16.WW2、富士Super−TECに参戦!(前編)
 (2001/11/11・記)


 
2001年9月、ついに私達WW2の名前を冠したマシンがスーパー耐久シリーズ公式戦にデビュー。記念すべき初戦、シリーズ第6戦のTI400kmレースでは、幾多のトラブルに見舞われながらも、いきなり初参戦・初完走(クラス3―7位)を成し遂げたことは、前回のレポートでもお伝えした通りです。

 連日の徹夜作業でマシンを仕上げて臨んだシェイクダウンレース。このTI戦で得た確かな手応えを元に、チーム・テスタスポーツは次なる戦いの場を、2001年のS耐最終戦となる
第8戦・Super TECに定めました。
 静岡県・富士スピードウェイで行なわれるこの一戦には例年数多くのエントリー台数が集まり、各クラスごとに予選落ちマシンも出るほどの盛況ぶりで知られています。ゼッケン78・WW2 RX−7はこの激戦の舞台に、遠路遥々乗り込むこととなったのです。

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 今回のWW2からのサポートメンバーは、前戦TIに引き続いて克ちゃんこーぢさんKojiさんの3名が参戦を表明、加えて私Nukupeeもついに初日からの参加を決意。東京から駆け付けるKojiさんは土曜朝からの参加となりましたが、土曜日の夜にはYasuさんが新幹線で駆け付ける予定となっており、遠征ゆえに人員不足の心配された富士戦でしたが、いざ蓋を開けてみると、TI戦と変わらぬ強力なサポート体制が出来上がっていました。

 広島―御殿場間の片道約800km、11時間もの長旅に備え、チームは2泊5日のスケジュールを組み、金曜早朝の現地到着を目指して木曜の夜7時に広島の拠点を出発。積車、パネルバン、1BOXの3台編隊で必要とされる計6名のドライバー候補の一人として、こーぢさんが真っ先にチームに合流し荷物満載の新型タイタン・パネルバンに搭乗。暗闇の山陽自動車道を東へ向けエンジン全開でひた走ります。
 一方、残務整理で大幅に出遅れた私Nukupeeは、克ちゃんを呉市でピックアップし、WW2オフィシャルカー(笑)で約4時間遅れの追従を開始。西条I.C.から山陽道に進入した時点で日付はすでに金曜日。果てしなく長い道程を前に一抹の不安がよぎりましたが、ここで自らの使命を、助手席の克ちゃんを元気な状態で金曜の作業へ送り込むことに切り替え(笑)、気を取り直して御殿場I.C.迄の耐久レースへ挑むことにしました。

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●10月21日(日)
 テスト走行

 ところで、デビュー戦・TIのレースを満身創痍で完走し、広島に帰還した78号車は、その後、僅か1ヶ月半のインターバルの間に慌ただしく変貌を遂げていました。深刻なダメージを追ったエンジンは換装され、減衰力不足を露呈したサスペンションもOHされて、細かい仕様変更を受けていました。
 再び組み上がったマシンの素性を確認するため、チームは10月21日に山口県のMINEサーキットにマシンを持ち込んでテスト走行を実施。貴重な走行チャンスをチームに与えてくれたのは、なんと元マツダワークスドライバーの
従野孝司氏。当日MINEで主催されていた占有走行枠への出走を特別に許可して頂いたのです。\(^o^)/
 このテストにはWW2から
Kojiさんが参加してくれました。


 
路面はあいにくのWETコンディションでしたが、大勢の関係者が見守る中、新宅選手&伊藤選手のドライブによって、マシンは大きな問題もなく無事に2度目のシェイクダウン走行を終了。両ドライバーもレースに向けて確かな感触を得たようです。

 マツダのワークス復活を求める私達WW2と従野氏との不思議な巡り合わせには本当に驚いてしまいますが、ともあれ、従野氏の有難い計らいには本当に感謝・感激です。

YORINO GPに潜入!!
MINEでのテスト走行(10/21)


●10月29日(月)・30日(火)
 カラーリング作業


 
MINEテストの好結果を受け、富士戦の前週には、TIでの接触でダメージを追った右ドア&リアフェンダーの修復のため、マシンを板金修理に送り出す時間的余裕が生まれました。
 さらに、デビュー戦最大の問題点だった水温上昇対策として、チームは開口面積の狭い純正フロントバンパーに替え、S耐認定済みエアロパーツの中から
MAZDASPEEDのGT−Cタイプをチョイスすることに。
 このようなモディファイを受け、78号車に施していたカラーリングが部分的にリセットされる事態となったため、私達は再度カラーリング作業を実施することになりました。




 
こーぢさんのアレンジにより、作業日程は本番レースを週末に控えた10月29日・30日の夜間に決定。宇品の作業現場には、WW2メンバーからmuneさんおくさんYasuさん克ちゃんが参加、さらに強力助っ人として横谷さん本田さんも応援に駆け付けてくれました。
 その1日目、前回の作業経験から慣れた手付きで素早く右サイドの板金修理部分のカラーリングを完全に復元し終わったメンバーは、バンパー変更によってオリジナルデザインが踏襲できないフロント周りのカラーリングについて検討を開始しました。

ちょっとだけヨ・・・(ってこのあとバンバン出てきますので)
新エアロにピッタリ!!

