2004年に引き続き、今年も地元・MINE戦への出走を断念することになったチームテスタスポーツと#78・WW2ダンロップRX−7。しかし、5月28日の決勝当日、MINEサーキットのパドックには、新宅/伊藤両ドライバーやチームオーナーの姿がありました。もちろん、シーズン終盤の参戦に向けた敵情視察がその目的でした。
記録的な猛暑が続く8月の半ば、私は新宅選手から待ちに待ったS耐参戦決定の連絡を受け、WW2としてのサポートを快諾しました。5月のMINE観戦時の沈んだ雰囲気を思うとやや意外な気もしましたが、ともあれ、私達は78号車のデビュー戦の地に、再び戻って来れることになったのです。
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私は水曜の夜遅くまで機材の積込みで拘束されたため、木曜夜に慌しく自分自身の身支度を整え、金曜早朝にアテンザスポーツワゴンで自宅を出発。RX−8で駆け付けてくれた克ちゃんを乗せ、途中でチームメンバーをピックアップ。予定通り8時過ぎに美作市(旧・英田町)入りし、木曜からサーキット入りしていた先発隊のチームメンバーと現地で合流しました。そして、岡山在住のT−eMさんも愛機デミオを駆ってほぼ同時にパドックに到着。 |
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今回のチームテスタスポーツのPIT番号は「6−B」でした。 TOPチームのPITの間に挟まれた昨年のTI戦とは打って変わり、再び私達のようなスポット参戦チームにとって定位置ともいえる、最終コーナー寄りのPITレーン端に落ち着きました。 ここだとコントロールタワーやN1リーグ事務局から遠いのが玉にキズですが、車検場やトイレ、そしてガソリンスタンドに近いので、我々裏方にとっては大変有り難いのでした。 また、幸いなことに右隣りの「6−C」PITは空きスペースでレースオフィシャルの方々の待機所となっており、PIT幅の狭いここ岡山国際サーキットでは、PITレーン上の陣取り合戦で確実に有利に働きそうです。 私達WW2サポート隊はチームメンバーとの挨拶もそこそこに、持参してきたチームのPIT看板を設置。金曜の公式練習を前にして、PITの表玄関の体裁を急いで整えにかかります。 その後はPITガレージ内のモニター前の仮称・指令センター(笑)に陣取った私Nukupeeと、マシンに張り付くT−eMさん、克ちゃんとに別れ、それぞれ活動を開始します。二人とも、この日に備えてつなぎを新調してくるほどの素晴らしい気合いの入りようでした(^^)。 |
「6−B」ピット裏の風景 PIT看板の取り付け |
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およそ1年ぶりの実走行ながらも、一週間前のテスト走行と木曜日のプライベート走行を大きなトラブルなく終えた78号車は、朝から簡単なメンテナンスを受け、暖機も完了。燃料を40L追加して、朝10時からの1回目の専有走行に備えます。
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ちょうど1年前の2004年のS耐TI戦、私達WW2はメンバーのmuneさんの絶大なる協力を得て、78号車をPIT位置へ誘導するためのPITストップボードを製作しました。 このPITストップボードのデザインはマシンのカラーリングとイメージを統一したもので、2003年に製作したPIT看板と併せ、今ひとつ飾り気のないチームテスタスポーツのPITに彩りを加える貴重なアイテムとして、すっかり認知されていました。 ところが今回、PIT看板は金曜朝に早々にサーキットへ持ち込まれたものの、PITストップボードはまだこの時点では登場していませんでした。・・・じつは、昨年のレース後にボード裏側の文字にミススペルを発見、今回のS耐参戦決定の報を受け、慌てて修正作業を開始していたのでした。 |
PITストップボード |
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