スーパー耐久2001年シリーズの第6戦・TI400kmレースは、結成して丸2年を迎えたWW2にとって、新たな展開へ果敢にチャレンジした記念すべきレースとなりました。 これまで私達がサーキットで行なってきた主な活動は、サーキットを疾走するMAZDAのプライベーターのマシン&チームに声援を送ることでした。今回はこのスタンスから大きく一歩踏み出し、WW2メンバーでもある新宅文亮選手の公式レース復帰をサポートするカタチで、スーパー耐久のクラス3にRX−7を仕立てて初出場する広島のチーム、チームテスタスポーツさんに密着、WW2メンバー有志により、エントリー作業からマシンの製作の手伝い、果てはPITスタッフへの人員派遣まで、数々の初経験となる領域に足を踏み入れ、より積極的なサポート活動を行なったわけです。 そのひとつの証しが「WW2 RX−7」というマシン名であり、私達のテーマカラーであるグリーンとオレンジのCHARGEカラーをあしらったそのカラーリングと言えるでしょう。 御存知のように、WW2はMAZDAのモータースポーツ復帰を強く願う人達が集結したプロジェクトの名称であり、レーシングチームに活動資金をもたらすスポンサーではありません。そんな私達の活動コンセプトを理解してくださり、栄えあるマシン名に加えて頂いたチームの方々に対し、私達は精一杯の人的支援で応えることを約束するとともに、この機会を生かして、WW2の活動を強くアピールすることを誓ったのでした。 こうして、激戦区・クラス3の新顔として颯爽と登場したチームテスタスポーツのマシン「WW2 RX−7」の奮闘の模様を、WW2サポートメンバーの活躍も交えながらお伝えしていきたいと思います。
前夜まで不眠不休のハードワークを続けた甲斐あって、チームは当初の予定通り、金曜の早朝4時に広島を出発。晴れの舞台となるTIサーキットへ向かいました。 |
一方、こーぢさんとケタップさんはそれぞれマイカーで現地へ直行。ちなみにこのお二人の愛車は共にRX−7(FD3S)。チームがこれから走らせるマシンと全く同じクルマであるというのは、何かを意図してのことかどうかは定かではありません・・・。 少なくとも、外観周りのパーツは問題なく利用可能な感じですね(笑)。 |
今回チームに割り当てられたPITは、中間地点からはかなり1コーナー寄りとなる15番PITのA。その両脇はクラス1のトトムレーシング(スカイライン)とクラス4のR.T.アンクル(インテグラ)という豪華な顔ぶれです。 じつは私達のPIT奥には運良く手洗い場が設置されており、この後レースウィークを通じ、近隣のPITからも様々な人々が訪れて利用することになるのでした・・・。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ここで、スタッフの宿泊先であるTIサーキット内ロッジでの話。
土曜からはYasuさんが加わってWW2サポート隊は5名体制に。Yasuさんは新宅選手から直々に依頼を受けて主にVTR撮影を担当し、ビデオカメラ片手にパドック〜PIT〜メインスタンドと忙しく往復する日々が始まりました。また、janさんと私Nukupeeも(日帰り強行ながら)この日から参加、パドックにお邪魔して見学や撮影、そして手伝いを開始しました。
こうした皆の思いが通じて初の関門も問題なく無事通過!・・・といきたかったのですが、78号車はオフィシャルCheckの洗礼を受けることに。 |
カラーリング微修正中 |
結局、リアウィングのマウントをリアガラスギリギリまで寄せて穴位置を決定。その際、ウィングステーの旧位置に残ったカッティングシートの貼り跡は、ケタップさんと克ちゃんが予備のシートを持ち出して来て見事な早業で補修を済ませ、あっという間にマウント位置変更の作業は終了しました。 これにはただただ呆然と一部始終を見守るしかなかった私でしたが、WW2サポート隊の面々は帯同2日目にしてすっかりチームに溶け込んでおり、意気の合ったところを見せ付けてくれたのでした(^^)。 |
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車検でのドタバタ劇もオフィシャルの再チェックを受けなんとか一件落着。チームは平穏さを取り戻し、午後の公式予選に向け最後の走行となるフリー走行の時間を迎えました。 リアウィングのマウント位置変更に伴ってウィング角度も若干変更。これまでのマシンバランスと違和感が生じていないかの心配もあります。中古のスリックタイヤを装着し、マシンチェックを兼ねての走行に臨むことになりました。 |
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新宅選手のドライブでコースインし、数周おきにPITインを繰り返しましたが、その都度エンジンの再始動に若干時間を要しました。燃料系統の温度上昇によるパーコレーションが予想され、チームは多めに燃料を補給して燃料の温度を下げるなど対策を試みましたが、新宅選手から伊藤選手に交代した直後はとくにスタートに手間取り、決勝での交代シーンを想定するとやや不安な面も残しました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ チームが一息付いたお昼過ぎ、PITウォークの時間を利用して、私達のいるパドックをヒョッコリ訪れてくれたのが、鳥取・倉吉から駆け付けてくれたWW2メンバーのしゅんさんでした。 |