33WW2、今年もS耐岡山国際戦に出陣!(その1) 






 今年も待ちに待ったスーパー耐久レース参戦の季節がやってきました!

 チームテスタスポーツ
のFD3S、通称「78号車」と私達WW2が初めてこのレースカテゴリーに参戦したのは、2001年9月のTI英田400kmでした。

 あの灼熱の午後、満身創痍の状態でチェッカーフラッグを受け、初完走を果たしたシーンは今でも昨日のことのように鮮明に思い出します。思えば私達は、そのゴールの瞬間に到来した湧き上がるような感動体験を通じ、このS耐レースの魅力というものにとりつかれていったのでした。
 チームはそれ以降、本拠地・広島に近いTI英田戦を中心に、ときにMINE戦や富士戦までも足を延ばして参戦を続け、ちょうど一年前のここ岡山国際サーキットのレースで、記念すべきS耐参戦10レース目を迎えることができました。

 この間、私達は参戦した全レースで予選を通過し、決勝でも必ずポイント圏内でのゴールを続けてきましたが、とくにここ数年間に限って言えば、リザルト表に表れない部分でのチームの成長、レース内容の充実ぶりは目を見張るものがあります。
 年1回のスポット参戦に活動が限定されるため、傍目には、時間軸で見た成長ペースこそ牛歩のごとく映ってしまいますが、私達のチームとマシンは共に着実な進化を積み重ねてきました。
 メンバー全員が普段全く違った業種に身を置いていて、それぞれが忙しい合間を縫って集結し活動を続けるというのが私達のチーム特有のスタンスで、その事情に合ったやり方を見出し、一年一年与えられたインターバルをしっかりと有効活用してきたことが徐々に成果を表し始めたといえます


 その甲斐あって、昔のように予期せぬトラブル対策に追われるばかりで、完走を最大目標に成り行き任せのレースウィークしか過ごせなかった時代とはもはや完全に決別しました。そして、より高いレベルの戦い・より高いレベルの感動を求めて、限りあるリソースの中で工夫を凝らしてきた結果、やっとライバル勢と同じ土俵に立てて、想定したチーム戦略に沿ったレース運びができるようになったのが、昨年の通算10戦目だったわけです。

 さぁいよいよ勝負の年!というのが、メンバー全員に共通した思いでした。



■ドライバーの陣容変更


 そんな中、通算11戦目となる今年のレースを前に、私の元へ突然驚くべき情報がもたらされます。

 それは忘れもしない7月10日、おりしも私の誕生日にかかってきた新宅選手からの電話でした。

 「おや、W
W2サポート隊の人員確認にはまだちょっと早いよなぁ・・・?」と思いつつ電話をとると、俄かに信じられないような言葉が。

「今回は檜井さんが乗ってくれることになったよ」

「えっ!・・・・」

 言うまでもなく、檜井保孝選手は若くして渡英し、その後国内トップフォーミュラまで昇り詰めた凄腕ドライバーですが、広島出身であることやその気さくな性格から、チームオーナーはもちろん、サーキット走行会等を通じて我々WW2メンバーとも個人的親交があったのは事実。
 過去、他チームで同じS耐のレースに参加していた際も、必ず私達のピットを訪問してくれていたほどで、私達も、WW2のメンバーリストに名を連ねてくれている檜井選手と新宅選手のドライブの実現を幾度となく妄想していたものです。
 ただその一方で、全日本GT選手権やルマン等の超メジャーレースや、各種イベント、さらにはレースの競技役員まで努める檜井選手の多才な活躍ぶりを見るにつけ、そんな私達のささやかな願いも、どこか現実味のない話に思えていたのもまた事実でした。


PITWALKでお客様用資料配布、の図(笑)
2004年S耐TI戦での桧井選手
(マシン:#60  NicoCut S2000)

 ところが期せずしてそんな夢のような体制が現実のものになろうとしているのです。
 しかもその経緯を聞けば、偶々檜井選手とチームの双方の思い・タイミングが合致した結果だとのこと・・・もうこれは運命の巡り合わせとしか言いようがありません。

 チームとして望み得る最高・最強の布陣の実現に、高まる期待と身が引き締まるような緊張感。
 様々な思いが一瞬のうちに交錯した、新宅選手との短い交信でした。

 ただ正直に告白すると、あまりにメジャーな檜井選手のチーム参画話に、私はエントリーリストの正式発表まで、どこか半信半疑の思いを捨て切れないでいたのも事実です(笑)。





