8.WW2一周年記念MTGを開催! (2000/09/06・記)


 1999年の夏、5人のメンバーで結成したWW2ですが、地道な活動の中で徐々にサポートメンバーも増え、ふと気が付けばこの8月12日をもって、なんと活動2年目に突入することになりました。(^^)
 「せっかくだから一周年記念パーティーでも開きましょうか…」
と、私がWW2−BBSへ何気なく書き込んだのがキッカケで(笑)話が進み、結成記念日から3週間後の9月3日、一周年を祝うオフラインMTGを盛大に開催する運びとなったのでした。

 
普段のMTGなら、ファミレスやディーラーのショールームの一角を使用させてもらうのですが、今回は記念イベントということもあり、323GTさんの発案で会場を「山陽自動車道下り・宮島SA」に決定。初の有料エリア開催となりましたが、駐車スペースはもちろん、レストラン・軽食・売店から自販機・トイレに至るまで、主要な設備が完備されており、ちょっとした集会の開催にはじつに便利なスポットなのです。
 開始時間はSAレストランで夕食をとるため
18時からに設定。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 9月3日当日、広島市内は朝から小雨がパラつくすっきりしない天気でしたが、昼過ぎには雨も止んで次第に回復。広島市西部に隣接する廿日市市の山中に位置する山陽道・宮島SAは、行楽帰りの家族連れを中心になかなかの賑わいを見せていました。

 
開始5分前に私がSAの駐車場に着くと、おくさんハッチさんがすでに到着していました。「雨降らなくて良かったですね〜」などと挨拶をしているところにこーぢさんが颯爽と到着。
 約15分後、芸北でのロードスタークラブMTG帰りの
323GTさんLEAD齋藤さんが相次いで合流。FINAのスタッフシャツが目映い齋藤さんは、山口市までのロングドライブを前に、休憩も兼ねて我々のMTGに特別参加してくれたのでした。
 18時30分頃には
janさんも到着。ひと通り雑談も済んで(笑)、そろそろ夕食タイムかと思いきや、何となく違和感が漂っている…。そうです、いつもなら真っ先に到着しているはずのKojiさんの姿が見えません。
 急いで携帯電話を手に取る323GTさん。「来る途中で何かが?」…一瞬メンバーの間に緊張が走りましたが(嘘)、どうやら本人はMTG開始時間過ぎまで自宅で爆睡中だった模様…(笑)。

 とりあえず薄明るいうちに集合写真を撮った私達は、高速道路を(文字通り)高速で爆走中のKojiさんをレストランでゆっくりと待つことにしました。

さて、ようやく晩飯だ!の図
まずは夕食前にパチリ・・・


 
SAのレストランのメニューは意外と美味しく値段もリーズナブル。昼間の遊び疲れも手伝い、皆が一気にお皿を平らげた頃に、無事Kojiさんが店内へ。さすがに休養十分だったのか、Kojiさんを中心に一段とパワフルな会話がしばらく続きました。

 食事を済ませ外へと戻り、故郷山口へと旅立つ齋藤さんを見送った我々は、20時半頃到着予定の
しんぺーさんを待ちながら、すっかり陽の落ちたSAで再びクルマ談義などを開始。323GTさんからは、前日夜から2日間にわたって参加されたロードスタークラブMTGの楽しい報告がありました。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 こうして20時を少し過ぎた頃、いよいよ本日のメインイベントの開催となりました。それは、メンバーに内緒で私が某ルートから極秘に入手した「歴代のMAZDAレーシングカー用ステッカー」のメンバー配布会だったのです!

 私がこのWW2−MTGに向けて約一週間をかけ整理・分類し、トランク目一杯に積め込んで持参した数百枚ものステッカーは、’80年代後半以降のル・マン24時間レースや国内耐久選手権を戦ったグループCカー&IMSAマシン、そして90年代中盤にJTCC参戦を果たしたツーリングカーのボディを鮮やかに飾っていたもの(のスペア品)が中心です。
 そのため、大きさも掌サイズのモノからリアウィング用の2メートル近い長さのモノまで多種多様。こうした各種スポンサーステッカーや車体ゼッケンに加え、片山選手・従野選手・寺田選手をはじめとする歴代ワークスドライバーのネームステッカーも華を添えています!


 
あいにく駐車場付近はすでに暗闇の中。そこで我々は明りを求め、大きなダンボールを抱えたままSAレストラン入り口の照明灯の下に民族大移動を決行。
 夜更けの平和なSAには突如、フリーマーケット開催かと思わせるような異様な光景が暫し展開されることに(笑)。

 
みんな真剣に物色中、の図

 〜それは「MAZDA」に始まり、RENOWN、CHARGE、Art_Sports、KAJIMA、DUNLOP、Castrol、εfini、am_pm、LOG_IN、NGK、PLAYSURE_CLUB、Eibach、RAYS、BILSTEIN、BPS、DENiM、EXEDY、Snap-on、S&B、MICHELIN、GOODYEAR、EXON、CIBIE、さらにKATAYAMA、YORINO、TERADA、KENNEDY、DIEUDONE、HERBERT、GACHOT、WEIDLER、OHTA、FREON、DOWNING、そしてゼッケンも#201、#202、#203、#18、#58、#20、#5、#6、#9、#32と、当時を知る者にとってはたまらないものが続々と〜


 
かつてTVや雑誌で目にしたワークスマシン用の「本物」に触れ、思い出のシーンと重ね合わせて感慨深げなメンバーの面々。ひとつ、またひとつと、新たな種類のステッカーがダンボールの底から発掘される度に思わず「オォ〜!」と歓声が上がりました。
 やがてメンバーは、お気に入りのステッカーを手にしては自分の愛車の所まで何度も往復をし始め、ボディやウィンドウの残されたスペースに見合うサイズのステッカー探しに躍起になっていました。


 

 こうして我々が手にしたこれらのステッカーは、かつて世界中のサーキットで輝いていたMAZDAのマシン達の「分身」ともいえ、とても貴重なモノであることに間違いはありません。
 と同時に、もし現在もMAZDAがレース活動を継続してくれていたなら、こうして我々の目に触れる機会のなかったモノも数多くあったことでしょう…。


 
そこで私はメンバーの人達に一つの提案をしました。それはある条件付きで、希望のステッカーをメンバーが自由に持ち帰るというものです。
 その条件とは、

 持ち帰ったステッカーをマイカーに貼り付ける、もしくは
 大事に各自の手元で保管する
というものです。当然、第三者への譲渡はあり得ません…。

 
その理由はまず、これらのステッカーが「WW2ステッカー」と同様に私達の思いをしっかりと発信してくれるようにです。何年もの時を経て、初めてクルマのボディを飾ることになるステッカー達は、決して過去を懐かしむためのモノではなく、モータースポーツ活動休止という悲しい現状を打破し、「戦い続けるMAZDA」を再び取り戻すための強いメッセージとなることを願ってやみません。

 そしてもう一つ、
近い将来、我々WW2の願いが叶うことになり、再びMAZDAのマシンが世界のレーシングフィールドに復帰する時が来たら、マシン製作に活用するために即、収集可能な状態にしておかなければなりませんからねっ!



 MTG開始から5時間以上も経過した23時過ぎ、私達は次回MTGでの再会を約束して帰途についたのでした。
 お気に入りのステッカーを貼った愛車の姿を想像してニヤニヤしながら…。
 
 (参加された皆さん、お疲れさまでした)



最後にもう一度パチリ
(この直後にカメラのバッテリーが・・・)




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