25.WW2、岡山国際でのS耐参戦をサポート!(前編) 






 改造範囲の狭いN1規定をベースにして、身近な存在の量産マシン同士で争われる人気のスーパー耐久レース。N1耐久シリーズ時代から数えて15年目を迎えた2005年のシーズンも、全国各地のサーキットを舞台にして、全8戦のレースカレンダーが組まれています。
 今年のカレンダーの最も大きなトピックスは、コース改修を終えた新生・富士スピードウェイでのレースが8月の第5戦として2年ぶりに復活したことで、これに伴い、第3戦のMINE/第4戦の十勝24時間は開催時期が1ヶ月ほど繰り上がり、それぞれ5月/7月になりました。また、例年通り9月開催となった第6戦の舞台は、今年からその名称を岡山国際サーキットへ一新しています。




 ◆敵情視察の旅◆

 2004年に引き続き、今年も地元・MINE戦への出走を断念することになったチームテスタスポーツと#78・WW2ダンロップRX−7。しかし、5月28日の決勝当日、MINEサーキットのパドックには、新宅/伊藤両ドライバーやチームオーナーの姿がありました。もちろん、シーズン終盤の参戦に向けた敵情視察がその目的でした。
 そしてこの場にはチームからの招待を受けたWW2メンバーも集結していました。
Kojiさん、克ちゃん、T−eMさん、Nukupeeの4名が観戦ツアーを組んで駆け付け、チームメンバーと同様、今年のST3クラスの戦いの様相に熱い視線を送ることになりました。

 昨年と違い、完全なドライコンディションで決勝スタートを迎えた今年のMINE戦。500kmという長めのレース距離のため、燃費に不安を抱えるマシンでは1PIT作戦は難しく、終盤に給油のみのショートPITストップを加えた2PIT戦略をとるチームが続出しました。
 それでも今回のST3クラスでは、1LAPの速さで圧倒的に勝るZ33が、1PIT作戦のBMW M3を僅差でかわして見事に優勝を飾りました。その一方で、同じく一発の速さが身上のRX−7勢は全く揮わず、参戦した2台のうちの1台が1PIT作戦のS2000の後塵を拝する結果となり、リザルトはクラス6位/8位という下位に沈んでしまいました。
 ほんの数年前までは、こうしたPIT戦略の違いから激しい優勝争いを展開していたのは
M3 vs RX−7だったわけで、その後著しい台頭を見せてきたZ33勢と、逆に進化を止めてしまったRX−7勢の好対照な姿を、あらためて見せ付けられる思いでした。

 「昨年以上にセブンは苦しそうだね・・・」

 そんなオーナーの溜め息交じりの言葉が、居合わせた全員の偽らざる心境を代弁していました。


なかなかマシンだけが撮れなくて・・・(^.^)
MINE戦に出場した岡部自動車のRX−7

スタンド側からの新鮮な風景・・・
快晴の下でのスタート

爆睡前の元気な克ちゃん(笑)
戦況を見つめるWW2メンバー




 ◆参戦の決定と大役◆

 記録的な猛暑が続く8月の半ば、私は新宅選手から待ちに待ったS耐参戦決定の連絡を受け、WW2としてのサポートを快諾しました。5月のMINE観戦時の沈んだ雰囲気を思うとやや意外な気もしましたが、ともあれ、私達は78号車のデビュー戦の地に、再び戻って来れることになったのです。

 今回は、初参戦時以来の主要メンバーだった
Kojiさんが体調上の理由でサポートメンバーを外れることになってしまいましたが、サポート経験の豊富な克ちゃんと、昨年のTIでサポート隊以上に大活躍してくれたT−eMさんが早々に金曜日からの参加を表明してくれたおかげで、土曜から参加予定の私と合わせ、WW2サポート隊の体制はほぼ固まりました。