■そして、最強のサポート隊の結成

 
昨年はタイヤメーカーをスイッチするというチーム創設以来の大決断に伴って、マシンのカラーリング変更という一大作業が勃発。このため、必然的にかなり早い段階から準備作業を強いられ、muneさんが中心となって新カラーリングの本格検討に入ったのは、昨年の6月頃のことでした。
 しかし、ニューカラー2年目となる今年は、少なくとも私達WW2の守備範囲に変更はなく、私がサポート隊の編成準備を始めたのは例年通り、8月の後半になってからでした。
 但し、この間もチーム本隊とエンジニア班は今年のレギュレーション改訂に伴う触媒装着をはじめ、マシンの随所に渾身の改良を施し、新加入の檜井選手も交えた走行テストを精力的に重ねていました。


 S耐参戦の現場でのサポート活動も8年目を迎え、レースウィーク中の担当作業も確立してきたWW2サポート隊。その存在や役割はチームテスタスポーツのメンバーにもすっかり認知されています。
 実例を挙げれば、決勝レース中の給油作業に欠かせない耐火服の新調にあたっては、
T−eMさん克ちゃんの立派な体格を考慮してサイズ決めをしてもらったほど。(その後の各自の体格変化までは責任を持てませんけどね・・・)。
 よって、サポート隊の陣容もある程度は確定済みのようなもので、T−eMさん克ちゃんもそれを見越して早々と仕事の調整を進め、3日間のスケジュールを確保してくれていました(^.^)

 一方で、チームからの様々な要請に柔軟に応えていくためには、WW2内の要員育成も急務。というわけで、今回3人目のサポートメンバーとして白羽の矢が当たったのが、5年ぶりに米国出向から帰ってきたばかりの
こーぢさん
 
こーぢさんはWW2では数少ないMINE戦や富士戦の遠征経験者で、本人も5年ぶりのパドック復帰を心待ちにしており、無事に(いや、強引に?)家族の承認をとりつけて現場復帰の運びとなりました。
 もっとも私は、昨年のレースでWW2オフィシャルカーとして大活躍した
フレンディ号を、帰国直後にファミリーカーを探していたこーぢさんへさっさと譲渡していたわけですから、先に外堀を埋めるという極めて計画的な犯行だったともいえます(^^ゞ


 さて私Nukupeeはというと、参加は早々に確定していたものの、自身のRX−7で乗り付けてスペアカーを提供すべきか、8人乗りのビアンテ号でチームの人員輸送に貢献すべきか最後まで悩んでいました。
 最終的には、土曜朝に広島市内でチームメンバーをピックアップする役を引き受け、サポート隊から一日遅れて現地入りすることを決めたのですが、これは昨年、朝8時到着を目指して3時起きを強いられた私が、日没以降に激しい睡魔に襲われて苦しんだという苦い体験に基いた判断でした。
 広島のチームをサポートするのに、その隊長が誰よりも遠く離れた山口に居住しているわけですから、何とも歯痒いところです(苦笑)。

じつはグリーン&オレンジのCHARGEカラーコンビ(^^)v
2008  WW2オフィシャルカー揃い踏み


 私の土曜参加の決定により、WW2自慢の
チーム看板ピットストップボードが金曜日にピットに届かなくなったほか、私自身も金曜の練習走行からの流れが直接掴めなくなるのが痛いところですが、今回ばかりは若手3名に金曜のチームサポートを任せ、ゆっくりと旅支度を進めることにしました。

 そんな事情があって、遅れた上に手ぶらで合流しては申し訳ないとばかり、金曜日に急いで準備した今年の新サポートアイテムが次の二つ。いずれも構想1年という逸品です(ただし製作は約15分)。

まず燃料缶の識別用のマグネットプレートは、昨年まで有り合わせの白ガムテープで代用していたもので(笑)、大幅な体裁改善を図っています。
 但し、私がタイヤマーキング風の文字を狙ったばかりに、製作が思いのほか難航。まとわりつく子供の相手をしながら所定の文字を切り抜くのにまず一苦労。さらに、スプレーの吹き付けもなかなか思い通りにいかず、十数枚ものトライ&エラーを経て、かろうじて文字が判読可能な4ピースを選抜することに。
 最初から白マジックで手書きをすれば、ものの10秒で完成したんですけどね・・・。

 もう
一つのアイテムは毎年ピットに掲げさせてもらっているマツダの秘蔵モータースポーツフラッグ
 今回は2箇所ほどハトメ加工を追加し、ピットの壁の金網へ自由自在に固定できるように改良。ここでも白ガムテープの登板は不要となりました。

左端の作品はカメラのピンボケではありません(笑) ハトメパンチ購入!



