WW2 RX−7、マツダ787Bと夢の競演!!


広島市交通科学館 夏季企画展

 カーレース・日本からの挑戦」 
プレイベント

広島市西区観音
広島フェスティバル・アウトレット  マリーナホップ駐車場
(2009年7月11日)


(画像提供:にゃおさん)





 2009年7月11日、広島市西区・マリーナホップでレーシングカーの走行イベントが開催されました。
 このイベントに、私達がいつもサポートしているスーパー耐久レースのマシン「WW2 RX−7」が出場し、会場に詰め掛けた大勢の観衆の前でデモ走行を披露するという、またとない機会に恵まれました。


 このイベントは、広島市交通科学館の夏季企画展、
「カーレース・日本からの挑戦」(開催期間:7/18〜8/31)のプレイベントとして開催されたもので、広島湾に臨むアウトレットモール・マリーナホップの駐車場に特設コースを設け、歴代のレースカーを走らせるという内容でした。

 出場マシンの陣容は、1991年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権を戦った
マツダ787B、1968年にマラソン・デ・ラ・ルート84時間レースにチャレンジしたマツダコスモスポーツ(レプリカモデル)、さらに1970年の東京モーターショーに出展されたエクスペリメンタルモデルのマツダRX500、そして、スーパー耐久レース仕様のマツダRX−7の4台で、奇しくもマツダの歴代ロータリーマシンが勢揃いしました。

 7月18日から本館で始まる夏季企画展では、複数の自動車メーカーやコンストラクターのマシンが一同に展示されるようですが、今回の走行イベントに限っては、地元マツダのロータリーマシンが完全に占拠したカタチです。
 新旧様々なロータリーエンジンがそれぞれどのような音色を奏でてくれるか、大変興味が高まります。


 それでは早速、出場4台中唯一の現役レーシングカーとなった私達の78号車を中心に、7月11日当日の模様を伝えていきましょう。



待ち焦がれた曇り空◆

 私達が78号車のオーナーさんや他のチームメンバーと共に現地入りした朝8時、マリーナホップの上空はどんよりとした曇り空に支配されていました。

 実はこの一週間前から、イベントの当日はずっと
の予報で、数日前になっても好転する気配は全くなく、このために主催者が急遽「雨天時はエンジン始動のみ」との追加の案内を出したほどでした。

 せっかく陽の目を見ようとしている市街地でのレースカー走行イベントが、単なるエンジン始動に終わってしまうなど興醒めも甚だしく、遠方から駆け付る熱心なファンの方々のことを思うと、関係者ならずとも直前までその天候の行方にヤキモキする日々が続いていたのです。

 それが突然、前日の金曜の昼になって予報が一変し、突如「曇り」と「晴れ」のマークが出現したのですからビックリ!!・・・まさに奇跡の急展開でした。
 うんざりするような梅雨の長雨の合間に、この一日を選んだように雨が小休止してくれたのは、デモ走行の開催を待ち望んでいた関係者やファンの願いが通じたとしか考えようがありません。



 プログラムは下記の通りで、車両展示とデモ走行のセットが計3回ほど設けられていました。

1回目 車両展示 10:00〜11:00
デモ走行 11:00〜11:40
車両メンテナンス・展示準備 11:40〜12:00
2回目 マシン展示 12:00〜13:00
デモ走行 13:00〜13:40
車両メンテナンス・展示準備 13:40〜14:00
3回目 車両展示 14:00〜15:00
デモ走行 15:00〜15:40
車両メンテナンス 15:40〜16:00


 今回のデモ走行エリアは、アウトレットモールの正面駐車場の一角を矩形に仕切って作られたもので、ぱっと見の印象では概ね幅20m×長さ150m程度の大きさ。
 これは、私が昨年お台場で見学した「モータースポーツジャパン2008」の特設コースと比較すると、二回りくらい小さい印象を受けました。

 そして、その舞台を取り囲む観客エリアとは、仮設のガードレールとフェンス、タイヤバリアで三方が区切られていたものの、残る沿道側は、歩道と敷地を分ける植込みしか緩衝物が存在していませんでした。

 純粋にレーシングカーのデモ走行の舞台として考えると、この狭いエリアではスタートして2速にシフトアップしたところで急減速を強いられる忙しない走行になりそうで、加えて観客の安全上のリスクも完全払拭できないことを考慮すると、
交通科学館のHPに「安全を確保した上で、低速で行います」と掲載された通り、マシンを転がすレベルのパフォーマンスに終始するのも致し方ないところです。

