◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 9月3日当日、広島市内は朝から小雨がパラつくすっきりしない天気でしたが、昼過ぎには雨も止んで次第に回復。広島市西部に隣接する廿日市市の山中に位置する山陽道・宮島SAは、行楽帰りの家族連れを中心になかなかの賑わいを見せていました。 |
まずは夕食前にパチリ・・・
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ こうして20時を少し過ぎた頃、いよいよ本日のメインイベントの開催となりました。それは、メンバーに内緒で私が某ルートから極秘に入手した「歴代のMAZDAレーシングカー用ステッカー」のメンバー配布会だったのです! |
みんな真剣に物色中、の図
〜それは「MAZDA」に始まり、RENOWN、CHARGE、Art_Sports、KAJIMA、DUNLOP、Castrol、εfini、am_pm、LOG_IN、NGK、PLAYSURE_CLUB、Eibach、RAYS、BILSTEIN、BPS、DENiM、EXEDY、Snap-on、S&B、MICHELIN、GOODYEAR、EXON、CIBIE、さらにKATAYAMA、YORINO、TERADA、KENNEDY、DIEUDONE、HERBERT、GACHOT、WEIDLER、OHTA、FREON、DOWNING、そしてゼッケンも#201、#202、#203、#18、#58、#20、#5、#6、#9、#32と、当時を知る者にとってはたまらないものが続々と〜 かつてTVや雑誌で目にしたワークスマシン用の「本物」に触れ、思い出のシーンと重ね合わせて感慨深げなメンバーの面々。ひとつ、またひとつと、新たな種類のステッカーがダンボールの底から発掘される度に思わず「オォ〜!」と歓声が上がりました。 やがてメンバーは、お気に入りのステッカーを手にしては自分の愛車の所まで何度も往復をし始め、ボディやウィンドウの残されたスペースに見合うサイズのステッカー探しに躍起になっていました。 こうして我々が手にしたこれらのステッカーは、かつて世界中のサーキットで輝いていたMAZDAのマシン達の「分身」ともいえ、とても貴重なモノであることに間違いはありません。 と同時に、もし現在もMAZDAがレース活動を継続してくれていたなら、こうして我々の目に触れる機会のなかったモノも数多くあったことでしょう…。 そこで私はメンバーの人達に一つの提案をしました。それはある条件付きで、希望のステッカーをメンバーが自由に持ち帰るというものです。 その条件とは、 ・持ち帰ったステッカーをマイカーに貼り付ける、もしくは ・大事に各自の手元で保管する というものです。当然、第三者への譲渡はあり得ません…。 その理由はまず、これらのステッカーが「WW2ステッカー」と同様に私達の思いをしっかりと発信してくれるようにです。何年もの時を経て、初めてクルマのボディを飾ることになるステッカー達は、決して過去を懐かしむためのモノではなく、モータースポーツ活動休止という悲しい現状を打破し、「戦い続けるMAZDA」を再び取り戻すための強いメッセージとなることを願ってやみません。 そしてもう一つ、近い将来、我々WW2の願いが叶うことになり、再びMAZDAのマシンが世界のレーシングフィールドに復帰する時が来たら、マシン製作に活用するために即、収集可能な状態にしておかなければなりませんからねっ! MTG開始から5時間以上も経過した23時過ぎ、私達は次回MTGでの再会を約束して帰途についたのでした。 お気に入りのステッカーを貼った愛車の姿を想像してニヤニヤしながら…。 (参加された皆さん、お疲れさまでした) |
最後にもう一度パチリ
(この直後にカメラのバッテリーが・・・)