 ◆チームとの合流◆

 さて迎えた土曜日。朝4時半にビアンテで周南市の自宅を出発し、予定通り2人のチームメンバーを広島でピックアップして、9時半頃にパドックに到着。
 この時、マシンは朝9時から開始された公式車検をすでに無事通過して、今回のチームテスタスポーツが陣取る「6−Bピットへの帰還を果たしていました。

 私達は、ほぼ一年ぶりの再会となるチームメンバーと次々に挨拶を交わしていきますが、ピットやパドックに流れる空気の明るさ・穏やかさが印象に残った土曜の朝でした。

 
私は手始めに土曜のスケジュール表をピット内の各所に貼り付けながら、徐々に自分の活動場所を確保していきます。
 そこでまず気付いたのは、
TVモニターの大幅な増加。
休憩中のメンバーやパドック来客が視聴するテント下のモニターと、ピット内で戦況把握のために使用するモニターが完全分離されて設置されていました。とくに、作戦司令部と称したピット内左側エリアには、T−eMさんがわざわざ自宅から持ち込んでくれた大型の液晶モニターと、旧式の小型TVとが並んで鎮座(^^)v。これでラップタイムの読み取り作業が昨年よりも遥かに容易にできそうです。
 実はこれ、昨年の打ち上げで私が切実に訴えた改善要望で、一目見ただけで感謝感激状態でした。

 
そんな有難みをじんわり噛み締めている間にも、T−eMさんに手渡したピット看板はあっという間にいつもの定位置へと設置され、克ちゃんは黙々と燃料タンク周りのテーピング作業を続けています。
 長年のサポート活動で勝手知ったるこの二人に比べると、復帰直後でやや手持ち無沙汰な様子(笑)の
こーぢさん。早速彼を捕まえて、ここまでの経過を教えてもらうと、基本的にマシントラブルは皆無でセットアップも順調に進み、昨晩も早目に常宿に戻れたとのこと。
 チーム全体がとても良い週末の流れの中にいることがあらためて確認できました。

今年もWW2製ピット看板が堂々と なぜか余裕綽綽のこーぢさん






●9月6日(土)
     13:35〜13:50
 Aドライバー公式予選


 
土曜の午後といえば公式予選です。
 まず13:20から13:50までの30分間でAドライバーの予選セッションが設けられており、ST-3クラスはそのうちの後半15分です。
 いよいよ土曜日最初の公式セッションがやってきました。

 チームメンバーから聞く限り、マシンは金曜のフリー走行から快調で、とくにメインストレートの伸びが良く他のライバル勢と遜色ないばかりか、逆にアドバンテージすら感じるほどとのこと。ヨコハマタイヤにスイッチして2年目となる今年は、手探り状態だった昨年と比べ、オフのテスト走行を通じて足回りの煮詰めも大きく進んでいるので、コーナーの脱出速度も飛躍的に向上しているものと思われます。
 加えて、レースウィークを通じてここまで大きなトラブルと無縁とあっては、これからの予選に対する期待も否応なく高まります。



■本気のアタックモード

 今回のチームテスタスポーツのAドライバーは檜井選手。
 ここ岡山国際サーキットにおいて、ST−4クラスのコースレコード保持者でもある檜井選手の意気込みは相当なもので、あわよくばST−3クラスのレコードも・・・という気概に満ち溢れていました。
 勿論、檜井選手がRX−7でS耐の公式セッションに臨むのは初めてのことですが、これまでのテストや練習走行セッションを通じて、私達の78号車の速さとバランスの良さにはとても好感触を抱いてくれているようでした。

 Aドライバー予選用にマーキングされたスリックタイヤを装着し、着々と出走準備を進めていると、檜井選手から力強い宣言が。

 「残り8分で出ます」 

 そう聞いて私がまず思い浮かべたのは昔よく見たF1の予選。残り数分というところまでじっとドライバーがピットで待機し、セッションの終了間際、一周だけのタイムアタックを狙って続々とコースインしていくという、しびれるような場面・・・。まさか、それをも連想させる「本場の」光景がこの私達のピットで展開されるとは思ってもいませんでした。

 これまでの私達の予選へのスタンスはといえば、セッション開始の合図とともに
「それとなく」コースインし、マシンの感触やコースの状況を探りながら「それとなく」アタックを続けるのが常だっただけに、この檜井選手の言葉には少なからず衝撃を受けました。
 その上、冷静に考えれば考えるほど、もし途中で路面状況が一変したら・・・とか、終盤に黄旗や赤旗でアタックのタイミングを失ってしまったら・・・とか、不利な状況がいくらでも脳裏に浮かび、不安が募っていきます。
 しかしそこは場数を踏んできた檜井選手、そんな些細なリスクを気にするよりも、積極的にチャレンジすることがいかに大切かを身をもって示してくれたわけです。

