっとコースインの時間を待つのは、我がチームでずっと予選のアタッカー役を務めてきた伊藤弘史選手。
 Aドライバー予選でクラス3位に喰い込んだ檜井選手の勢いを引き継ぎ、これから伊藤選手が昨年の予選で自ら叩き出した1分41秒701のタイムをどこまで削り取ってくれるのか、Bドライバー予選に大きな期待が集まります。

 与えられた予選時間を目一杯使って周回を重ね、マシンの感触を確かめながらアタックタイミングを探っていくというこのアプローチこそ、我がチームが過去の予選でずっととってきたスタイル。
 タイミングを定めて一発勝負というやり方ほどスマートではありませんが、ここへきてようやく「いつもの」時間の流れが戻ってきた感じで、どことなく浮き足立っていた私も、これでやっと地に足が着いた気がしました(苦笑)。

 伊藤選手は時間通り14時20分にコースインすると、アウトラップ後の最初のアタックで
分4秒130をマークし、早々と自己記録をコンマ6秒近く更新!
 この時点でST−3クラスのワン・ツーを占めていた、岡部自動車のZ33&RX−7を抑えて、幸先良くクラストップに浮上します。

 その数分後、#39・TRACY SPORTS eeiA NSXの赤鮫オヤジ選手が
1分40秒474のタイムでクラストップの座を奪います。結局は、このBドライバー予選で40秒台を記録したのは後にも先にもこの1台・この1ラップのみで、#39のクラスポールの座は事実上確定です。
 残念ながらクラス2位に後退した伊藤選手ですが、その後もずっとこの位置をキープし、41秒台のラップを連発。残り5分のところで
分4秒089までべストタイムを更新しました。
 その直後、#333・エクセディ H.I.S.イングス Z の佐々木選手が1分41秒246のタイムで肉薄したものの、僅かに伊藤選手には及ばず。

 この結果、伊藤選手は
クラス2位でBドライバー予選を終了。
 クラス内のタイム差の大きかったAドライバー予選とは打って変わり、Bドライバー予選はST−3クラスの1位から11位までが2.8秒足らずの間にひしめくという大激戦となりましたが、その中で勝ち取った見事な過去最高の順位でした。



スーパー耐久 Bドライバー 公式予選
【順位はST−3クラス内の順位】
◆9月6日(土) 天候:曇り◆
ST3−1. #39 TRACY SPORTS eeiA NSX 1'40.474 ― 
ST3−2. #78 WW2 RX-7 1'41.089 +0.615
ST3−3. #333 エクセディ H.I.S. イングス Z 1'41.246 +0.772
ST3−4. #14 岡部自動車 ディクセル RX-7 1'41.340 +0.866
ST3−5. #15 岡部自動車 ディクセル Z 1'41.486 +1.012
ST3−6. #777 屏風浦工業 ニューテック-Z 1'42.194 +1.720
ST3−7. #38 MSF&ケーズパワー TRACY SPORTS NSX 1'42.276 +1.802
ST3−8. #27 FINA ADVAN M3 1'42.406 +1.932
ST3−9. #113 UNT Racing ☆ ings Z 1'42.887 +2.413
ST3−10.#7 ドリームエンジェル・アドバン RX-7 1'42.950 +2.476
ST3−11.#19 高見沢整骨院☆真東☆TC神戸Z33 1'43.212 +2.738

 

 たった今終わったばかりのこの公式予選は、私が土曜朝にチームと合流してから最初に迎えた走行セッションでした。
 幸いなことに、今年はマシンの調子や天候状況など余計な不安要素を抱えることもなく、アタックを見守る私も時間管理とモニター画面の様子に完全集中できたわけですが、両ドライバーがノントラブルで会心の予選タイムを叩き出してくれたのを見届けて、私は今年最初の大きな緊張感から解放され、ホッと大きく溜息をつきました。

 そんな安堵の思いが到来していた刹那、ふとチーム代表やメンバー達から口々に
「順位は?」と尋ねられ、私はハッと我に返りました。

 計30分近くタイミングモニターを凝視し続け、メモを取ってきた私には、A/B両ドライバーの合計タイムで決まる予選結果の大まかな行方は掴めていたのですが、#39のNSXが両セッションともに1分40秒台の激速タイムでST−3クラスのアタック合戦を制したことのインパクトが強かったので、我らが78号車に関しては、檜井選手の3位、伊藤選手の2位という結果から
「とりあえずクラス3位は堅持できたかな・・・」という程度の認識しかこの時点で持ち合わせていなかったのです。
 皆に促されるように、慌てて両セッションの上位3台のベストタイムを合算してみると、なんと78号車は、ST−3クラスのランキングトップをひた走る#333のフェアレディZを僅か
0.06秒上回り、クラス2位の予選ポジションを獲得しているではありませんか!!