 前作のデザイン担当、@2000さんが出張で不在だったことや、残量が僅かとなったオレンジ色のカッティングシートとの兼ね合いがあり、初日のカラーリング検討は難航しました。しかし、メンバーは様々なアイデアを持ち寄り、2日目には「傑作」ともいえる素晴らしい解決案が導き出され、WW2 RX−7はデビュー2戦目を前にして、一層精悍なフロントマスクを得ることに成功したのでした。\(^o^)/

 作業にあたられた方々、本当にお疲れさまでした!



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 4時間余り先行するこーぢさんから時折入る連絡を受けつつ、襲い掛かる睡魔と戦いながら東進するWW2オフィシャルカー。
 このままのペースを維持し、1回目のS耐占有走行の始まる午前9時到着を死守したいところでしたが、最後の難関である東名の集中工事渋滞に備え、午前4時過ぎに名神高速のSAで暫し仮眠をとることに決定・・・。

 午前5時半に再スタートを切り名古屋に差し掛かる頃には、先発隊から無事に御殿場到着との一報が入りまずはひと安心。その後朝食休憩をはさみ、いざ静岡県に入ると、朝日を浴びた
富士山の絶景が私達を迎えてくれ、疲れ切った体と頭をすっかりリフレッシュさせてくれました。問題の集中工事区間は朝の通勤時間帯と重なったため想像以上の大渋滞でしたが、ここは快適AT車でなんとか凌ぎ、結局私達の富士スピードウェイ到着は9時半過ぎとなりました。
 メインゲート前からこーぢさんの携帯電話に連絡を入れたところ、すでに話声に雑じって複数のマシンの走行音が・・・(汗)

 いよいよFISCOでの3日間にわたるレースウィークの始まりです!




●11月2日(金)
 スーパー耐久占有走行

 全48台が大挙エントリーした今回のSuper−TEC。チームテスタスポーツの指定ピットは、全45のPITエリアのうちで最も1コーナー寄りとなる44番PIT。スタートラインよりも遥か先で、目の前にはペナルティストップの待機スペースが・・・。しかし、PITスペースがなくバドック内の「車両整備テント」を指定されているチームもあり、決して贅沢は言えません。逆に、この寒い時期にトイレ施設に近かったのは大きなポイントだったかも・・・(笑)


 初日のスーパー耐久占有走行枠は、併催レースが少ないためか、1時間のセッションが計4回(9:00〜、11:00〜、13:00〜、15:00〜)も用意されており、富士初走行となる78号車と伊藤弘史選手にとって、実走経験を積む貴重な機会となりました。

徹夜のドライブで呆然?(いやいや)

この後78号車のPIT停止位置は簡単に識別可能に(笑)


 初めて訪れた富士スピードウェイのPITスペースはTIよりも幾分広く、2個のPITモニターが完備されるという快適な環境。
 今回で参戦2戦目とあって、チームスタッフ同士の息も一段と合っており、PITは随分と落ち着いた雰囲気に包まれていました。PIT裏のテント設営も昼までには完了し、これから激しい戦いを挑んでいく78号車と両ドライバーを援護する体制はしっかりと整いました。

 ドライバー交代をしながらピットインを繰り返す78号車。セッションが進むにつれコースへの慣熟も進み、PITウォールの佐竹さんがサインボードへ表示するラップタイムも、1分47秒台から46秒台、45秒台、44秒台と順調に上昇カーブを描いていきました。

 唯一の懸念点といえば、ごく微量ながら車両からオイル漏れが発生していることで、マシンの停止箇所にはポツポツとオイル跡が残り、マフラーのインシュレーター付近から煙が上がる一幕もありました。PITインする度に、ボンネットや下廻りを覗き込んでのチェックが続きましたが、万全を期すためにも、セッション終了後に徹底的な原因究明が必至という状況になりました。