 そもそも何も失うものなどないくせに、自ずとつい安全策をとりがちだった私達にとって、これは「戦う姿勢」への意識改革をもたらす一つの出来事でした。


 さて、ふと現実に戻るとそんな感慨にひたっている暇はありません。檜井選手のアタック宣言を受けて、私達が真っ先に取り掛かった作業といえば、ピット内の時計の時刻合わせ(笑)。
 過去、トラブル発生で時間に追われた場合を除き、意識して時計を見つめる習慣などなかった私達。虎の子の8分間が目減りしてしまうことがないよう、念には念を入れ、数年前にホームセンターで調達した何の変哲もない掛け時計の秒針の動きまできっちり確認しておきます。



気合十分でマシンに乗り込む檜井選手


 まずは13時20分からST−1/ST−2クラスのAドライバー予選が始まり、それまで静かだったサーキットにも一転してマシンの爆音が轟き始めます。
 そしてその15分後、自分達のクラスの出走時間を迎えても、動きを潜めたようにじっと待機する檜井選手と78号車・・・。今まで経験したことのない、落ち着かない静寂が私達のピットを包み込んでいました。

 こうして迎えた運命の時刻。13時42分、満を持して78号車はピットロードを後に。
 15分間のセッションの前半にライバル勢が一通りタイムアタックを終えた頃、その間隙を縫って一発のアタックを決める、というのが檜井選手の描いていた予選ストーリーだったのです。
 私達は突然の降雨やイエローフラッグで水を差されることがないよう必死に祈りながら、助っ人檜井選手のここ一番のパフォーマンスに大いに期待を寄せていました。



 15分間のAドライバー予選も残り5分となった15時45分、アウトラップを終えた78号車がいよいよタイムアタックに入ります。ここでゼッケン78の2分台のラップタイムがタイミングモニターの最下位付近に登場し、ようやく自分達が予選に参加している実感が沸いてきます(笑)。

 どこかホッとしてモニターを見つめる私。その目にまず飛び込んできた78号車の最初のアタックラップのタイムは
1分41秒083」。

 いきなり、伊藤選手が昨年のBドライバー予選で記録した78号車の過去最速タイム
1分41秒701をあっさりと塗り変え、40秒台に迫ろうかという勢いです。この時点で#14・岡部自動車ディクセルRX−7の1分41秒609をかわしてRX−7勢のトップへ躍進し、ST−3クラス内でも4位という好位置につけます。

 78号車にとっては3年連続の予選タイム更新。正直これだけでも十分な成果だったのですが、そのままアタックを続けた檜井選手はなんと続く2周目で
1'40.567をマーク。ついに、夢にまで見た40秒台に突入し、ST−3クラスの3位までポジションアップしたのでした。



スーパー耐久 Aドライバー 公式予選
【順位はST−3クラス内の順位】
◆9月6日(土) 天候:曇り◆
ST3−1. #39 TRACY SPORTS eeiA NSX 1'40.177 ― 
ST3−2. #333 エクセディ H.I.S. イングス Z 1'40.470 +0.293
ST3−3 #78 WW2 RX-7 1'40.567 +0.390
ST3−4. #27 FINA ADVAN M3 1'41.068 +0.891
ST3−5. #777 屏風浦工業 ニューテック-Z 1'41.272 +1.095
ST3−6. #14 岡部自動車 ディクセル RX-7 1'41.609 +1.432
ST3−7. #15 岡部自動車 ディクセル Z 1'41.977 +1.800
ST3−8. #38 MSF&ケーズパワー TRACY SPORTS NSX 1'43.336 +3.159
ST3−9. #19 高見沢整骨院☆真東☆TC神戸Z33 1'44.448 +4.271
ST3−10.#7 ドリームエンジェル・アドバン RX-7 1'45.557 +5.380
ST3−11.#113 UNT Racing ☆ ings Z 1'46.680 +6.503

 

 2ラップ限りのアタックを終えて私達のピットへ戻ってきた檜井選手。
 必ずしも100%会心のアタックとはならなかったようで、少し悔しそうな表情も覗かせましたが、40秒中盤の堂々たるタイムとマシンバランスの良さにはかなりの手応えを感じたようでした。



 続いては伊藤選手が出走するBドライバー予選です。

 たった今、檜井選手の素晴らしいタイムアタックによってタイミングモニター上に絶大な存在感を示したばかりの78号車が、最終的にどの予選位置に収まることになるのか、内外の注目が集まります。


 


 (その2)へつづく





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