 しかし、そんなことで落胆するよりも、臨海部の商業地帯の一角とはいえ、広島市内であの4ローターエンジンの爆音を轟かせてしまうなど前代未聞の出来事であり、この画期的なイベントを実現させた関係者の尽力に対し、モータースポーツファンはまず大いに感謝すべきでしょう。

 だって、R26Bの想像を絶する大迫力に観客が度肝を抜かれる様子を想像するだけで楽しくなってしまうのですから、この際、走行の内容云々で贅沢など言ってられません(^^)。



◆空前の大集客◆

 さて、いつものようにタイタン積載車で会場に到着した私達のWW2 RX−7は、主催者の指示によって、特設コース脇に設けられたメンテナンススペースへと誘導されました。
 ここが各マシンのメンテナンス拠点になると同時に、特設コース内で実施される車両展示やデモ走行に臨む際の待機位置ともなるようです。

 また、このスペースのすぐ脇には複数のテントが設営されており、イベントの運営本部やミニカー等の販売ブースが設置されている他、今回走行を断念したマキF101のマシン展示や、マツダ本社からエントリーした787Bのメンテナンス作業なども行われています。




デモ走行エリア(奥側)脇の待機スペース


 私達が朝8時頃に到着した時点で、すでに会場のマリーナホップ周辺の沿道には、駐車場の開門を待つ来場者のクルマが何十台も連なっていました。
 皆さんは一様にこのイベントを心待ちにしているようで、マシンの搬入の様子や準備作業を至近距離からじっと観察したり、スタッフの私達に
「●●から夜通し走って来たんですよ〜」と話し掛けてくる熱心な人の姿も見られました。

 やがて開門時間となると、大型アウトレットモールご自慢の広大な駐車場が次々にクルマを吸い込んでいくのですが、駐車場から離れた私達の待機エリアから遠く眺めていても、その車列は決して途切れる様子はありませんでした。
 案の定、1回目の車両展示が始まる10時前には、展示走行エリアの入場口に大勢の人垣ができるほどのフィーバーぶりでした。

 どうやら後日入手した情報によれば、この土曜一日で車両約4千台、のべ1万人を超える来場者を記録したとのこと。このために常設の駐車場は早々と満車になり、イベント開始間際に来場したクルマは未舗装の臨時駐車場へと誘導されていたようです。
 これはイベントとは無関係の一般客も含めたトータルの数字とはいえ、マリーナホップにとって近年にない大集客であったことは疑いようもなく、尋常でない人通りの増加に、テナントの店員さんからは「一体今日は何事ですか?」とのコメントも(笑)。


車両展示のスタンバイが進む特設コース



 実は数日前、私は主催者が当日の集客をかなり不安視しているという話を関係者から伝え聞き、そんな心配よりも混雑の回避策をしっかり練るべきだと思いましたが、まさにその通りの展開となりました。

 こうして主催者の心配も吹き飛ぶほどの大集客を呼んだ背景には、歴史的価値の高いマキF101の展示、奇跡の復活を遂げたRX500の走行披露、ルマンを制した787Bの4ローターサウンド、前例のない市街地でのデモ走行実施など、様々な要素が絡んでいて、特定の要因に絞るのは困難でしょう。
 ただ、少なくともひとつ確実に言えることは、この日のマリーナホップには、レース界を取り巻く世界的不況の影響などとは全く無縁の、アツいアツいモータースポーツファンの熱気が充満していたことです。
 マツダのモータースポーツ活動の再来を強く願う私達WW2としても、そのアピールの正当性を再認識できた、とても印象的な光景でした。



◆そして千両役者の登場◆

 レーシングカーのデモ走行とくれば、当然ながら、数々のモンスターマシンを操るための高度なテクニックの持ち主が不可欠。
 そこで、今回招聘されたドライバーは
檜井保孝選手でした。

 周知のように檜井選手が地元広島市出身であるということだけでも、主催者の広島市交通科学館が彼に白羽の矢を当てたことはある程度納得がいきますが、こと檜井選手に関してはその事実に加えて、過去に数々のモータースポーツイベントでデモ走行を披露したり、各種レーシングスクールで講師役を務めたりと、多方面での活躍が知られており、今回のように何台ものマシンを器用に乗りこなす使命に対しても、まさに「はまり役」と言える存在だったわけです。