 この驚くべき事実はすぐに私達のピット内へと知れ渡り、瞬く間に6−Bピットは歓喜と驚きの混じった表情に支配されました。しかし、メンバーは皆一様に自分達ではなく誰か別人の偉業を称えているかのようで、思いっきり余所余所しさの残る喜び方だったのが印象的でした。
 思えば、つい昨年まで
「レギュラー参戦チームを何台喰えるか?」というレベルの発想しか持ち合わせていなかったわけですから、チームが見せた思わぬ動揺?も無理もないことです(笑)。


スーパー耐久 公式予選結果
【ST‐3クラスのみ抜粋 ; 順位は総合順位】
10.#39 TRACY SPORTS eeiA NSX 3'20.651 ― 
12#78 WW2 RX-7 3'21.656 +1.005
14.#333 エクセディ H.I.S. イングス Z 3'21.716 +1.065
17.#14 岡部自動車 ディクセル RX-7 3'22.949 +2.298
18.#15 岡部自動車 ディクセル Z 3'23.463 +2.812
19.#777 屏風浦工業 ニューテック-Z 3'23.466 +2.815
20.#27 FINA ADVAN M3 3'23.474 +2.823
21.#38 MSF&ケーズパワー TRACY SPORTS NSX 3'25.612 +4.961
23.#19 高見沢整骨院☆真東☆TC神戸Z33 3'27.660 +7.009
25.#7 ドリームエンジェル・アドバン RX-7 3'28.507 +7.856
26.#113 UNT Racing ☆ ings Z 3'29.567 +8.916

 

 私自身もこの予想だにしなかった予選結果にはただ驚くばかりで、克ちゃんと二人顔を見合わせ、この喜びを一体どう表現すれば良いのか模索していました(笑)。
 しかし、
こーぢさんT−eMさんは、実はこの記念すべき瞬間に居合わせることができませんでした。

 その頃二人は、飛び石によるクラックが増殖しつつあった78号車のフロントガラスのスペア品を調達するために、WW2サポートカーのフレンディ号に乗り込み、サーキットを後にして県内某所へと急いでいたのです。

 この未曾有の大興奮に包まれたピットの雰囲気を共有してもらえなかったことを申し訳なく思った私は、それから一時間半後(笑)、ブリーフィング準備の合間を縫ってごく簡単な携帯メールで移動中の
こーぢさんに速報したのですが、内容が俄かには信じ難いものだっただけに、T−eMさんと二人してきっと冗談に違いないと話していたとのこと(T_T)。


 ・・・でもたしかに、立場が逆だったら私も間違いなくそう思ったでしょうね(笑)。

自然吸気2500ccの2駆車両です(笑)
サポートカーもゼッケン78!
(画像提供:こーぢさん)






●9月6日(土)
     14:50〜15:10
 Cドライバーフリー走行


 78号車が望外の予選ポジションを獲得したことは、主催者発表の結果表によって晴れて公然の事実となり、メンバーは自分達が達成した過去最高のクラス2位のリザルトの重み・その反響をあらためて噛み締めていました。

 さて、新たに檜井選手を加え、3ドライバー体制で今回のレースに臨む私達には、公式予選に続いてもうひとつ、Cドライバーのフリー走行のセッションが待ち受けています。
 チームテスタスポーツにとっては、若手の有木選手を擁した2005年のTI戦以来のことで、実に3年ぶりの出走となります。

 現役バリバリのカーターにして、実のところは一般公道含めて自動車の運転経験に乏しかった有木選手の時代には、私達も万が一のケースに備え、基準通過タイムを意識してフリー走行セッションに臨む必要がありましたが、今回のCドライバーはチームでも随一のS耐参戦経験を持つ新宅文亮選手。加えて、土曜の午後を過ぎても雨の降る兆候はどこにもなく、路面状況も極めて安定しているとくれば、もはや私達に不安要素は全くありません。
 ユーズドタイヤを装着した78号車は十分な燃料を搭載して、決勝レースを想定した連続周回に主眼を置いた走行となります。