 結局、金曜日に記録した78号車のベストタイムは、終盤に伊藤選手が叩きだした1分42秒台。この日はタイミングモニター表示がなく、クラス3のライバル勢のタイムとの直接比較はできませんでしたが、視界に入る範囲でクラス4のTOPチーム勢のサインボードを覗きこんで確認したところ、軒並み44〜45秒台!
 高速コースに加え低い気温と、いかにターボ勢有利の条件が揃っていたとはいえ、TI戦での他クラスとの相対関係とは明らかに異なる雰囲気であり、私は密かに「今回はいける!?」と予感めいたものを感じ始めていました。

 チームテスタスポーツはマシンの点検作業のためPITに居残り、退出時間ギリギリの22時、初日のサーキットを後にしました。

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 今回の宿泊先となった旅館は、クルマで僅か10分ほどの近距離で、サーキット通いをするには至極便利なロケーションでした。
 私達WW2サポートメンバーは、与えられた4人部屋を初日のみ3人で占有。束の間の贅沢を楽しんで・・・いやいや、すっかりお疲れの
こーぢさんは食事のあと部屋に帰るなりそのまま布団へ直行。なんとか風呂に入った克ちゃんもすぐさまこーぢさんを追いかけるように爆睡を開始・・・。その後一人寂しくデジカメ充電や翌日の身支度をしていた私も、2時前にはいつの間にか布団の上で意識を失っていました。
 それにしても、前夜から最も睡眠時間の少ない私が最後まで元気に起きていたとは・・・無類のタフネスを発揮したのか、それともPITで一番体を動かしていなかった証拠なのか・・・(大汗)。




●11月3日(土)
  AM7:15〜8:45
 車両検査

 土曜朝、旅館前にて東京から4時起きで駆け付けたKojiさんと合流。
 近くのコンビニで朝食をたっぷり買い込み、ハイエース、ユーノス800、RX−7の新・3台編隊で、私達は再び富士のメインゲートに向けて出発しました。土曜日の早朝から走行しているクルマはいかにもレース関係者らしき車両ばかり。目立った混雑もなく、私達は予定時間通りにサーキットに到着しました。

 
 いよいよ予選が行なわれる土曜日ですが、まずは朝の公式車検からスケジュールがスタートします。
 Kojiさんが無事に車両ごとパドック進入を果たした後、一足先に車検場に自走で向かった78号車を追いかけるように、私達はマーキング用のスリックタイヤ4本をハイエースに積み込み、慌ててPITを離れました。これからマーキングして登録する本番タイヤは、降雨などの特殊事情がない限り、予選および決勝スタートでの装着が義務付けられます。

そのときこーぢさんはタイヤのマーキング作業を・・・
S耐記録更新はならず?!
〜今回は6名が車検参加(^^)〜

 富士は伝統的に車検が厳しいとの評判もありましたが、初戦TIの車検時のドタバタを体験した私達にとって、もはやそれほどの緊張感はありません。検査員の質問にも新宅代表が落ち着いて対応し、78号車は問題なく無事に車検を通過することができました。
 またひとつ、チームがS耐の輪の中に溶け込めたと実感できる一瞬でした。

 

いけねぇ、手に噴いちまった!(嘘)
マーキングタイヤ誕生!
マシンが一番キレイだった瞬間・・・
下廻りの検査中(車検場内)



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 第一ハードルをクリアしてホッとした私達は、PITに戻るなり、「富士に来たら30度バンクを見に行かなきゃ!」との佐竹さんのコトバに促されるまま、再びハイエースに乗り込んで、第一トンネルをくぐり1コーナー方面へ突撃。恥ずかしながら、富士スピードウェイ2日目にして、ようやくPITエリア以外の周辺にも目を向けることができました。

ちなみにクルマは左から右へ通過します(笑)
富士の「大きな」ヘアピン
マシンは画面向こうから手前に向かって通過(してたはずです)
そして30度バンク・・・


 1コーナー駐車場を突き抜け、ダートコース建設現場の手前でクルマを降りた私達は、草ムラの生い茂る向こう側に富士名物の30度バンクを発見! 
 痛んで波打っている舗装の表面が、コース閉鎖後の長い月日を如実に物語っているようでした。かつてこの旧コースを舞台にして、スカイラインGT−R勢とマツダロータリー勢との死闘が繰り広げられていたことを思うと、感慨もひとしおです・・・・とその時、いきなり目の前のバンクを転がり落ちていく
克ちゃんが!

克ちゃん、撮影協力ありがとー!(←やっぱり!)

 最初は2、3回転でやめるつもりだったそうですが、何せ急傾斜で勢いがつき始め、本人は途中から恐怖を覚え始めたそうです。なんでも、いきなり「何かやれ!」とけしかけたカメラマンがいたとかいないとか・・・。


 こんなワンショットも収めつつ、WW2サポート隊は再び44番PITへ。刻一刻とフリー走行&公式予選の時間は近付いていくのでした。






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