 レースのちょうど一週間前、新宅選手に電話でWW2の参加メンバーを伝え、簡単な旅程確認をしようとした私は、そこで予想だにしなかった言葉を耳にします。

 「今回は予算面が一段と厳しくて、ホントに最低限の陣容になりそうなんだよ・・・」と新宅選手。

 続けて 
「そこで、レースマネジメント一切をお願いしたいんだけど・・・」

 
「!!!!」

 過去4年間と同じ「サポート」気分で構えていた私は、思わず耳を疑いました。

 たしかに、これまで決勝レース中に独りタイミングモニターに噛り付き、クラス3の戦況把握とチーム戦略へのサジェスチョンを幾度となくやってきた私ですが、レースウィークを通してのマネジメントとなると話は全く違います。さらによく聞けば、チームオーナーは決勝日まで不在だとのことで、その責任の重さは計り知れません。
 しかし、ここ数年私が密かに思っていた「戦うチーム」への転換を図るには、この千載一遇のチャンスを生かさない手はありません。・・・ここは本腰を入れて取り組むしかない、と即座に思い直しました。

 
「・・・は、はい!」と二つ返事で了解した私は、すぐに会社の上司に有休取得計画の延長を(半ば一方的に)宣言。公式練習走行の始まる金曜日からの参加を決めました。

 自称・大のレース好きとはいえ、今まで全くレースマネジメント経験のない私が、これまでにないチャレンジングな戦略を提案し、それをチームメンバー全員に理解してもらい、協力をとりつけるためには、誰もが納得できる論理的な説明が必要であり、そのためのバックデータが重要となってきます。過去のTI戦のリザルトデータを揃えておくことはもちろん、金・土の2日間でいかに効率的に生データ取りを進めていくか・・・。

 その日から、圧し掛かる大きなプレッシャーとの戦いが始まりました。




●9月9日(金)
 S耐公式練習日

 私は水曜の夜遅くまで機材の積込みで拘束されたため、木曜夜に慌しく自分自身の身支度を整え、金曜早朝にアテンザスポーツワゴンで自宅を出発。RX−8で駆け付けてくれた克ちゃんを乗せ、途中でチームメンバーをピックアップ。予定通り8時過ぎに美作市(旧・英田町)入りし、木曜からサーキット入りしていた先発隊のチームメンバーと現地で合流しました。そして、岡山在住のT−eMさんも愛機デミオを駆ってほぼ同時にパドックに到着。

 快晴の下、いよいよ今年のスーパー耐久レースの3日間が幕を明けます。

 今回のチームテスタスポーツのPIT番号は「6−B」でした
 TOPチームのPITの間に挟まれた昨年のTI戦とは打って変わり、再び私達のようなスポット参戦チームにとって定位置ともいえる、最終コーナー寄りのPITレーン端に落ち着きました。
 ここだとコントロールタワーやN1リーグ事務局から遠いのが玉にキズですが、車検場やトイレ、そしてガソリンスタンドに近いので、我々裏方にとっては大変有り難いのでした。
 また、幸いなことに右隣りの「6−C」PITは空きスペースでレースオフィシャルの方々の待機所となっており、PIT幅の狭いここ岡山国際サーキットでは、PITレーン上の陣取り合戦で確実に有利に働きそうです。


 私達WW2サポート隊はチームメンバーとの挨拶もそこそこに、持参してきたチームのPIT看板を設置。金曜の公式練習を前にして、PITの表玄関の体裁を急いで整えにかかります。
 その後はPITガレージ内のモニター前の仮称・指令センター(笑)に陣取った私
Nukupeeと、マシンに張り付く
T−eMさん克ちゃんとに別れ、それぞれ活動を開始します。二人とも、この日に備えてつなぎを新調してくるほどの素晴らしい気合いの入りようでした(^^)。
階段上がればすぐトイレ(^^)v
「6−B」ピット裏の風景

看板の位置調整に余念のない二人(^^♪
PIT看板の取り付け



●9月9日(金)
    AM10:00〜11:00
 専有走行@

 およそ1年ぶりの実走行ながらも、一週間前のテスト走行と木曜日のプライベート走行を大きなトラブルなく終えた78号車は、朝から簡単なメンテナンスを受け、暖機も完了。燃料を40L追加して、朝10時からの1回目の専有走行に備えます。