Cドラフリー走行には新宅選手が登場


 このセッションは公式予選のようなクラス別の走行時間帯分けがなく、全クラスのマシンが一同に会しますが、かつての400kmレース時代とは異なり、今や2ドライバー体制で臨むチームの方が少数派。この結果、コース上は20台以上のマシンがひしめく状況となりました。

 そんな中、コースインした新宅選手は1分49秒台のラップで周回をスタートし、一周1秒ずつペースを上げて、ひとまず46秒台でコンスタントな周回を重ね始めました。そして5周ほど46秒台を並べた後、最後に1分45秒739のベストタイムをマークして走行を終了。
 公式予選と比べると、リザルト表の上ではあまり目立たない結果となりましたが、このセッションで必死にタイムを狙う必要がないことは、新宅選手ほかチーム全員がよく理解しています。




■緊急タスクの発生

 Cドライバーフリー走行を無事終えて、土曜日に予定されていた全セッションを消化した78号車には、クールダウンが終わり次第、明日の決勝レースを想定した様々なメンテナンス作業が施されていきます。
 油脂類の交換をはじめ、大小20項目にも及ぶ整備メニューがホワイトボードへ書き出され、チームメンバーの手によってが黙々と作業が続けられます。

クールダウン中の78号車 メンテナンスメニューとピット作業分担



 この整備作業と並行して、パドックのテント内では作戦会議を開始。
 総合12位の好位置からスタートすることになった明日の決勝レースを想定して、レース戦略やマシンセットアップについてのディスカッションが徐々に熱を帯びていきます。
 戦略担当の私も、途中でブリーフィングやエントラントミーティング出席を挟みつつ、決勝レースの組み立ての青写真を描いていきますが、より正確な戦略策定のためには幾つかの追加検証項目が必要なことが判ったので、翌朝のフリー走行時の確認メニューに随時追加していきます。



 そんな中、チーム内では思い切ったマシンスペックの変更案が動き始めました。

 チームは予選での大躍進の勢いをかって、決勝レースでもさらなる上位進出を目指し、より制動力の高いブレーキパッドにトライすることにしたのです。しかも、手持ちのパッドではなく、今からその品を手配するというチャレンジングな案です。
 しかし、時は既に土曜の夕方・・・この時点で私達は、所望のパッドを首尾よく入手できるのかということ、そして、入手できた場合に決勝スタートまでにパッドとローターを馴染ませることができるか、という2つの課題を抱えました。


 ここで、過去にチームが何度も急場を凌いで来た方法、つまり、個人所有のFD3S車両を利用してパッドの慣らしを実施するというバックアップ案が浮上します。
 ただ悪いことに今年のチームのパドックにはRX−7のスペアカーは不在・・・。出発の直前まで散々迷った挙句、自分のRX−7を帯同させなかった私の判断が今となっては悔やまれますが、所詮はあとの祭り。
 そこで急遽WW2メンバー総出で、日曜朝にパドックに駆けつけられるFD3Sオーナー探しを開始することになりました。

300km離れた自宅にて・・・
折角の登板機会を逸した私のFD


 まさに地元チームの”地の利”を生かした総動員作戦ですが、数日前の打診ならまだしも、今回は前日夕方の依頼・・・予想通り、都合のつくオーナー探しは難航します。
 一昔前、チームがS耐参戦を開始した頃は、WW2メンバーの周辺だけでも十指に余る数のFD3Sが軽くカウントできたものですが、それから十年近くたった今ではオーナーも激減。加えて週末の真っ只中とあって、候補者(車)探しはとても難しい状況でした。しかし、毎年のように広島から私達のピットへ手伝いに駆けつけてくれていたjanさんが、なんとか都合をつけてこの無謀極まりないオファーを受けてくれることに!
 期せずして私達は、WW2創設に関わった発起人メンバーの一人から、起死回生ともいえる強力なサポートを取り付けたのでした。

 このjanさんの協力のお陰で、チームのチャレンジへの道は大きく開けることになり、チームオーナー以下メンバー全員がホッと胸を撫で下ろしました。

 結局のところ、新しいパッドの到着は日曜朝へとずれ込み、8時5分からのフリー走行には到底間に合わないと判明したのは、土曜の夜遅くになってからのこと。この瞬間、バックアップ案は本命案へと昇格することになりました。




 

●9月7日(日)
     8:05〜8:35
 フリー走行


 いよいよ決勝の日を迎えた岡山県地方は、朝から極めて穏やかな天候。
 チームは大芦高原の宿舎を6時半に出発し、朝7時にサーキット入りすると、8時5分から始まるフリー走行に備えて、マシンの準備作業に取り掛かります。

