12.WW2がついにマシン名に! (2001/08/28・記)

 4月のMINEサーキットで開幕した2001年スーパー耐久シリーズも、7月の大イベント・十勝24時間レースを終え、いよいよタイトル争いが本格化する後半戦に突入します。
 
 RX−7が大挙して参加している3クラスは、王者・BPビスコガンマ号が僅か数ポイント差で強敵・WAKO’S M3をリードしているという状況で、相変わらず予断は許せません。

 9月9日(日)に決勝レースを迎えるスーパー耐久第6戦のステージは、再び西日本へと移って岡山県英田町の
TIサーキット英田に。
 
広島〜山口〜岡山〜鳥取と、中国地方に数多くのメンバーを抱える我々WW2にとって、TIサーキット英田はとても身近なサーキットであり、S耐においても開幕戦MINE以来の重点観戦レースとなるわけです。



 
KojiさんがWW2メーリングリストでメンバーに呼びかけて、TI戦の観戦ツアーを企画し始めたお盆前、突然私Nukupeeの携帯電話が鳴りました。電話の主は、WW2メンバーでもある新宅選手でした。


 
「今度のTIになんとかクルマ(RX−7)が間に合いそうなんだけど、じつは明日がエントリーの締め切り日でね・・・」 

 
長年にわたるレース活動を突然休止してから1年余り、スーパー耐久レースに復帰するために、コツコツと独自にマシン製作を続けてきた新宅選手の姿を知る私達にとって、おそらくはこの知らせだけでも十分に嬉しい出来事であったはずです。普段からWW2−MTGやサーキット走行会で親しくお付き合いしている身近なドライバーが、再びMAZDAのマシンで戦線復帰してくれることで、私達が一層アツく応援できるクルマ/ドライバーの輪がまた広がるわけですから!

 
・・・この春、皆に相談して制作しておいた大きめのWW2ステッカーも、いよいよ役に立つ時が来たな・・・

と、部屋の隅でホコリを被っているオレンジ色のステッカーを思い出し、私は内心ホッとしていたのですが、この後話は意外な展開を見せるのでした。
  
 「本格的な参戦は来年以降になるけど、まずは今年数戦に参加してリザルトを残すことから始めようと思ってるんだ。」 と新宅選手。
そして、

 
「明日エントリーするまでにマシン名を決めておかないといけないんだけど、何せやっとクルマの製作の目処が立ったばかり。メインスポンサーさん探しはこれからという状況なので、今回は「WW2」の名前を使わせてもらっていいかな?」

 
「!!!!!!!!!!!!!!」

 
 
 
マツダに早くモータースポーツ活動に復帰して欲しいと願っている僕らWW2の思いを、今年のチームの参戦コンセプトにしたいと思ってるんだけど、どう?」
 
 「はい!  ZEHIお願いします!!!」
 
 
おそらくどこを探してもこれ以外の返事は見当たらないでしょう。クルマ、チーム、ドライバー、レースカテゴリー、そして参戦コンセプト、どれをとっても私達WW2の活動をアピールする最高の環境が揃っているではありませんか!

 この瞬間の私の鼓動の高まりはうまく表現できませんが、WW2を結成してから2年、ついにメジャーレースにWW2の足跡を刻み込む絶好の機会が巡ってきたのです。
「いつかWW2がメインスポンサーになって、強力なアピールができたらいいよね・・・」 私達は時々冗談交じりにそんな会話を交わしていたものですが、まさかこんなカタチで早くも実現するとは、夢にも思ってもいませんでした・・・。
 
 その夜、遅くまで「興奮冷めやらなかった」私は、4月に設置したメーリングリスト「WW2−ML」でメンバーの皆んなにこの嬉しい知らせを伝えることで精一杯でした。

 
 

◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 
こうしてあたかもメインスポンサーであるかのように堂々とマシン名に居座ることとなった「WW2」ですが、メンバーの小遣いをどう集めても、金銭的なサポート力不足は明らかです。私達はこれを補うために、決勝レースまでの一ヶ月弱の期間、出来る限りの人的サポートを行なうことを誓ったのでした。

 まずはお盆過ぎに新宅選手を交えて広島市内で
緊急Mtgを行ない、WW2サポートのキックオフを行ないました。
 急な召集にもかかわらず、Kojiさん、janさん、323GTさん他数名が集結、そこで新宅さんからチーム体制やマシンについての概要説明があり、今後のラフな全体スケジュールについて、メンバーで情報をシェアしました。マシンは広島市内に保管されており、9月1・2日にシェイクダウン走行をする予定で、チームスタッフによって急ピッチで深夜まで製作作業が進められているとのこと。

 結局、このMtgで協議した結果、今回のWW2の主なサポート内容は以下の3つに決定しました。

 ・マシンのカラーリング(デザイン&製作)

 ・PITクルー派遣
  (練習走行日〜予選日〜決勝日×4名)

 ・チームの応援(予選日〜決勝日)


 
この決定を受け、WW2ではメーリングリストを利用してメンバーに情報展開しました。そして
   @マシンのカラーリング案の検討
   A参加PITクルーの募集
   B観戦ツアー編成
に取り掛かっていったのでした。

 そして後日、S耐協会から正式なエントリー受理の連絡がやってきました。

 

ゼッケン: 78
マシン: WW2 RX−7
チーム: チーム テスタ スポーツ
ドライバー: 新宅 文亮/伊藤 弘史


 
ついに、ついにWW2は新しい一歩を踏み出したのです!




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