朝のメンテナンス中の78号車


 このセッションは新宅選手から先に乗り込み、残り30分で伊藤選手に交代。両選手ともに何度もPITインを繰り返し、マシンのフィーリングチェックに余念がありません。

 その間、私はというと、チーム監督代理?としてPITレーンに仁王立ちし、不慣れなマシン誘導役をこなしながら、ストップウォッチ片手に両選手のアウトラップ/インラップのタイムを計っていました。今まで一度も意識したことのなかったPITインロスタイムの計測・・・これもすべては決勝のPIT戦略を検討するための貴重なデータ取りの一環なのでした。

 結局、第1回目の練習走行は残り12分で赤旗提示。5分後に再開されたのも束の間、再び赤旗となり、そのままセッション終了となりました。
#78 WW2ダンロップRX−7は、総合24位クラス9位で最初の計時セッションを終えました。とかく、クラスTOPから4〜5秒遅れで滑り出すことの多い78号車ですが、それに比べると今回はやや好スタートを切った感があります。

スーパー耐久 専有走行@ リザルト
【ST3クラスのみ抜粋;順位は総合順位】
◆9月9日(金) 天候:晴れ◆
10.#27 FINAエクスクエアーADVAN M3 1'41.855 ― 
13.#29 PERSON’S elf YH NSX FAB 1'42.361 +0.506
14.#15 岡部自動車 ハーツ RX−7 1'42.659 +0.804
16.#7  メーカーズ ゼナドリン RX−7 1'42.951 +1.096
17.#48 フィールズT&Gアドバン  Z 1'43.002 +1.147
18.#23 C−WEST ORCアドバンZ 1'43.427 +1.572
20.#46 realstyle.jp S2000 1'43.785 +1.930
22.#19 EBBRO☆Z☆TC−KOBE 1'44.365 +2.510
24.#78 WW2 ダンロップ RX−7 1'45.625 +3.770
28.#16 バウフェリス 速人7 1'45.862 +4.007
‐ ‐.#83 BP ADVAN NSX 出走せず





●9月9日(金)
    AM12:45〜13:45
 専有走行A


 2時間弱のインターバルの間、78号車はリアのトラクション不足という大きな問題を解消するべく、リアサスペンション一式の交換を行ないました。その他、驚くほど消耗が進んでいたフロントブレーキPADを交換。(←じつはENDLESSの人に指摘されるまで気付かなかった・・・汗)
 さらに、正確な燃費データ取りのため、ガソリンの全抜き作業を開始。ところがフューエルポンプの不調で予想外に時間がかかり、あらためて60Lの給油を完了した頃には、既に2回目の走行セッションは開始されていました(汗)。

 ようやく13:00過ぎに新宅選手からコースイン。今度は15分ほどでステアリングを伊藤選手に委ね、じっくりと足回りのセッティングを詰めていく作戦です。伊藤選手が1分46秒フラットを刻んだところで再度PITイン。マシンをガレージ内に入れ、リアのアライメントをじっくり再調整します。

 やがてマシンは再びPITロードへと押し出され、伊藤選手がどこまでタイムを縮めるかに注目が集まりましたが、ここでとんでもないアクシデントが発生。

 13:40過ぎに3度目のコースインを図った78号車。マシンの姿がPITロードの遠く彼方に消えた直後、伊藤選手本人から緊急連絡が入ります。

 
「ボンネットが開いたっ!・・・」

 突然の知らせにメンバーの表情は凍り付きました。
 幸い、オフィシャルがコース脇で応急処置を施してくれたおかげで、とりあえずPITには戻れそうとのこと。誰もがPITロードの方向を凝視しながら、帰還するマシンの姿を恐々と待ち受けます。無論、ボンネットやフロントガラスのスペア品など全く持ち合わせていません・・・。

 しかし、帰還した78号車は”奇跡的に”原形を留めていました。前端が僅かに凹んだルーフと、部分的に塗装が剥げ落ち、レインフォースメント部分にクラックの走ったボンネットが衝撃の強さを物語っているものの、フロントガラスは全くの無傷で済んでいました。これにはメンバー一同、ホッと胸を撫で下ろしました。