 帯同2日目にして早くもお疲れ気味の私をよそに、朝から温泉に浸かって鋭気を養ったWW2サポート隊3人衆は、それぞれの持ち場で元気に活動を開始します。

ここは背の高い二人にお任せ・・・(^^ゞ 忙しくてカメラなんて見てられませんぜぃ!
給油装置の遮熱対策中 精魂込めて磨きます



 さて、この30分間のフリー走行は決勝レースを目前に控えた最後の走行セッションであり、チームは例年以上の盛り沢山の確認メニューを用意していました。

 まず、ピット戦略面での要確認事項として挙げられていたのが燃欠の発生タイミングの把握。そこでチームは大胆にもこのセッションで燃欠を再現させることにしました。
 きっちり10Lの燃料を搭載したマシンで伊藤選手がコースインし、ガス欠症状を感じたその周でゆっくりピットインするという手筈です。時間が限られているのた正確な残量測定まではできませんが、おおよそのタイミング把握にはこれで充分です。

 次にガス欠ピットインした後は、初めてRX−7で決勝レースに臨む檜井選手からのリクエストに応え、スティント終盤でのマシンバランスの確認を行なうことに。このため、タイヤはある程度マイレージを重ねたものを選んでおり、ピットイン時にドライバー交代と40Lの燃料補給を行ない、そのままセッション終了まで周回を続けます。
 そして、チェッカー後にはピットレーンの所定の位置にタイヤ4本を配置し、戻ってきた78号車に対してタイヤ交換を実施して終了となります。



燃料を補給し、伊藤選手から檜井選手へ


 もちろん、この間にピットレーンで行なう一連の作業は、本番の決勝レースを想定した最後のプラクティスを兼ねたもであることは言うまでもありません。
 また、ドライバーには予選時よりMAX回転数を抑えた決勝向けのドライビングを心掛けてもらうことで、より正確な決勝燃費データ収集に役立てることになっています。
 


■スペアマシン到着

 チームが朝イチのフリー走行セッションに臨んでいる頃、昨晩のオファーを快諾してくれた
janさんの駆る白いFD3Sが、広島からの長旅を終え、私達の待つパドックへ到着しました。
 久しぶりに見るjanさん号は、私のFD3Sとはアプローチが正反対で(笑)、シブくて凄みのあるレーシーさが特徴です。パドックの風景にとけ込む純白のボディを眺めながら、やはりRX−7はサーキットに映えるなぁ・・・とあらためて思ったひとコマでした。

 そしてこれと前後して、昨日から気を揉んだ新しいブレーキパッドもピットへ到着。
 実は朝イチで再びサーキットを抜け出した
こーぢさんが、宅配便の営業所まで直接パッドを受け取りに行ってくれていたのでした。サポートカーのフレンディ号、ここでも大活躍です。

 これで一通りの部品とドナーが揃い、私達のパドックでは早速、人目を憚ることもなく(笑)
janさんの愛車からパッドとローターを摘出する作業が開始されます。

ロ、ローターが外れない・・・(汗)
パドックでの突貫作業がスタート


 それらと交換し真新しいパッドとローターをセット装着されたjanさん号は、すぐに私達のパドックを後にし、岡山国際サーキットを抜け出して美作市周辺のワイディングロードをひとっ走り。
 こうして、ピット内に佇む私達の78号車の新たなチャレンジのために、
janさんと白いFD3Sが奔走し、当たり付けされたパッド&ローターの準備がここに無事完了したのでした。

 私の記憶にあるところでは、過去2002年美祢戦での
こーぢさん号(リアハブ)、2003年の美祢戦でのぬまさん号(イグナイター&ブーストセンサー)に次ぐ、通算3台目となるWW2の現地実車サポート。
 いずれもチームを崖っ淵の状態から引き戻す救世主的な役割を演じてきていますが、今回もまさに起死回生の逆転ホームラン。これを見事な連係プレーと言わずして何というでしょう。


 こうして、私達WW2のDNAをふんだんに注ぎ込まれた78号車は、チームメンバーやサポート関係者の期待を一心に背負い、総合12位という素晴らしいグリッドポジションから500kmの戦いへと旅立っていくことになりました。




→ S耐岡山戦の決勝レースレポートは          
    
WW2 EVENT REPORT にて公開中です

 





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