 
・・・が、あえてWW2の立場から説明を加えさせてもらうと、昨年のS耐岡山戦でチームテスタスポーツに助っ人として加入し、WW2 RX−7を駆りレース序盤に豪快なオーバーテイクショーを演じ、CSのレース中継番組で私達の78号車を大写しにしてくれた立役者のAドラ張本人・・・と紹介すべき人物ですね。


78号車と檜井選手(2008年のS耐岡山戦にて)


 それにしても運命の悪戯というか、世間はホントに狭いもので、「広島」というキーワードの取持つ縁で、私達は世界で最も78号車のマシンに精通した乗り手の一人に、この日の晴れの舞台でステアリングを託すことになったわけです。

 お陰で、ドライバーに関する私達の不安要素はたちどころに解消し、逆に、箱庭のような狭い走行エリアでいかに檜井選手が78号車のパフォーマンスを引き出してくれるかに大いに期待を寄せて、私達はデモ走行の開始時間を待つことになりました(^^)。




◆幕開けは荘厳な雰囲気で◆

 約一時間ほどの1回目の展示が終了すると、4台の出場マシンは再びコース脇の待機エリアへと押し戻され、いよいよ待ちに待った歴史的なデモ走行がスタートします。

 その記念すべきトップバッターは、広島市交通科学館がこのデモ走行イベントのために自ら製作を進めてきた
マツダコスモスポーツ(マラソン・デ・ラ・ルート仕様)です。


’68 マラソン・デ・ラ・ルート4位入賞車の復元モデル


 このマシンは当時の参戦車両を模して造られた復元モデルで、記録資料に忠実に細部までこだわって仕上げられただけあって、ビ〜ンと響く乾いた排気音と相俟って、往年の姿を髣髴とさせる十分な出来映えでした。

 1967年、夢のエンジンと形容されたヴァンケル型ロータリーエンジンを東洋工業が遂に実用化。世界初の2ローターRE車としてデビューさせた僅か1年後に、その高性能さと耐久性を強くアピールするために、ヨーロッパのツーリングカーレースで最も過酷な84時間耐久レースへ挑戦。
 三日半にもわたる激走の末に、並み居る強豪に伍して総合4位入賞という好成績を収めた伝説のマシンが、このコスモスポーツなのです。

 東洋から遥々やって来たこの小兵なマシンの活躍が、レースの本場ヨーロッパに激震を与えたことは間違いなく、そのセンセーショナルな国際レースデビューと、NSUとの技術提携から5年以上の歳月をかけた苦闘の開発の歩みをオーバーラップさせつつ、今ここに再現された42年前のワンシーンが基点となって、その後のレーシングロータリーの華々しい戦跡が刻まれ始めたことを思うと、ゆっくりと走り去るその姿を眺めているだけでも、十分に感慨に浸ることができました。


歴史的なデモ走行が静かなにスタート



 レーシングロータリーの歴史を切り開いたコスモスポーツのお次は、
マツダRX500です。

 ちょうど一年前に内外装のレストアが完了し、広島市交通科学館の「幻のスーパーカー展」にてお披露目されたこのマシン。さらに今年は動態化を目指したレストア作業が進み、今回のイベントで完全復活を果たすという魅惑的なシナリオが用意されていました。

 
が、なんと当日になって突如エンジンが不調を来たすという予想外の事態が発生。

 2ローターの10Aエンジンは始動こそするものの、快調というには程遠い重苦しい回転。このために急遽、メンテナンスとマシン解説で参加していたガルフォースワンの栃林氏自らがステアリングを握り、マシンを労わりながら最低限の周回に止めて走行を披露することになりました。



数十年ぶりに動態化されたマツダRX500


 かつては最高速度200キロ超を謳い、誕生から間もないマツダロータリーの無限の可能性を示した先進の実験車が、このように息も絶え絶えの状態でソロソロと走り行く様子は、レストアに従事した関係者の方々ならずとも不本意な光景だったことでしょう。
 しかし、逆にこのことが約40年越しの"奇跡の復活"をかえって強く印象付ける結果になり、RX500の久々の走行シーンに注目していた来場者も、息を呑んでその様子を見守っていました。