 それにしても、なんと恥ずかしい初歩的ミスでしょう。マシンへの被害が最小限で済んだことはまさに不幸中の幸いですが、何となく昨年までとは違う不穏な空気が漂い、どことなく不安感を煽ります。これ以降、ドライバーにスタート指示を出す私のチェック項目に、ボンピンが加えられたことは言うまでもありません。


 このセッションの走行はこれにてキャンセル。未だにリアのトラクション不足解消に目処が立っていないのが気掛かりです。


スーパー耐久 専有走行A リザルト
【ST3クラスのみ抜粋;順位は総合順位】
◆9月9日(金) 天候:晴れ◆
12.#29 PERSON’S elf YH NSX FAB 1'42.329

13.#83 BP ADVAN NSX 1'42.364 +0.035
14.#23 C−WEST ORCアドバンZ 1'42.367 +0.038
15.#15 岡部自動車 ハーツ RX−7 1'42.412 +0.083
16.#27 FINAエクスクエアーADVAN M3 1'42.620 +0.291
17.#19 EBBRO☆Z☆TC−KOBE 1'42.655 +0.326
19.#48 フィールズT&Gアドバン  Z 1'43.174 +0.845
20.#7  メーカーズ ゼナドリン RX−7 1'43.250 +0.921
22.#46 realstyle.jp S2000 1'43.884 +1.555
25.#16 バウフェリス 速人7 1'44.537 +2.208
29.#78 WW2 ダンロップ RX−7 1'46.073 +3.774

 




●9月9日(金)
    AM14:45〜15:45
 専有走行B


 走行を終えた78号車からは再び燃料が抜かれ、専有走行2回目の燃料使用量が明らかに。こうして初めて得られた燃費の値は1.94km/L。ただ、PIT待機中や1コーナー先のスロー走行時の燃料消費も含んでおり、決勝レース中の燃費との相関はまだまだ正確に掴めませんが、エンジンのセッティング自体は昨年と同じとのことで、とりあえずはこのデータと昨年の記録を手掛かりに、決勝の戦略を練っていくことにします。

 14:45から始まる金曜最後の走行セッション。燃料を60Lほど給油して、伊藤選手から走行を開始します。
 伊藤選手は時折りPITインを挟みながら精力的に周回を重ね、途中でリアのアライメントに再度微調整を加えます。が、リアのトラクションには改善が見られたものの、逆にフロントとのグリップバランスが崩れてしまい、気温の上昇とタイヤの消耗も加わってベストタイムの方は伸びず、午前中のタイムを1秒下回る、46秒台中盤に留まったままでした。
 最後の10分間で新宅選手に交代し、マシンのフィーリングを共有します。


 結局、78号車は金曜の計3回の専有走行で回を追うごとにタイムを落とす結果となり、総合では辛うじてST4クラス勢を抑え切ったものの、ST3クラスの中では全11台中11位のタイムに終わりました。クラスTOPとのタイム差は3秒〜4秒台で例年よりは小さく、1年ぶりの実戦参加を考えると決して悲観する状態ではありませんが、徐々にタイムを上げてきたライバル勢と相反する動きをとってしまったことは、予選〜決勝に向けて大変気掛かりなところです。

 

スーパー耐久 専有走行B リザルト
【ST3クラスのみ抜粋;順位は総合順位】
◆9月9日(金) 天候:晴れ◆
 7.#23 C−WEST ORCアドバンZ 1'41.948

 9.#15 岡部自動車 ハーツ RX−7 1'42.047 +0.099
12.#48 フィールズT&Gアドバン Z 1'42.560 +0.612
13.#27 FINAエクスクエアーADVAN M3 1'42.582 +0.634
15.#19 EBBRO☆Z☆TC−KOBE 1'43.054 +1.106
16.#29 PERSON’S elf YH NSX FAB 1'43.206 +1.258
18.#83 BP ADVAN NSX 1'43.319 +1.371
21.#46 realstyle.jp S2000 1'43.932 +1.984
22.#16 バウフェリス 速人7 1'44.015 +2.067
23.#7  メーカーズ ゼナドリン RX−7 1'44.054 +2.106
27.#78 WW2 ダンロップ RX−7 1'46.518 +4.570

