21.WW2、PIT看板を作成! (2003/09/19・記)


 
2003年の夏で、私達WW2がチームテスタスポーツさんのスーパー耐久参戦をサポートをするようになってから丸2年が経過しました。

 「サーキットを疾走するMAZDAのマシンを応援する」というWW2のコンセプトに従い、私達は近隣のサーキットに赴いては観客席から声援を送り続けてきたわけですが、縁あってRX−7でスーパー耐久シリーズへの挑戦を開始しようとしていたこの広島のチームと巡り会ったのを機会に、私達はより深くレースの世界と関わりを持つようになったのです。

 まず、マシンの初期製作段階では、オリジナルのカラーリングを私達の手で施すチャンスに恵まれました。当然誰もが初めて経験する作業であり、連日連夜、試行錯誤を繰り返しながらの大仕事となりましたが、メンバーの皆で考案したデザイン案をもとに、限られた素材を駆使しながら個性的な彩りを加えていったことで、私達はとてつもなく大きな達成感を分かち合うことができました。

 


 
そして実際のレース参戦にあたっては、毎回数名のメンバーがチームに帯同させてもらい、機材の積込みや運搬作業を手始めに様々な役割を担当させてもらいました。
 PIT内ではマシンのボディ磨きやタイヤ運びといった初歩的な作業から、時にはPAD交換やドライブシャフト交換にもチャレンジ。そしていざ公式セッションに移ると、メンバーはそれぞれ、灼熱のPITウォールでのサインマン役、ピットイン時の給油マン役や消火器マン役を分担して務めましたし、PIT内では終始リアルタイムな戦況をモニタリングして、随時チームの戦略サポートも行ないました。もちろん、毎レース、メインスタンドやパドックに駆け付け、熱い声援を送ってくれた応援部隊の心強い存在も忘れることはできません。



 こうしてWW2は2001年〜2002年の間、合計4戦のS耐ラウンドへの参戦をサポートしてきたわけですが、2003年シーズンを迎えるにあたって、78号車はスポンサーの意向を受けDUNLOPの
DIREZZAカラーへと大変身。ついに素人による手作りカラーリングを脱して、より本格的なレーシングカーの外観を手にすることになったのです。

 


 
もちろん私達WW2にとっても、チームのこうしたステップアップは大変嬉しい出来事だったのですが、その一方で、愛着のあったオレンジグリーンのカラーが跡形も無くなってしまったことで、どことなく寂しい気持ちを感じていたのも事実でした・・・。

 このような背景があり、今年6月のS耐MINEラウンド終了直後から、サポートで参加したメンバーを中心に、あらためて
「何かWW2でカタチに残るものを作ろう!」という機運が高まったことは、決して不思議な流れではありませんでした。



●アイテムの検討開始

 チームの次の参戦レースは、9月初旬のTI戦に決定していました。その約2ヶ月前となる7月某日、KojiさんNukupeeはメンバーのmuneさんを誘って、SF広島さんに集結(kshintaniさん323GTさんにも感謝)。次戦までに用意が可能なアイテムについて、アイデアを出し合いました。

 製作候補として挙がったのは、PITインしてきたドライバーに停車位置を示すSTOPボード、台車などPIT内の小道具に貼ることのできるチームステッカー、そしてPITの表に飾るチーム看板などでした。
 この中から第一候補に決まったのが、チームの表札ともいえる
「PIT看板」でした。毎レース、大勢の観客で賑わう華やかなピットウォークのひとときも、キャンギャルのいないチームテスタスポーツのPITは何となく(いや、かなり?)地味な一角となっていましたが、78号車のマシンとともに立派なチーム看板があれば、いくらか体裁良く見えてくれるのでは・・・との期待がありました。


克ちゃん撮影@2002年MINE
隣りと比べると殺風景なPIT・・・(^^ゞ


 
早速、私達はSF広島の店内に置いてあるレース専門誌の掲載写真などを参考に、PIT看板のサイズを思い切って1000×300ミリ程度の大きなものとし、看板内容にはゼッケンチーム名スポンサー名を織り込むことに仮決定しました。

 あとは、メンバーの中でもとりわけデザインに造詣の深いmuneさんに今回のデザイン案の作成をお願いし、私Nukupeeがチームオーナーさんの意見を伺いながら具体的内容を詰めていくことにして、夜遅くSF広島さんを後にしました。




●デザイン案の決定

 幸い、チームオーナーさんは今回の看板製作の話を大変喜んでくれました。それだけでなく、看板にはこれまでチームに対して協力をしてくれたスポンサーネームをできるだけ多く入れたいとの心暖まるリクエストまで戴きました。

 
当初は手作りによるPIT看板製作を目指していた私達ですが、muneさん監修のデザイン案がほぼ固まった盆休み明けの時点で、レース当日までの期間を考慮し、muneさんの知り合いの業者さんへ製作を一任することに決めました。
 その結果、工法はアルミ板をベース材として、看板デザインをカラープリントした用紙をその上に重ね合わせ、最後にラミネート加工して仕上げるという、現代の看板製作トレンドに沿った立派なものになりました(^^)。

 その製作過程で、看板にレイアウトするスポンサーロゴを、本物のスポンサーステッカーから型取りすることになり、私達は急遽ステッカー集めに奔走しました。ところが、78号車のマシン作りには欠かせない、ボディーショップ「ワークス」さんの稀少なステッカーの入手に手間取ってしまい、その結果、全ての素材が揃ったのは、なんとレース開催週の火曜日となってしまいました。

 一瞬、完成がレース当日ギリギリとなる事態も覚悟しましたが、その後急ピッチで製作は進み、金曜日には無事に製作が完了。出来たてホヤホヤの看板は、その日の深夜にmuneさんからサポート隊のKojiさんへと託され、翌日の土曜日早朝、同じくサポート参加する
Yasuさんの愛車に大切に積まれ、チームのPITへと届けられたのでした。



 「いい感じで出来てますよ」とKojiさんが再三(笑)メールで予告してきた通り、私達の目の前に姿を現したその作品は、まさにプロフェッショナルな出来映えで、誰もが思わず「おお〜っ!」と声を上げるような素晴らしいものでした(^^)。


TIの2―Cピットを飾ったチーム看板
(予選日・朝)


 
早速、前日からチームに合流していたぬまさんNukupeeの二人で、届いたばかりの真新しい看板をTIサーキットの自PIT前に設置。WW2メンバーは代わる代わる真下から見上げたり、少し離れた位置から眺めたりしながら、PIT玄関口の新アイテムがもたらす引き締まった雰囲気に、皆思わずニンマリといった面持ちでした。これを自画自賛といわずに何といいましょうか(笑)。



確実に華やかさが増したPIT前

 事実、周囲のPITをざっと見渡してみても、私達のPIT看板はデザインや仕上がりにおいて他チームに見劣りするどころか、むしろかなり立派な部類に属しているではありませんか!! ハッキリ言って想像以上の出来映えでした。

 こうして新たな「自慢の」アイテムを仲間に加え、TI戦に臨むWW2サポート部隊は、益々そのボルテージを上げていくのでした・・・。

 




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