◆マルチローターの咆哮、轟く◆

 そして3番目には、皆さんお待ち兼ねの
マツダ787Bが登場します。
 ここまで、昭和の時代の歴史的車両2台により静かな滑り出しを見せた今回のデモ走行も、ここを境にその様相が急転換を見せていきます。
 車両展示中もずっと来場者が群がり、逆CHARGEカラーのその姿を写真やビデオに収めていく人が絶えないほどの人気者だったこのマシンですが、ここからがいよいよその本領を発揮するシーンです。



展示中は常に人垣が出来ていた787B−003



 11時20分、場内アナウンスの紹介を待っていたかのように、それまでの静寂を突き破ってR26Bの4ローターエンジンが目を覚まします。

 ただし、ドライバーの檜井選手はコクピット内ではなく、マシンの傍らで待機中・・・。そう、小気味良いレーシングの演奏者はお馴染みの担当メカニックの方でした。

 通常の走行イベントであれば、予め出番前にこうした暖機の作業を済ませておくのが定石ですが、今回は1回目の走行順が回ってきてからようやく暖機が開始されました。
 これにより、大勢の観客がデジカメやビデオカメラを持って待ち構えているコース上は暫しもぬけの殻状態となりますが、コース脇の787B専用テントの横を発信源として、4ローターエンジンの迫力ある鼓動がフォンフォンと会場に響き渡るだけで、詰め掛けた観客からはどよめきが起こります。

 それもそのはず、たとえ地元広島の人であっても、古くからのレースファンか余程のモータースポーツイベント好きでもない限り、787Bの4ローターエンジンの生音を聞くチャンスは皆無に等しかったのです。
 つまり、こうした暖機の儀式ひとつとっても、その音や振動、匂いを直接肌で感じとれる初の機会となるわけで、出番がやって来るその瞬間まで全くその素振りを見せずに、一連のパフォーマンスを温存しておいたことは、787Bを目当てに来場した多くのファンに配慮した、心憎い演出だといえますね。


 
2008年の動態レストア後、広島では初お披露目
(画像提供:ハヤトさん)

 
 こうして、10分弱のシビれるような暖機が完了すると、いよいよ走行の開始です。

 マシンに乗り込んだ檜井選手が慎重に発進をすると、ストール気味で途絶えかけたエンジン音があっという間に元気を取り戻し、そのまま勇壮なサウンドに変貌!・・・と思ったのも束の間、今回の狭い走行エリアでは高回転に達するには奥行きが足りず、すぐに減速モードに移ってしまいます。

 一瞬、高回転域の澄んだロータリーサウンドの到来を期待させましたが、それは無理な注文でした。
 迫力の4ローターサウンドを惜しみなく披露するなら、おそらく、隣接する広島西飛行場の滑走路を借り切るくらいの準備が必要になってきますね・・・。

 さらに787Bには不幸なことに、今回の走行エリアは横幅も狭く自力で方向転換できないため、コースの端々に待機した運営スタッフがその都度、手押しでマシンを後退させて向きを変えるという、ちょっと不細工なパフォーマンスとなってしまいました。
 もちろん、ポルシェ製5速トランスミッションにリバースギアがないわけではありませんが、元々リバースギアは緊急用であって頻繁な使用を想定していないため、手押しの後退にして駆動系を労わったと推察されます。

 でも考えてみれば、数多いるプロドライバーの中でもとりわけ器用な檜井選手をもってすれば、豪快なアクセルターンくらい朝飯前のはず・・・?。
 おそらく檜井選手は、初めての787Bドライブでまだ自身が慣熟途上であったため、観客が至近距離にいる状況などを総合的に判断して、リスクを伴うパフォーマンスを避けたものと思われます。
 先の2台と違って、今回の箱庭のような走行エリアが787Bにとって狭過ぎることは誰の目にも明白で、余程このスポーツプロトタイプカーの素性を知り尽くしたドライバーでないと、この状況下でいきなり安全かつ派手なパフォーマンスを魅せるのは難しかったでしょうね・・・。

 そのことは、檜井選手がいざ勝手知ったるマシンを手にした瞬間、明らかになります。



現役マシンの面目を保った78号車◆

 さてさて、4台のマシンのトリを務めるのは、我らが
WW2 RX−7(マツダRX−7)