 
 じつは、このセッションでも78号車にはヒヤッとする場面がありました。

 最初にコースインして数周後、マシンのリアの挙動に手を焼いた伊藤選手が最終コーナーで思わずハーフスピンを喫しました。真後ろにいたマシンは慌てて回避していきますが、暫くして
#11 オーリンズ ランサー EVO\がコース上に佇む78号車めがけて急接近!!・・・あわや衝突かと思った瞬間、ギリギリのところでスパッと向きを変え、間一髪かわしていくランサー。コクピットの伊藤選手はもちろん、サインガードから一部始終を見ていた佐竹会長も思わず肝を冷やした瞬間でした。

 しかしこのシーン、後で聞いたところでは、どうやらランサーの木下選手の演出が多少加わっていたとかいないとか・・・。伊藤選手と面識のある木下選手ならではの「茶目っ気」が炸裂したのかもしれませんが、そんな”演技”で伊藤選手と佐竹会長にイヤ〜な冷や汗を掻かせたのだとしたら、必ずや決勝レースで天罰が下りますぞぉ(笑)。




 ◆PITストップボード再び◆

 

 ちょうど1年前の2004年のS耐TI戦、私達WW2はメンバーのmuneさんの絶大なる協力を得て、78号車をPIT位置へ誘導するためのPITストップボードを製作しました。

 このPITストップボードのデザインはマシンのカラーリングとイメージを統一したもので、2003年に製作したPIT看板と併せ、今ひとつ飾り気のないチームテスタスポーツのPITに彩りを加える貴重なアイテムとして、すっかり認知されていました。

 ところが今回、PIT看板は金曜朝に早々にサーキットへ持ち込まれたものの、PITストップボードはまだこの時点では登場していませんでした。・・・じつは、昨年のレース後にボード裏側の文字にミススペルを発見、今回のS耐参戦決定の報を受け、慌てて修正作業を開始していたのでした。
鑑賞にも耐え得る逸品!!
PITストップボード


 そのミスとは、本来
「BRAKE ON」とすべきところを「BREAK ON」としていたというもの・・・(大汗)。
 
 直接に該当する慣用句はなさそうですが、BREAKといえば破壊、妨害、遮断、無視…と、サーキットで聞く限りはあまり良い響きと言えません。半ば強引に、更新や打破、などと解釈する手もなくはないですが、ここは潔く修正した方が良いに決まっています(笑)。昨年はレース直前の慌しい中での製作となったため、私達もつい間違いを見落としてしまっていたというわけです。

 金曜夜に完成した修正版のPITストップボードは、
muneさんからKojiさんの手へしっかりと託され、日曜朝に私達のPITへ届けられることになりました。

 こうした事情があり、一昨年限りで引退したはずの派手なオレンジ色の段ボール片には、金曜・土曜と再び活躍の場が与えられたのでした。見映えはともかくとして視認性だけは抜群のこの手作りボード、今回そのメインユーザーは監督代理のこの私だったわけですから、きっとこれも何かの因縁でしょうね(笑)。

他チームと比べても遜色なし(エヘン)
定位置に鎮座しているPIT看板に対し・・・
蛍光オレンジはもちろんCHARGEカラー(^^)v
・・・PITストップボードは旧型品で代用


 





 
金曜日の3回の走行セッションを通じ、総合TOPのポルシェ911GT3と私達のRX−7とのベストタイム差は、計ったように8秒台後半でピタリと安定。
 この時点で私は一旦、78号車の決勝周回数は
99周前後との予測を立てました。これに、土曜日以降のタイム差の推移や、新たな燃費データ等を加味すれば、いよいよ決勝でのレース戦略のアウトラインが見えてくることでしょう。


 チームは20時頃にサーキットを離れ、市内で食事を済ませて21時過ぎには宿舎に戻りました。車検と公式予選が控えている土曜に備え、やや早めの就寝となります。
 しかし、この時点ではチームの誰一人として、翌日に降り掛かる大きな試練を予想することはできませんでした。



 




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