 今回の出場マシン中で唯一台の現役レースカーである78号車は、ここにAドライバー檜井選手を得、水を得た魚のようにこの狭いコース内を縦横無尽に駆け巡ります。

 これまでの3台とは違い、細長い走行エリアの対角線を生かした、大きな8の字を描きながらの旋回が基本。檜井選手は1速&2速で果敢に床までアクセルを踏み込み、レーシングカーらしいメリハリあるエキゾーストノートを響かせていきます。
 さすがにR26Bの4ローターサウンドのような桁違いの音圧こそないものの、この78号車の元気なパフォーマンスこそ、まさにデモ走行に相応しい走りでした。

 


78号車の元気なパフォーマンスに大注目!!
(画像提供:にゃおさん)



 前出の3台が、本来のマシンパフォーマンスからすればやや消化不良気味な走りに終わっていただけに、この78号車の派手なパフォーマンスによって、詰め掛けた大勢の観客やイベント関係者が皆一様に溜飲を下げた感じがしました。
 もしかするとステアリングを握る檜井選手本人も、そのうちの一人だったかもしれませんね・・・。



駐車場に公然とブラックマークを残す78号車(笑)
(画像提供:にゃおさん)


 檜井選手と78号車のパフォーマンスは、2回目、3回目と回を追うごとに徐々にエスカレートし、最初は軽くホイールスピンを披露する程度だったものが、最後の3回目になるとコース中央でドーナツターンを連発するという大サービス。
 この日一番の派手なパフォーマンスに、詰め掛けた人々の興奮のボルテージが最高潮に達するのがビシビシ伝わってきますが、実はこの瞬間に最も盛り上がっていたのは、たぶんWW2メンバーをはじめとする身内関係者です(笑)。

 2001年9月のスーパー耐久レース初参戦以来、昨季までの8年間で通算12戦の出場実績を有する私達の78号車。
 昨年の岡山戦でこそレース序盤に熾烈なバトルを繰り広げて注目を集めたものの、基本的にこれまでレース中に派手なパフォーマンスを演じることは殆どなかったので、今回ほど大勢の観客の視線を一手に集めたのは事実上初めてだったと言えます。

 そういう意味では、今回のイベント出場がWW2 RX−7とって第2のメジャーデビュー。
 この露出をきっかけに、チームテスタスポーツやWW2の存在とその活動をより多くの人に知ってもらい、支援の輪が広がることを願わずにはおれません。



◆サポートの輪、広がる!◆

 そんな思いを胸に臨んだこのイベントですが、実はすでにもう支援の輪は広がっていました。
 朝10時からの1回目の車両展示の直前、我々WW2の準備作業の最終仕上げとして、マシンのリアフェンダーに見慣れない大きなステッカーが現地で貼られました。

 
「West River」、そして「WR Project」 がそれです。


 West Riverさんは、兵庫県川西市で開業している中古車販売業者さん。
 実は、私達のWW2 RX−7を応援してくれる方々のネットワークを通じて、WestRiverさんが
チームテスタスポーツのプライベートなS耐参戦の取り組みに共感してくださり、私達の活動を応援してくれることになったのです。

 これまでずっと、地元広島に拠点を置く複数の自動車愛好クラブのメンバーを中心とした、個人的な絆で強く支えられてきたチームにとって、本当の意味での第三者の立場の方々に、県境をも越えた新たな応援の輪が拡がったのは画期的な出来事です。


 
78号車とともに踊った「West River」、「Team WR」のロゴ
(画像提供:にゃおさん)



 そしてなんと、私達が9月に出場を予定しているS耐の岡山戦には、West Riverさんが結成した「WRプロジェクト」の活動の一環として、お店の常連さんの方々と大挙して78号車の応援に駆け付けてくれるとのこと!
 RX−7やロータリーという在り来たりのキーワードではなく、私達の参戦コンセプトそのものに共感してもらえたことに、また格別の嬉しさや心強さが生まれます。

 こうして、今までよりもさらに多くの人々の思いを乗せた78号車、9月のレースが今から楽しみになってきました!!



【おまけ】

 本レポートのタイトルにある「787Bとの夢の競演」が文字通り実現したのが下の写真。
 これは、1回目の走行終了直後に突然降り出したにわか雨で、マツダの好意により、787B用の整備テントの下に78号車を緊急避難させてもらったものです。

 この2台はその後の夏季企画展で、広島市交通科学館の1Fフロアに同時展示されることになりますが、ここまで超接近したツーショットはこの時だけでした。

この最中、コスモスポーツとRX500が雨ざらしだったのは内緒です(笑)
にわか雨のため、787Bのテントを「間借り」